2018年11月16日更新

なぜ「最後のジェダイ」の評価は二分したか?映画の謎と真実から考察!

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『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』

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【考察】「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」

なぜ賛否両論の議論を巻き起こしたのか?

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は、2015年の『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』に始まる「シークエル・トリロジー」の2作目として、2017年に公開されました。 しかし、作中での展開や様々な表現、そして解けないまま残された謎といった要因により、世界中からファンの批判の声が殺到。シリーズ史上類を見ないレベルの、非常に大きな論争を巻き起こしました。 ところが、実はそんな謎の多くは、小説版において明確に解き明かすことができるのです。 今回は、そんな「最後のジェダイ」において論争を巻き起こした点や残された謎を取り上げつつ、小説版で明かされた意外な事実も合わせて紹介。そこから見えてくる、次回作以降の展望とは? なお、この記事はかなりのネタバレを含みます。本作を未見の方は、ご注意ください。

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「生みの親」ルーカスの評価は?

ジョージ・ルーカス
©︎Joseph Marzullo/WENN.com

さて、大きな論争を巻き起こした本作ですが、そもそも「スター・ウォーズ」シリーズの「生みの親」であるルーカスはどう思ったのでしょうか? 結論からいえば、彼が本作に対して寄せた評価は一言。 「Beautifully made(申し分ない)」。 そう、絶賛していたのです。ルーカスは、本作を監督したライアン・ジョンソンにも直接、賞賛の言葉を送ったといいます。 「フォースの覚醒」以降のシリーズ作品にルーカスは関与しておらず、ディズニー主導で物語が構築されていることで知られています。そして「フォースの覚醒」に対しては、特にその旧シリーズに原点回帰したかのような、昔のファンへの目配せに満ちたやり口に対し、厳しい批判の言葉を送っていました。 そんな彼が賞賛した、ということは、つまりこの「最後のジェダイ」がそれだけオリジナリティに溢れたものだった、ということです。

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一方の「ルーク」のコメントは?

マーク・ハミル
©︎Brian To/WENN.com

一方、シリーズ1作目から一貫してルーク・スカイウォーカーを演じてきたマーク・ハミルは、当初は「最後のジェダイ」におけるルークのキャラクターに対して、否定的でした。 曰く、「ジェダイは諦めない」。けっして諦めることなく大きな困難に立ち向かい、シスや帝国を倒してきたのが、今までの「スター・ウォーズ」サーガにおけるジェダイでした。 それに対して、本作で描かれるルークは、完全に諦めの境地に達した、まさに「世捨て人」。これはもう、ハミルの考えている「スター・ウォーズ」ではなかったのです。そのため、撮影中はたびたび監督であるライアン・ジョンソンと議論を戦わせたといいます。 しかし、のちに答えたIMDbに対するインタビューでは、一転して「僕は間違っていた」とコメント。 「弟子を育てる親切な師匠、という関係は、すでに(旧シリーズのオビ=ワン・ケノービが)見たことがあるだろ?僕がやらなければいけないのは、オリジナルの三部作ではなく、新しい世代のルークなんだ」 この発言からも、今回の作品がいかに新しいもので、今までのシリーズ作品とは全く異なるものであることがわかるでしょう。

しかし、ファンからの反応は最悪?

では、本作はやはり高く評価されているのでしょうか? こういった場合によく引き合いに出されるのが、アメリカの映画レビューサイトRotten Tomatoesです。そこで寄せられた「最後のジェダイ」に対する評価では、91%の批評家からの支持率を獲得しています。 しかしその一方で、批評家ではない一般の観客からの評価は45%。半分以上もの観客が、本作に対して批判的であることがわかります。 それだけではありません。本作に対して、一部の熱烈なファンたちが「『スター・ウォーズ』の正史から『エピソード8』を除外させよう」という署名運動が起こり、実に10万人分もの署名が集まったのです!

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ファンから寄せられる批判の数々。その心は?

