【ネタバレ比較】映画『ボヘミアン・ラプソディ』あらすじは事実と違う?実話の再現度を解説!
伝説のロックバンドクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの半生を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』。 胸が熱くなる楽曲に彩られた本作は、伝記的映画でありながら、実話とは異なる点も存在します。この記事では本作のあらすじを事実と比べて解説しその魅力に迫ります。 ※本記事は映画『ボヘミアン・ラプソディ』のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』のあらすじ
1970年のロンドン、移民の家庭で育った青年フレディ(ラミ・マレック)はロック音楽に傾倒し、ライブハウスに通う日々を過ごしていました。お気に入りのバンド「スマイル」のボーカルが辞めたことを知り、ギタリストのブライアン(グウィリム・リー)とドラマーのロジャー(ベン・ハーディ)に自分を売り込みます。 2人はフレディの歌声に心を奪われ、ともにバンド活動することを決意。ベーシストのジョン(ジョセフ・マゼロ)も加わり、1年後に4人は「QUEEN」というバンド名でアルバム制作に着手します。シングル「キラー・クイーン」の大ヒットでバンドは軌道に乗りますが、その栄光の影でフレディは人知れず孤独を深めていました。
【解説】伝説的ロックバンドQUEEN(クイーン)とは
音楽をダウンロードして聴く今の世代は「クイーンって名前のバンドがすごいらしい」というレベルでしか彼らを知らない人も多いのでは? 映画の内容を語る前に、まずは伝説的バンドについて振り返っておきましょう! クイーンは1970年代前半、ハードロックブームに熱狂するイギリス・ロンドンで結成。メンバーの全員が作詞作曲できたため、さまざまなスタイルの音楽を発表しました。活動は2023年現在も断続的に続いており、50年以上も愛され続ける存在なのです。 彼らは主な活動拠点である全米・全英の音楽チャートを席巻。ヨーロッパや南米でもツアーが開催され、世界中で人気を獲得しました。ジュノー賞やブリット・アワードなど権威ある賞を獲得し、これまで1億7000万枚〜2億枚のセールスを記録したとされています。 マイケル・ジャクソンらとともに2001年に“ロックの殿堂入り”を果たしたほか、翌年にはイギリス史上最高のシングルとして、「ボヘミアン・ラプソディ」がギネスに認定されました。 日本でも初来日した1975年に第1次ブームを迎え、月9ドラマ『プライド』(2004年)に楽曲が起用されるなど、知名度の高いバンドでした。それだけ伝説的かつファンの多いバンドなだけに、彼らを題材にした映画が多くの人々の胸に響いたのは、ある意味で必然だったのかもしれません。
【登場人物】映画『ボヘミアン・ラプソディ』のキャストを比較!
俳優たちは実際に歌っている?
本作の一番の見所であるリアルな演奏シーンは、実はキャストの努力の賜物。使われている音源は別ですが、シーンのリアリティを追求する為、メンバーを演じた4人全員が楽器演奏を猛練習しています。なんと、フレディ役のラミ・マレックが実際に歌っているシーンもあるとか! さらに、クイーンのメンバーと彼らを演じた俳優たちを比較してみると、本人と見間違う程に似ていることが分かります。本人たちのビジュアルだけでなく、仕草や性格までも再現して見せたキャストたちを詳しく解説していきます。
フレディ・マーキュリー役/ラミ・マレック
『ボヘミアン・ラプソディ』の主演であり、クイーンのリードボーカルであるフレディ・マーキュリーを演じきったラミ・マレック。 『Mr. ロボット』での活躍で知られるマレックは、企画段階で再三にわたって主演俳優が降板する、というアクシデントとプレッシャーの中で「見事にフレディの魂をこの世に蘇らせた」と、ファンからの評価は絶大です。 マレックは、自分がキャスティングされた理由が「顎のライン」であることを、「ジミー・キンメル・ライブ!」で語りました。 役作りには1年半かけ、ムーブメントコーチからはフレディが実際にしていたボクシング、長距離走などが彼の歌い方や仕草に大きな影響を与えたとアドバイスを受けていたそう。 またトレードマークである出っ歯を、映画前半では“隠そうとする仕草”にこだわっています。フレディが名声を勝ち得て、自分に自信がついてきた映画後半ではむしろ、大きく口を開けて歌うように変化した点が、彼の心情を詳細に捉えています。 ちなみに映画でも描かれていますが、フレディは実際に大の猫好きでした。
