2021年5月14日更新

映画『スパイの妻』のあらすじをネタバレありで解説!【ラスト考察とロケ地紹介まで】

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スパイの妻
©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

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ベネチア国際映画祭銀獅子賞受賞映画『スパイの妻』

太平洋戦争前夜の緊迫した雰囲気の神戸を舞台に、試練にさらされる若い夫婦の愛を描いたNHKドラマ及び映画『スパイの妻』。 監督を務めたのは『CURE』(1997年)や『回路』(2000年)で日本を代表する映画監督として知られる黒沢清。本作の日本的な余情のある物語が高く評価され、同監督はベネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)の栄冠に輝きました。 この記事では『スパイの妻』の歴史的背景から衝撃のラストまで考察!さらに後半では美しいロケ地も紹介します。 以下、あらすじ紹介にはネタバレを含んでいますので注意してくださいね。

主演2人の演技力が光る『スパイの妻』あらすじとネタバレ

スパイの妻

本作の舞台は太平洋戦争前夜の日本。中国との戦争が長期化して国民生活の統制が強化されてきた時代です。 福原聡子(蒼井優)は緊迫した国際情勢とは無関係に、神戸で貿易会社を営む夫・優作(高橋一生)と裕福な暮らしをしていました。 ある日、聡子の幼馴染・津森泰治(東出昌大)が神戸の憲兵隊の分隊長に任命されたといって、優作を訪ねてきます。 今でも独身の泰治は聡子のことを忘れられないようです。彼はスパイ容疑で逮捕されたイギリス人を助けたり、西洋風な生活を送っていたりする優作のことが面白くありません。 やがて優作と優作の甥・竹下文雄(坂東龍汰)が満州に出張。2週間ほどで無事帰国した2人ですが、それから文雄が小説家になるため会社をやめたり、優作はアメリカに渡ると言い出したり、様子がおかしくなっていきます。 心配した聡子が、文雄が小説を書くために籠もっている旅館を訪れると、文雄は彼女に大きな封筒を密かに優作に届けるよう頼みます。 優作を訪ねて会社へ行き、文雄から預かった封筒を渡した聡子は、優作に一体何があったのか本当のことを教えてくれるよう懇願します。

封筒の中に入っていたのは、国家機密の研究ノートとそれを文雄が英訳した原稿でした。 満州を旅行中にペスト患者の死体の山を見た優作たちは、日本軍が細菌兵器の開発実験を行っていることを知ってしまったのです。優作はその証拠となる研究ノートやフィルムを入手して、文雄に英訳させていました。 アメリカに渡ってこの事実を公表して日本の暴走を止めさせると主張する優作。聡子は容易に納得できませんが、やがて愛する夫のため「スパイの妻」となって彼についていくことを決意します。 しかし戦況悪化によりアメリカへの渡航が困難になったため、優作と聡子はそれぞれ別ルートでアメリカに渡ることに。 証拠のフィルムを持って貨物船で密航することになった聡子ですが、出港直前に何者かに通報されて逮捕されました。 憲兵隊本部で泰治の取り調べに対してフィルムを見ればすべてわかると言う聡子。ところが映写機から映し出されたのは、優作が趣味で聡子を主演に撮った自主映画の映像だったのです! 訳の分からないことを言う女だと、気が狂ったことにされた聡子はそれから3年以上の歳月を精神病院で過ごすことになります。 やがて日本の敗北が確実になった1945年。神戸が空襲された夜、混乱状態になった病院から抜け出した聡子は、“お見事です”と叫びながら1人海岸で泣き崩れるのでした。

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『スパイの妻』は実話か否か?モチーフになった事件も紹介

完全な実話ではない

『スパイの妻』は時代背景などは綿密に調査されていますが、物語は原作もないオリジナル脚本、完全なフィクションです。 国際港湾都市にはびこるスパイを摘発するために神戸に憲兵隊が配置された、という当時の新聞記事からヒントを得て、ゼロから脚本が作られたそうです。 もちろん、主人公をはじめとする主要な登場人物のモデルも存在しません。

モチーフになった歴史的事件

物語の重要なモチーフである、満州国における日本軍による細菌兵器の研究開発は、実在した関東軍の731部隊の活動を参考にしています。 特に優作たちが満州を訪れた1940年の秋から冬にかけて、中国の寧波や満州の新京でペストが流行して多数の死者が出ています。この原因はペストに感染させたノミを日本軍が散布したことであると主張する歴史研究者は少なくありません。

裏切りか愛情か?衝撃のラストまでを徹底考察

憲兵への匿名通報は誰の仕業?

