2020年10月22日更新

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』をネタバレ解説!最後の字幕の意味とは【考察】

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カンヌ受賞『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は鬱映画で賛否両論?【あらすじ・キャスト】

不遇な母親の壮絶な生き様を描いた2000年公開の映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。手持ちのカメラワーク、主演のビョークの圧倒的パフォーマンスが話題を呼んだ作品です。カンヌ国際映画祭では最高賞のパルム・ドールを、ビョークが主演女優賞を獲得しました。 本作は涙と賞賛で迎えられた一方で、あまりに救いのない展開に批判も寄せられ、後味が悪すぎる鬱映画として映画史に君臨しています。 この記事では、賛否両論の問題作『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を徹底解説!魅力や見どころを紹介しつつ、ミュージカルシーンやラストの意味も考察しました。 ※記事内に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のネタバレを含む部分があります。ご注意ください。

映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のあらすじ【ネタバレあり】

チェコからの移民セルマは、愛する息子ジーンとアメリカの片田舎で2人暮らし。生活は貧乏でも、趣味のミュージカルを楽しみ、職場の工場では同僚のキャシーら友人に恵まれました。しかし、セルマは遺伝性の病で視力を失いつつあったのです。 ジーンにも遺伝しており、彼も手術をしなければ失明すると宣告されていました。周囲に内緒で手術費用を貯めますが、大家であり警察官のビルを信用し、病気や貯金のことを話してしまうセルマ。彼女はビルから金をせびられるようになり、同時に病の悪化で工場をクビに! ついには費用の隠し場所をビルに知られ、全額盗まれてしまうのでした。セルマは金を返すよう迫り、もみ合ううちに銃が暴発したことで、彼は命を落とします。

セルマはビルから金を取り戻し、ジーンの執刀医に費用を払った後、殺人犯として逮捕されました。裁判では病気の事実などを明かさなかったため、絞首刑の判決が下ることに……。 キャシーは入院費用で弁護士を雇うよう勧めるも、セルマはジーンが失明しないで済むのなら自分は不要だとして、提案を拒否するのでした。女性刑務官は死の恐怖に怯えるセルマに同情し、絞首台まで107歩で、通風口に耳を当てるとチャペルの賛美歌が聞こえると告げます。 そして死刑執行当日、女性刑務官が教えてくれた通りに歩数を数え、絞首台までの道を踊りながら移動する空想をしていました。 死刑の見届人となったキャシーは、ジーンの手術が無事に成功したとセルマに伝え、彼にはもう必要のなくなったメガネを手渡します。セルマは落ち着きを取り戻し、笑顔を浮かべて「最後から2番目の歌」を歌い、歌い終えること無く刑が執行されるのでした。

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感情移入せずにはいられない、不幸が続くセルマの人生

セルマは遺伝性の病によって、遠くない未来に失明する運命にありました。息子のジーンもまた、13歳までに手術を受けなければ失明してしまうという、まさに不幸の連続……。彼女の視力は低下し続け、仕事でミスを多発するようになったため、クビになってしまいます。 移民である彼女の現実は厳しく、唯一の職場だった工場で働けなくなれば、手術費用どころか生活もままならなかったでしょう。どん詰まり状態の中でも目標額目前に到達し、希望の光が見えたところで不穏な空気が漂い、一気にどん底へと叩き落されました。 セルマには友人も、想いを寄せてくれる男性もいましたが、坂道を転がり落ちる彼女を止めることは誰にもできないのです。もし自分に同じ不幸が起きたら……と、感情移入せずにはいられません。

幸福感あふれるミュージカルシーンの真相とは?【考察】

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』はセルマが手拍子や周囲の人々の生活音、機械などの環境音でリズムを取り、歌って踊るシーンも見どころです。 工場の中でモップを手に踊りだし、みんなが歌い始めるシーンは特に印象的。しかし、本作のミュージカルシーンは、不幸がセルマを襲った直後に挿入されます。つまりこのシーンの意図は、セルマが辛い現実から逃れるために創り上げた、空想の世界を描いているのです。 憧れのミュージカル俳優になり、歌と踊りに溢れた理想の世界に現実逃避することは、セルマが生き抜くための術だったのでしょう。明るいミュージカルシーンと現実が交互に描かれることで、現実の悲惨さがいっそう際立ち、美しく切なく胸に響いてきます。