ブライアン・メイ役/グウィリム・リー
リードギターであるブライアン・メイを演じたのは、グウィリム・リー。『バーナビー警部』や『Jamestown』に出演しています。 彼がメンバーのなかで最もそっくりであると評判が高く、その背景にはブライアン・メイ自身がセットに訪れてアドバイスをしていた事実がありました。 本人以外にも、ムーブメントコーチから動きを徹底的に指導されて役作りに挑んでいたようです。カツラを被り、自分の着ていた衣装を身にまとった彼を見て、ブライアンは「自分自身を見ているようだ」とコメント。 仕草などの動作にもかなりの説得力があったようで、その再現度は本人のお墨付きです。
ロジャー・テイラー役/ベン・ハーディ
ドラマーのロジャー・テイラーを演じたのは、『X-MEN: アポカリプス』にアークエンジェル役で出演したことで映画デビューを果たしたベン・ハーディ。 映画界ではまだ新参者ですが、BBCで放送されたテレビドラマ『イーストエンダーズ』に3年間出演していた経歴を持ちます。『ボヘミアン・ラプソディ』への出演がきっかけで、注目を浴びる俳優の1人となりました。 実は彼は、人生で1度もドラムを叩いたことがないのに、オーディションで「できる」と言ってしまったのです。その後、監督からオーディションテープは「演奏しているシーンで」という指示があり、慌てて練習したといいます。 正式に起用されると、ハーディは毎日10時間もドラムのレッスンに励みました。ロジャーが直接施したミニレッスンもあったそうです。
ジョン・ディーコン役/ジョゼフ・マゼロ
ほかのメンバーに比べて比較的簡潔な言葉で要点を伝える、ベーシストのジョン・ディーコンを演じたのは、『ジュラシック・パーク』で少年ティムを演じていたジョゼフ・マゼロです。あのティミーがこんなにも大きくなったとは! ジョゼフの演じたジョンは控えめで、ほかのメンバーに比べるといつも後方にいておとなしい性格でしたが、これ自体が実は再現度が高いのです。実際のベンはいつも地に足がついていて、かなり真面目な性格だったとブライアン・メイはDaily Mail誌にて語っています。 今回ブライアンとロジャーが演技をはじめとするサポートをしていたのに対し、ジョン・ディーコンは映画のセットどころか、一切メディアに登場しませんでした。
【ネタバレ】映画のあらすじは事実とどう違う?
実は「細かい時系列などが史実と違う」と往年のファンに指摘されている映画『ボヘミアン・ラプソディ』。そもそものクイーン結成のシーンからして、事実とは異なっていたようです。 ここからは3つのシーンに分けて、映画の描写と史実との違いについて解説していきます。
クイーン結成
映画では両親と喧嘩したフレディが、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが在籍する「スマイル」のライブに行き、彼らと知り合うことになります。その直後に、ベーシスト兼ヴォーカリストのティム・スタフェルが脱退。 フレディはブライアンとロジャーの前で、彼らの楽曲「Doing Alright」をアカペラで披露しました。感動した2人は彼を仲間として認め、新メンバーのジョン・ディーコンも加えて、4人組の新生バンド「クイーン」を結成します。 史実でもフレディはスマイルの大ファンでしたが、実はスタフェルと長年の友人でした。以前から加入したいとアピールをしており、1970年に脱退する際に推薦があったのだとか!ブライアンとロジャーもフレディを覚えていて、すんなり受け入れられたようです。 またジョンは結成時のメンバーとして描かれましたが、実際に加入したのは1971年。運命的な導きで出会ったという、ドラマティックな描写をしたと考えられます。 この順風満帆なスタートを印象付けることで、のちに描かれる苦悩が重くのしかかってくることになりました。
「ボヘミアン・ラプソディ」の誕生
