【ネタバレ考察】『ゴジラ-1.0』ラストを解説!典子の首の痣(あざ)は何を意味している?
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【ネタバレなし】「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」あらすじ・概要
タイトル | 『ゴジラ-1.0』 |
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上映時間 | 125分 |
監督 | 山崎貴 |
キャスト | 神木隆之介 , 浜辺美波 , 山田裕貴 , 青木崇高 , 吉岡秀隆 |
ゴジラ70周年記念作品となる『ゴジラ-1.0』は、日本版ゴジラとしては『シン・ゴジラ』(2016年)以来の制作で、通算30作目となります。 特撮怪獣映画の「ゴジラ」シリーズとして原点である1作目『ゴジラ』が公開されたのが、戦後9年後の1954年の事。それから現在に至るまで数々の名作ゴジラ映画が生まれ、2023年に『ゴジラ-1.0』が最新作として公開されました。 半世紀以上にも及ぶシリーズの到達点として、『ゴジラ-1.0』がアカデミー賞受賞をはじめ海外でも高い評価を得たことは、特撮怪獣映画の歴史でも最高の栄誉といえるでしょう。ゴジラが放射能の被ばくによって生まれ、テーマに反戦を掲げていることを世界に発信できたことも大きな成果です。
『ゴジラ-1.0』のあらすじ
太平洋戦争が終結し、多くの都市部が消失した日本は“無(ゼロ)”と化していました。出兵するも、出撃直前で逃げてしまったことに後ろめたさを感じている敷島浩一(演・神木隆之介)。彼は帰国後、一人で赤子を育てる大石典子(演・浜辺美波)と出会います。 虚無と喪失のなかから人々が立ち上がろうとした矢先、巨大怪獣ゴジラが日本に上陸。戦争で“無(ゼロ)”となった日本の人々を“負(マイナス)”と突き落とします。
【ネタバレ】『ゴジラ-1.0』の謎とは?典子のあざ・敬礼・最後の描写の意味
【考察①】典子の首の痣(あざ)はゴジラ化を暗喩?
ゴジラを倒したのち、病院で再会した敷島と典子。涙と安堵の中、抱き合う2人ですが、典子の首筋には何やら怪しげな黒いあざが。このあざは、単純にゴジラの熱線(放射線)を浴びたことへの後遺症なのでしょうか。 そもそも、原爆と近しいゴジラの熱線を近距離で受けて生きているのは、いくら映画といえど出来すぎています。『小説版 ゴジラ-1.0』では、典子の首のあざについて「這い上がってきた」と形容されていて、放射線よりも生物的な後遺症が暗喩されています。 そこで考えられるのは、熱線を受けた時何らかの形でゴジラの細胞(通称:G細胞)が典子に付着した可能性です。これならば、典子が生き延びることができたのも、ゴジラの超再生力のおかげだと説明がつきます。 G細胞は過去作にも登場しており、シリーズ17作目『ゴジラ対ビオランテ』(1989年)は植物がG細胞を取り込んだ結果、怪獣化するというシナリオ。21作目『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)では宇宙に飛散したG細胞によってスペースゴジラが誕生しています。
山崎監督が典子のあざに言及!
2024年4月に大阪で開催された「ゴジラ・フェス」で、山崎貴監督は典子の首の黒いあざが「G細胞」であることを明言しています。しかもこの描写を入れることにしたのは、「典子が死んでしまっては、がんばって帰ってきた敷島が可哀想だから」とのこと! わかる人がわかってくれればいいという思いで、こっそりと典子の首筋に黒いあざを足して撮影したのだとか。しかしこれによって続編の可能性も見え、加えて黒いあざを放射能被ばくのメタファーとして見せることでさらなる反戦の意志を伝えることにも成功しました。
【考察②】人々は最後なぜゴジラに敬礼したのか?