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なぜ「最後から“2番目”の歌」?ビョークが変えたラストとは【考察】

監督のラース・フォン・トリアーは当初、“息子ジーンの眼の手術が失敗してしまい、セルマは絶望の状態のまま絞首刑に処される”エンディングを考えていたのだとか。しかしビョークがそれではあまりにも救いがなさすぎると反対した結果、現状のエンディングになったと言われています。 ラストでセルマは「最後から“2番目”の歌」を歌いますが、歌の途中で死刑が執行された後、字幕でとあるフレーズが映し出されました。 「They say it's the last song. They don't know us, you see. It's only the last song if we let it be」(直訳:彼らは最後の歌だというけれど、彼らは私たちのことは知らない。私たちが最後の歌にしない限りそうはならない) セルマが人生最後の歌に、最後から“2番目”の歌を選んだのはなぜでしょうか?命と引き換えだったとしても、ジーンの目が治ったことはセルマの希望だったはずです。愛する息子が生きている限りまだ希望はある、私たちの物語は終わらない、とジーンに伝えたかったのかもしれません。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は実話?原作はあるの?

本作のような悲劇は実際にあってほしくないと思いつつ、ありそうでなさそうなリアルさがあるため、実話かも……と考えてしまうかもしれません。 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が実話だという情報はないものの、ラース・フォン・トリアー監督自ら手がけた原作本が発売されています。監督インタビューやキャストのプロフィール、本作のために書き下ろされた劇中歌の歌詞、その対訳などが収録されました。 スチール写真も多数収められているので、作品の世界観をより楽しみたい人は要チェック!

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『ダンサー・イン・ザ・ダーク』個性的な登場人物を演じるキャスト陣!

セルマ/ビョーク

遺伝性の病で視力を失いつつあるセルマ。息子のジーンには同じ運命を辿らせないとばかりに、究極の選択をすることとなります。 演じるビョークはアイルランドの歌姫として活躍。本作『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が女優出演2作目です。当初は先に音楽提供のオファーを受け、後にセルマ役のオファーを受けることになりました。 2000年には本作の劇中歌、主題歌を収録したサントラアルバム『セルマソングス〜ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク』が発売。 主題曲「アイヴ・シーン・イット・オール」はアカデミー歌曲賞やゴールデングローブ賞主題歌賞にもノミネートもされ、世界でベストセラーを記録しました。 2018年公開のドキュメンタリー映画『天才たちの頭の中』では、インタビューを受けた著名人の1人として登場し、クリエイティブ論を語っています。

キャシー/カトリーヌ・ドヌーブ

カトリーヌ・ドヌーブ
©Pat Denton/WENN.com

セルマと同じ工場で働くフランス系移民のキャシー。視力の衰えにより、何かと不自由を強いられるセルマに親身になってくれる友人です。 演じるカトリーヌ・ドヌーブはフランスを代表する大女優として、『シェルブールの雨傘』(1964年)や『インドシナ』(1992年)などなど、挙げだすとキリがないほどの作品に出演しています。近年の出演作は日本劇場未公開作品が多いですが、『女神よ、銃を撃て』などはWOWOWにて放送。 是枝裕和監督が『万引き家族』(2018年)の後、2019年に発表した日仏合作映画『真実』では主演を務め、日本でも話題を呼びました。

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ビル/デヴィッド・モース

トレーラーハウスに暮らすセルマの大家で警察官のビル(画像左)。金銭に困るあまりにセルマの金を盗もうとし、悲劇が起こってしまいました。 演じるモースはコワモテな風貌を活かし、『12モンキーズ』(1996年)や『交渉人』(1999年)、『16ブロック』(2006年)などで悪役や脇役を多数こなしています。 近年は2017年に全米公開された『アメリカン・ソルジャー』(日本劇場未公開)のほか、ドラマ「アメリカン・ソルジャー」シリーズ3などに出演しました。

