「オマエのものはオレさまのもの」ジャイアニズムの奥底に迫る
押しも押されぬ国民的マンガ『ドラえもん』に登場するジャイアン。ガキ大将を絵に描いたようなキャラクターとしてよく知られています。 見出しに使用したセリフに象徴される自己中心的かつ乱暴な性格が「ジャイアニズム」と呼ばれ、いじめっ子や暴君の代名詞のように扱われるジャイアン。今回は彼の性格を徹底的に調べ上げてみました。
性格は父ちゃんに似ている?ジャイアンの家族・誕生日など基本情報
ジャイアンの本名は剛田武。雑貨屋と思しき商店の息子で、母親によく店番などの手伝いを任されています。 他の家族には漫画家を目指す妹のジャイ子や、出番は多くないものの父親がいます。ジャイアンの父はテストで不正を行った息子を激しく叱る親らしい一面を見せる一方、自分よりものび太の父のほうが強いと聞いた時にはいきなり相撲を挑むという頭に血が登りやすい一面も見せました。 ジャイアンの性格は、父親譲りなのでしょう。 ジャイアンの誕生日は6月15日で、毎年誕生日パーティーを開いています。のび太たち曰くプレゼントが気に入らなければ殴られ、ケーキは一人で平らげ、おなじみジャイアンリサイタルまで開催されるとあってこの日はどうしても迎えたくない1日のようです。 しかし、本人はこれらの行為に悪気はない様子。周囲が嫌がっている事に気づいた際に見せた表情は悲しげで、ドラえもんにも「年に一度は心から祝ってもらいたい」と泣きつく姿からは自分さえ良ければいいという暴君気質は見られません。
実は乱暴だけど人情家?名言・名場面にみるジャイアンの性格
ジャイアンが乱暴者であることは間違いありません。「買ったばかりのバットの、なぐりぐあいをためさせろ」「おれがこの手で皮をはいでやる」などのサディスティックな名言に事欠かないあたりに、その暴力性が見て取れます。 対して、人情味を見せる場面もまた非常に多いのがジャイアンの特徴と言えます。感極まった際の「心の友よ!」というセリフが有名ですが、隣町のいじめっ子に果敢に挑むのび太の根性に感心し、「のび太、力を貸すぜ!」と腕まくりして見せる名場面も印象的です。 若干からまわりしつつもみんなのために奮闘する話もあり、妹ジャイ子を泣かせたやつは殺すと断言した場面は暴力的だけど妹思いな彼の性格を端的に表すエピソードと言えるでしょう。街の緑化のために電柱の近くに種をまくなど、心温まるエピソードもあります。 また、風邪をひいたのび太を心配するなど、普段は周囲に友達らしい態度で接している事がわかるシーンも度々登場しました。暴君エピソードがいくつもあってもみんなと友達でいつづけているのは、ジャイアンが乱暴ながらも良き友人であることに理由があるのかもしれません。 強烈なエピソードから日常的なエピソードまで、彼は自由奔放に生きています。殴りたいから人を殴り、感動のまま心の友と喜びを分かち合い、やると決めたら突き進む…ジャイアンの性格は「自由奔放」「自分勝手」と定義されるのが正しいのかもしれません。
ジャイアンの歌は音波兵器?歌にまつわるエトセトラ
ジャイアンの代名詞としてその歌があります。リサイタルを開けばガラスが割れ、テレビに出演した際には卒倒する視聴者が続出し、魔界の人魚との歌勝負を繰り広げ勝利したこともあり、ここまで来るともはや音波兵器と言って差し支えないレベルです。 ですが、そのジャイアンの歌を気に入った音楽学校の教師が登場したことがあります。といっても、ジャイアンの歌そのものを褒めたわけではなく、ジャイアンの歌を受講前、似た声のまだマシな歌を受講後と称した学校の宣伝テープをでっち上げるためのヨイショでした。 怪音波と歌声が並んだだけでは、宣伝テープになりようがありません。つまり、ジャイアンの歌は完全無欠の音波兵器ではなく、許容できないレベルの大声と音程やリズムを全く合わせる気のない歌い方が合わさった「極度の音痴」が破壊力の源であることがわかります。 以上のことから、彼の歌には自分勝手で自由すぎる性格が現れていることが伺えます。協調性が重視される合唱団等で音感や聴き手を考えた歌い方を覚えられれば、その声の大きさから優秀なソリストになり得るかもしれません。
