【小野寺系】プーさんへのいら立ちと和解!『プーと大人になった僕』考察
『プーと大人になった僕』が達成したこととは?
『シンデレラ』、『ジャングル・ブック』、『美女と野獣』……。誰もが知るディズニーの劇場用長編アニメーションの名作を題材に、実写映画が続々と制作されている。そのなかには、『マレフィセント』、『スノーホワイト/氷の王国』、そして制作が予定されている『クルエラ』など、リメイクでなく、もともとのアニメーション作品の内容を基に、新たな発想で作られた系統もある。 今回の実写化作品『プーと大人になった僕』(原題:"Christopher Robin") も、その一つだ。ディズニーの名作アニメのなかでも絶大なキャラクター人気を誇る『くまのプーさん』を題材に、プーさんの大親友だった男の子クリストファー・ロビンが、大人に成長して、再びプーさんと出会うという、誰も見たことがない内容だ。 ここでは、そんな本作『プーと大人になった僕』のねらい、そして達成したことについて、作品の背景を解説しつつ考察していきたい。
『プーと大人になった僕』が目指すのは原作のテイスト
ディズニーのアニメ版『くまのプーさん』には、さらに原作がある。A・A・ミルンが書いたイギリスの児童小説『クマのプーさん』である。もともとこれは、彼の1人息子であるクリストファー・ロビン・ミルンのために書かれた、個人的な物語だった。アニメーション版の『くまのプーさん』は、この原作小説と異なるところがいくつかある。
原作の絵柄を再現する
一つは、キャラクター・デザインの改変だ。原作の挿し絵を担当したE・H・シェパードによって表現された、プーさんや森の仲間たちは、類い希な描写力で力強く、そして愛らしく繊細に描かれている。そしてクリストファー・ロビンは、挿し絵では可憐な女の子のように見えるほど愛らしい。 児童小説『クマのプーさん』の人気の理由は、この圧倒的な挿し絵の見事さにもあったのだ。優秀なスタッフを揃えたディズニーであっても、このレベルの絵をそのままアニメーションにすることはできず、手描きのあたたかみを感じるようなテイストをできるだけとり入れながら、各キャラクターはアニメに適したかたちで描き直されていた。 しかし、この挿し絵は、もともとクリストファー・ロビン・ミルンが実際に遊んでいたぬいぐるみたちがモデルになっており、それらはいまではニューヨーク公立図書館に展示されているという。『クマのプーさん』の出発点が個人的な物語であるならば、本物のぬいぐるみの素朴な姿を再現することは、映像化作品にとって重要なことであるように思える。ディズニーは当時、そこをかなり変えてしまっていたことは事実なのだ。 本作『プーと大人になった僕』の仲間たちは、そんなディズニー・アニメ『くまのプーさん』よりも、原作の絵柄の素朴なテイストに近い造形で、CGアニメーションとして作中に登場している。そこでは雨に濡れたり、汚れてガビガビになったりなど、ネガティブな部分も含め、ぬいぐるみのリアリティを大事にしている。 だからこそ、濡れた子犬のような本作のプーさんには、いますぐ抱きしめてあげたいと思わせる、せつなさや愛らしさが備わっているといえる。
ほかにも原作をリスペクトした部分が
原作とアニメ版で、もう一つ異なる点というのは、ユアン・マクレガーが演じる、大人になったクリストファー・ロビンが、イギリスのアクセントで話していたということだ。じつは、ディズニーのアニメーション版がイギリスで公開されたとき、クリストファーがアメリカ英語でしゃべっていたことで大きな反発が起こったという。 今回のキャスティングを含め、本作が大切にしているのは、アニメ版に欠けていた原作の雰囲気の再現だと思える。とはいえ、子ども時代のクリストファー・ロビン役の男の子については、アニメ版同様に男らしい短髪にされてしまっていた。
映像の魔術師マーク・フォースター
本作の監督は、映像派のマーク・フォースターだ。『ネバーランド』、『007 慰めの報酬』、『ワールド・ウォーZ』など、難度の高い撮影方法によって、常に誰も見たことのない“マジック的な”映像を作り上げるという作家性を持っている。 今回の撮影的な挑戦は、実写とアニメーションとの合成を、グリーンバックを使わずに成し遂げるという点であろう。撮影場所は、原作の舞台となった南イングランド、ハートフィールド村の「アッシュダウンの森」や、閉鎖された鉄道駅、古びた雰囲気を残すロンドンの街角など。そこで俳優たちは動かないぬいぐるみに対して演技をするが、完成された映画では、そのぬいぐるみは生きているように動いているのである。 まさに魔法のようだが、この手法の利点は、CGアニメーションによるキャラクター以外を、従来の実写映画と同じく自然な味わいで撮影でき、また俳優が演技しやすい環境づくりができているという点である。
プーさんとクリストファー・ロビン
『プーと大人になった僕』のストーリー
大人になったクリストファー・ロビンは、寄宿学校での厳しい教育や会社での労働、結婚生活、兵士としての戦争経験のなかで、幼少期に遊んだプーさんたちとの思い出を忘れ、自分の娘に対して大人の考え方を押し付けるような、子どもにとって“つまらない大人”になっていた。 プーさんがロンドンまでやって来て、再び出会うという奇跡は、クリストファー・ロビン自身が、かつて持っていた子どもの心を思い出すきっかけとなる。ここでの、しばしば大人のクリストファー・ロビンをいらだたせる「おばかさん」なプーさんの態度は、大人の価値観から外れた“子どもの心”そのものだからだ。 子ども時代との別れとともに、クリストファー・ロビンはプーさん(子どもの心)に別れを告げた。しかし、人は本当に子どもの心と決別すべきなのだろうか?それが本作の大きなテーマである。
“子どもの心”が幸せへとつながる鍵
「“何もしない”をしている」というのは、有名な『クマのプーさん』のフレーズだが、それは生産性、効率性を唯一の価値観だとする大人の考え方とは真逆のものだ。地位を得ること、お金を得ることは、幸せに生きるための手段になり得る。だが日常の出来事を面白がって楽しむ気持ちを捨ててしまえば、本当の意味での満足感が得られるだろうか。 逆に、いろいろな生産性のない行為を楽しむ気持ちを持っていれば、必要最低限の生活であっても幸せを感じられるのではないだろうか。本作は、大人になったクリストファー・ロビンのように人生を苦しんで生きている人にとって、ひとつの効果的なアドバイスになり得るかもしれない。
本物のクリストファー・ロビン
主人公のモデルとなった実際のクリストファー・ロビン・ミルンは、作家を目指して挫折を経験している人物だ。彼は自伝のなかで、自分をモデルにして有名になった『クマのプーさん』が、自分の人生を支配し続けたことで、作品や親を憎む気持ちを持ったということを語っている。だが最終的に、彼はその状況を受け入れて許すことができたのだという。 本作で描かれた、クリストファー・ロビンのプーさんへのいら立ちと和解は、彼の実際の物語をも暗示しているといえるだろう。