以下、ネタバレが大量に含まれます

さて、問題となる「最後のジェダイ」に寄せられた批判の数々ですが、一体どのようなものがあるのでしょうか? いくつか紹介していきたいと思います(ネタバレ注意)。

1. 長すぎ

「最後のジェダイ」に寄せられる批判としてはまず、内容以前に上映時間の長さが挙げられます。 「スター・ウォーズ」シリーズの各作品の上映時間を以下に挙げてみましょう。

「スター・ウォーズ」シリーズ各作品の上映時間
©︎ciatr

確かに、圧倒的に本作の上映時間が長いことがこれで分かると思います。 いくら「スター・ウォーズ」が好きとはいえ、2時間半以上もの間映画館に座り続けるのは、多くの観客にとってかなり苦痛なものなのかもしれません。

2. コメディ色が強すぎる?

スター・ウォーズ 最後のジェダイ ルーク
© Walt Disney Studios Motion Pictures

正統派な作りだといわれた『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』に対し、本作では観客の笑いを意図したと思われる場面がいくつもあります。 特に代表的なのは、ルークがエイリアンから緑色のミルクを搾乳し、飲む場面。ここでは一切セリフがなく、エイリアンのグロテスクな見た目や得意げな表情のルークと困惑した表情のレイの対比も相まって、一種のギャグになっています。 また、フォースを試そうと目をつぶるレイの手をルークが葉っぱでくすぐり、レイが「フォースを感じます!」と驚く場面なども、もはやコントのようです。 しかし、こういった場面に対しては「狙いすぎだ」という声も。また、旧三部作を見てきたファンにとっては、ルークがかつてのヒーローではなく、ただの変人になってしまっているように見えたようです。

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3. え、レイアが宇宙遊泳!?

スター・ウォーズ 最後のジェダイ レイア
©︎LMK

「スター・ウォーズ」において最も重要な要素の一つが、フォースです。フォースはシリーズで一貫して登場する超自然的ともいえるエネルギーであり、ジェダイはその経験を通してフォースの力を強め、操る存在といえます。 フォースの効果は様々で、未来の出来事を予知したり離れたものを動かしたりといった超能力のようなものや、高くジャンプしたり目にも留まらぬ速さで走ったりといった類まれな身体能力を発揮することも可能です。 しかし、本作で描かれるフォースは、少し「行き過ぎ」ているのです。 例えば、宇宙船が爆撃され、宇宙空間を漂うことになったレイア。観客が「ああ、とうとう我らのレイアが死んでしまった」と絶望的になりながら見ていると、なんと彼女はあろうことか、宇宙遊泳をして再び船に戻るのです。 そもそもレイアは、ルークとテレパシーで通じるなど、過去の作品でそれを匂わせる場面があったとはいえ、作中で明確にフォースを使いこなしている場面はありませんでした。 そんな彼女が、どんなに強いジェダイですら見せなかったフォースの一局面を見せる。これに対して、開いた口が塞がらなかったファンは少なくないことでしょう。

4. フォースの使い方がチート

スター・ウォーズ 最後のジェダイ ルーク
©︎LMK

そしてもう一つ、フォースの使い方で非難が集中したのは、他ならぬルークです。 映画のクライマックス、窮地に立たされたレジスタンスの前にルークが出現。彼は単身、ライトセーバーを手にし、ファースト・オーダーやカイロ・レンと戦いますが、最後にはレンにとどめを刺されてしまいます。 しかし、実はこれは全てルークの分身。実際の彼は住処である孤島で瞑想しており、フォースの力で分身を遠隔操作していたのでした。 自分では戦地に赴かず、リモート操作をしているかのように分身を操るというそのフォースの使い方に「ルークは弱腰なのでは?」という声が集まりました。 さらに、分身であるにも関わらず、レンに討たれた途端、実際のルークも死んでしまうという展開にもツッコミが見られました。

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5. スノークが思いのほかすぐ死んじゃう

スター・ウォーズ 最後のジェダイ スノーク
©︎LMK

前作「フォースの覚醒」から登場したスノークは、非常に強力なフォースの使い手で、カイロ・レンを暗黒面に引き込んだ張本人です。 その不気味な容貌と背景が明かされない謎めいた様子から、本シリーズ最強の悪役なのではないかと考えられていましたが、本作の中盤、裏切ったカイロ・レンによりあっさりと死亡。 倒すのに多大な苦労を要したダース・ベイダーやダース・シディアス(皇帝)といった過去作での悪役と比べてあまりにも唐突なその最期に、観客の多くから驚きの声が上がりました。

