2020年12月7日更新

【鬼滅の刃】鬼舞辻無惨は日本神話のイザナミが元ネタ?「鬼滅」に隠された古事記モチーフを考察【興収288億突破】

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鬼滅の刃
(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

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『鬼滅の刃』に隠された日本神話のモチーフとは?「鬼」設定の元ネタを考察【ネタバレ注意】

鬼滅の刃 無限列車編
©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

劇場版アニメが国内の歴代興行収入第2位を記録し、原作漫画の累計発行部数が最終23巻で1億2000万部を突破した『鬼滅の刃』(12月7日現在)。 老若男女を巻きこみ社会現象となっている本作ですが、多くのサイトやSNSで「鬼滅」の元ネタ探しが盛んになっています。 日本古来の「鬼」という存在や「柱」といった神様を想像させる言葉から、“日本神話が元ネタになってるんじゃないか説”が大部分を占めているよう。 そこで、この記事では「鬼滅」に隠された日本神話のモチーフを紐解いて考察し、その魅力の源を解き明かしていきます。 ※原作のネタバレが含まれますので、未読の方はご注意ください。

日本の「鬼」の起源 どんな存在だったのか?

「鬼」の起源

「オニ」というのは日本に古くからある概念で、先祖の霊魂や土地に宿る霊のことを指していたようです。 そこに中国から輸入された漢字の「鬼(キ)」の概念が重なっていきます。もともと「鬼(キ)」は中国では、死者の魂を表す言葉だったそうです。これは日本でいう「幽霊」に近い言葉だったのかもしれません。 日本古来の「オニ」と中国の「鬼(キ)」の意味が重なって、目に見えない超自然的な存在を意味する「鬼(おに)」の概念ができたと考えられています。 この頃の「鬼」は必ずしも悪いものではなく、「鬼」を神様としてまつる地域も全国各地にありました。

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「鬼」が悪者に

平安時代以降、鬼には「オニ」という読み方が定着し、その意味は仏教の影響で「悪者」や「異形のもの」へと変わっていきます。 本来は目に見えない「恐れ」の対象だった鬼ですが、地獄の獄卒や昔話の鬼退治に出てくるいわゆる「鬼」の姿に可視化されていきました。 平安の人々が感じた闇に潜む「恐れ」が、仏教の地獄の概念と結びついて、異形の鬼へ変貌していったことは容易に想像できること。これ以降、能など芸能の世界でも鬼が登場し始めます。

人間が憎悪や嫉妬によって「鬼」に変化する

中世になると能の物語の中に、“邪念によって人間が鬼に変化する”というものも作られるようになります。憎悪や怨念、嫉妬の念から人が鬼になるといえば、『鬼滅の刃』の鬼たちに共通する設定ですね。 能の例でいえば、嫉妬心から鬼と化した女性を演じる者は「般若の面」を被り、これは「鬼女」とも呼ばれます。『鬼滅の刃』で鬼舞辻無惨の配下である十二鬼月たちは、まさに負の感情から鬼と化した人間たちでした。

「鬼滅」の鬼は、なぜ藤の花を嫌うのか?3つの説を考察

1. 藤が鬼の嫌う豆科だから説

では次に、「鬼滅」の鬼たちがなぜ藤の花を嫌うのかを考察していきましょう。一つには、“藤は鬼が嫌う豆科の植物だから”というものがあります。 鬼といえば節分、節分といえば豆まきですが、これは平安時代に鬼が京の都を荒らしに来た際、毘沙門天のお告げのとおりに豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという逸話からきているよう。 鬼の魔の目である「魔目 (まめ)」に、豆を投げて魔を滅する(魔滅=まめ)ということで、豆は鬼が嫌う植物という設定はうなずけますね。

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2. 藤が日光を好む植物だから説

藤の花は日光をたくさん浴びることを好む「好日性植物」。よく公園などに直射日光を遮るために藤棚が作ってありますが、それは藤が直射日光を好む植物だからです。 逆に「鬼滅」の鬼たちは、日光に当たれば消滅するという弱点を持っています。藤の花がたくさん咲いている場所は日当たりの良いところであることも、鬼たちが近寄れないとする所以なのでしょう。

3. 藤が有毒性だから説

実は鬼舞辻無惨と産屋敷一族は同じ血筋であり、同様の「不治の病 (藤の病)」にかかっているという説があります。藤には実際に毒性があり、人間でも食べ過ぎると吐き気や下痢など中毒を引き起こすそうです。 鬼舞辻無惨は鬼の始祖であり、彼が作り出した鬼たちに血を分けています。そのためすべての鬼は、いわば無惨の分身のようなもの。 無惨は人間だった頃に不治の病を患っていましたが、その病が血を分けた鬼たちにも細胞レベルで受け継がれているのではないでしょうか。

鬼舞辻無惨の元ネタはイザナミ?お館様はその対となるイザナギ?