ワダツミ作戦を経て、ゴジラの討伐に成功した人々。崩れ行くゴジラを見て敬礼を始めた彼らに戸惑った人も多いのではないでしょうか。敷島に対しての敬礼かとも考えられますが、ノベライズ版では「ゴジラに向かって」敬礼したと明記されているのです。 ここで注目したいのが、作戦に参加した多くの人々が、兵士として戦争を経験していること。戦争で多くの仲間を失った一方で、自らの手で人を殺めてもいるはずです。彼らは、戦争という場において、一人の人間が加害者にも被害者にもなりうることを理解していたのです。 だからこそ、ゴジラに対しても、ただの「敵」、加害者とは捉えず、人間による核実験の被害者としての側面も理解し、敬礼をしたと考えられます。
【考察③】ラストシーンは初代『ゴジラ』に繋がるのか
1954年に公開されたシリーズ1作目『ゴジラ』は、終戦から9年後、人々の生活もようやく安定してきたころを舞台としています。そして『ゴジラ-1.0』は、まさに終戦直後の1945年が舞台となっています。 1作目の時代設定より以前の出来事を描く大きな挑戦でしたが、本作のエンディングでは、ゴジラ復活を示唆するようなシーンがあったため、その後ゴジラが再び日本に上陸して、1作目のような物語が展開されてもおかしくはないでしょう。 ラストシーンでは海中に沈んでいくゴジラの肉片が、ボコボコと音を立てて増殖しつつある様子が映し出されていました。 もちろん1作目は人類が初めてゴジラに対峙する様子を描いているので、人々の反応などはきれいにつながるとは言えませんが、ゴジラの基本設定は共通しています。
【ネタバレあらすじ】『ゴジラ-1.0』を結末まで解説!
【起】生き延びてしまった元特攻隊員・敷島
太平洋戦争末期。特攻隊員の敷島は、零戦の故障で大戸島の守備隊基地に着陸します。しかしベテラン整備兵の橘は、戦闘機に異常がないことから敷島が特攻から逃げてきたことを悟ります。 その夜、巨大な恐竜のような生物が基地に襲来し、ある整備兵は、それが島の伝説にある「呉爾羅(ゴジラ)」ではないかと口にします。橘は敷島に零戦に搭載された砲弾で攻撃するように言いますが、怖気づいた敷島は攻撃できません。その結果、橘と敷島を残して部隊は全滅してしまいました。 1945年の冬、焼け野原になった東京に帰ってきた敷島は、隣に住む澄子から両親が空襲で亡くなったことを知らされます。厳しい生活のなか、彼は闇市で空襲中に託された赤ん坊・明子を抱えた典子と出会い、成り行きで共同生活をすることに。 やがて敷島は、米軍が残した機雷撤去の仕事に就きます。生き残ったことに後ろめたさを感じていた彼は、命の危険が伴う仕事を選んだのです。収入を得た敷島は家を建て直し、仕事を通じて知り合った秋津、野田、水島とも親しくなりました。
ゴジラ✕『永遠の0』みたいな世界観。戦時を体験したことないけど、リアルな生活感と時代背景で、ただのゴジラ映画で終わらせない。
映画の始まりが海上の画だったり、舞台が大戸島なことも「初代」オマージュ!
【承】ゴジラ、東京を蹂躙。ゼロがマイナスへ。
1946年の夏、ビキニ環礁で行われた米軍の核実験によって被爆したゴジラはさらに巨大化し、放射線を放つようになりました。その後、米軍の船舶が被害を受ける事故が続発。ゴジラは日本に近づいているようです。 そんななか、敷島たちが乗る「新生丸」に、重巡洋艦・高雄が日本の海域に戻るまで、ゴジラを足止めするよう命令が下ります。ゴジラに襲われた彼らは、回収した機雷をゴジラの口の中に放り込み、機銃で撃って爆発させます。すると多少の効果はあったものの、すぐにゴジラの再生能力で傷は塞がってしまいました。 絶体絶命と思われたとき、高雄が到着しゴジラを攻撃。しかしゴジラが吐いた青い熱戦によって高雄は海の藻屑と消えてしまいます。 その後、典子は明子とともに自立するため、銀座のデパートで働き始めます。ある日、秋津たちと酒を飲んでいた敷島は、なぜ典子と結婚しないのかと詰め寄られ、「自分の戦争はまだ終わっていない」と答えました。 そんな折、ゴジラが銀座に上陸。典子の身を案じた敷島は彼女のもとへ駆けつけますが、ゴジラの放った熱線の爆風によって典子は吹き飛ばされてしまいます。 絶望した敷島は、秋津たちからゴジラ討伐作戦に誘われます。
