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『アンダー・ザ・シルバーレイク』真の芸術をめぐるテーマを描く【レビュー】

2018年10月23日更新

『イット・フォローズ』でその名を知らしめた気鋭監督デヴィッド・ロバート・ミッチェルの新作『アンダー・ザ・シルバーレイク』。この映画の背景にあったものとは何か、主人公サムとは何者なのかを小野寺系が読み解きます。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』に隠されたメッセージとは?

ロサンゼルス(L.A.)のイーストサイド、貯水池のある「シルバーレイク」と呼ばれる地域で、ブロンド美女・サラ(ライリー・キーオ)が失踪した。そんな彼女に恋をする、うだつの上がらない青年サム(アンドリュー・ガーフィールド)が、その消息を追うため、L.A.の怪しげなパーティやカルト宗教、謎の洞窟など、音楽・映画・コミック・ゲームをはじめとするポップカルチャーが散りばめられた闇の世界に侵入していく……。そんな奇妙な映画が、本作『アンダー・ザ・シルバーレイク』だ。 この作品を観終わって「これは一体何なんだ!?」と、混乱する観客も多いのではないだろうか。たしかに美女失踪事件は一応の解決を迎える。しかし、問題はむしろ事件の真相より、それを突き止めるまでの過程にあるだろう。 なにせサムが行ったことといえば、ドラッグや酒をあおり、女の子と踊って貯水池で泳いだり、ロックバンドのレコードを聴いてギターを弾き語りしたり、自室にあったゲーム攻略雑誌や、朝食のシリアルのおまけを調べたりなど、異常でデタラメなことばかりなのだ!しかも、それでいて事件の真相にはちゃんと迫っていくという不可解さ。そして、全編に散りばめられた暗号の意味するものは結局何だったのか? 本作は観客の頭を混乱させる描写に満ちているが、これらを丁寧に読み取っていけば、サムの狂った捜査の裏に、じつは奥深いテーマが存在することが分かってくる。ここでは、その謎を解くことで、このとんでもない怪作『アンダー・ザ・シルバーレイク』に隠されたメッセージや魅力を深く掘り下げていきたい。

背景にあるのは“ハリウッドの闇”

ハリウッド (フリー画像)

L.A.といえば、まず第一に映画産業の街というイメージが思い浮かぶ。“Silver Lake(シルバーレイク)”とは、直訳すると「銀の湖」だ。映画スターのことを「銀幕のスター」と呼んだりするが、この「銀幕」という言葉は英語の“Silver Screen(シルバースクリーン)”からきている。太陽の光で輝く湖面の下が“見えないからこそ”逆に想像力がかき立てられるように、本作のシンボルとなっている「シルバーレイク」は銀幕の裏側、つまり映画業界を含む華やかな娯楽産業には、未知のあやしい世界が隠されているのではないかという、人々が何となく心に抱いている疑念を表している。

ハリウッド・バビロン

ハリウッドの様々な闇の歴史については、映画監督ケネス・アンガーが1965年に書いた「ハリウッド・バビロン」という書籍に詳しい。これは、発売後すぐに出版が差し止められ、再び出版されるまで10年の歳月を要した、いわくつきの本である。 その内容とは、サイレント時代の大監督エリッヒ・フォン・シュトロハイムの乱れた仕事ぶりや、人気コメディ俳優ファッティ・アーバックルが疑惑を持たれた女優暴行殺人事件、さらに、かつて『オズの魔法使』(1939年)で可憐な女の子ドロシーを演じたジュディ・ガーランドが、アルコールや薬物の依存症であり、睡眠薬を過剰に摂取してトイレの中で腰掛けたまま亡くなっていた事件など、他にも多くのハリウッドの闇がセンセーショナルに書き立ててあった。しかし、この本の内容には都市伝説めいた、事実でないことも含まれているとされ、批判を浴びた経緯がある。 このように虚実がない交ぜになった内容は、本作に登場する怪しいコミック作品「シルバーレイクの下に」のなかに描かれた、「犬殺し」のルーツや、「フクロウ女」などの荒唐無稽なエピソード、さらには「ソングライター」や「ホームレスの王」など、本作のいかがわしいストーリーそのものともつながってくる。『アンダー・ザ・シルバーレイク』は、L.A.の実際の闇と都市伝説が組み合わさった、現代の「ハリウッド・バビロン」である。