日本の神話時代を記した最古の歴史書『古事記』には、日本列島を生み出したとされる、女神イザナミ(伊邪那美命)と男神イザナギ(伊邪那岐命)の夫婦が登場します。 日本の神話にモチーフを見出す人も多く、鬼舞辻無惨の元ネタはイザナミ、お館様こと産屋敷耀哉はその夫であるイザナギではないか、という説もあるようです。 では「古事記」に登場するイザナミ・イザナギ夫婦の神話から、2人のキャラクターの設定を考察してみましょう。 「古事記」の神話の中で、イザナミは火の神カグツチを生む時に火傷を負って死んでしまい、イザナギは亡き妻を黄泉の国から連れもどそうとします。 しかしすでに黄泉の国のものを食べてしまっていたイザナミは、元の世界には戻ることはできません。さらに醜い姿となったイザナミを見て驚いたイザナギは、逃げ帰ってしまいます。 それに激怒したイザナミはイザナギを追いかけますが、イザナギは黄泉の国と現世の境界を岩で塞ぎ、会えなくしてしまうのです。 岩の向こうから、“これから人間を毎日1000人殺してやる”と叫ぶイザナミ。それに対してイザナギは、“ならば毎日産屋を建てて1500の子どもを産ませよう”と返しました。 『鬼滅の刃』に登場する“産屋敷”耀哉の名前は、このイザナギの言葉から取られていると考えられます。 そして鬼舞辻無惨はイザナミが多くの神を生んだのと同様に、多くの鬼を生み出しました。異形の姿と化したイザナミは夜(ヨル)と闇(ヤミ)を表す「黄泉(ヨミ)の国」の住人であり、夜しか活動ができない「鬼滅」の「鬼」と重なる点も、注目すべきところでしょう。 また鬼舞辻と産屋敷との長年の闘争は、イザナミとイザナギ2人の対立を表しているようですね。

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継国兄弟のモデルはアマテラスとツクヨミ?

「鬼殺隊」の基盤を築いた双子の継国兄弟のモデルが、日本神話のアマテラス(天照大神)とツクヨミ(月読命)ではないかという説があります。 アマテラスとツクヨミはイザナミ・イザナギ夫婦の子どもたちであり、スサノオと合わせて「三貴子」と呼ばれる神様。 『鬼滅の刃』に登場する継国兄弟の弟・縁壱(よりいち)は、始まりの呼吸である「日の呼吸」の使い手です。このことから、太陽の神であり高天原を統べる神・アマテラスが彼のモデルではないかと考えられています。 一方、継国兄弟の兄・巌勝(みちかつ)は、鬼殺隊の隊士から十二鬼月の上弦の壱・黒死牟となった人物。彼は、最強の鬼殺しの剣士となった弟・縁壱への嫉妬心から、無惨の鬼化を受け入れ、最強の鬼となったのです。 こちらは「月の呼吸」の使い手であることから、日本神話で夜を統べる月の神・ツクヨミがモデルではないかと言われています。 中国由来の「陰陽」の概念は「日」と「月」にもあり、日本神話では日の神アマテラスと月の神ツクヨミのきょうだいは対をなす存在。それと同様に、継国兄弟の縁壱と巌勝も対の存在といえます。 また、彼らの母親が祈りを捧げる神棚にアマテラスを示す神具「神鏡」が祀られていたことや、黒死牟(巌勝)が使用する「四支刀」の「4」が「月」を指す数字であることなども、この考察の一助となりますね。

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竈門炭治郎と妹の禰豆子のモデルは火の神カグツチ?

鬼滅の刃 累
©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

では、主人公の炭治郎とその妹・禰豆子の元ネタは何なのでしょうか?ネット上では色々な考察が飛び交い、スサノオだとする説や、アマテラスだとする説もあります。 ciatr[シアター]編集部の筆者は、2人のモデルを記紀神話に登場する火の神・カクヅチではないかと考察しました。 日本神話の中でカクヅチは、イザナミとイザナギの間に生まれた子でありながら、火の神であったために母親のイザナミを出産時に火傷させてしまいました。その時の傷が原因でイザナミは命を落とし、黄泉の国に行くことになります。 禰豆子の血鬼術「爆血」は、鬼の“親”である無惨を含め、すべての鬼を殺せる技。つまり、母親イザナミを死に至らしめたカグツチに通じるところがあります。 さらに原作のタイトル候補の中には「鬼狩りカグツチ」や「炭のカグツチ」があったそうで、炭治郎のモデルも同じくカグツチなのではないかと考えられます。 十二鬼月の累と対峙した際には、禰豆子の血が付着することで炭治郎の刀が「爆血刀」に変化し、2人で戦っていました。このシーンが火の描写で描かれていたことからも、火神カクヅチのイメージが連想されます。 火の神であるカグツチは竈神(かまどがみ)としても知られており、2人の苗字「竈門 (かまど)」に通じますね。

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「ヒノカミ神楽」は“火の神”神楽?

