1.そもそも『地獄の黙示録』ってどんな映画?
巨匠フランシス・フォード・コッポラの代表作『地獄の黙示録』(1980)はカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞。 アカデミー撮影賞と音響賞に輝いた他、20もの賞を獲得、31もの賞にノミネートされました。ジョーゼフ・コンラッドの『闇の奥』を元に脚本が作られています。 舞台はベトナム戦争のさなか。アメリカ陸軍のウィラード大尉は元グリーンベレー隊長のカーツ大佐の暗殺という危険な任務を遂行するためカンボジアへと向かいます。 カーツはアメリカ軍に背き、今やカンボジアのジャングルで自身の大国を築き上げているというのです。エリート軍人であったカーツが何故ジャングルの王にならなければならなかったのか・・・ ウィラードは気になりましたが軍の命令には逆らえません。疑問の残るまま進んでいくと、一行はベトナム戦争の狂気を目の当たりにすることとなるのです。 そして、徐々に豹変していく彼ら自身がカーツの大国に足を踏み入れた時に、目にしたものとは・・・ 上映から40年近く経つ今でも色あせないどころか海外では最近になって再び人気が上昇しているといいます。 何故『地獄の黙示録』がそんなにも名作といわれ続けるのか?その魅力や裏話に迫っていくことにしましょう。
2.予算は大幅に膨れ上がり、製作期間は延長、その訳とは?!
上映当時から、今なお大絶賛される名作ですが、出来上がるまでには大変な苦労がありました。 1976年春、フィリピンで14週の予定だった撮影は、当時現地を直撃した台風の影響で撮影現場が壊滅的な被害を受け、なんと8週間も足止めを食らってしまったのです。 台風が去ったあとコッポラは無謀にも撮影を続けましたが、その後の編集にさらに2年もの歳月がかかってしまい、結局撮影から編集までは3年以上を費やすことになったのです。 日本で上映されたのは1980年2月の事でした。 当初47億円ほどだった予算は最終的に90億円を超えたとも言われています。 コッポラは自分の納得する作品に仕上げたかったため、オーバーした予算の一部を自宅やワイナリーを担保に銀行から借金をして負担していたのだそうです。 しかも7%だった金利が、作品が仕上がる頃には29%に跳ね上がっていたというから、撮影中のコッポラのプレッシャーは想像に難くないですね・・・ 撮影中、てんかん発作を起こし、ノイローゼになり、少なくとも3回自殺を図ろうとしたとも伝えられています。
3.キャスティング秘話
ウィラード大尉役に選ばれたのはハーヴェイ・カイテルだった?
コッポラはキャストのオーディションに力を入れていましたが、ウィラード大尉役には手を焼いたようです。 監督は初めスティーブ・マックイーンに、続いてアル・パチーノなどに声をかけましたが残念ながら断られ、5人目のハーヴェイ・カイテルがようやく快諾してくれました。 しかし撮影から6週間でカイテルはクビになってしまいます。コッポラの描くウィラードにはふさわしくなかったからです。 そこで以前『ゴッドファーザー』(1972)のオーディションを受けたことのあるマーティン・シーンに白羽の矢が立ったのです。 マーティンはコッポラの指示とあれば飲めないお酒も無理やり口にし、リアルな醜態をさらし、コッポラの描いた通りの暗殺者、ウィラードになりきりました。 しかし、本来の自分とは正反対の役になり切るという過酷な撮影がたたったのでしょうか?当時36歳だったマーティンが、なんと心臓発作を起こし病院に運ばれてしまったのです。 6週間で復帰したというから驚きですが、とはいえそのためさらに撮影が遅れたことは言うまでもありません。 しかし見事、英国映画テレビ芸術アカデミー主演男優賞にノミネートされたのですから、ただ者ではないですね!!
コッポラもカメオ出演していた?
コッポラのように普段はカメラの向こう側にいて、スクリーンには登場しないはずの人たちが登場しているのも本作の魅力の一つですね。 他にも美術監督のディーン・タヴォウラリスや撮影カメラマンのヴィットリオ・ストラーロが出てきます。 3人はニュース映画の監督という設定で、ウィラード大尉とクルーたちがキルゴア中佐と落ち合うシーンに登場。 コッポラはウィラードたちに「カメラの方を見るな!」と何度も大声で伝えます。作品にちょっとした遊び心を感じるシーンですね。
大御所ハリソン・フォードの初々しい姿が!?
