2026年4月17日更新

ジブリ映画『耳をすませば』監督・近藤喜文の死因とは?傑出したアニメーターの過去や実写版の監督にも迫る

このページにはプロモーションが含まれています
耳をすませば

スタジオジブリの作品のなかでも、高い人気を誇る『耳をすませば』。2022年には主人公・雫たちのその後を描いた実写版が公開され、注目を集めました。 この記事では、アニメ版の監督を務めた近藤喜文と実写版の監督を務めた平川雄一朗について紹介します。

AD

映画『耳をすませば』のアニメ&実写版の監督は?

映画『耳をすませば』(1995) 月島雫
アニメ映画『耳をすませば』監督 近藤喜文
実写映画『耳をすませば』監督 平川雄一朗

1995年に公開されたスタジオジブリのアニメ映画『耳をすませば』で監督を務めたのは、近藤喜文です。 1968年にAプロダクション(現:シンエイ動画)に入社した近藤は、アニーメーターとして『巨人の星』(1968年〜1971年)や『ルパン三世』(1971年〜1972年)など、多くのヒット作に参加。1987年にスタジオジブリに入社し、さまざまな作品に携わった後、『耳をすませば』で監督デビューを果たしました。 2022年に公開された実写版では、平川雄一朗が監督を務めています。テレビドラマの演出家や映画監督として活躍しており、多くのヒット作に携わっています。

【アニメ】『耳をすませば』監督・近藤喜文の死因とは

『耳をすませば』

近藤喜文は、1997年に『もののけ姫』で作画監督を務めた後、1998年に47歳の若さで急逝。前年の暮れに解離性大動脈瘤で倒れて入院し、そのまま帰らぬ人となりました。 葬儀で出棺の際には、『耳をすませば』の主題歌である「カントリーロード」が流されたそうです。 2014年には、生まれ故郷の新潟県立万代島美術館で、「新潟が生んだジブリの動画家 近藤喜文展」が開催されました。

【アニメ】近藤喜文は宮崎・高畑を支える傑出したアニメーターだった

映画『耳をすませば』(1995) 天沢聖司 , 月島雫 , 西司朗

1970年代後半から、宮崎駿監督の『未来少年コナン』(1978年)や高畑勲監督の『赤毛のアン』(1979年)をはじめ、数多くの宮崎・高畑作品を支えてきた近藤喜文。1987年にスタジオジブリに入った後も、宮崎や高畑の作品で作画スタッフとして活躍しました。 近藤は両名から高く評価されており、『火垂るの墓』(1988年)制作中の高畑と『となりのトトロ』(1988年)制作中の宮崎が、作画スタッフとして彼を取り合ったという逸話も残されています。

AD

【実写】平川雄一朗はテレビドラマも手掛ける演出家

耳をすませば
©︎柊あおい/集英社 ©︎2022『耳をすませば』製作委員会

実写映画『耳をすませば』の監督を務めた平川雄一朗は、2003年にTBSのドラマ『Stand Up!』で初演出を手がけました。 その後、2006年の『白夜行』で初めてチーフディレクターを務め、2007年の『そのときは彼によろしく』で映画監督デビューを果たしました。 そのほかの代表作には、ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)や「JIN-仁-」シリーズ、「義母と娘のブルース」シリーズなどがあります。 2025年には映画『デイズ かけがえのない日々』で脚本・監督を務めました。

『耳をすませば』アニメ版・実写版の監督を紹介

映画『耳をすませば』(1995)

スタジオジブリ作品『耳をすませば』の監督・近藤喜文と、実写映画『耳をすませば』の監督・平川雄一朗について紹介しました。 卓越したアニーメーターだった近藤が、若くしてこの世を去ってしまったことは本当に惜しまれます。 しかし平川雄一朗については、今後の活躍にも期待したいですね!