6. 新しいキャラクターが何の役にも立たない

スター・ウォーズ 最後のジェダイ ローズ
© LFI/Avalon.red

本作では、様々な新キャラクターが登場しますが、その多くが主要な登場人物であるかのような振る舞いを見せておきながら大した働きをしていないことも、批判の対象となりました。 例えば、本作でいきなり登場するヒロイン格のローズ・ティコというキャラクター。彼女は、終始フィンと共に行動します。しかし、よくよく考えると、何も大きな活躍をしていないのです。 それどころか、あらぬ誤解からフィンを気絶させたり、自らを犠牲にしてファースト・オーダーのキャノンに突撃しようとするフィンを邪魔して戦況を悪化させたりと、物語の邪魔ばかりをしています。 その他にも、いつまでもポーと喧嘩し続けるホルド提督や、結局フィンを振り回すだけで何もしてくれなかった謎のキャラクター・DJなど、「本当にこのキャラクターはいるのか?」と思ってしまうほど何の役にも立たないキャラクターが登場。これには、疑問の声が続出しました。

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7. アクバー提督の扱いが雑すぎる

シリーズ3作目となる『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』で初めて登場して以降、そのユニークな容貌と戦時下での活躍ぶりから、今なおファンの間で大きな人気を誇る、アクバー提督。 本作でも「フォースの覚醒」に続いて登場しますが、本編開始40分も経たずあっさり死亡。 これだけでもファンをざわつかせますが、問題はその扱い。なんと、彼が死ぬ場面は一切描かれず、後になってその死が台詞上で報告されるだけなのです。 旧シリーズから活躍し、大いに貢献してきた彼をこのような形であっさり退場させたため、一部の熱烈なファンから非難が殺到しました。

8. ヨーダが登場したのはいいけど……

ヨーダ
© Lucasfilm, Ltd.

「スター・ウォーズ」シリーズをあまり知らなくても、見たことはあるという人も多いヨーダ。旧シリーズから登場し続けているこの緑色のジェダイマスターが、霊体という形で本作にも登場します。これに喜んだファンは多いことでしょう。 しかしその役割は、ジェダイにかかわる神聖な書物を焼き払うよう、ルークに促すこと。しかもルークがそれを躊躇すると、ヨーダは霊体であるにも関わらず、フォースの力で雷を落とし、書庫ごと燃やしてしまいます。これも、「チートすぎる」フォースといえるかもしれません。

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9. いつまでもテレパシーで会話し続けるレイとカイロ・レン

スター・ウォーズ 最後のジェダイ カイロ・レン
© LFI/Avalon.red

ジェダイとしての修行を重ねたレイは、敵対している関係であるにも関わらず、なぜかカイロ・レンとフォースを通じて交信できるようになります。この場面自体は興味深く、2人の間に何か深い繋がりがあることを感じさせました。 しかし問題は、そのテレパシーの場面が少し長すぎること。そのせいで、まるでいつまでもテレビ電話のやりとりを繰り返しているかのような違和感を抱いた観客は多かったようで、敵対しているはずの2人の関係性から緊張感が失われた、という声も上がりました。

10. 結局、何もわからずじまい。

そして、本作における批判として最も多く聞かれるのが、「結局何もわからずじまいじゃないか!」というもの。 前作「フォースの覚醒」から引き継がれた様々な謎が、本作でスッキリと解決されることを、多くのファンが期待していました。 しかし、実際はどうでしょうか。カイロ・レンとレイの関係性はついにわからず、フィンの正体も描かれませんでした。レイの両親についても、「汚らしいゴミ漁り」とレンが言及するだけで具体的にはわかりません。 そして、最大の悪役だと思われていたスノークやその部下であるキャプテン・ファズマの正体も明かされないまま、あっさりと死んでしまいました。 シリーズ史上最長となる上映時間にも関わらず、何も謎が明かされない展開に、多くのファンが唖然としたのです。

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全ての答えはノベライズ版に!?