今ではすっかりハリウッド大スターのハリソン・フォードですが、本作の撮影が始まった当初は『スターウォーズエピソード4/新たなる希望』(1978)がアメリカで上映される1年前で、まだまだ無名の役者でした。 役名の“ルーカス大佐”はジョージ・ルーカスから取ったとのこと。 ルーカス大佐もカーツ大佐の暗殺を任命される陸軍士官という役であるにも関わらず、ハリソン・フォードは撮影当時まだ緊張していたようで、コッポラは暗殺に不安を抱いている若手であるという設定を加えたのだそうです。
功績もギャラも世界一?マーロン・ブランド!
アメリカ軍に背き、ついに暗殺の標的となってしまったカーツ大佐を演じるのは“20世紀最高の俳優”かつ“世界一ギャラの高い俳優”とも言われたマーロン・ブランド。 コッポラの『ゴッドファーザー』(1972)ではアカデミー主演男優賞を受賞しています。そんなマーロンですが、本作でフィリピンに登場するシーンではなんと100キロを超える体重になっていたとのこと。 コッポラは鋭敏なグリーンベレーの隊長をイメージした衣装を用意していたので、全て無駄になってしまい、急きょマーロンの体格に合わせた撮影をしなくてはならなくなりました。 コッポラは撮影カメラマンのヴィットリオ・ストラーロと相談し、影やシルエットを活かした撮影法を用いることで、カーツ大佐をよりミステリアスな存在にすることに成功したのです。 さすがのコッポラもマーロンにはこのように振り回されることも多かったようですが、結果としてはそのおかげでいい作品に仕上がったといえるようですね。 どんなピンチをもチャンスに変える辺り、さすが、巨匠コッポラ!!ですね。
4.ヘリの音と『ジ・エンド』、『ワルキューレ騎行』が絶妙!!
本作はアカデミー賞2部門を含み20もの賞を獲得し、31の賞にノミネートされました。 アカデミー賞のうち1つは最優秀音響賞を獲得、また英国映画テレビ芸術アカデミーの最優秀サウンドトラックにもノミネートされるなど、本作の音響や音楽に対する評価も非常に高いものでした。 ベトナムのジャングルをバックに、不気味に響くヘリコプターの音にかぶさるようにアメリカのロックバンド"ドアーズ"の曲『ジ・エンド』が流れてくるオープニングシーンはエキゾチックな雰囲気を見事に表現していました。 他にも音楽が効果的に使用されたおかげで、戦争のやるせなさや不条理さといったものが、より一層伝わったシーンは数多くありました。 一番いい例がワーグナーの『ワルキューレ騎行』ではないでしょうか。 キルゴア中佐がただサーフィンをしたいという理由で早朝に奇襲攻撃をするシーンにこの曲が使用され、アメリカ軍が狂気に満ちていく様がより際立って表現されていました。まさに不条理以外の何ものでもありません。 ヘリコプターの音と音楽を見事に融合させ、観るものの心を引き付けていたのが本作最大の魅力。音響賞やサントラ賞を獲得したのも納得ですね。
5.戦争の狂気を美しく
本作のもう一つの最大の魅力は映像の美しさにあります。 戦争映画に対して「映像が美しい」と表現するのはかなり不謹慎かもしれませんが、戦争という非日常、異常事態で人間がどれほど狂気に満ちていくものなのか、それがあえて美しい映像と時にクール、時にアップテンポな音楽で表現されていることが本作の魅力なのです。 例えばオープニングシーン。不気味なヘリコプターの音と共に映し出されるのは、うっそうと木が生い茂っているジャングルではありません。 何とも言えない幾何学模様のような木々が映し出されていることで不気味なのにどこか美しさを感じてしまう、そんな風景が広がっているのです。 そこからどこからともなくヘリコプターが旋回してきて、ジャングルは焼け野原になっていきます。 それもまた、いわゆる戦争映画の“爆弾が投下されたシーン”とは異なり、ジャングルの少しほの暗い緑に対して炎の赤が鮮やかである印象を与えます。 戦争映画の始まりであるにも関わらず、そのような美しいコントラストを描くことで、直後に登場するウィラードの憂鬱な記憶や精神状態、歴史的背景なども見事に表現されていましたよね。 ちなみに、脚本を手掛けたジョン・ミリアスはある映画にインスピレーションを受け、ベトナムでの撮影を希望しましたが、まだ戦争中だったこともあり、コッポラはその考えを却下し、本作はフィリピンで撮影されました。
6. DVDで完全版が蘇る!!
初公開した当初はカットされてしまったシーンなども盛り込んだ特別完全版が、もちろん音響もリミックスした形で、日本でも既にDVDやブルーレイで発売されています!! どうやらゲーム化されるという話も出ているとか・・・海外での人気が数十年ぶりに復活している背景にはこういうことがあったんですね。 「懐かしいなぁ」という方も、「知らなかったなぁ」という方も、これを機に是非、名作中の名作をご覧になってみてはいかがでしょうか?