2018年4月4日更新

解説『ペンタゴン・ペーパーズ』。1971年のジャーナリズムが映し出した現在地【小野寺系】

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ペンタゴン・ペーパーズ
©Twentieth Century Fox Film Corporation and Storyteller Distribution Co., LLC.

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スピルバーグ監督の選んだ新たな題材は……

『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』

『E.T.』や 『ジュラシック・パーク』、そして『レディ・プレイヤー1』など、革新的な映像表現によって、娯楽映画の可能性を第一線で押し広げ続けているスティーヴン・スピルバーグ監督。一方で彼は、『シンドラーのリスト』や『リンカーン』のような、史実を基にした作品も多く作り出している。 多くのユダヤ人たちの命をナチスドイツから救ったオスカー・シンドラー、奴隷解放を成し遂げたエイブラハム・リンカーン大統領などに続き、今回スピルバーグ監督が主人公に選んだのが、新聞「ワシントン・ポスト」の人々だ。70年代に彼らの発表した、あるスクープ記事は、アメリカの歴史に変化をもたらすほど重要なものとなった。 ここでは、そんな新聞社の奮闘を描いた『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』の内容を解説しながら、スピルバーグ監督や出演者の手腕、そして現在の日本にも通じる、奥深いテーマに迫っていきたい。

『ペンタゴン・ペーパーズ』のあらすじ

ベトナム戦争が膠着状態にあった1971年、新聞「ニューヨーク・タイムズ」が、流出したアメリカ国防総省の最高機密文書 「ペンタゴン・ペーパーズ」の内容の一部をスクープしたことが、騒動の発端となる。 ペンタゴン・ペーパーズとは、ベトナム戦争を国防総省が客観的に記録した書類だ。そこには、長年続くベトナム戦争への様々な失策が記されていた。政府は「戦況は順調だ」というアナウンスを続けていたが、それは全くの嘘だった。 この文書の内容が明らかになってしまえば、もはや意義のなくなった泥沼の戦争に国民を巻き込み続けてきたことが知られてしまう。そうなれば政権が揺らぐことは確実だ。ニューヨーク・タイムズは、「国家の機密漏洩」を理由に、異例ともいえる記事差し止め処分を受けることになる。当時の大統領ニクソンが政権にしがみつくために、なりふり構わず新聞社に強烈な圧力をかけてきたのだ。

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日本の状況にもつながる、政権とメディアの関係

ペンタゴン・ペーパーズ (プレス)
©Twentieth Century Fox Film Corporation and Storyteller Distribution Co., LLC.

この一連の流れは、最近の日本の政治・報道の状況に、奇しくも多くの点で重なっている。 自衛隊の南スーダンやイラクでの活動の一部報告について、書類が存在したにも関わらず、政府が「破棄された」として情報公開請求を避けていた、いわゆる「日報問題」がその一つだ。 また、各メディアに対して連日のように抗議を行い、TV局に「停波」をちらつかせるなど、日本政府の報道圧力については、国連でも人権問題として取り上げられるほど深刻な事態となっている。 アメリカの問題が描かれた本作は、同様の問題を持つ日本の状況を、客観的に理解する助けになるはずだ。トランプ大統領就任から間もなく制作が発表された本作には、自身に不利な情報を伝えるメディアへの敵愾心を露わにするトランプに対する、スピルバーグ監督の危機感が強く反映している。 だがむしろ、「世界報道自由度ランキング」でさらに低迷を続けている日本に住む観客の方が、本作の内容をさらに興味深く見ることができるのではないだろうか。

何のために新聞があるのか?

ペンタゴン・ペーパーズ (プレス)
©Twentieth Century Fox Film Corporation and Storyteller Distribution Co., LLC.