夢見る若者たちの残酷な物語

ブラック・ダリア事件

「ハリウッド・バビロン II」で紹介された事件のなかに、ハリウッドで女優を目指していた女性が、胴の部分を切断された状態で死亡しているのを発見されるという「ブラック・ダリア事件」が記されている。これはジェイムズ・エルロイの小説のモチーフにもなった、ハリウッドの闇を最も濃く表した陰惨な猟奇殺人として知られており、そのイメージは本作のショッキングなシーンにも投影されているように見える。小説はブライアン・デ・パルマ監督によって映画化もされており、このような陰惨な事件の謎を追う探偵や刑事の捜査を描いていくジャンル映画を、一般的に「フィルム・ノワール」と呼ぶ。 ハリウッドでの成功を夢見る名も無き若者たちは、強く純粋な気持ちを持つがゆえに利用され使い捨てられることもしばしばで、犯罪に巻き込まれることすらあるのだ。本作では、映画に出演することが叶いながらも、コールガールとして働かざるを得ない女優や、自宅で悲しみに打ちひしがれる女性が登場する。彼女たちは、ハリウッドの闇によって消費される女性たちの象徴であり、サムの目の前に現れ、失踪するサラもまた同様の被害者といえよう。

事件や映画のイメージが重ねられた世界

億万長者と結婚する方法
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サラの部屋にあったTVでは、3人の女性が玉の輿を狙うコメディ映画『百万長者と結婚する方法』(1953年)が流れ、その横に、この映画に出演しているマリリン・モンロー、ローレン・バコール、ベティー・グレイブルの人形が暗号とともに並んでいる。サラは映画のようにハリウッドの百万長者に憧れたために、闇に捉えられ人形のように扱われて悲劇の罠へと突き進んでいく。 サラが全裸になって夜のプールを泳いでいる幻想シーンは、マリリン・モンローが主演していたものの完成せず、この世を去ってしまった、1962年撮影の『女房は生きていた』の煽情的なシーンそっくりに撮られている。サラの肖像には、そんなマリリンの若い死と性的消費という悲劇性が加えられている。本作はこのように、実際の事件や既存の映画のイメージを何層も重ねることで、ハリウッドの暗部をかたちづくっているのだ。

主人公サムとは何者なのか

アンダー・ザ・シルバーレイク
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シルバーレイクは、華やかな娯楽業界で活躍するクリエイターやアーティストが多く住むことで知られる、おしゃれな土地柄だ。わざわざそこに住んでいるサムは、劇中では明示されていないが、おそらく何らかの表現者として成功することを夢見る、そろそろ中年に差しかかってきている青年である。本作の謎を解くためには、このサムのパーソナリティを追っていくことが必要だ。 彼はここに住む前、地元でクリエイティブな職業に憧れる、それなりにセンスが良く、優秀な頭脳を持っていたオタク青年だったのだろう。だが現在の彼は、夢にいまにも手が届く場所にいながら、実になるような努力を全くしていないことから分かるように、才能の壁に阻まれて挫折してしまったように見える。彼は夢をあきらめきることすらできず、惰性でシルバーレイクの中庭プール付き賃貸に住んでいるのである。 さらに、周囲には見栄を張って、何か重要な仕事をしているような雰囲気だけを醸し出している。真面目に低賃金の仕事に従事する気もなく、家賃を滞納し、大家には言い訳ばかりして立ち退きを迫られている。額に汗して働いている人間からすると、クズだと思われても仕方ない。