ジャイアンの性格×料理=?~恐怖のジャイアンシチュー~
彼の自分本意な性格と乱暴な気性が合わさったらどうなるか、それが如実に現れたのが彼のオリジナルレシピ「ジャイアンシチュー」です。 新しい趣味を持とうと料理を始めたジャイアンが作り上げたのがこのジャイアンシチュー。中にはひき肉・たくあん・しおから・ジャム・にぼし・大福etcetc…さらに味噌とセミの抜け殻も投入されています。 「ジャイアン料理研究会」なる自宅での催しで食べさせられたスネ夫やしずかの様子を見る限りとてもまずかったようですが、なんとも自由な食材の組み合わせです。家のありものから拾い物まで、乱暴に突っ込んだことは想像に難くありませんね。 なお、本人は味見もしていなかったらしく、自ら食した際には卒倒してしまいました。
ジャイアンは「常にガキ大将」ではなかった!原作に見る意外すぎる事実
今や仲間内で威張るガキ大将の代名詞とも言えるジャイアンですが、実はマンガの連載が始まった頃は今ほど威張りちらしてはいませんでした。その時のガキ大将は、ジャイアンの腰巾着の印象の強いスネ夫です。 スネ夫がニコニコ笑顔のジャイアンを従えてのび太に相手に威張るという、今とは真逆の描写も見られました。連載開始から数年で、ジャイアンがガキ大将、スネ夫は彼にごまを擦りつつ自慢話で自尊心を満たすという現在の図式が定着することとなります。 当時はドラえもんが常識はずれな行動で周囲を振り回したり、レギュラーキャラが追加されるも説明なく消えたりと設定レベルでの試行錯誤が繰り返されていました。原作者、藤子・F・不二雄も作風を固める中で、威張り散らすお金持ちよりもわかりやすい暴君の方がガキ大将にふさわしいと考えたと思われます。 これらの試行錯誤が見える話は、すでに多くあったストックから編集部や藤子自身がセレクトして刊行された単行本には収録されていません。現在の性格の方がしっくり来ると、作者自身が考えて考えていたことが伺えますね。
単なる憎まれ役ではない!ジャイアンの魅力の真髄は映画にあり!
ジャイアンはよく「映画(大長編)になるといいやつになる」と言われます。これはジャイアンに限ったことではありませんが(作中でメタフィクション的にネタにされたこともあります)、特にジャイアンを語る上では外せません。 文字通り「いいヤツ」になるジャイアンですが、これは彼らしさあふれる行動力が理由なのです。それが端的に現れているのが、第1作『ドラえもん のび太の恐竜』のワンシーン。 ドラえもん、のび太、ジャイアン、スネ夫、しずかの5人で今後の行動を決めねばならない場面で、ジャイアンはのび太の肩を持ちました。「おれが「タケコプター」を落としたとき、おまえ、おれの手をはなさなかったもんな」。 この前後にはいつもどおりガキ大将ぶりを発揮して反対派のスネ夫を威圧してみたりと、ジャイアンらしい振る舞いが多々見られます。彼は作品に合わせて「いいヤツ」に書き換えられるのではなく、非日常の中で自分に素直に行動できる男だからいいヤツに見えるようになるのです。 以上、ジャイアンの性格を考察しつつ、少し深掘りした話も交えて見ました。少しでもジャイアンの意外な一面をお届けできたなら幸いです。