トム・ハンクスが演じるワシントン・ポスト編集主幹のベン・ブラッドリーは、ニューヨーク・タイムズの差し止められた記事を引き継ぐべく動きだす。ライバル関係にある両社の共闘、そして多くの新聞社が彼らの闘いを後押ししていく展開はあまりにもアツい。 記事を発表すれば、失職するリスクばかりか裁判で有罪となるおそれすらある。にも関わらず、なぜ彼らは政府に盾突くような記事を書き、紙面に載せるのか。それは、国家権力の不正を暴くことが新聞の大きな役割の一つだからである。 「報道」とは本来、国民の「知る権利」を守るためにある。考えてみれば当然のことなのだが、少しでも気を抜けば、当然のことは当然でなくなってしまう。権力が腐敗するように、報道も闘う姿勢をとることを怠れば、政権の広報紙に成り下がり本来の役割を見失ってしまう。 何のために仕事をし、何のために生きるのかーー。これは新聞の世界だけでなく、あらゆる人々に投げかけられた問いでもある。 その答えがただ「お金を稼ぐため」だったり、「自分の暮らしを守るため」だけではあまりにも寂しい。あらゆる職業から本来あるべき倫理観を奪うのはそのような消極的姿勢だ。

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女性の自立を描く、もうひとつの物語

ペンタゴン・ペーパーズ
©Twentieth Century Fox Film Corporation and Storyteller Distribution Co., LLC.

この闘いのなかで新聞社は存続の危機に瀕する。メリル・ストリープが演じる、ワシントン・ポストの経営者キャサリン・グラハムは、会社の維持と従業員たちの生活を保障する義務があった。しかし同時に、新聞は「事実」を国民に知らせなければならない義務も負っている。キャサリンはそれらの義務の間で揺れることになる。 新聞社の内情を描いた映画では記者を主人公にすることが多いが、本作は社を経営する責任者に焦点が集められているところが大きな特徴だ。『リンカーン』で描かれた大統領の重圧と同様、大いなる責任に苦しめられるキャサリンを演じたメリル・ストリープの演技が見事だ。

キャサリンが下した最後の決断とは…

ペンタゴン・ペーパーズ
©Twentieth Century Fox Film Corporation and Storyteller Distribution Co., LLC.

父親、そして夫から新聞社を引き継ぎ、ときに周囲から能力を疑われることもあったキャサリンは、記事の発表を前に「最後の決断」を迫られる。最高責任者の最大の仕事は責任をとることである。 ここではじめて、彼女は父親のためでも夫のためでもなく、自分の心と判断力に従って決断を下す。劇中では、試練を乗り越えた彼女を羨望の目で見つめる女性たちの姿を写したシーンがある。新聞社の人々の偉業とともに、女性の精神的な自立の物語をも、本作は描いているのである。

真のプロフェッショナル、スティーヴン・スピルバーグ

ペンタゴン・ペーパーズ
©Twentieth Century Fox Film Corporation and Storyteller Distribution Co., LLC.

本作ではスピルバーグ監督の演出力が称賛されている。それはヤヌス・カミンスキー撮影監督や、音楽のジョン・ウィリアムズなど、スタッフの体制を引き継ぎながらも、いつもよりも一歩、二歩引いてメリル・ストリープやトム・ハンクスをはじめとする、優れた俳優たちの表現する感情を際立たせるような演出に徹したことが大きい。 重要な交渉の場面で公衆電話機に顔が映るシーンや、『ジュラシック・パーク』での恐竜の足音を想起させる、新聞を印刷する輪転機が起こす振動の演出など、“いかにもスピルバーグ”と思えるようなサスペンス部分もところどころ見られるが、それらは必要以上に突出することはない。 凝った料理よりもシンプルな料理の方が、料理人の技術を実感しやすいのと同様に、オーソドックスな職人的演出が、スピルバーグ監督の圧倒的にたしかな演出力を際立たせているのだ。 革新的な映像やインパクトのある演出を封印してもなお、ここまでの作品を撮りあげてしまう。『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』は、映画監督としてのスピルバーグの実力が、あらためて印象付けられる作品でもある。