本作のタイトルにもなった楽曲は、クイーン4枚目のアルバム『オペラ座の夜』に収録すべく、フレディが1975年に描き下ろしました。 EMIの重役レイ・フォスターから、「キラー・クイーン」を踏襲した曲を求められたクイーン。新しいものを求める彼らは反発しつつ、自信を持ってアルバムを完成させました。 しかし長さ6分という斬新な構成の「ボヘミアン・ラプソディ」はシングルカットが認められず、両者が徹底して対立したかのように描かれています。 実際にはフォスターのモデルとなった人物は、クイーンの音楽性を理解し、映画ほど厳しい批判はしていません。 レイ・フォスターは、実在する人物ではありません。おそらくロイ・フェザーストーンという、実在のレコードプロデューサーから影響を受けたキャラだと考えられています。しかしフェザーストーンは、クイーンの大ファンでした。 実際の“シングル曲としては長すぎる”という指摘ではパンチに欠けるので、名曲誕生に壁が立ちはだかった、という流れを誇張したのでしょう。
解散と和解
映画ではクライマックスを描くにあたって、クイーンの(事実上の)解散という史実ともっとも異なるストーリーラインが加えられました。 フレディが黙って400万ドルのソロ・プロジェクトにサインし、バンドとは距離を置きたいと暴露したことから、クイーンの仲は険悪なものに。1985年の「ライヴ・エイド」付近では何年も活動がなく、口すらきかなくなりました。 しかし実際は、クイーンには何度も解散の危機が訪れますが、解散したことは1度もありません! 休養を兼ねて活動は縮小されたものの、1984年初めにアルバム『ザ・ワークス』をリリース。そのワールド・ツアーのツアーファイナルは、「ライヴ・エイド」の2ヶ月前でした。 和解した4人が練習を重ね、演奏の息を合わせながらもう1度クイーンになる。映画ではそう描くことで、集大成であるライブの感動が強調されるのです。
【実話】フレディの人生を支えた2人の恋人
フレディは愛にとても貪欲で(彼なりに)真摯だった、ともいわれており、数多の恋愛遍歴は彼の音楽と切り離せないものでした。深い繋がりがあるメアリーとジムの2人以外にも、ドイツ人女優など数え切れない恋人が存在し、性に奔放な生活を送っていたとのこと。 付き人だったピーター・フリーストーンは、「各々がフレディの愛のそれぞれ違った一面を受け取っていた」と語っています。
メアリー・オースティン
フレディが最期まで信頼を寄せ、「生涯の恋人」と讃えたメアリー・オースティン。『オペラ座の夜』に収録された「Love Of My Life」は、彼女に捧げられた曲です。 映画ではスマイルのライブ直後に初対面し、彼女が働く人気ブティック「BIBA」で再会した後に恋人関係へと発展します。フレディが男性と関係を持ったために2人の交際は終わり、彼女はフレディを想い別の男性と交際をはじめ、一時期は疎遠だったと描かれました。 史実では交流が途切れた時期はないようで、映画ではメアリーを失い孤独を深めていく、フレディの闇の部分が色濃くなっています。 メアリー自身は脚本にOKを出しており、彼女の言葉がフレディにゲイであると自覚させたことや、最期まで友人だったことは事実でした。 彼女はエイズの感染を早くから知らされ、定期的に自宅を訪問して看病をしていたそう。フレディの死後、ロンドンの邸宅と配偶者に同等する遺産も相続しています。
ジム・ハットン
ジム・ハットンはフレディとの関係を綴る告白本を出版し、「最後の恋人」と呼ばれました。メアリーは現在も存命ですが、彼は2010年に肺がんで死去しています。 劇中ではメアリーと破局した孤独感から、パーティ三昧だったフレディ。彼はある日、ウエイターとして働くハットンと出会い、最期の6年間をともに暮らしました。ハットンに関しては脚色が多く、本来の職業はホテル勤務の美容師です。 口説くフレディを恋人がいると断り、フレディが自ら彼を探し出した映画とは違い、実際はゲイバーで偶然再会したのだとか。2人が夜を徹して語らい、ハットンが「本当の自分を取り戻すことができたら再会しよう」と告げたのも、オリジナルの展開だったのです。 この改変で彼もまた、フレディの性自認に大きく関わったことに!ハットンとの再会はフレディが本当の自分を取り戻した、という象徴かもしれません。 ハットンは恋多き男を深く愛し、(おそらく彼によって)エイズのキャリアとなったにもかかわらず、真実を隠し続けたといいます。 メアリーと3人で過ごすこともありましたが、彼女との関係は複雑だったよう……。ハットンは嫌われていると感じたそうで、2人の不仲説も報じられました。
【裏話】映画をヒットに導いた圧巻のライブシーンの再現秘話とは?
伝説のライブシーンはこうやって再現された!