その他にも、「あのルークが身内(カイロ・レン)に手をかけようとするなんてありえない」、「スノークがいたあの真っ赤な部屋は何なの?」、「カジノの場面がいらない」などの声も。 とはいえ、こういった批判の声の多くは、「なぜなのか理由がわからない」という疑問の声である場合が多いことがわかります。 実は、このような疑問の多くは、映画版ではなく、ノベライズ版や解説書といったメディアミックスを紐解くことで解決する場合があります。 では、ノベライズ版などで明かされた「真実」を紹介しましょう。

1. レイアはフォースの使い手だった

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ ビジュアル・ディクショナリー』という本によると、レイアはルークの最初の弟子としてジェダイの修行をしていたといいます。 しかし彼女は、世間と距離をおいてジェダイの修行を続けるより、政治家として活動するほうが銀河に平和をもたらすことができると考え、ルークの元を去ったのでした。 このことから、レイアにもジェダイに匹敵するほどのフォースが秘められている可能性が伺えます。宇宙遊泳をして生還することも、不可能ではないのです。

2. フィンは他のストームトルーパーからどう思われていたのか?

スター・ウォーズ 最後のジェダイ フィン
© LFI/Avalon.red

ノベライズ版には、映画では描かれなかった場面がたくさんありました。 フィンがキャプテンの服を盗んで変装し、スノークの元に向かう場面も、その一つ。ノベライズ版でフィンは、彼がストームトルーパーだった時の友人に出会ってしまいます。しかしその友人は、キャプテンの姿のフィンを見て、彼が出世したのだと勘違いし、歓迎するのです。 ここでわかるのは、フィンがファースト・オーダーを裏切ったことを他のストーム・トルーパーが認知していない、ということです。彼が脱走したことが明るみになれば、他のストーム・トルーパーも同様の行動をとるかもしれないからでしょう。

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3. ルークはスノークに操られていた!?

また、ノベライズ版では、ルークは自らジェダイの師匠となったわけではないことが明らかになっています。 「ジェダイの帰還」で帝国を破ったルークは、放浪の旅に出て様々なジェダイの書物などを集めました。しかし、のちにカイロ・レンとなるベン・ソロに強いフォースと闇を感じた時、新たなジェダイの教育機関の必要性を感じたのです。 実は、これは全てスノークがルークの心を操った結果でした。ルークがベンの師となることで最終的にベンがダーク・サイドに落ちてしまい、それがきっかけでルークが行方をくらましてしまう、という運命を、スノークはあらかじめ読んでいたのです。 スノークにとっての最強の弟子が生まれ、なおかつ最大の敵が表舞台を去る、という好都合な運命が訪れるように、彼は仕組んでいたのでした。

4. レイが驚くほど早くフォースを会得できた理由

スター・ウォーズ 最後のジェダイ レイ
©︎LMK

レイはルークのもとで修行を始めますが、信じ難いほど短期間の間にフォースを習得していきます。これには、長年のファンからの疑問の声が殺到。 しかし、これについてもノベライズ版で理由が明かされています。映画でも描かれている通り、レイとカイロ・レンの心はテレパシーのようにフォースで結ばれていましたが、その段階でレンの持つフォースの知識や技術がレイの心にも移ったのだといいます。 つまり、レイはルークからの教育を受けるのとは別に、カイロ・レンからもフォースを学び取っていたのです。それにより、通常より早いスピードでフォースを会得できたのでしょう。

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「最後のジェダイ」が抱える二面性とは?

そして本作を貫く特徴の一つが、「二面性」です。 例えば、主人公・レイはジェダイの修行を重ねる一方で、精神的にダークサイドに落ちやすい様が描かれています。 対するカイロ・レンは、あくまでも悪役である一方でレイと心が通じており、彼女に複雑な想いを抱いていることがわかります。そして何より、自らの師であるファースト・オーダーの最高指導者・スノークを殺してしまった張本人でもあるのです。 また、今までは一貫して正義のヒーローとして描かれてきたルークも、本作ではカイロ・レンになる前のベン・ソロに手をかけようとしていたり、滑稽な変人ぶりを見せたりと、驚くほどの変貌ぶりを見せています。

