2022年6月4日更新

【誰か助けて】『2020年4月2日3分48秒』が映し出すのは過去か?未来か?

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2020年4月2日3分48秒

深田隆之監督によるショートフィルム『2020年4月2日3分48秒』がオンライン映画館「シアタープラス」で配信中だ。本作は初の緊急事態宣言が発令される5日前、2020年4月2日の渋谷の街を映し出した作品である。 深田監督は濱口竜介監督映画『偶然と想像』(2021年)の助監督を務めた人物であり、2022年6月4日には初の劇場長編作『ある惑星の散文』(2018年)が公開される。 『2020年4月2日3分48秒』はその公開記念として配信される作品だ。とにかく沢山の人に観て欲しいと、この作品の魅力を思う存分伝えるべく事前に試聴したわけだが、見事に沼にはまりました。 「この作品が伝えようとしていることは何か?」「2020年4月2日は過去か?未来なのか?」を考えれば考えるほど思考の渦に引きずり込まれる。そして考え続けた結果、「考えすぎた」と思った。だからこそいろんな人の意見を聞いて、助けてほしいと思った。 あなたはこの映画を観てどう思いますか?2020年4月2日が映し出すのは過去か?未来なのか?

作品概要

2020年4月2日、日本が緊急事態宣言を発令する5日前の渋谷。マスクをした人々の中で白いワンピースを着た少女が走り出す。彼女の断片的な言葉はあらゆる時間に反響する。8mmフィルムに映る渋谷の姿は過去であり、そして未来なのかもしれない。

シアタープラスとは?

シアタープラスはciatrが新たに始めた動画配信サービスで、「ポケットの中の映画館」をコンセプトに順次注目作を配信していく。『2020年4月2日3分48秒』はその第1弾として配信。価格は48時間レンタルで100円。サービス開始記念として配布される100円クーポンを利用することも可能だ。(クーポンコードは作品概要に記載)

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3分48秒で沼ることってある?

2020年4月2日3分48秒

『2020年4月2日3分48秒』というタイトルの通り、本作は3分48秒の短い作品だ。初の緊急事態宣言が発令される5日前の渋谷を舞台に、1人の少女が渋谷の街を駆ける。 本作が特殊なのは、その「音」にある。清水みさと演じる少女(ちなみに清水さんはプロのサウナーで、ラジオ番組「清水みさとの、サウナいこ?」もやっている。)がずっと喋っているのだ。喋っているというか、「ササササ」とか「パチパチ」とか「シュー」といった擬音や「わたしはときどき、少女のまま」とか「月がなんだか綺麗で 怖くて 急いで家に帰った」といった独白をずっと発している。これらが次から次へと、時に重なって発される。 何しろ3分48秒しかないので、「音」の正体やその意味を考えているといつの間にか終わっているし、切り替わり続ける渋谷の街に注目していてもあっという間にエンドロールが映し出されてしまう。両方に集中するとその世界に飲み込まれそうでなんか怖かったし……。というわけで、この映画の答えが見つからないまま終わってしまうのだ。

「私はときどき、使いかけのリップクリーム」

2020年4月2日3分48秒

劇中でそんな台詞が登場する。使いかけのリップクリーム、最後まで使いきる人ってどんくらいいるんだろう?大抵途中で無くしたり、無くしたと思って新しいのを買ったら見つかって、使いかけが沢山集まるみたいな感じじゃないんだろうか?そんな感じでぞんざいに扱われるのが、使いかけのリップクリームではないだろうか? コロナ禍になって1人の時間が増え、自分を反芻する機会が増えた。少女が発する言葉は完全に独り言で、「私はときどき、使いかけのリップクリーム」と自分のことを省みるの、なんだか悲しいなと思った。どうしようもない孤独感があるというか……。 少女の台詞には「ご飯何食べよう」とか「おはよう」とか日常で引用される言葉もあるが、「人人人・・・」という台詞が何重にも重なった声で発せられたりする。沢山の人間の中に自分1人だけが取り残された感じがして怖い。その場所が人だらけの渋谷の街なら尚更だ。コロナ禍で人と人とが分断されて感じた孤独を思い出した。

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『2020年4月2日3分48秒』は過去か?未来か?

普通に考えたら、2020年4月2日は過去だ。でも、作品概要には“8mmフィルムに映る渋谷の姿は過去であり、そして未来なのかもしれない。”とある。いろいろ考えた結果、わたしもそう思った。どっちでもあるよな。 2020年4月2日はまだ緊急事態宣言が発されておらず、温度感としては「とにかく何が起きているのか分からない」。よく分からないから、とりあえずマスクを付けてみる。よく分からないから、マスクは付けてみない。 劇中には(それぞれの思惑は語られていないが)そんな人たちが映し出されていて、「マスクを外しても良い」ルールの範疇なのにお互いの顔色を伺って外さない人が結局大多数……な2022年現在を表しているようにも感じる。 そして少女の台詞から感じるような“孤独感”はコロナ禍の最初の方が強かった気がするが、これからそれが完全に無くなることってあるのだろうか?身体的に分断された関係を修復していくのってまだまだ時間かかるんじゃないだろうか?そんな意味でも、未来でもあるんじゃなかろうか。

結論:いろいろ考えすぎた気がする

2020年4月2日3分48秒

『2020年4月2日3分48秒』は独立した言葉の組み合わせで出来ている。だからこそ1つ1つの言葉に何か意味があるんじゃないか!?と思って文字起こしをしてみたり、コロナ禍の孤独をテーマに考察をしてみたけれど、結局観た人の判断に委ねられたものでしかない気がする。 結論いろいろ考えすぎた気はするが、考えて良かったと思う。自分の不安や普段考えていることを見つめるきっかけになったし、短い時間でその世界に引きずり込まれる感覚を味わえる不思議な面白さもあった。多分本当に台詞を間違えた時の「間違えた」が入ってて可愛い〜〜とほっこりな瞬間もあったり。 だから是非あなたの感想を聞きたいです。この作品が広がって、色んな人に『2020年4月2日3分48秒』の渦に飲み込まれてほしい!まだわたしは混乱しています。 『2020年4月2日3分48秒』はシアタープラスにて配信中です。