炭治郎と禰豆子のモデルが火の神カグツチであるという説から、竈門家が代々受け継ぐ「ヒノカミ神楽」は「“火の神”神楽」ではないかという考察が信憑性を増してきます。 もともと炭治郎は、「火」を扱う炭焼き一家である竈門家として、ヒノカミ様に奉納するための舞いと認識し、習得していました。このことから竈門家では「ヒノカミ様」が「“火の神”様」として認識されているのではないかと考えられます。 しかし本当は「ヒノカミ神楽」は、すべての呼吸の基礎となる「日の呼吸」そのものであり、また原作でも「ヒノカミ神楽」の「ヒ」が“日”を意味すると明かされています。 このことから「ヒノカミ神楽」が「“日の神”神楽」を意味するという説も無視できません。そこでciatr[シアター]編集部では、「ヒノカミ」はダブルミーニングになっており、“火の神”と“日の神”の両方を意味するのではないか、と考察しました。 「ヒノカミ神楽」は、炭治郎たち竈門家の先祖である炭吉一家が、“耳飾りの剣士”・継国縁壱にその耳飾りを授かった後、「日の呼吸」を演舞として伝えていくことを約束し、代々伝えてきたものです。 炭治郎はその“日輪の耳飾り”を付け、継国縁壱が使っていたと思われる「縁壱零式」の刀も受け継いでいます。 「日の呼吸」の使い手だった縁壱のモデルが日の神・アマテラスだということも、「ヒノカミ神楽」が「“日の神”神楽」という考察を裏づけるものとなりそうですね。 本来は剣の型である「日の呼吸」ですが、剣技としてではなく「ヒノカミ(火の神)」様への神楽舞として竈門家に伝えられてたのです。 よって「ヒノカミ神楽」の「ヒ」とは、本来は「日の呼吸」の“日”を表すものであったが、竈門家への伝承方法が「火の神」へ捧げる舞であったことで“火”の意味も持つようになったということでしょう。 そしてのちに炭治郎は、父から伝えられた「ヒノカミ神楽」と鱗滝左近次に教わった「水の呼吸」をベースに、彼自身の「日の呼吸」を発動していくということになるのです。

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「鬼滅の刃」に散りばめられた記紀神話の小ネタ

「柱」は神様の数え方!

鬼滅の刃 無限列車 煉獄
©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

他にも、「鬼滅」の中には「古事記」や「日本書紀」を元にした記紀神話の小ネタが散りばめられています。例えば、日本では古来から神様を「〜柱」と「柱」で数えてきました。 柱といえば、「鬼滅」では鬼殺隊の実力者である9人の柱たち。柱という文字は「木」と「主」で成っていますが、神社で見かけるしめ縄のある神木は神霊の依代であり、隊士たちの依代である柱という意味もありそうです。

鎹鴉の元ネタは記紀神話の八咫鴉?

鬼殺隊の隊士たちの伝令係である鎹鴉(カスガイカラス)。なぜか善逸には雀が付いていますが、彼らの元ネタとして浮かんでくるのが、神武天皇の八咫烏(ヤタガラス)です。 神武天皇は日本の初代天皇で、八咫烏は天照大神から授かった人間界と天上界との「鎹」として神武天皇を目的地まで導きました。 鎹鴉も隊士たちを鬼のいる場所へ導き、本部との「鎹」として活躍しています。

「鬼滅」の魅力の源は日本の神話にあり!

鬼滅の刃
©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

日本古来の鬼や神話を元に、単純な勧善懲悪の時代劇ではない、善悪双方に想いをはせられる物語を作り出した『鬼滅の刃』。神話には普遍的な魅力があり、これまでもさまざまな創作のモチーフとなってきました。 「鬼」という存在も一口には表せない不思議な概念であることもわかり、まだまだ奥が深そうな「鬼滅」の世界。その魅力に迫るために、日本の神話にも触れてみたいものですね。 ciatr[シアター]では、『鬼滅の刃』の他にも多数の作品の考察や解説を行なっているので、ぜひ遊びにきてください!