2019年10月24日更新

ジョージ・ルーカスのすべて 「スター・ウォーズ」製作秘話や日本の巨匠との関係も紹介

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ジョージ・ルーカス
©︎Joseph Marzullo/WENN.com

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映画界に革命を起こしたジョージ・ルーカスを徹底解剖

ジョージ・ルーカス、ヘイデン・クリステンセン
©WENN/zetaimage

ジョージ・ルーカスといえば、真っ先に思い出すのは当然「スター・ウォーズ」シリーズの生みの親ということでしょうか。「インディ・ジョーンズ」シリーズのプロデューサーであり、映像製作会社「ルーカスフィルム」の創設者でもありますね。 しかし、これらはジョージ・ルーカスのほんの一面。「スター・ウォーズ」シリーズのマーチャンダイジングの権利を持つ実業家であり、音響設備を整えるTHXプログラムやデジタルシネマ構想をもたらした映画界の功労者でもあります。 こんな輝かしい業績を残している成功者ジョージ・ルーカスですが、その素顔はいたって素朴でシャイなようです。初めは編集者・監督として映画界デビューしたジョージ・ルーカス。そんな彼のプロフィールをはじめ、監督作やプロデュース作、「スター・ウォーズ」製作秘話や交友関係などを紹介していきます。

ジョージ・ルーカスの基本プロフィール 少年時代はカーレースに夢中だった?

ジョージ・ルーカス
©︎Joseph Marzullo/WENN.com

ジョージ・ルーカスは本名をジョージ・ウォルトン・ルーカス・ジュニアといい、1944年5月14日にアメリカ・カリフォルニア州モデストで生まれました。少年時代はテレビの連続活劇やコミックブック、高校時代はカーレースに夢中になったといいます。 南カリフォルニア大学ではフィルム関連の専門学科で映画について勉強し、多くの短編映画を制作。卒業後はワーナーのスタジオで研修し、ここで『ゴッドファーザー』で知られるフランシス・フォード・コッポラと出会っています。 ふたりはハリウッド・システムを嫌って映画製作スタジオ「アメリカン・ゾエトロープ」を設立し、ジョージ・ルーカスはその副社長となりました。 アメリカン・ゾエトロープでは長編映画『THX 1138』(1971)で監督を務め、その後自らの映画製作会社「ルーカスフィルム」を設立。監督・製作を務めた『アメリカン・グラフィティ』(1973)が大ヒットし、一躍監督として有名になります。20世紀フォックスで制作した「スター・ウォーズ」は大成功を収め、さらにスティーブン・スピルバーグとともに「インディ・ジョーンズ」シリーズを製作して大ヒットを連発しました。 スピルバーグとジェームズ・キャメロンに並び、アメリカで最も商業的に成功した映像作家の一人であり、「アメリカで最も裕福なセレブリティ」(2018年末フォーブス調べ)で1位を獲得しているエンターテインメント界で最も成功した人物のひとりなのです。

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「スター・ウォーズ」とルーカス

技術向上にも貢献!世界中で愛される一大ジャンルに

『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』
© Supplied by LMKMEDIA/zetaimage

ジョージ・ルーカスが1977年に監督・脚本を務めた『スター・ウォーズ』は、自身が予期しないほどのヒットを記録。それ以降シリーズ化し、40年以上の時をかけて9エピソードが製作されました。その世界観は映画だけでなくドラマやアニメ、小説やコミック、グッズの商品化やテーマパークなどへ広がって、一大ジャンルとして世界中で愛される作品となっています。 その生みの親として常に名が挙がるジョージ・ルーカスですが、旧三部作で監督したのは1作目のみで、2〜3作目は製作総指揮を務めていました。新三部作では監督・脚本・製作総指揮まですべてを担当しましたが、続三部作で製作からも離れています。 ジョージ・ルーカスは1作目製作のために、後々映画界のデジタル化に貢献することになるSFXスタジオ「インダストリアル・ライト&マジック(ILM)」を、それ以降はさらに映画館の音響設備や上映環境を整えるためにTHXプログラムも立ち上げました。「スター・ウォーズ」シリーズ製作が、環境や技術の向上に貢献したともいえるでしょう。

ルーカスフィルムをディズニーに売却

ユアン・マクレガー『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』オビ=ワン・ケノービ
© LUCASFILM/zetaimage

しかし、2012年にルーカスフィルムをディズニーに売却したことで、複雑な感情に苛まれることに。売却時に自らのエピソード7〜9の構想をディズニーに提案したところ、なんとそれが却下され、新たな続三部作として「フォースの覚醒」がスタート。一時は本作を酷評し、「子供たちを奴隷業者に売ってしまった」と後悔の念を明らかにしました。 そう、まさにジョージ・ルーカスにとっては「スター・ウォーズ」シリーズは自分の子も同然だったのです。 ジョージ・ルーカスが構想していた三部作は、「ミディ=クロリアン」について描く予定だったようです。ミディ=クロリアンとは、エピソード1「ファントム・メナス」に登場した「生命体の細胞内に存在する知的共生微生物」で、ミディ=クロリアンの数値が高いほどフォースの感知能力に優れているとされるもの。彼が考えていた三部作ではフォースを糧とする「ウィルス(Whills)」というミクロの世界が展開し、ミディ=クロリアンはウィルスと世界のパイプ役だとか。 それにしてもこの三部作が実現していたら、一体どんな物語になっていたのでしょうか。 その後は「スカイウォーカーの夜明け」の監督に就任したJ・J・エイブラムスの求めで助言にも応じるなど、態度も緩和されてきた様子。2019年5月31日に行われたディズニーランド・リゾートの新テーマランド「スター・ウォーズ:ギャラクシーズ・エッジ」のオープニング・セレモニーには、マーク・ハミルやハリソン・フォードたちとともに和やかに出席していました。