戦火をくぐり抜けた銀座の街を容赦なく蹂躙するのがとても楽しかった!IMAXで観たので咆哮かっこよすぎた。
ゴジラの恐竜っぽさや人を丸呑みする絵面は「ジュラシック・パーク」、海上での新生丸との追いかけっこは「ジョーズ」と似ているような?スピルバーグへのリスペクトも感じる。
【転】ワダツミ作戦が始動、民間でゴジラ討伐を目指す
元海軍の兵士をメインとした民間のゴジラ討伐部隊が結成され、戦時中に兵器の開発に携わっていた野田は、「ワダツミ作戦」を発案します。 それは、ゴジラをフロンガスの泡で包み込んで一気に深海まで沈め、その急激な水圧の変化によってゴジラを倒すというものでした。さらに二次攻撃として、海中で大きな浮袋を膨らませゴジラを海面まで引き上げることで、急激な減圧によって息の根を止める作戦です。戦争を生き抜いた民間人たちは、ゴジラとの戦いを決意します。 一方、敷島は野田たちとは別に独自のやり方でゴジラに立ち向かうことを決めていました。野田にゴジラを誘導するための戦闘機を探してもらうと、彼は開発段階で終戦を迎え、実践で活躍することのなかった最新の戦闘機「震電」を見つけてきました。 敷島は機体の修復のために橘を探し出します。敷島は「震電」に砲弾を数多く搭載し、ゴジラの口の中へ“特攻”することを決めていたのです。
「震電」出てきたのアツすぎる。その前に出てきた高雄や雪風もミリオタ的にはすごくうれしかった。
調べたらこの年(1947年)に、アメリカが共産主義に対する「封じ込め政策」を明確化していた!どおりで自衛隊もまだ存在せず、GHQも助けてくれなかったわけだ。
【結末】ワダツミ作戦開始、「生きて、抗う」ことはできるのか
ワダツミ作戦決行当日、ゴジラは予想より早く東京に上陸します。しかし戦闘機に乗った敷島は、ゴジラを相模湾沖まで誘導することに成功。 充分な深さのある海域まで誘導すると、野田の指示で2艘の戦艦がゴジラの周りを取り囲み、フロン爆弾を爆発させます。作戦通りゴジラは海底に沈み、動きが鈍くなりました。そして第二段階、浮袋でゴジラを浮上させようとしますが、装置がうまく働きません。 そこで一か八か、2艘の戦艦でゴジラを引き上げる作戦に変更。しかし2艘だけでは引き上げる力が弱く、誰もがあきらめかけたとき、水島が多くの民間の船を率いて加勢します。こうして引き上げに成功しますが、ゴジラは息絶えておらず、放射熱線を放とうとしました。 そこへ敷島の乗った戦闘機が飛来し、ゴジラの口の中に特攻。爆弾を爆発させ、ゴジラの頭を吹き飛ばすことに成功します。 野田や秋津が敷島の身を案じていると、空中でパラシュートが開きます。橘は戦闘機に脱出装置をつけていたのです。無事に帰還した敷島は、仲間たちに敬礼で迎えられました。
最後の作戦、開始早々泣くのを我慢した。ゴジラの圧倒的強さを見せつけられつつ、それに立ち向かう日本人たちの姿に素直に感動させられた。
【その後】真の終戦、再生へと向かう人々
家に戻った敷島は澄子から電報を渡され、明子とともに病院に向かいます。そこには典子がおり、重傷を負ってはいたものの、意識もはっきりしていました。 「あなたの戦争は終わりましたか?」と言う典子を抱きしめ、敷島は涙を流しながら頷きます。しかし典子の首には、黒いアザのようなものが浮き上がっていました。 一方、海中ではゴジラの肉片と思われるものが漂い、再生しようとしていました。
光線強すぎて、典子生き残るのはリアリティなさすぎ!でも、首筋のアザのシーンで奇跡的に生きていたのは、ゴジラの再生能力と関係あるのかな?と思ったり。
【考察】「生きて、抗う」に込められた反戦・反核のメッセージ
敷島の脱出から見る戦争との決別
死ぬためではない、生きるための戦い
