2018年3月18日更新

S・キング研究の第一人者、風間賢二が語る『IT/イット』。ITとは一体何なのか。

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モダンホラーの帝王の最高傑作、ついに大スクリーンに登場!

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米国の超ベストセラー作家スティーヴン・キングの最高傑作にしてモダンホラーの金字塔『IT』(1986)が二度目の映像化となった。 本国では、ホラー大作としては近来稀に見る大ヒットを記録中。数あるキングの映画化作品のなかでも、名作(だが、ホラーではない)『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』を抜いてじきにNO.1となるだろう。本邦では11月3日から公開だ。 冒頭で〝二度目の映像化〞と記したが、一度目はTVのミニドラマ・シリーズとして、1990年に放送されている。今回の映画はそのドラマシリーズから実に27年後の再映像化なのだ。 原作刊行からは31年を経て、ようやく大スクリーンにお目見えとなった。実は、27とか31といった年数には意味がある。その周期で子どもたちが謎の失踪・殺害される物語が『IT』なのだ(ちなみに、原作では、およそ27年から30年ぐらいのサイクルと述べられている)。

27年サイクルの謎

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なぜ27(あるいは30)年周期なのか?  およそそのぐらいでひとつの輪が閉じられるということだろう。たとえば、聖書は27の本から構成されている。27番目の書物は「ヨハネの黙示録」である。 つまり、死と崩壊と終末が訪れる。あるいは、十進法では0から9までのアラビア数字を用いて表記するが、27のそれぞれの数字をたすと、2+7=9となる。十進記数法における最後の数字9である。終わりが到来し、そして始まりの0に戻るといった円環構造(サイクル)が現れるのだ。  サイクルが問題であるがために、『IT』で描かれる子殺しモンスターはピエロの姿で登場する。というのも、ピエロといえば、サーカスのおどけ者だが、サーカスもサイクルも語源は同じ。 サーカスは、古代では円形劇場で近世では円形広場で公演が行なわれていたことに由来する。たとえば、ロンドンの観光名所ピカデリー・サーカス。昔はそこが見世物巡業の開催される円形広場だったことからサーカスと名付けられたのだ。

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『IT』がピエロ恐怖症を生んだ?

1980年代後半からはという軽い不安障害現象も見受けられるようになったほど、『IT』で描かれていることペニーワイズのキャラクター造形は強烈だ。 しかも、『IT』が刊行される十年ほど前には、ピエロの扮装をして33人も殺害した異常殺人鬼ジョン・ウエイン・ゲイシーという実在の人物がいたのだからたまらない。 人気アニメ『ザ・シンプソンズ』の長男バートが口にした、「眠れないよ……ピエロに喰われるから」というセリフが流布し、ショック・ロックの大御所アリス・クーパーがそのままそれを曲名タイトル「Can’t sleep, Clown will eat me」にしているほどだ。

ピエロとクラウンのちがい

ちなみに、日本語では一般的なピエロを使用しているが、原作でも映画でもクラウンだ。同じ道化でもクラウンとピエロでは異なる。前者のほうが格上で、後者をバカにしていじめる側である。その両者の見分け方は涙の有無。泣いているほうがピエロ。クラウンは人を笑わせる。ピエロは人に笑われる悲しい存在だ。前者は能動的で攻撃的。後者は受動的で脆弱的。つまり、ペニーワイズは能動的で攻撃的なクラウンなのだ。

ジョニー・デップもピエロ恐怖症

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そういえば、ジョニー・デップも実生活ではピエロ恐怖症に悩んでいるひとりで、それを克服するために様々なピエロ・グッズをコレクトし、あえて身のまわりに置いているらしい。 先述した実在の殺人ピエロ、ジョン・ウエイン・ゲイシーの描いたピエロの絵も購入して所蔵していることは有名だ。 いっそのこと、今回の『IT』でペニーワイズ役をやってトラウマを解放してしまえばよかったのに。ひょっとすると、ジョニー・デップが白塗りの役を好んで演じているのは、ピエロ恐怖症克服の一環なのかもしれない。

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ピエロの正体は?