本作の冒頭、そして圧巻のクライマックスシーンを飾ったのは、20世紀最大規模といわれる伝説のライブ「ライヴ・エイド」です。 映画のなかでフレディがエイズに冒されていることを知っているのは、映画を観ている観客とメンバーだけ。そんななか、美しいピアノのメロディーラインからはじまる『ボヘミアン・ラプソディ』の「ママ、僕は死にたくないよ。たまに思うんだ、生まれてこなければよかったとさえ」。 そして歓喜とともに歌い上げる『Radio Gaga』の「ラジオよ、聞き流される雑音になんかならないで。少年少女にとってのBGMに成り果てないで」という歌詞たち。 挙げていくとすべてのフレディが歌い上げた言葉や歌詞、そしてサウンドの意味が深いことが分かるでしょう。このシーンは多くの観客の涙を誘いました。 しかし実は、ここが史実と違う点。実際にフレディがエイズの診断を受けたのは1985年で、「ライヴ・エイド」の後のことでした。
このシーンの撮影は7日間にわたり、ステージと楽屋のセットはボヴィンドン空軍基地に作られました。 フレディが亡くなるまで彼のパーソナルアシスタントを務め、現在クイーンの歴史コンサルタントをしているピーター・フリーストーンがセットの作成、小道具の配置に関してアドバイスをしたといいます。 例えばフレディのピアノの上のお酒やコーラ、カメラの向こうの母親にキスするタイミングなど、本当にそっくりそのまま! また何より細かいのがクイーンの前に出演していたU2のメンバー(本人ではない)の存在です。フレディがステージに上がる前にすれ違っていたり、大量の群衆の中に「U2」と書かれた大きなカードがあったり。 ピーター・フリーストーンはこういった舞台裏の情報も提供していて、これにより会場の再現度はほぼ100%といっても過言ではないクオリティに達したのです。 本人は、実際のアドバイスを受けて制作されたステージをみて「壁の剥げ方、ペンキや水道管のサビまで再現されている」と大絶賛。ブライアン・メイも「後ろにあるアンプやペダル、タバコの吸い殻や灰皿、コークのカップに至る細部までそのままだった」とコメントしています。 ちなみに大量の観客は、セットで撮ったエキストラの映像とCGを組み合わせて作られたもの。エキストラの数は900人で、多くが若者だったことから当時のクイーンを知らない者が多く、曲を覚えさせることがなによりも大変な課題だったそうです。
総数1万点近くに及ぶ衣装へのこだわり
本作は衣装に関しても、かなり細かい部分までこだわり抜かれています。 特にフレディ役のラミ・マレックの衣装合わせは、トータル50時間ほどかかっており、主に1970から1980年にかけてのフレディのファッションに焦点があてられています。 日本の着物を部屋着として着用しているシーンも、彼が着物の大ファンだったことをしっかり描きたいという背景があってこそでした。
また先述した「ライヴ・エイド」のシーンで、フレディが着ているベストのネックラインの深さが足りないと、主演のラミ自身が意見をする場面もあったようです。 その結果、1.27センチ改善したことで完成度がグッと高まりました。非常に細かいところですが、この1.27センチ深いか深くないかで、印象がまったく違うはず! さらに着用していたボクシングシューズは、アディダスに再生産を頼むという気合いの入り方。つま先までこだわりが感じられますね。
またブライアン・メイは、自身のアーカイブのなかからツアー用のガウンやビロード生地で光る襟のついたジャケットをはじめ、数点の衣装をグウィリムに貸しました。彼の着ている衣装は“本物”なのです。 そんなこんなで全体の衣装の数は、メンバー4人だけでバス1台分、エキストラを入れると総数8000〜1万点近くになったとのこと!
劇中の歌・音楽はフレディの声“だけ”ではない!
楽曲に関しても、単純にフレディの声を使用しただけではない点にこだわりを感じます。 音楽スーパーバイザーのベッキー・ベンサムによると、本作の楽曲にはオリジナル音源とフレディの音声、そこにラミ・マレックと一部プロ歌手であるマーク・マーテルなる人物の肉声を使っているのだそう。 マーク・マーテルのスタジオ演奏を収めた動画も公開されましたが、なかなかに凄い完成度です。まるでフレディが乗り移ったかのよう! またレコーディングシーンの撮影が行われたのは、あのビートルズやピンク・フロイドが実際に使用していたアビーロード・スタジオです。 劇中で使用された楽曲について詳しく知りたい人はこちら
【その後】現在のクイーンやフレディの最後はどうなった?