ジェフ/ピーター・ストーメア

セルマに想いを抱き、積極的にアタックする男性のジェフ(画像右)。セルマの病が進行していると知り、色々と手助けをしようとします。 演じるストーメアは『ファーゴ』(1996年)、『コンスタンティン』(2005年)、『ラストスタンド』(2013年)などで印象深い悪役や脇役で個性を発揮。 近年ではNetflixオリジナルアニメ「悪魔城ドラキュラ」2期に声の出演をしたほか、日本でも2019年に公開された『ポイズンローズ』にも出演しました。

監督は鬼才、ラース・フォン・トリアー

本作の監督ラース・フォン・トリアーは、デンマーク映画界を牽引する鬼才として『奇跡の海』(1996年)や『ドッグヴィル』(2004年)といった話題作、問題作を多数発表。その大半が人間の醜さや残酷さを表現する作風となっています。 監督は多数の精神疾患を抱えており、トラウマ体験なども作品に反映されているようです。2007年~2009年はうつ病で一時休業し、復帰後に発表した『アンチクライスト』、『メランコリア』、『ニンフォマニアック Vol.1~2』は“鬱三部作”と呼ばれます。 技術的ミニマリズムを求め、10のルールを提唱した映画運動「ドグマ95」も特に有名。そうした試みや風刺的な表現、過激な性描写は時に賛否を呼び、挑発的な作品を世界に送り出してきました。

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絶賛する芸能人多数!『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の感想・評価は?

主人公セルマの生き様に衝撃を受ける

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ドキュメンタリー映画を見るときのようなカメラワークで、セルマにとても近い存在として物語に入っていった。 リズムを感じて歌が始まると、セルマの空想の世界を静かに覗き見るような映像になっていく様子が美しい。

鬱屈する内容だが希望も感じさせる出来

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鬱映画として紹介されている作品ですが、案外、ラストシーンのメッセージに希望が託されている気がしないでもないな、と思いました。 セルマが悲しい目にあったのは、恐らくあいつやあいつの取り巻きの所為。セルマ一人が何でこんなことを背負わなきゃいけないんだ、と絶望的な気分になって観ていましたが、最後のメッセージを見て、ああ、そういうことか、と。ラストシーンのセルマは、みんなの犠牲として十字架に磔になるキリストのような存在とでも言うのかな。うーん、上手く表わせないのが惜しい。 この物語はあくまでもフィクションで、現実でこのような悲惨な事態が起こらないために作られたフィルム、というように私には感じられました。

2度と観たくない映画

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全ては愛する息子の為。独特のカメラワークがドキュメンタリーのようで緊張感を煽る。現実とは正反対の妄想の中のミュージカルが悲しさを引き立てている気がする。重く苦しいラストに言葉が出ない。1度は観ておくべき作品でありながら、2度と見返したくない作品。好きか嫌いかと聞かれたら、多分嫌いと答えると思う。

マツコ・デラックスはフジテレビ系『ホンマでっか!?TV』(2019年1月16日)放送分にて、「映画を観た後に影響される派」だと打ち明け、本作のビョークに影響を受けたと語りました。あまりに感情移入しすぎて、鑑賞後1ヶ月ほど家で泣いていたんだとか! その他の芸能人も絶賛しており、松本人志は著書の『松本人志のシネマ坊主』で「基本的に狂人の映画」と、独自の解釈を展開。有吉弘行も『マツコ&有吉の怒り新党』で、マツコと共に本作を紹介していました。

賛否両論の鬱映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が気になる……!

トラウマ級の鬱映画として、今もなお語り継がれる『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。人生で最高の映画に上げる人も、2度と観たくないと語る人も存在します。 構図は同じまま時系列を飛ばす「ジャンプカット」、ミュージカルシーンの軽快なリズムが観客をぐいぐいと引き込むので、世界観に入り込んでしまうこと間違いなし!ストーリーの解釈についても、誰の視点で観るかによって変わってくるでしょう。 キャシーはもちろん、ジーンは母の死をどう受け止めるのでしょうか。殺人犯の息子となった彼の将来は?などと考えると、また違う発見があるかもしれません。