ピエロのペニーワイズは、いわば不安障害のメタファーである。つまりトラウマ。欧米の心理学では、昔から恐怖の象徴イメージのひとつにピエロがある。 そもそもITとは、非人称代名詞であり、ドイツ語ではESという。フロイトの精神分析学用語では無意識(エス)を指す。心の奥底に抑圧された欲望や恐怖である。 スティーヴン・キングは、デンマークの民話で絵本にもなっている『三匹のやぎのがらがらどん』から『IT』のインスピレーションを得たという。 橋の下に棲んでいるトロールが、その上を渡って通る子山羊たちを食べようとする話だ。橋を境にして分けられた上(意識)と下(無意識)の世界。楽しい夏休みに入って喜ぶ子どもたちのいる明るく清潔なスモールタウン、デリーの町と対になる、汚水やゴミとともに潜むモンスター・ピエロのいる暗い下水道の領域というわけだ。

原作『IT』ではめくるめく語り口が読みどころのひとつ

子どもとモンスター。『IT』は、キングが1974年に『キャリー』で長編デビューを果たしてから12年間語り続けてきた二つの主要テーマ――子どもとモンスターにけじめをつけた大作である。 原作の『IT』では、謎のモンスターIT退治の話はふたつの時間軸に沿って語られている。主軸は40歳近くの男女七人のグループをメインキャストにした現在の物語であり、それに大人のかれらが27年前の子ども時代にITと対峙したときのことが回想パートとして挿入されるという構成になっている(ただし、現在と過去は錯綜し、分裂したり融合したりする)。 かなり意欲的な語り口(言語実験や意識の流れの手法を多用)になっているが、その効果たるや、まさにITとの最終決戦のシーンは、文字通り息をもつかせぬ臨場感に満ちている。

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原作と映画化版のちがい

とはいえ、それでは映像化はムリというわけで、1990年のTV版も今回2017年の映画版も子ども時代(過去)と大人時代(現在)を截然とわけて撮っている。 おかげで、子ども時代の不安や希望や想像力がノスタルジックにファンタジックに遺憾なく描写されることになった。さながら今回の作品は、前半はダークな『スタンド・バイ・ミー』で後半はホラーな『グーニーズ』といった趣に仕上がっていて、二時間十五分の長丁場をひと時もあきさせない。 ただし、原作のようなモンスターに関する総決算とはなっていない。原作ではドラキュラ、フランケンシュタインの怪物、狼男、大アマゾンの半魚人など名だたる怪物が変幻自在のITを通して出現するが、キャラクター造形(特殊メイク)に版権があるため他の映画会社のモンスターは使用できず、映像ではモンスター・ラリーができなかったのは残念。

映画版ではリアルな恐怖体験が見どころだ

IT/イット
©NEW LINE CINEMA

とはいえ、IT=ペニーワイズは、それぞれの子どもたちが一番こわいと思っているものを眼前に出現させることで相手の恐怖=生命エネルギーを吸い取るのだが、子どもだましのモンスターではなく、各自のトラウマを外に引き出して見せることで、ひとりひとりが抱えている内なる恐怖や強迫観念をリアルに語ることに成功している。 いじめや家庭内暴力、性的虐待、モンスターペアレンツ、人種、宗教、ジェンダーなど、アメリカ社会のみならずわが国でも抱えているさまざまな問題が、子供たちの恐怖体験をとおして浮き彫りにされている。

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本国アメリカではすでにパート2の大人編が制作決定だ!

おもしろいのは、子どもたちはITをひとまず退散させることに成功するが、その英雄的な体験がこれまで以上のとてつもないトラウマとなってしまうのだ。かくて27年後、中年になったかれらは、12歳のときのひと夏の冒険によって創造されたトラウマから解放されるために全米各地からメイン州デリーの町に再集合する。 今度こそITを完璧に退治できるのか? そもそもITとはなにか? なにが目的なのか? それらの答えは、2019年に公開予定の『IT 第二章』で明かされるはず。 二年も待っていられないという人は、原作『IT』(文春文庫)を読みましょう。さらに余裕のある人は、キング・ワールドの中枢的作品「ダークタワー」シリーズ(角川文庫 全七巻)を手に取ろう。ことにシリーズⅤ巻『カーラの狼』からⅦ巻『暗黒の塔』にかけては、『IT』とかなり関係のある事柄が語られている。

風間賢二

風間賢二

幻想文学研究家・翻訳家。「ホラー小説大全」(双葉文庫)で第51回日本推理小説協会評論賞を受賞。その他の著作に「スティーヴン・キング 恐怖の愉しみ」(筑摩書房)、「ジャンク・フィクション・ワールド」(新書館)、「怪奇幻想ミステリーはお好き?」(NHK出版)など。翻訳には、S・キング「ダークタワー」シリーズ(角川文庫)やアメコミ「ウォーキング・デッド」シリーズ(飛鳥新社)などがある。