スター・ウォーズ 最後のジェダイ ホルド提督
©︎LUCASFILM/WALT DISNEY PICTURES

その他にも、無責任で高圧的な「嫌な中年女性」に見えたホルド提督が最後には優しい一面を見せたりと、二面性の強いキャラクターが多く登場します。 また、硬派な英雄譚としての一面だけでなく、まるでコントのような笑いの要素も多く取り入れるなど、映画自体にも真逆の要素が共存しているといえるでしょう。

台詞からも見える二面性

そして、本作の膨大な台詞の中にも、数多くの「二面性」が伺えるのです。 例えば、レイはルークに「ルーク・スカイウォーカーが必要なの」と訴えますが、ルークはレイに「ルーク・スカイウォーカーは必要ない」と答えています。 他にも、レイがルークに「私はどこの人間でもない」と語ると、ルークは「どこの人間でもない者などいない」と反論。 別の場面ではスノークがカイロ・レンに「新たなベイダー」と語りかけた直後に「お前はベイダーではない。ただの仮面を被った子供だ」と自ら矛盾したことを告げていますし、レイアがルークに「私の息子は行ってしまった」といえば、ルークは「行ってしまった者など誰もいない」と答えました。 こうした台詞運びが、「この映画自体の伝えたいメッセージがブレていないか?」という批判的な姿勢を生みやすくしているともいえるでしょう。

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人間の二面性を打ち出した全く新しい「スター・ウォーズ」

しかしここからわかるのは、「一人の人間」の中での二面性という古くからのテーマです。 古来より、フィクションの中では「善人」と「悪人」、「男性」と「女性」、「指導者」と「従う者」が明確に分かれていました。これは、1977年の第1作以来の「スター・ウォーズ」も例外ではありません。 しかし、果たして我々は「善人」と「悪人」どちらなのでしょうか。人に思いやりを見せることもあれば、嘘をついたり人を傷付けることもあるのが、人間なのではないでしょうか。「最後のジェダイ」は旧来からの「英雄譚」としての「スター・ウォーズ」ではなく、一人の人間の中での二面性をもってしたドラマをより明確に描こうとしたのです。

ライアン・ジョンソン
©︎Allstar Picture Library

そしてこれは、この映画の「作者」であるライアン・ジョンソン監督の物語でもあるのです。いくら「スター・ウォーズ」のような大作であっても、創作物は作者自身を反映させてしまいます。もしかしたら、映画全体に二面性が多いのは、ライアン・ジョンソン自身の二面性を反映させたためだったのかもしれません。 とはいえ、このような二面性を強調した表現の多用が、安定しない二転三転するストーリーに影響しているのはいうまでもなく、それがファンの賛否を二分する点にもつながっているのではないでしょうか。

「新しいスター・ウォーズ」が賛否両論を呼ぶ要因に?

結局のところ、本作がなぜ賛否両論分かれるかといえば、今までの長い伝統に則った「スター・ウォーズ」ではなく、それを打ち破るような「新しいスター・ウォーズ」を打ち出そうとしたからでしょう。 なので「『スター・ウォーズ』はこうあるべきだ」と考えてきた旧来からのファンの多くは必然的に批判的に見てしまうし、「今までとは全く違う新しい『スター・ウォーズ』を見たい」と考えていたファンや批評家からは見事に絶賛されたのです。 ここからわかるのは、もはや「スター・ウォーズ」というものは、ただの「大人気映画シリーズ」ではなく、一つの「概念」になりつつある、ということでしょう。 保守に回るか、革新に向かうか。思えば、この繰り返しで人類の歴史は動いてきたのです。「スター・ウォーズ」もまた、保守と革新を繰り返して変わっていくべきなのでしょうか。

次回作「スター・ウォーズ エピソード9」はどうなる?

J・J・エイブラムス
© Zuma/Avalon.red

「シークエル・トリロジー」第1作目の「フォースの覚醒」を手掛けたJ・J・エイブラムスは、旧来からのファンをある程度納得させる「保守的」な姿勢を見せていましたが、シリーズ3作目となる「エピソード9(仮題)」の監督に復帰することが明らかになっています。 果たして、エイブラムスは自らの姿勢を変えずにファンが納得する「伝統的なスター・ウォーズ」を再び生み出すのか、それともジョンソンの意思を受け継いだ「新しいスター・ウォーズ」で再び賛否両論の渦を巻き起こしてくれるのか。目が離せません!