エンドロールでは本人映像が流れ、1991年に訪れたフレディの死、エイズ患者支援基金『マーキュリー・フェニックス・トラスト』の設立などが語られました。 フレディはどんな最期を迎えたのでしょうか?クイーンの現在とともに紹介します。
ライヴ・エイドの6年後、フレディはこの世を去る
史実ではフレディは「ライヴ・エイド」の後、エイズの診断を受けたといわれています。メンバーには死の直前に知らされましたが、彼らは薄々勘付いていたとか。 エイズとゲイ差別の歴史はとても密接で、当時の患者への風当たりは凄まじいものでした。90年前後に激ヤセしたフレディの写真が新聞に掲載され、エイズを疑う報道が加速。1991年6月頃には病状が悪化し、視力は衰えて立ち上がれない状態に……。 そして同年11月23日、フレディがエイズで入院中だと公表されました。翌日に合併症によるニューモシスチス肺炎を起こし、ケンジントンの自宅で死去。享年45歳でした。遺骨は彼の遺言に従い、メアリーのみが知る場所に埋葬されました。 近年エイズへの理解は広まっており、現在は不治の病ではなくなっています。その背景に、彼の死の影響があったのは確かでしょう。また本作のメガホンを取ったブライアン・シンガーは、ゲイを公言している映画監督です。 彼がフレディの死を映画の幕引きに選ばなかったのは、いったいなぜでしょうか? 監督は“世界が愛した”ロックスター、フレディとクイーンがもっとも輝いた瞬間を、観客にいつまでも覚えていてほしかったのかもしれません。
現在のクイーン
1997年にブライアン、ロジャー、ジョンのみで「ノー・ワン・バット・ユー」という楽曲をリリースしたのを最後に、ジョンは音楽業界を引退しました。 彼は関連イベントも不参加を貫いていますが、ほか2人は「彼は今でもクイーンの一員だよ」と述べており、疎遠にはなっていないよう。ブライアンはクイーンの路線を継ぐ音楽を、ロジャーは新たなアプローチでソロ活動を続けるほか、クイーンとしてTV番組などにも出演しています。 ブライアンは名だたるアーティストともコラボしており、特にレディ・ガガはクイーンのボーカル候補として、大きな話題になったことも!
バンドは新ボーカルを迎えつつ存続しており、2012年以降は歌手で俳優のアダム・ランバートとともに、「クイーン+アダム・ランバート」名義で活動中です。 ブライアンとロジャーは『ボヘミアン・ラプソディ』の製作に協力しましたが、なんとアダムもカメオ出演しているとのこと! 初の米国ツアー中、フレディがメアリーに電話をかけるシーンがありますが、その時にフレディと一瞬視線を合わせるトラック運転手が彼です。
【音楽】映画『ボヘミアンラプソディ』でも流れた心に残る人気曲
We Will Rock You
始まりが非常に印象的なこの曲は、映画で使用されて痺れた方も多かったはず。足踏み2回と手拍子で取るリズムは、聴いている観客も思わず手足を動かしたくなる、一体感があります。 タイトルの「Rock」という単語は驚かせるや、覚醒させるといった意味で、「We」や「You」をどうとるかによって色々な解釈が可能です。
We Are The Champions
先ほど紹介した「We will rock you」と同じシングルにて発売され、スポーツ大会などでよく流されるこの曲。 一見、「We=クイーン」が唯一のチャンピオンであるような歌詞ですが、メンバーでギタリストのブライアンは世界の1人1人がチャンピオンで、「We=みんな」と考えているそう。
Bohemian Rhapsody
本作のタイトルでもある「ボヘミアンラプソディ」。ラプソディは「狂詩曲」も言われ、形式にとらわれず自由で叙事的な曲という意味です。 歌詞も諦めを感じたかと思えば生への執着を匂わせたり、神に助けを求めたりと1人の人間の感情の移り変わるさまを描いています。
【続編】映画『ボヘミアン・ラプソディ』に続編はある?
2023年2月26日付の英タブロイド紙「Daily Star」によると、ブライアン・メイは映画『ボヘミアン・ラプソディ』の続編製作に興味を示しているとのこと。特にラミ・マレックなど演者たちを高く評価しており、彼らとまた仕事ができるなら、それだけで価値があると語っていました。 映画『ボヘミアン・ラプソディ』ではライブ・エイドがクライマックスでしたが、その後もクイーンは続いており、さらに様々なことが起こっています。しかしもし続編を作るならフレディの死は避けて通れないこともあるため、2020年の時点ではブライアンもロジャーも続編に対しては否定的でした。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』のネタバレあらすじで映画をおさらい
批評家の『ボヘミアン・ラプソディ』に対する評価は割れた一方、全世界興行収入9億ドルを突破し、米アカデミー賞で4冠に輝きました。 最初に“ヒットは必然だった”と触れましたが、注目度が高いだけにハードルも高いわけで、それを超えたのは徹底したこだわりの賜物でしょう。史実との相違も多いですが、ブライアンの「これは伝記映画ではなくアート作品だ」という言葉に、すべて集約されるかもしれません。 高い再現性と脚色が上手く作用し合い、伝説のバンドを蘇らせた本作。ラストは「ライヴ・エイド」の会場にいるような心地になり、涙が溢れること間違いなし! 何度も繰り返し観たい、そしてラミの中のフレディに会いたくなる、そんな“胸アツな”作品です。