特攻隊員としての任務を放棄し、大戸島でもゴジラを目の前にして逃げてしまった敷島。「僕の中の戦争がまだ終わっていない」と語り、戦後もずっと生き残ってしまった罪悪感=サバイバーズ・ギルトを抱えて生きていました。 しかしワダツミ作戦に参加することで、特攻のように「お国のために死ぬ」のではなく、「生きて抗う」ために自らゴジラに特攻を仕かける覚悟が生まれます。 途中まではゴジラへの特攻で死ぬ覚悟を持っていたと思われる敷島ですが、典子や橘の言葉で生きることを選び、死なずに脱出する決断をしたのです。“特攻しても死なずに帰る”ということは、特攻で死んでいった仲間たちへの鎮魂の意味があり、戦争との決別でもあったかもしれません。 ワダツミ作戦に参加した人々もまた、サバイバーズ・ギルトに苦しむ復員兵たち。同じ痛みを知る者同士だったからこそできた「誰も死なせない」作戦だったのでしょう。
お上や政府ではない......。「民間人」が戦後を支えるという自負
生き残った者たちの「終戦」を描く映画として、本作には復興への伏線が多く見られます。特に、ワダツミ作戦を主導したのが、有志の民間人であったことは、戦後の日本を民間人が支えていく礎になっているのではないでしょうか。 ワダツミ作戦を通して人々は、戦後のゼロ以下の「負(マイナス)」の状況を、自分たちの力で「正(プラス)」に好転させる経験をしました。この経験から、これからの日本を自分たちが支えていくという自負が、人々の間に芽生えたはずです。 戦後間もない頃は、これまでの価値観が180度変わった混乱期。根底には機能不全に陥っていた政府への不信感が大きく、自分たちの力で未来を切り開く意志が強かったように感じます。これは現代でも通じるビジョンであり、国が機能不全に陥った際に民間が結束するという様子は『シン・ゴジラ』でも描かれていました。
ただのハッピーエンドではない?戦争・核が残す爪痕の生々しさ
忘れてはならない核の長期的な影響
物語の中盤、ゴジラが銀座で放射能を吐き、町ごとなぎ倒されたシーン。そこで典子は吹き飛ばされ、またもや1人生き残った敷島が黒い雨に打たれながら悲痛な叫び声を上げました。 これは明らかに原爆を落とされた広島・長崎の様子をイメージしており、この黒い雨は放射性物質を含んだ人体に有害なもの。黒い雨を浴びた敷島も当然、被ばくしていると考えられます。 そしてこの爆風から生き残った典子も、おそらくG細胞によって再生したとはいえ、確実に被ばくしています。典子の首の黒いあざは放射能汚染と原爆症の印であり、今後も長期的に続くであろう戦争と核の物理的な爪痕として描かれているのです。 それを強く感じられるのが、エンドロール前のゴジラ復活の予兆。海中に沈んだゴジラの肉片が再生し始めていることこそ、最も強い反戦のメッセージと核拡散への警告といえるでしょう。
人々の精神性をも変えてしまう戦争
敷島が典子に会ったばかりの頃、赤ん坊を抱えて生活できるかどうかという戦後の貧困の中で、こんな会話をしています。 典子「パンパンにでもなれって?」 敷島「このご時世ですよ。頼るところがなければ仕方ないでしょう」 ここで敷島が言っている「パンパン」とは、アメリカ兵相手に身を売る女性のこと。その多くは戦争で家族や財産を失った女性が、困窮する生活のために行っていました。 敷島のような青年が、出会ったばかりの典子のような若い女性の売春を肯定する発言をするほど、当時は切羽詰まっていて諦めのムードが蔓延していたのでしょう。 戦争が人々の心もネガティブにしてマイナスに変え、その精神性をも変えてしまうことがよくわかるシーンです。
【小ネタ】劇中の胸熱すぎるオマージュを解説
破壊シーンの随所に感じる初代へのオマージュ
本作でゴジラが最初に日本本土に上陸したとき、ゴジラは品川沖から銀座に向かいました。これは、1作目『ゴジラ』の初代ゴジラが通ったのと同じ道筋です。銀座の街並みや国会議事堂を破壊するシーンなども、1作目のオマージュとなっています。 またゴジラが銀座を襲撃したときには、ゴジラが放射熱線を発した後にキノコ雲があがり、黒い雨が降るなど、原爆を思わせる描写がありました。やはり初代と同じく、ゴジラを核の恐怖の具現化として描いています。
劇中のBGMには「平成」シリーズの名曲が!