サムに投影されたアーティスト志望者の姿

アンダー・ザ・シルバーレイク
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それだけではない。彼は家賃の催促に対し、その場だけをなんとか弁舌で乗り切ることに成功すると、その直後からきれいさっぱり忘れて、金を集める努力をしないばかりか、違うことに出費してしまう始末。そんな彼は、「あるべき人生の“失敗編”を生きている気がする」とうそぶくように、才能のあるセレブリティという「甘い妄想」にひたりながら、自分のことを棚に置きつつ「一般ピープル」をバカにしているように見える。 音楽、TVゲーム、コミックなど、手近に手に入る身の回りのポップカルチャーに囲まれながら、たいして好きでもない手近な相手とセックスを済ませ、何の成功も得ていないのにも関わらず、ロックスターのカート・コバーンにでもなったかのように厭世的に振る舞うなど、本作の主人公は、少なくとも多くの人にとって、ほとんど救いようがない人物である。おまけに、走り方も変だ。 だがそれは、芸術を志す若者の、一つの典型的な姿といえるのではないだろうか。アーティスト志望者の多くは、高い能力を持っていないのにも関わらず、えてして高慢な自意識だけは一人前で、地位も金も無く、生活の知恵にも欠けているのに、虚勢を張ったり怠惰な振る舞いを見せるものなのだ。そしてその姿は、おそらく本作を撮ったデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督の過去の分身でもあるのだろう。そんな彼が存在価値を持つためには、もはや一流のアーティストになるしかないのではないか。問題は、どうすれば憧れのアーティストになれるのか、その手がかりを見つけることに他ならない。

成功を表すL.A.の風景

ハリウッド

本作では、女優ジャネット・ゲイナーの墓や、彼女が描いたという絵画作品が意味ありげに登場するが、彼女が主演したハリウッドの栄光と転落が描かれた代表的な映画『スタア誕生』(1937年)、そしてさきほど名前が出たジュディ・ガーランドが主演したリメイク版『スタア誕生』(1954年)両作で印象的なのは、高い丘から見下ろした、果てしなく広がるL.A.ダウンタウンの夜景であった。その風景が見える丘に住むことは、まさに成功の証なのだ。だがその丘は、夢に破れた大勢の人々の亡骸(なきがら)によって築かれている。 本作で、この風景に呼応しているのは、飛行するドローンから見たシルバーレイクの家々の美しい灯である。スター俳優たちのステータスが街を見下ろす夜景にあるのなら、クリエイターたちのステータスはシルバーレイクのほとりに根を下ろし、自分自身がその灯の一部になることであろう。そして、本作の主人公・サムは、夢破れる多くのアーティスト志望者と同じように、死骸としてきらびやかなL.A.の伝説をより輝かせる、踏み台となる側の人間である。『アンダー・ザ・シルバーレイク』の世界は、そんなサムや、彼のような人々の心象風景といえよう。

サムはなぜサラを追い求めるのか

アンダー・ザ・シルバーレイク
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そんなサムは、たまたま向かいに越してきた、目の覚めるような美女・サラと出会う。一気に恋に落ち、翌日また会うことを約束するサムだったが、彼女は、おそらく暗号となっていた季節はずれの奇妙な打ち上げ花火を見たことで、次の日には部屋の荷物とともに、忽然と消えていた。ここからサムの狂った捜査がスタートすることになる。 サムは、なぜ彼女にそこまで執着し、捜しまわるのだろうか。本作が、前述したように「フィルム・ノワール」をベースとしているのなら、そこでは往々にして、男性の主人公を魅了し、闇の奥へといざなう「運命の女(ファム・ファタール)」が登場することになる。

ヒッチコックと映画女優

アンダー・ザ・シルバーレイク
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オーケストラによるクラシカルでミステリアスな劇伴が使われているのと同様に、クラシック映画の要素を、本作は至るところにとり入れている。一場面となっている、夏の時期に開催されるハリウッド・フォエバー墓地での野外上映会では、サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督の記念碑が登場し、サムが自室から他人の動向を探る姿が『裏窓』(1954年)になぞらえているように、本作はヒッチコック監督の存在を強く意識していることは間違いない。 サラが初めてサムと対面し、会話をするシーンに注目してほしい。アップになる彼女の顔に照明が当たり、後ろの背景は意図的に暗く表現されている。この手法は、ヒッチコック監督が『めまい』(1958年)で女優キム・ノヴァクを映すときに使った演出そのものだ。サムにとってサラは、『めまい』で主人公の人生を左右し翻弄したようなファム・ファタールだということが、ここで強調されている。 ヒッチコック作品にとってのファム・ファタールは、ただ物語を盛り上げるだけの役割にとどまらない。ヒッチコックは、グレース・ケリーやキム・ノヴァクなどブロンド女優を作品の象徴的なアイコンにしてきた。魅力的な美女という存在は、彼にとって重要な創造の源泉であったと考えられる。

