早すぎた名作、サイコキラー映画の元祖『狩人の夜』とは?
名優チャールズ・ロートン唯一の監督作品、『狩人の夜』
イギリス出身の名優、チャールズ・ロートンをご存知でしょうか?第二次大戦前から活躍した俳優で、英国映画『ヘンリー八世の私生活』(1933年)でアカデミー主演男優賞を受賞、ちなみにこの受賞は米国以外の映画の、初めてのアカデミー賞受賞でもありました。 また有名な出演映画にビリー・ワイルダー監督の法廷劇、アガサ・クリスティの「検察側の証人」(「検察側の“罪人”」、ではありません……)を原作とする『情夫』(1958年)の、実質的主役の弁護士役があります。舞台俳優でもあった彼ならではの名演技が楽しめる名作映画です。
名高い舞台の演出家として、ブロードウェイでも活躍しているチャールズ・ロートンが生涯においてただ一度だけ監督した映画が、1955年に製作された『狩人の夜』なのです。彼がたった一度だけ手掛けた映画が時代を越えて今も高く評価され、多くの映画や監督に影響を与えている事を解説させて頂きます。
伝道師は殺人鬼!?時代を先取りした恐るべき物語
物語の舞台は大恐慌時代のアメリカ。貧しさから強盗殺人を犯した男は、自分の幼い息子と娘に金の隠し場所を伝えるが逮捕され、処刑されてしまう。しかし彼が監獄に収監された際、盗みの罪で同じ房にいた人物、ハリー・パウエルは彼の子供たちが金の隠し場所を知っている事に気付いたのでした。
このハリー・パウエルの正体は、偽伝道師にして連続殺人犯という男。言葉巧みに未亡人に近づき、性に対する異常な嫌悪感から神の名の下に彼女らを殺害、金品を奪う事を繰り返している異常な犯罪者だったのです。出所した彼は、処刑された男の子供たちと今は未亡人となった母親(シェリー・ウィンタース)の一家に近づくのでした。 そしてハリー・パウエルは母親を魅了し結婚、首尾よく家族の一員となりました。しかし同時に彼の異常な面が露わになっていきます。やがて母親も真実に気付きますが彼によって殺害され、失踪を装ってその遺体は隠されてしまします。残されてた子供たちにも魔の手が伸びますが、間一髪脱出に成功する事ができました。
子供たちは幸運にも信心深く、多くの身寄りの無い子供を育てている老婦人レイチェル(サイレント映画時代からの名女優、リリアン・ギッシュ)によってかくまわれます。ハリー・パウエルはレイチェルにも接近しますが、彼女はその正体を見抜いて追い払います。しかしそれは老婦人と子供たちと、邪悪な殺人鬼との対決の始まりだったのです……。
ハリー・パウエルという恐るべきキャラクター
『狩人の夜』一番の魅力が、ハリー・パウエルにある事は言うまでもありません。女性に性的な嫌悪を覚え神の名の下に殺害する連続殺人鬼であり、その本性を敬謙かつ知的なキリスト教信者を装った言動で巧みに隠し、その一方時に滑稽なほど小心な一面を見せる……現代のサイコスリラー作品のキャラクターとしても充分通用する人物として描かれているのです。
このハリー・パウエルをロバート・ミッチャムが、不気味かつ魅力的に演じています。特に手の指に一文字ずつ入れたタトゥー、右手に「L-O-V-E」、左手に「H-A-T-E」と入れた姿はあまりにも印象的で、後の多くの映画で模倣され、またスクリーンを飛び出して現実のファッションタトゥーのデザインにも大きな影響を与えました。 ところで劇中では子供たちを冷酷に追い詰めるロバート・ミッチャムですが、実は子供の扱いが苦手だったチャールズ・ロートンに代わり、本作の子役のシーンは彼が実質演出していたとの話があります。ハリウッドではバットボーイとして売り出されたロバート・ミッチャムですが、実生活では愛妻家で子煩悩であった彼らしいエピソードです。
おとぎ話として語られた、サイコスリラー映画
