2018年5月22日更新

前衛的な映画運動「ドグマ95」とは? 【ラース・フォン・トリアーが提唱】

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イディオッツ

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1995年のデンマークで生まれた映画運動「ドグマ95」

ラース・フォン・トリアー
©Tim Brakemeier/dpa/picture-alliance/Newscom/Zeta Image

1995年のパリ。映画誕生から100周年を迎えたことを祝うイベントで、突然、とある映画運動が宣言されました。 それが、「ドグマ95」。提唱したのは、ラース・フォン・トリアーとトマス・ヴィンターベアらデンマークの映画人たちでした。 彼らは皆、ハリウッドの大作映画が持つスペクタクルな表現や娯楽性を真っ向から否定。「純潔の誓い」と呼ばれる映画作りにおける10個の制約を生み出し、新しい映画作りを模索しました。 発表当時は世間から批判され、懐疑的に見られたこの運動が、いったいどのようなものだったのか。今回は彼らが主張した映画作りと実際に制作された映画、そしてのちの映画に与えた影響を解説します。

ドグマ95で唱えられた10箇条の「純潔の誓い」とは?

ドグマ95では、映画を作る上で守るべき10項目の「純潔の誓い」がありました。これらを守り、大袈裟な演出や特殊効果、娯楽性を伴わない純粋な映画を生み出すことが、ドグマ95の目的でした。 では、その「純潔の誓い」とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。

1. 撮影はすべてロケ撮影だけで行わなくてはならない

フリー 青空 芝生

制作にあたって、撮影は全てロケ撮影のみが認められました。つまり、セット撮影は禁止されたのです。 また、小道具の持ち込みも禁止されました。物語の展開上必要な小道具がある場合、その小道具が最初からある場所でしか撮影できません。

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2. 映像と音を別々に生み出すべからず

フリー マイク

撮影中に存在しない効果音や音楽を後から編集時につけてはいけない、ということ。 例えば音楽を使いたい場合、撮影中に実際に流さなくてはならないのです。

3. キャメラはすべて手持ちで撮影しなくてはならない

三脚や台車、クレーンなどを使って安定した撮影を行うことが禁止されました。そのため、多少の手ブレは許容されることに。

4. カラーフィルムで撮影しなくてはならない

意図的にモノクロで撮影するなどはもってのほかです。 また、照明を使うことも禁止され、自然光だけで撮影をしなければなりませんでした。もし映像がどうしても暗くなってしまう場合は、撮影を中断するか、キャメラにランプを一つだけつけて撮影することが認められました。

5. 光学合成とフィルターの使用を禁ずる

撮影したフィルムに加工を施したり、合成したりすることはもちろん、レンズや照明にフィルターをかけて色味を変えることも禁止されました。 ウルトラマンのスペシウム光線など、もってのほかです。

6. 表面的な行動を含んではならない

銃 フリー画像

これはどういうことかというと、劇中で殺人を起こしたり武器を使用することを禁じたのです。 登場人物に安易に浅はかな行動を取らせずに現実的な映画を目指すためだったのでしょう。

7. 時間的・地理的な乖離を禁ずる

映画の中で今起こっていることのみを映さなくてはならない、ということです。 なので、違う場所にいる人物を交互に映したり、回想シーンを入れたりすることは禁止されました。

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8. ジャンル映画は許されない

宇宙飛行士 フリー画像

簡単にジャンル分けできるような映画、例えば、SFやファンタジー、アクション映画などを禁止しました。 これは、何にもジャンル分けできない純粋な映画を目指した結果です。

9. 上映フィルムの規格は35mmのスタンダードサイズでなければならない

フィルム 映写機 フリー画像

スタンダードサイズというのは、画面の縦横の比率が1:1.37(もしくは1.33)のもの。これは古典的なブラウン管テレビの画面と同じくらいの画面比率です。 1960年代以降のハリウッド大作のほとんどがダイナミックな横長の画面(ビスタサイズやシネマスコープなど)であることに抵抗し、古典的な映画を見倣った結果、このサイズが尊ばれたのです。 ただし、これはあくまで上映時の話。撮影をフィルムで行う必要はありません。そのため、フィルムキャメラではなく、低画質・低価格な家庭用のビデオカメラで撮影された作品が多数生まれることになります。

10. 監督の名前をクレジットすべからず

こうすることで監督の自己顕示欲をなくしたり、ドグマ95としての集団意識を強める意味合いがあったのかもしれません。実際、初期のドグマ95の映画は、本当に誰が監督をしたのかわからないようになっています。

ドグマ95によって作られた映画は?

このように厳格に唱えられた「純潔の誓い」ですが、これらを全て守る必要はありません。それどころか、提唱者であったラース・フォン・トリアー監督自身が「ルールは打ち破るためにある」といった発言を行なっており、「ルール」というよりは「心意気」と言ったほうがいいものなのかもしれません。 この内容に共感した上で制作し、制作者が自らそれを宣言すれば、「ドグマ95」の映画を名乗ることができたのです。 そんなドグマ95の作品の中から代表的な6作品をご紹介します。

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1. 最初のドグマ映画『セレブレーション』(1998)

当時29歳だったトマス・ヴィンターベア監督によって制作されたこの映画は、ドグマ95による最初の映画です。 とある富豪の還暦祝いのパーティーで暴かれる家族の不穏な秘密と崩壊を描いたこの映画は、全編手持ちのビデオカメラと自然光のみで撮影された、まさにドグマ95らしい一作。 手持ち撮影でありながらもリアルなだけじゃないトリッキーなカメラワークと皮肉な物語が高い評価を受けました。

2. トリアー最大の問題作『イディオッツ』(1998)