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黒澤明の影響、スピルバーグとの絆

日本文化と黒澤明監督からの多大な影響

黒澤明、フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカス
©Cover Images/Newscom/Zeta Image

ジョージ・ルーカスは常々、黒澤明監督からの影響について言及していました。黒澤作品がジョージ・ルーカスの人生と作品にとてつもなく大きな影響を与えたことは間違いなく、『スター・ウォーズ』の構想も『隠し砦の三悪人』(1958)に触発されて描いたといいます。 日本の時代劇の影響は多大で、ジェダイの名の由来が「時代=ジダイ」であるという説は変わらず有力です。「スター・ウォーズ」には『七人の侍』(1954)の侍たちのように名誉と志を抱くジェダイたちが登場し、ライトセーバーで“チャンバラ”を繰り広げます。実際、ジョージ・ルーカスは「すべての“スター・ウォーズ”映画の持つ精神には、名誉や志といったものが深くにある」と、その影響を語っていました。 黒澤明が『影武者』(1980)を撮った時は、その国際版の製作総指揮をフランシス・フォード・コッポラとともに務めて支援。第62回アカデミー賞の授賞式ではスティーブン・スピルバーグとふたりで、黒澤明への特別名誉賞のプレゼンターを務めました。

スティーブン・スピルバーグとは同志でライバル

スティーブン・スピルバーグ
Brian To/WENN.com

ジョージ・ルーカスに同世代で多大な影響を与え合った人物といえば、やはりスティーブン・スピルバーグでしょう。70年代からアメリカ映画界の最先端をともに走ってきた戦友であり、同志でライバルといった存在。「インディ・ジョーンズ」シリーズではスティーブン・スピルバーグが監督、ジョージ・ルーカスが製作を務めて、一緒に大ヒットシリーズに育てました。 『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』ではスティーブン・スピルバーグがアシスタント・ディレクターになり、ジョージ・ルーカスが『ジュラシック・パーク』のポストプロダクションを手伝ったりと、互いに助け合ってもいます。そんなふたりの友情は、『E.T.』にヨーダが、逆に『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』にはE.T.が登場するという、ちょっとした遊び心にも垣間見ることができます。

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その他ジョージ・ルーカスのフィルモグラフィーを振り返る

『THX 1138』(1971)

ジョージ・ルーカスが南カリフォルニア大学在学中に制作した短編映画の中でも、監督・脚本を務めた『電子的迷宮/THX 1138 4EB』は高い評価を受けました。これを元に後にリメイクしたのが、アメリカン・ゾエトロープで製作された映画『THX 1138』です。 原作・脚本・監督をジョージ・ルーカスが務めたディストピアSFで、管理された監視社会で薬漬けになった男がそこから脱出を図る物語。興行的には不発に終わりましたが、「スター・ウォーズ」のようなスペース・オペラとはまた違った方向のチャレンジングな作風です。 このタイトルは後に『アメリカン・グラフィティ』で車のナンバープレートに登場したり、「スター・ウォーズ」シリーズで「1138」という数字が盛り込まれたりとトリビアとして大活躍。また、ジョージ・ルーカスが立ち上げた映画品質の管理会社「THX」の名称の元にもなりました。

『アメリカン・グラフィティ』(1973)

1973年に引き続きアメリカン・ゾエトロープで製作した監督作が、自身の青春時代を映した『アメリカン・グラフィティ』です。ジョージ・ルーカスが高校時代を過ごした1960年代のカリフォルニア州モデストを舞台としています。 モデストの高校を卒業したばかりの仲良し4人組を主人公にして、ベトナム戦争前の最後の“古き良きアメリカ”を描いた作品。アメリカのクラシックカーが走り、オールディーズが流れています。 しかし公開された年は、ベトナム戦争が泥沼化していた時代。ノスタルジーと同時にベトナム戦争のトラウマも蘇らせた秀作で、興行的にも批評的にも大成功を収めました。

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「インディ・ジョーンズ」シリーズ

ジョージ・ルーカス製作、スティーブン・スピルバーグ監督による「インディ・ジョーンズ」シリーズは、1作目『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』が1981年に公開されてから、2008年までに4作が製作されています。この4作はすべてジョージ・ルーカスが製作総指揮を務めました。 このシリーズが特徴的なのは、実は1作目がシリーズ中エピソード24という途中の物語だったこと。エピソード1から22まではテレビシリーズとして、若き日のインディ・ジョーンズの冒険を描いています。そういえば、「スター・ウォーズ」シリーズも時系列と公開年が逆になっていますね。連続活劇の影響を受けたアクションものという点も、ジョージ・ルーカスらしさが出ています。 2021年には映画のシリーズ5作目の公開が予定されていますが、ジョージ・ルーカスは本作で製作総指揮を務めないことが明らかになりました。ルーカスフィルムがディズニー傘下に入ってから初めての作品であり、「スター・ウォーズ」同様ジョージ・ルーカスの手から離れていくようで、少々寂しい心持ちもします。

新たな挑戦も!これからのジョージ・ルーカスも気になる

1970年代から活躍を始め、「スター・ウォーズ」と「インディ・ジョーンズ」のシリーズで一大ジャンルを創り上げたジョージ・ルーカス。2012年には「映画業界からも、会社からも身を引くつもりでいる」と引退宣言とも取れる発言をしていますが、その真意は大作ばかりでなく『THX 1138』のような独立系の小作品を製作していきたいということでした。 2021年には自身が手がける博物館「ルーカス・ミュージアム・オブ・ナラティブ・アート」をオープンさせる予定で、まだまだ新しいことにもチャレンジしていくよう。より独自のアートな方向へ舵を切ったジョージ・ルーカスの今後にも要注目です。