まさにレジェンド!声優・大山のぶ代とは
「ぼく、ドラえもん!」「のび太く~ん!」この声を聞いたことが無い人はおそらく殆どいないでしょう。あの国民的キャラに命を吹き続け夢を与え続けた伝説の声優。 大山のぶ代は1933年10月16日生まれの東京出身の声優です。『ハリスの旋風』の石田国松役、『無敵超人ザンボット3』の神勝平役などで活躍し、後にあのキャラクターと出会うことになります。
超意外!あの『サザエさん』の初代磯野カツオ役も演じていた!
意外なところでは『サザエさん』の初代磯野カツオ役も演じています。しかし1969年のアニメ放送開始後3ヶ月で降板しており、その訳は体調不良となっています。後に大山はラジオ番組TOKYO FM『恵俊彰のディア・フレンズ』に出演した際、「あれだけは自分で降りた」と明かしています。その詳しい理由は明らかになっていません。 ちなみに、後任となり死去するまでの28年間磯野カツオ役を担当した高橋和枝は、青くなる前の黄色いドラえもんの声を担当していました。
みんなに愛された国民的キャラクター『ドラえもん』
もはや説明不要の国民的キャラクター「ドラえもん」。公私ともに認める声優・大山のぶ代の代表作です。ドラえもんの声優というと大山のぶ代の声が真っ先に思い浮かぶ人は多いと思いますが、実は三代目ということはご存知でしょうか? アニメ『ドラえもん』の放送開始は1973年ですが、「ドラえもん」の初代担当は冨田耕生で三か月演じ、その後『ドラゴンボール』の孫悟空役でお馴染みの野沢雅子が三か月担当しました。どちらも担当時期が非常に短く映像や音声は殆ど残っていません。 その後少し間を置き、1979年から放送局を変え、再度放送が始まりました。その際に大山のぶ代が抜擢され、2005年まで実に26年間演じました。まさにドラえもんと共に歩んだ26年間と言えます。
「ぼく、ドラえもんです」に込められた想い
ドラえもんの声を担当するきっかけは、声優の仕事をしばらく休んでいた時に「ドラえもんの声をやってみないか」という話があったからだそうです。一晩で15冊を読み終える程ハマリ、決心しました。 台本ではドラえもんの一人称は「俺」だったのですが、『ドラえもん』は小さい子供が見る作品なんだから、口が悪い言葉は使わないようにしようということで、「僕」に自ら変えたそうです。モノマネでよく聞く「こんにちは、ぼくドラえもんです」も大山のぶ代が考えたセリフです。 その後、大山が原作者の藤子・F・不二雄と初めて対面して、自身が当てたドラえもんの声の感想を聞いた際、藤子先生は「第1話を見ましたが、ドラえもんってああいう声をしていたんですね」と言ったそうです。 それに対して大山は「役者冥利に尽きるホメ言葉で本当にうれしかった」とコメント。まさに原作者にも認められた声だったんですね。
『ドラえもん』と歩んだ26年間……声優交代の裏側とは
原作・アニメ共に人気や知名度はどんどん上昇して、国民的作品となっていった『ドラえもん』。しかし、2001年には悪性の直腸癌が見つかるなど体調が徐々に悪化。スタッフに降板を申し出ようとしましたが、性格上中々できなかったそうです。 その後レギュラー声優陣も高齢になっていき、大山は自分達が突然倒れてアニメの放送が止まることを何より恐れ、まだ身体が元気なうちに次期声優に後を託すことを考え始めます。他のレギュラー声優陣やスタッフの間でも話が進み2005年春、正式に大山のぶ代、小原乃梨子、たてかべ和也、肝付兼太、野村道子のレギュラー声優陣を中心に同時降板し、次期声優に交代することが決まりました。 半年前の2004年11月下旬に初報道された際は大きな衝撃が走りました。ドラえもんの声=大山のぶ代と誰もが認識していたからです。ですが、彼女らの年齢や体調を考えればベストなタイミングでの交代だったのかもしれません。 その後、大山のぶ代ら旧声優陣の魂は新声優陣に引き継がれ、2017年現在も『ドラえもん』は国民的作品として愛され続けています。 2011年に刊行された「ぼく、ドラえもんでした。(小学館文庫)」ではドラえもんとの出会いから別れまで多くの想いや出来事が大山自身の言葉で綴られています。
久々の声優復帰!『ダンガンロンパ』にて初の悪役・モノクマを演じる
『ドラえもん』の降板以降、声優の仕事を休んでいた大山のぶ代ですが、2010年にPSP用ゲームソフト『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』のモノクマ役で5年ぶりに声優復帰します。ドラえもん以降、実に34年ぶりに演じた新キャラで、人生初の悪役でもありました。 その後もモノクマ役として、2012年の『スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園』に、2013年にはテレビアニメ『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation』にも出演しています。後者は『ドラえもん』降板以来のテレビアニメへの出演であると同時に、深夜テレビアニメとしては初出演した作品です。
突然の発表!認知症との戦いと夫・砂川啓介との愛
2012年秋、大山のぶ代はアルツハイマー型認知症との診断を受けますが、この事はしばらく内密にされていました。夫の砂川啓介が2015年5月13日ラジオ番組でゲスト出演をした際に、大山が認知症を発症し闘病中であることが明らかにしました。 自宅で砂川、家政婦、マネージャーらの介護を受けながら自宅療養していましたが、認知症の症状が進行し、ドラえもんを演じていたことも忘れてしまっていたそうです。その後症状がさらに進行し、2016年4月に老人ホームに入所しました。 認知力が著しく欠乏した状態でも夫・砂川の名前だけは覚えており、マネージャーの事を間違えてそう呼んでしまう事もあったそうです。そんな大山を見て、砂川は彼女のためにも先に逝けない、とともに病気と戦う決意をしていたそうですが……。
最愛の人の死、そして大山のぶ代が残したもの
妻の大山のぶ代を献身的に支えてきた夫の砂川慶介が、2017年5月に自らも入院。6月に退院しましたが4日後に脳梗塞で意識不明になっているところを救急搬送され再入院。意識はすぐに回復したものの、2017年7月11日の早朝に容体が急変してそのまま他界しました。 砂川の入院中、大山はマネージャーと共に何度か見舞いに訪れています。認知症の症状がかなり進んでいましたが、顔を見れば夫・砂川の存在をちゃんと認識していて、二人の時間を過ごしていたそうです。臨終には立ち会えませんでしたが、死去後に対面した大山は、棺の横で「お父さん」と言って涙をこぼしたそうです。 認知症、最愛の夫の死に見舞われた大山のぶ代ですが、2017年現在も老人ホームで暮らしています。例え忘れてしまったとしても、「ドラえもん」という素晴らしいキャラを演じ、夢を与え続けたことと最愛の夫の存在は心のどこかで残っているのではないでしょうか。そして、彼女はいつまでも伝説の声優として語り継がれていくでしょう。