本作の終盤で聡子は匿名の通報から憲兵に捕まり、密航に失敗します。 誰が聡子のことを憲兵隊に通報したかは作中で明らかにされないので、ここからはいくつかの可能性を考察してみましょう。 アメリカに渡る計画を聡子たちは秘密にしていたので、計画を知っている唯一の人物である夫・優作がまず疑われます。 優作が聡子を裏切った理由としては、憲兵隊の注意を彼女に集中させて自分が出国しやすくすることが考えられます。 一方、聡子を危険な逃避行に連れていけないので日本に残していくために憲兵隊に通報したとも考えられるでしょう。 また、聡子たちの会話を立ち聞きした使用人の誰かが密告した可能性も捨てきれません。 いずれにしても聡子に持たせたフィルムが国家機密を記録したものではなかったため、彼女はスパイの罪には問われませんでした。これは聡子の無事を願う優作の愛情と言えるのではないでしょうか。

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聡子が狂った理由と海辺で流した涙とは?

密航に失敗したばかりでなく、持っていたフィルムも国家機密とは関係なかった聡子は精神病院に入れられます。しかし、彼女は本当に気が狂ってしまったのでしょうか。 1945年3月、旧知の医師・野崎が訪ねてきて、彼女が退院できるように手を回そうと申し出ますが、聡子は断ります。彼女は自分の置かれた状況を納得していると言うのです。 そして聡子は野崎だから打ち明けるのだが、と前置きして「私は一切狂っておりません」、「ただそれがつまり、この国では私が狂っているということなのです」と言うのでした。 やがて神戸が爆撃されて病院が破壊されたとき、聡子は心中「これで日本は負ける、戦争も終わる、お見事です」とつぶやき、海岸で泣き崩れます。 その涙は優作の真意を汲み取って流す涙だったのか? どのように解釈するかは観る人にすべてゆだねられた結末と言えるでしょう。

優作は生き延びたのか

エンドクレジットの前に、終戦の翌年に優作の死亡が確認されたがその報告書には偽造の形跡があり、その数年後に聡子はアメリカに旅立った、と字幕が流れます。 聡子と優作にその後の展開があるような、アメリカで再会する可能性を残した結末です。ここにも観客に自由に解釈をしてもらいたいという監督の思いがあるのではないでしょうか。

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NHKドラマ版『スパイの妻』と映画版の違い

本作はもともとNHK BS8Kで放送するドラマとして8Kカメラで撮影された作品で、映画はそれを劇場で上映できるフォーマットに変換したものです。 ドラマと映画で上映時間はほとんど同じで、あらすじにも違いはありません。事実上NHKの8K放送の音声や映像がそのまま映画用に変えられただけです。 主な違いはアスペクト比をテレビの16:9(1.78:1)から映画用に少し横長のアメリカンビスタの1.85:1に変更したこと。またドラマ版では8Kまたは4Kであった解像度が、映画版はデジタルシネマの2Kであることです。

『スパイの妻』の美しきロケ地を紹介!【代表的3選】

神戸市を舞台にした本作は、同地に今でも残る20世紀前半の貴重な建物をロケに使ったことでも好評です。 聡子たちの住む立派な洋風の家の撮影に使われたのは旧グッゲンハイム邸。この建物は神戸市の塩屋海岸を望む高台に20世紀始めに建てられた和洋折衷の2階建ての家です。 聡子の夫・優作が経営する貿易会社の建物には旧加藤海運本社ビルが使われました。一角が丸くなっているモダンなデザインでロケに使われることも多いこの建物。映画『アルキメデスの大戦』(2019年)では造船会社として登場しています。 さらに聡子や優作が取り調べを受ける憲兵隊本部の撮影には神戸税関を使っています。神戸税関は外観が東京・桜田門にあった警視庁旧庁舎に似ており、『アルキメデスの大戦』では霞が関の官庁街として登場しました。

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戦争の悲惨さと永遠の夫婦愛を問う名作『スパイの妻』

スパイの妻
©2020 NHK, NEP, Incline, C&I

この記事では、悲惨な戦争を背景に永遠の夫婦愛とは何かを問うドラマ『スパイの妻』の時代背景や結末などをネタバレ解説しました。 本作について黒沢清監督は「念願だったこの時代のドラマをようやく撮れました」と語っています。 脚本からロケ地、衣裳、美術、セリフ回し、すべてにこだわって作られた本作は、同監督の代表作となることは間違いないでしょう。