本作のゴジラの登場シーンでも、やはり伊福部昭によるゴジラのテーマ曲が使用されています。ゴジラといえば誰でも頭に浮かぶあの曲です。この楽曲には、ゴジラに立ち向かう人々のテーマという意図があり、そのメッセージもしっかりと踏襲されていますね。 そのほかにも、「平成」シリーズの『ゴジラVSキングギドラ』(1991年)や『ゴジラVSモスラ』(1992年)の楽曲も使われていますので、ゴジラマニアほど楽しめるのではないでしょうか。
史実?戦闘機「震電(しんでん)」は実在するのか?
ワダツミ作戦のときに敷島が搭乗した「震電」は、実在した戦闘機です。劇中で語られているとおり、太平洋戦争末期に日本海軍が試作したもので、最高時速約740km以上の高速戦闘機として計画されていました。1945年6月に試作機が完成、8月に飛行実験を行いましたが、実戦で使われることはなく終戦を迎えました。 山崎貴監督は、「震電」は実写映画でこれまで一度も映像化されていなかったため、ぜひ登場させたかったと語っています。 また同作戦に使われた雪風や、中盤に登場した高雄も実在した駆逐艦です。
ワダツミ作戦とは?ゴジラ討伐の仕組みを解説
野田の発案した「ワダツミ作戦」は、水圧の急激な変化によってゴジラを倒す作戦です。 まず、2艘の戦艦の間に渡したワイヤーにフロン爆弾を多く設置し、そのワイヤーをゴジラに巻きます。そして爆弾を爆発させて発生したフロンガスの泡でゴジラを包み、海水より重いガスが沈む原理でゴジラを海底に引きずり込みます。このときゴジラの体にかかる水圧が急激に上昇し、ダメージを与えられると野田は考えました。 さらにその後、大きな浮袋でゴジラを海面まで引き上げ、今度は急激な減圧によって息の根を止める作戦です。 いくら深海からやってきたゴジラといえど、これほどの急な水圧の変化には耐えられないと仮説を立てたため、この作戦を実行することになりました。 しかし劇中で秋津が指摘しているとおり、この作戦はどの工程も穴があり、一か八かの作戦でした。実際ゴジラを浮袋で海面に引き上げる工程はうまくいきませんでしたが、その場の機転と水島の助太刀でなんとか実行することができました。
『ゴジラ-1.0』のゴジラの特徴と能力を解説
作中でのゴジラの変化
本作に登場するゴジラは、作中でその体長や能力が変化しています。 大戸島に上陸したときは体長15mほどでしたが、ビキニ環礁の実験で被爆し、体長50mほどに巨大化。体重は、約2万tになりました。また当初、口から吐き出すのはただの熱線でしたが、被爆後は放射線をおび、核兵器のような強い破壊力を持つようになります。 ゴジラの出現理由は不明ですが、攻撃されれば反撃に出るようです。
アトラクションのゴジラと激似?
『ゴジラ-1.0』のゴジラは、西武遊園地にあるアトラクション「ゴジラ・ザ・ライド 大怪獣頂上決戦」に登場するゴジラに似ていると、ゴジラファンの間で評判になっています。 実はこのライドのゴジラも山崎貴が監修しており、基本的なデータを使い回したか、作者が同じであることでその癖が出たのか、といった背景があるのではと指摘する声があがっています。
ゴジラの火傷痕の理由は核実験?
ゴジラのオリジンは、「水爆実験で飛散した放射性物質を浴び、突然変異した生物」とされています。 『ゴジラ-1.0』でも、ゴジラはビキニ環礁の水爆実験によって被爆しています。ゴジラの身体は原子爆弾によって焼き尽くされ、放射性物質が体表の奥深くまで紛れ込んだために、ゴジラの再生能力でも表皮には傷が残り、元に戻ることはできなかったのです。
「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」の出演キャスト
敷島浩一役 | 神木隆之介 |
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大石典子役 | 浜辺美波 |
水島四郎役 | 山田裕貴 |
橘宗作役 | 青木崇高 |
野田建役 | 吉岡秀隆 |
太田澄子役 | 安藤サクラ |
秋津淸治役 | 佐々木蔵之介 |
『ゴジラ-1.0』の監督・脚本・VFXは山崎貴
今作で監督・脚本・VFXを一手に担うのは山崎貴。 『ジュブナイル』(2000年)で映画監督としてデビュー。『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)では第29回日本アカデミー賞監督賞を含む16部門を受賞し、その地位を確固たるものとしました。 今作について「怪獣映画の本丸に攻め入る恐ろしさと興奮に幾分震えています」と語っており、作品にかける並々ならぬ決意を表明。これまでの作品で発揮してきた監督やVFXクリエイターとしての手腕がどう発揮されるのか、映画ファンの注目が集まっています。
前評判の「ゴジ泣き」ってどういう意味?