ミューズとファム・ファタール

女性の、とりわけ性的な要素を利用して、自分の手柄に還元するような製作スタイルが倫理的にどうなのかは、また別の話として、映画のみならず、絵画などの芸術分野において、男性アーティストが特定の女性に創造性を喚起させられる例は、枚挙にいとまがない。そのような女性は、しばしばギリシア神話における、芸術を司る女神たちを意味する「ミューズ」と呼ばれてきた。 本作のサラは、ヒッチコック作品におけるスター女優たちがそうであるように、「ミューズ」と「ファム・ファタール」が重ね合わされた存在だといえよう。そのように考えれば、タイムリミット間近のアーティスト志望のサムが、全てを懸けて彼女の消息、つまり芸術の女神の後ろ髪をつかもうとすることは、むしろ自然なことだといえる。

描かれたのは、真の芸術をめぐるテーマ

アンダー・ザ・シルバーレイク
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謎の老人「ソングライター」

芸術をめぐる問題は、「ソングライター」と呼ばれる、都市伝説の登場人物のような、謎の作曲家の老人が語るセリフの内容によって、より鮮明になる。 「君が望み手に入れようと夢に見た世界は、すべてまやかしだ。君らのアート、君らの言葉、君らのカルチャーは、他者の野心にすぎない。君らには理解不能な激しい思いだ」 そして、「メッセージは君あてじゃない。メロディに微笑んで楽しく踊るがいい」と言い放つ。サムは激しく動揺する。これが示唆しているのは、例えば美術館で、ある絵画を鑑賞するとき、作者の表現を心から理解し、同じ世界を共有できる人間は一部しか存在せず、大多数は表面のあれこれだけに惑わされて、その作品が持つ本質的な価値に気づくことができないという事実である。これが、真のアーティストと、そうでないかを分けるポイントなのだ。 そして、それを司る「ソングライター」は、そこに到達できていない、サムをはじめとしたクリエイター志望者における無意識下の不安を具現化した存在である。

デヴィッド・リンチの瞑想と「イデア」

L.A.の丘、マルホランド・ドライブのすぐ近くに住み、アメリカで最も独創的かつアーティスティックな映画を撮ってきたデヴィッド・リンチ監督は、瞑想によってインスピレーションを得ていると発言している。彼によると、より大きく普遍的なアイディア、つまり芸術的に真に価値のある素材は、一人ひとりが持っている共通の深層意識のなかに存在するという。そしてアイディアを得ることを、彼は「大きな魚をつかまえる」と表現する。 かなり多くの人によって、芸術というものは、もともとその人に与えられた才能と感性によって、ゼロから生み出されるものだと思われている。だがそれは誤解で、真の芸術とは、すでに存在する「真理(イデア)」を見つけ出して、かたちにする行為だというのである。特定の芸術作品が、多くの人の心を打ち、深く感動させる力があるのは、その表現が何らかの真理に触れているからなのだ。本物のアーティストは、それを掘り出して作品に組み込むという作業をしているということになる。

オタクからアーティストへ

ゲーム

その仕組みを知り、確かな目を持つ者は、多くの人とは異なった視点で作品を眺めることができるし、さらにそれを自作へと応用することもできる。そう、優れたアーティストたちは、まるで暗号でも解読するかのように、様々な作品に隠された真理を読み取ることができるのだ。そして、それが可能になりさえすれば、アーティストとしての成功は目前にやって来るはずだ。だから、サムが色々なものから暗号を読み取っていくたびに、芸術の女神であるサラに接近するというのは道理にかなっているといえよう。 サムは、サラの行方を追うため、音楽・映画・コミック・ゲーム・成人向け雑誌など、個人的に通り抜けてきた全ての文化までを総動員して、意味を解読し、さらにそれらを組み合わせながら真実へ迫る。アーティストとは、自分が影響を受けてきた作品たちの魅力を抽出し組み合わせることで、自分が目指す芸術への道を切り拓いていくものなのである。サムが暗号を必死に解いている様子は一見すると、的外れな行為をする間抜けで異常な行為だと思えてしまうが、それは視点を変えれば、一人のオタクが真のアートの世界への入り口を発見する感動的な姿でもあるのだ。 つまり、『アンダー・ザ・シルバーレイク』という作品が、このような異様な捜査を追っていくことで真に描いたのは、『スタア誕生』ならぬ、「アーティスト誕生」の過程だったといえよう。