ここまでハリー・パウエルというキャラクターを軸に『狩人の夜』を紹介してきましたが、本作のもう一つの魅力はモノクロの映像で描かれた牧歌的スタイルにあります。冒頭で星空をバックに聖書の言葉を語り掛けて来るリリアン・ギッシュの姿から、この映画は一つの寓話である事が観客に明示されているのです。
しかしこのおとぎ話に登場するのは、狼でも怪物でもなく殺人鬼。現代なら極めて暴力的、猟奇的に犯行が描かれるでしょうが、本作では直接的な殺人描写はありません。母親=シェリー・ウィンタースが殺害されるその瞬間を見せませんが、彼女の遺体が車と共に川底に沈められている姿を見せる事で、妖しくも美しく冷酷な所業を描いているのです。 そしてハリー・パウエルの元から逃げ出した子供たちはボートで川を下るのですが、そこは人工の星空や作り物の蜘蛛の巣で彩られ、音楽と歌に彩られたモノクロの絵本のような世界。抒情的なこのシーンは本作屈指の名シーンであると高く評価されています。
公開されるも不入り、しかしテレビ放送を通じ高まる人気
『狩人の夜』は1955年に米で公開されるも興行的に失敗、批評も芳しくありませんでした。当時カラー・シネスコ画面、そして現実的に暴力を描いた映画が増えている中、モノクロ・スタンダード画面、そしてクラシックな手法で描かれた本作が観客の注目を集める事はありませんでした。批評家もおとぎ話にしてはあまりに深刻な内容に、反応に戸惑ってしまったのでしょう。 失意のチャールズ・ロートンはこの後、二度と映画を監督する事はありませんでした。しかしこの映画がくり返しアメリカでテレビで放送されるうちに、それを観た者に強い印象を残しカルト的な人気を広めていきます。そうした人々の中から後に小説・映画の分野で活躍する人物が現れてくるのでした。 ホラー作家大御所のスティーヴン・キングは、本作を自選名作映画100選の1本に選びこの映画から大きな影響を受けた、と告白しています。ハリー・パウエルのタトゥーはマーティン・スコセッシの『ケープ・フィアー』(1991年)など多くの映画が引用、また冒頭のシーンなど多くの要素がデヴィッド・リンチ作品のイメージの源泉となっている事が指摘されています。
また最近ではデヴィッド・フィンチャーが『ゴーン・ガール』(2014年)の劇中で、本作の川底に沈められた母親の遺体のシーンを再現している事が話題となりました。この事実は『狩人の夜』の影響が現在にも続いている事を、改めて世に知らしめたのです。
カルト映画から、名作映画へと高まる評価
このように公開後評価を高めていった『狩人の夜』。欧州では早い時期からフランソワ・トリュフォーなどヌーヴェルヴァーグの映画人がその価値を認め、チャールズ・ロートン、ロバート・ミッチャムだけでなく、幻想的な世界を生んだ本作の撮影監督スタンリー・コルテス、音楽のウォルター・シューマンの功績にも目が向けられる事になりました。
日本での最初の紹介は『殺人者のバラード』というタイトルでのテレビ放送。しかしその作品の評価は徐々に海外から伝わり、製作から35年後となる1990年に、現在のタイトルで改めて劇場公開されるという異例の扱いをうけています。 米の著名な映画評論家、故ロジャー・イーバートは『狩人の夜』を「米映画の中で最高の作品の一つ」と絶賛しています。そして1992年にこの映画はアメリカ国立フィルム登録簿(アメリカ議会図書館に永久保存する映画のリスト)に加えられました。
2005年に英国映画協会が発表した「14歳までに見ておきたい映画50選」の中に『狩人の夜』が選ばれています。サイコスリラーである本作が子供に見せるべき映画として選ばれたという事実が、この映画の持つ価値を最も的確に表しているのかもしれません。映画ファンなら今からでも遅くありません、ぜひ一度『狩人の夜』の魅力を味わって下さい。