「ゴジ泣き」とは、『ゴジラ-1.0』の監督・山崎貴が手掛けた『STAND BY ME ドラえもん』(2014年)のキャッチコピー「ドラ泣き」にちなんでつけられたものです。 監督の作風から、『ゴジラ-1.0』も感動路線になるのではないかと予測されたため、この言葉が生まれました。しかし予告編が公開されると、逃げ惑う人々の悲鳴や破壊される街などのショッキングな映像から、そうした予測は間違っていたと判断する人が増えました。 今では「予告編を見て、感動ではなく恐怖でゴジ泣きした」といった反響が相次いでいます。
歴代シリーズにおけるゴジラを復習
そもそもゴジラはどういう怪獣?
「怪獣王(キング・オブ・モンスターズ)」として知られるゴジラは、その作品の多くで「ビキニ環礁の水爆実験で飛散した放射能を浴びて変貌した生物」とされています。 初期の作品には、人間の身勝手な環境破壊によって生まれた巨大怪獣ゴジラが上陸し、破壊の限りを尽くすことで人間に復讐するという社会的なメッセージの強い作品が多くありました。
ゴジラと人間の関係性は?
さきほど紹介したとおり、ゴジラは人間が自ら生み出した災厄であり、人間が立ち向かうべき“敵”のようなポジションで描かれている作品が多くあります。 一方、ゴジラがほかの怪獣と戦う「平成VSシリーズ」や「モンスターバース」シリーズでは、ゴジラは人間を襲うことはしませんが、これは人間など眼中にないだけで、“味方”というわけでもありません。 「ミレニアム」シリーズなどを手掛けた脚本家の三村渉は、ゴジラは台風や津波のような自然そのものと解釈しており、人間がゴジラを慕ってもゴジラが襲ってくるときはあり、その理不尽さがシリーズの魅力だと語っています。
歴代ゴジラのざっくりあらすじ
ゴジラ作品は日本版・海外版合わせて、これまでに35作品も公開されてきました! ここからは特に有名なゴジラシリーズ3作品をピックアップして紹介します。
『ゴジラ』(1954年)
太平洋で多数の船が沈没する事件が発生するなか、生き残った人々の証言で浮かび上がる怪獣の存在。 古生物学者の山根博士らが発見したゴジラという怪獣は、やがて東京に降り立ち街を火の海に変えていきます。成すすべない人々が絶望するなか、山根博士の愛弟子である芹沢博士がゴジラにも対抗しうる恐るべき発明をしてしまいます――。
『シン・ゴジラ』(2016年)
東京湾アクアラインで崩落事故が発生し、政府は原因究明に動き出します。内閣官房副長官の矢口蘭堂は原因を追究するなかで、海底に存在する巨大生物の存在を察知。 その存在を誰もが一笑に付すなか、巨大生物は陸地に現れ街を破壊していきます。政府は様々な方法で駆除を試みますが、怪獣はどんどんと成長し手が付けられない状態に。現代日本を舞台に怪獣VS人間の、リアリティ溢れる戦いが繰り広げられます。
『GODZILLA ゴジラ』(2014年)
突如起こった地震により倒壊した原子力発電所。その15年後、原発跡地に造られた研究施設では地震の原因となった大きな繭の調査が進められていました。そこから羽化した謎の怪獣ムートーは海上で米軍などと次々に交戦。 そしてムートーの前に、巨大怪獣ゴジラが現れます。怪獣たちに立ち向かうため核兵器を使おうとする人間。怪獣と人間たちによる、世界の命運をかけた最終決戦が幕を開けます。
「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」ネタバレから絶望と再生を体感せよ
山崎貴版『ゴジラ-1.0』はゴジラの日(11月3日)に公開されました! 日本版ゴジラとしては記念すべき30作目となる今作。Amazonプライム・ビデオでは2024年5月3日から見放題で独占配信中。さらに11月1日には金曜ロードショーで地上波初放送されますので、お見逃しなく!