アーティストをさいなむ狂気

アンダー・ザ・シルバーレイク
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しかし、それを追求すればするほど、代償として狂気と背中合わせの世界へと侵入せねばならない。真の芸術へと至るまでの過程は、限られた人しか通らない、何が起きるか分からない危険な道なのである。結果的に、大多数の人々が持つ「普通」の感覚との溝は広がり、孤独が深まっていくことになる。一人暮らしのコミック・アーティストもまた、追求の途中で悲劇の死を迎える。それは、超常的な「フクロウ女」という存在に殺害されるというかたちで表現されているが、実際にはここで警察が「自殺」と判断しているように、フクロウ女のキスというものに還元された、全ての者が怖れる共通の脅威とは、狂気と孤独から来る、死への衝動であると考えられる。 狂気から呼び覚まされる殺意は、自分だけでなく他者をも対象とする。本作ではそれが「犬殺し」というかたちで表れる。愛車にいたずらされたことで、サムは悪ガキたちを本気で殴りつけるが、弱い者に危害を加えるという暴力衝動もまた、人は持ち合わせている。サムは他人がワンワン吠え出すという幻覚・幻聴に襲われ、かつてある売れない俳優がさいなまれたという狂気と戦うことになる。向かうのが他者であれ自分であれ、暴力や死への衝動に身をゆだねてしまうことは、生きる上で、そしてアーティストとして成功する過程で、それを断絶させてしまう危険な罠となり得る。

カルト宗教と「アセンション」

サムは、疑似生活共同体を作った、通称「マンソン・ファミリー」や、大規模な集団自殺を行った「人民寺院」などをイメージしたようなカルト宗教の秘密施設へとたどり着く。そこで語られるのが、「アセンション」という、いま生きている現実の世界でなく、より上位の世界、別の次元へと移動するという、新興宗教などの教義のなかで、たまに耳にする概念だ。ここに登場する宗教団体のメンバーは、死を受け入れるということで、いまの自分から脱却しようとする。このようなエピソードもまた、かつて危険なカルト宗教が存在したカリフォルニアの歴史や、いまも一部の有名俳優が新興宗教の広告塔を務めるハリウッドには、ふさわしいエピソードである。 だが、ある意味ではサムやサラも「アセンション」を求めていたと言ってもいいかもしれない。うだつの上がらない自分という限界から解放され、どこかに存在しているに違いない、正しい人生を送りたいという気持ちは、彼らの中でずっと渦巻いていたはずだからだ。 本作のパーティーで、サムは「煉獄にようこそ」と、声をかけられていた。「煉獄」とは、カトリック教会の教義における、天国と地獄の中間的な場所である。それはまさに、どっちつかずの状態で生きているサムやサラ、そしてL.A.に夢を持って生きる多くの人々の境遇を暗示している。しかし、そこからの脱却を「死」によって達成しようとする行為は、あまりにインスタントで安易なのではないだろうか。 そこからのカルト的な逃避もまた、成功を追い求めて悩む人々への罠となっているといえよう。

サムは何を成し遂げたのか

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事件の真実を明らかにしたことで、サムはL.A.の隠されたダークサイドや、芸術の本質に、わずかながら触れることができたように思える。理想的な成功とはいえない、大きな代償と挫折感をともなうかたちで……。だが、女神の後ろ髪に触れるという、そのささやかな、しかし個人にとっては小さくない達成を成し遂げたことは、祝福的なラストシーンの描写が象徴している。 サムの部屋には、アメリカの渡り鳥労働者「ホーボー」がかつて使っていたとされる「ホーボー・コード」というサインが大きく描かれている。ここに至ってまだ家賃を払っていないサムを強制退去させに来た大家は、そのコードの意味が分からず、「ひどいな!これはいったい何なんだ!?」と、怒り困惑する。 その様子を別の部屋から眺めているサムだけには、そこに込められた「暗号」の意味や、背景の事情が分かっている。そう、L.A.の深部に到達し、一部の人間にしか知り得ないものを目撃したサムには、劇中に登場したあのコンタクトレンズの看板のように、「今は見える」のである。