2018年9月11日更新

映画『飢えたライオン』が捉える、私たちを取り巻くフェイクと真実【レビュー】

Ⓒ2017 The Hungry Lion

SNSの進行が急速化する現代。根拠のない噂が事実とされ出処不明のまま拡大される恐怖を、私たちは日々目の当たりにしています。報道の在り方やインターネット上の書き込み、それらを原因に発生する若者の自殺など、世界中で大きな問題となっている事柄を捉えた映画『飢えたライオン』について、今回は解説していきます。

現代社会の痛烈な「悪意」を描く『飢えたライオン』

フェイクニュース、リベンジポルノ、個人情報の流失。SNSが爆発的に普及し、日常のインターネット化が急速に進む昨今では、以上のようなインターネット上のトラブルが世界各国で後を絶ちません。また、それらを引き金として発生する若年層の精神的困窮や自殺も同時に大きな社会問題となっており、情報との向き合い方を常に問われる時代となっています。 さらには実名での報道やプライベート写真の放映、事件の被害者の自宅や勤務地への狂気的なインタビューといった、人権を無視した行いがたびたび散見されるなど、私たちの日常にはたくさんの無意識の「悪意」がこびりついています。 今回はそんな現代社会の闇を炙り出し、冷たいまなざしを寄せる映画『飢えたライオン』について解説していきます。

デマの真実化、虚像の拡散

飢えたライオン
Ⓒ2017 The Hungry Lion

主人公の女子高生・杉本瞳の担任教師がある日児童ポルノ禁止法違反で警察に捕まり、担任教師のものと思われる性的動画に瞳が映っているというデマが浮上する。冗談半分に受け止めていた瞳だったが、次第に噂の範囲は大きく広がっていき、電話番号や自宅の住所といった個人情報まで流失し始め、精神的に追い詰められた瞳は自殺を図ってしまう。 しかしその後もマスコミや無関係な人間たちによる虚偽が渡り歩き、それらはさらに拡散されていき……?

映画を通して社会問題を見つめ、鋭く切り込む監督・緒方貴臣

飢えたライオン
Ⓒ2017 The Hungry Lion

本作で監督・脚本・プロデューサーを担当し、横行する社会の闇に鋭いメスを入れたのは、大阪2児放置死事件を題材にした映画『子宮に沈める』などで知られる緒方貴臣。 1981年に福岡県で生まれ、海外を放浪したのちに上京し映画学校に通うも中退。その後2009年から独自に映画製作を学び、2011年に『終わらない青』で監督デビュー。また2013年には『体温』、『子宮に沈める』を続々と発表し多数の映画祭で上映されるなど、今後の活躍が期待される気鋭の映画監督です。 前作と同じく本作でも社会現象の闇を鋭く見つめ、独特の切り口と味わいを伴って問題提起を行っています。

無法地帯と化した情報社会への警笛

ねつ造と拡張の快感

飢えたライオン
Ⓒ2017 The Hungry Lion

作中の出来事の発端となったのは、性的動画に対する証拠不在の謎のデマ。検証すれば事実でないことが容易にわかる情報だった小さなものが、拡散されるにつれて真実味が帯び収集がつかなくなっていく様子が描かれています。 クリック一つで知識の検索と共有を可能とする近年。私たちはたびたび、インターネット上の情報を何の疑いもなく信じ、またあるときは行動を選択しています。しかしそのほとんどが徐々にだるま式に大きくなってしまった、事実からかけ離れた状態のものであり、便利になればなるほど真実と嘘の判断が難しくなっていき、集団でフェイクニュースに踊らされるという社会現象に陥っていくのです。 また噂話を本能的に多くの人間が好んでしまうように、情報の拡張と拡散に快感を覚えてしまう恐ろしさを誰もが孕んでいます。その感覚がさらなる虚像を生み出し、画面の中から日常へ侵攻していくのです。

危機感の希薄

飢えたライオン
Ⓒ2017 The Hungry Lion

本作の主人公の瞳は、普段からプライベートの写真や動画を事あるごとにSNSにアップしており、そのため顔の見えない世界の向こう側にも存在が知られていました。そのため、自殺前から常に個人情報が他者の目に晒されかねない状況であり、事件が起きた後は想像で出来上がったデマに対する歯止めがきかなくなり、虚像がひとり歩きすることとなりました。 友人や恋人との時間や食事、生活の一場面を何気なく発信してしまう現代社会。当たり前のようにスマートフォンを握り、他者からの評価の獲得にまい進する人々たちの中で、プライバシーへの配慮や個人情報流失の危機感は希薄となりつつあります。 これは今の社会における大きな問題のひとつであり、「認識」という修正が施しにくく他者からの無意識的な影響を受けやすいものへ、これから私たちがどう向き合っていくかによって明暗は別れていくものであると筆者は考えます。

加熱する報道の狂気

飢えたライオン
Ⓒ2017 The Hungry Lion

事件の被害者の自宅への訪問や、同級生および関係者への過剰なインタビュー、プライベート写真や資料の許可のない放映など、マスコミの狂気的な行為は加速し続けており、報道の在り方がたびたび議論の対象となっています。 本作でも瞳の自宅への押しかけや、学校前での取材、SNSにアップされた写真や動画の無断使用などが行われており、話題性のあるものへ執着心を持って食らいつき消費活動を繰り広げる、人間の悲惨さが終始描かれています。 また、全編を通して俯瞰的な撮り方が一貫されており、他者の人生が狂わされていくことへの無関心や、それに加担したことへの無責任さが表現されています。

社会現象の邪悪さを描いた「不快」作

飢えたライオン
Ⓒ2017 The Hungry Lion

本編を観ていて筆者の中に芽生えたのは、そのあまりの邪悪さに目を伏せたくなる衝動と、心の奥深くから沸々と上がる不快感。この感覚こそ監督が映画を通じて描きたかったものであり、この邪悪さと無意識の加虐性は誰もが宿す危ういものであると痛感しました。 確証のない情報の共有が当たり前となり、取捨選択が受け手にゆだねられたこの世の中で、私たちはどんな姿勢をとればいいのか、そんな問いを独自の映像表現で淡々と投げかける映画『飢えたライオン』。9月15日から公開を控えた本作が与えるメッセージから、私たちは目をそらすことはできません。