ドグマ95の主唱者であったラース・フォン・トリアー自らが満を持して発表したドグマ映画。 トリアー監督自らがビデオキャメラで撮影した、照明効果を一切用いない画質の低い映像が延々と続き、一見するとホームビデオのよう。BGMが流れる場面も実際にロケ地で演奏したといい、ルールをできる限り守った作品といえます。 過激な映画の多いトリアー監督ですが、この『イディオッツ』はまさにその極北。知的障がい者の真似事をしながら共同生活をする健常者のグループ「イディオッツ」の日常を描き、健常者が知的障がい者に対して抱く偏見を浮き彫りにしました。 また、本編中に乱交シーンがありますが、これは演技ではなく出演者たちが実際に行ったもの。その点も含め、公開時は大きな論議を巻き起こしました。

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3. え、三船?タイトルの意味が気になる『ミフネ』(1999)

父の死をきっかけに、知的障がいを持つ兄の面倒を見るために帰郷した主人公が、家政婦として雇った娼婦やその弟などのはみ出し者たちと共同生活をしながら成長してゆく、ヒューマンドラマ。 ドグマ95の中でも年長の監督・ソーレン・クラーク=ヤコブセンが手掛けたこの映画は、ベルリン国際映画祭銀熊賞などを受賞し、高い評価を受けました。 日本人なら気になるのが、この「ミフネ」というタイトル。これは主人公が子供の頃、兄と一緒に「三船敏郎ごっこ」をしていたことに由来します。作中で彼らが真似る、日本を代表するサムライ・ミフネの忠実さに注目!

4. 砂漠に取り残された人々がリア王を演じる!?『キング・イズ・アライヴ』(2000)

クリスチャン・レヴリング監督によって制作された『キング・イズ・アライヴ』は、アフリカ・ナミビアの砂漠でバスが立ち往生し、置き去りにされてしまった人々を描いたサバイバル映画です。 特筆すべきは、砂漠に取り残された乗客たちが暇を潰すため、シェイクスピアの『リア王』を演じ始めること。しかし、だからといって状況が変わるわけでもなく、次第に人々は追い詰められていくのです。 英・仏・米など国際色豊かなキャストの演技にも注目。

5. ドグマ95にしては珍しい?心温まるラブコメ『幸せになるためのイタリア語講座』(2000)

デンマークの小さな街で、孤独で不器用な男女たちがイタリア語教室に通ううちに幸せになってゆくという、ハートフルなラブコメディ。 人間の暗い本質に迫った作品が多いドグマ95の中においては信じられないほどに明るいこの映画を監督したのは、女性監督・ロネ・シェルフィグ。 そのハートウォーミングな物語はやはり受けが良いのか、デンマークはもとより、世界中でヒット。ベルリン国際映画祭でも銀熊賞を受賞しています。

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6. デンマーク時代のマッツ・ミケルセン主演『しあわせな孤独』(2002)

ある日、交通事故により全身が麻痺してしまったヨアヒム。恋人であるセシリはヨアヒムを献身的に支えましたが、絶望したヨアヒムは彼女を拒絶してしまいます。一方、医師のニルスは妻が自分の病院で入院しているヨアヒムを轢いてしまったことを知り、絶望しているセシリを励ますようになりますが......。 女性監督・スサンネ・ビアによる本作は、ドグマ95でも後期の作品。のちに『ドクター・ストレンジ』や『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』に出演するマッツ・ミケルセンがニルスを演じています。 ホームムービーのような荒々しい映像と非常に重苦しい物語、そしてそれぞれの登場人物たちが選んだ結末に注目。

ドグマ95、その影響は?

新しい映画を生み出すために巻き起こったドグマ95でしたが、その厳格なルールゆえか、実質的な活動期間はあまり長くはありませんでした。2000年代に入ると徐々に活動が縮小してゆき、2005年以降は公認作品が発表されなくなります。実際、中心人物であるトリアーやヴィンターベアらの作品にドグマ95の映画といえるものはごく少ししかありません。 例えば後にトリアーが撮った『ダンサー・イン・ザ・ダーク』はミュージカル映画であり、「撮影後に音楽を挿入してはいけない」というルールを見事に破っていますし、『アンチクライスト』などの作品はCGを使っています。近年の彼らの作品は多くの場合、手持ち撮影を用いていること以外、ドグマ95らしい要素はほとんど見られません。

しかし、ドグマ95はデンマーク以外の映画にも影響を及ぼしていました。まだドグマ95が活発だった頃、アメリカの若き鬼才・ハーモニー・コリン監督がドグマ95の映画に触発され、自らもそれにならった映画を作ることになったのです。 こうして生まれたのが、異色のホームドラマ『ジュリアン』。この映画の制作のため、コリンはドグマ95の映画に度々参加していた撮影監督のアンソニー・ドッド・マントルと編集技師のヴァルディス・オスカードゥティルを指名。徹底してドグマ95のやり方を取り入れようと努めました。 他にも、各国でドグマ95に従った映画が制作されました。それらの中には、ドグマ95の作品として公認されたものも少なくありませんでした。

さらに2000年代以降、その低予算で即興的な映画を生み出す方法論がアメリカの映画人に大きな影響を与え、「マンブルコア」というジャンルを生みました。 アンドリュー・ブジャルスキーやジョー・スワンバーグ、アーロン・カッツといった映画人によって生み出されたマンブルコアの映画はあまり日本では紹介されませんでした。しかし、2012年のノア・バームバック監督、グレタ・ガーウィグ主演の映画『フランシス・ハ』が高い評価を得たことで日本でも注目されるようになりました。 ドグマ95は、そのシンプルな方法論と映画への強い敬意が、今なお世界中の若き映画監督たちに影響を与え続けているのです。