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『ダンケルク』が『ダークナイト』っぽかった説【southpumpkin】

2017年9月12日更新

「ダークナイト」シリーズ、『インセプション』など革新的な映画作品を撮り続けるクリストファー・ノーラン監督の最新作『ダンケルク』。早くも傑作との呼び声が高い本作をオープニングに焦点を絞ってsouthpumpkinが論考します。

映画『ダンケルク』の没入感はオープニングにあり?

『ダンケルク』のオープニング

若き兵士がフライヤーの舞う荒廃した街を歩いている。ライフラインは絶たれ、人っ子ひとりいない。まさにポスト・アポカリプスである。そんな光景に酔う観客の心は、劇場中に轟く銃声に射抜かれた。 一斉に走り出す青年たち。しかし姿の見えないスナイパーによって一人また一人と凶弾に倒れる。その中で一人の青年が運良く生き残り、開けた海岸に出る。本当の恐怖はここから始まるのだ。

没入感のトリガ

『ダンケルク』を観た多くの人が、その没入感に圧倒される。無数の爆撃と溺水の恐怖。まるで観客もダンケルクで助けを待つ気分となる。最新鋭の技術で撮られた映像の、没入感への寄与は言うまでもない。 しかし筆者はオープニングにも鍵があると考えている。これがトリガとなり映画全体の没入感に繋がっているのだ。 映像的魅力による没入感は観た人全てが実感しているはずだ。そこでこの記事はあえてオープニングに絞って『ダンケルク』の没入感の鍵について考えていきたい。説明のために一本の映画を紹介する。

ノーランの代表作『ダークナイト』から考える

ダンケルク
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前述のオープニングは映画『ダークナイト』とよく似ている。監督は『ダンケルク』と同じくクリストファー・ノーランだ。

『ダークナイト』のオープニング、ピエロのマスクを被った複数の強盗が銀行を襲うが、徐々に身内で淘汰していく。そして最後に残った強盗こそ、ジョーカーである。 ジョーカーはノーラン自身の哲学的な背景を象徴している。そんなキャラクターを速攻で提示したこのオープニングの果たしたインパクトは大きい。善悪の概念をも覆した稀代のカリスマが、どこにでもいる悪の中に潜んでいるのだ。 さらに映画の主人公であるバットマンもまた、偽バットマンの中から登場するという演出に注目しよう。

『ダンケルク』と『ダークナイト』の類似と相違

ダンケルク
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類似点

このプロットは『ダンケルク』にも適応されていると言える。 観客は、並んで歩く若き兵士の中から誰が映画の主人公になるのか始めはわからないーー。両作品に共通しているのは“集団の中”から突出した個を主人公に見出す点だ。 スクリーンと客席という関係でありながら、主人公と一般人である観客とが同じ次元に存在しているかのように感じる。今にも客席の中からジョーカーやバットマンが飛び出したり、凶弾を逸れて偶然生き延びたりしそうである。 しかしそれぞれが意味するニュアンスは若干異なる。

相違点

『ダークナイト』ではヒーローという高次元に位置していた存在を、オープニングのプロットにより観客と同じ次元に下ろしている。観客たち一般の正義感が増幅されているのがバットマンやジョーカーなのだ。 一方『ダンケルク』では初めから同じ次元にいそうな青年が、オープニングのプロットにより観客とギリギリまで近い存在になっている。観客も凶弾から偶然逸れた内の一人かのように錯覚させるのだ。 このオープニングによって『ダンケルク』は銃弾降り注ぐ海岸に放り込まれることになった青年と観客の映画になる。

『ダンケルク』は戦争映画にあらず

『ダンケルク』
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クリストファー・ノーランは「『ダンケルク』は戦争映画ではない」と述べている。ノーランが意図する戦争映画とは、特定の人間によるヒロイックな精神により大義が成されるものなのだろう。 主人公が格別の能力を持っていれば戦争アクション映画になるだろうし、傑出した人格を持っていれば感動の戦争映画になる。どちらも主人公がヒーローである。 しかし『ダンケルク』の主人公はヒーローではない。 オープニングで偶然にも生き残った主人公(と観客)は、その後すぐに集団の中に飲み込まれる。主人公は天才的な射撃の腕で敵軍を跳ね除けたりしない。単独で前線に止まり多くの人間を救うこともない。 善と悪という二元論で語ることができない混沌を目の前にして、その他大勢と共にダンケルクでもがき苦しむ。『ダンケルク』は全く俯瞰を許さない。もはやそれは”鑑賞”を超越した”体験“に他ならないのである。

執筆者:southpumpkin

春日海秀 southpumpkin

1992年生まれの映画好きサラリーマン。足が速くて、とても優しい。 Twitter@southpumpkin