2022年8月17日更新

『耳をすませば』その後を原作から考察!2人の未来は閲覧注意?

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耳をすませば

1995年に公開され、近藤喜文の最初で最後の長編映画監督作となった、スタジオジブリ屈指の青春映画『耳をすませば』、通称「耳すま」。 糸井重里によるキャッチコピー「好きなひとが、できました」の通り、思春期の少年少女が経験する初めての恋や、進路の悩みが爽やかなタッチで描かれました。人々は図書カードが結んだ出会いに憧れ、20年以上の時を経ても、再放送が繰り返される大人気作に! ジブリ映画と言えば、トリビアや都市伝説が存在するのも有名ですよね。そこで今回は、雫たちのその後など、本作のトリビア・考察をまとめました。

『耳をすませば』原作からの変更点は?

映画では中学3年生だった雫たちですが、原作では中学1年生の設定です。また、聖司の将来の夢はバイオリン職人ではなく画家でした。そのほか、雫の姉・汐の性格が違ったり、聖司の兄が登場したりしています。

“その後”が閲覧注意ってどういうこと?

イタリアで修行をする聖司と日本で暮らす雫は、超遠距離恋愛をすることになります。2人はまだ15歳なので、これからほかに好きな人ができる可能性もありそう。このような状況から、2人が破局するなど、閲覧注意な未来が語られています。

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物語のその後を考察【2人は結婚した?】

原作には続編が!?

柊あおいによる原作は、後に『耳をすませば 幸せな時間』という続編が出版されました。 しかし内容は中学3年生になった雫たちの進路に触れられる程度で、聖司との関係に進展があったわけでありません。柊も宮崎も、今は亡き近藤監督も、聖司と雫のその後については口を閉ざしており、ファンの間で永遠の謎として扱われてきました。 「耳すま」ファンなら一度は考えたであろう、「雫と聖司は結婚したのか!?」について、考察してみたいと思います。

そもそもなぜ「好きだ」ではなく「結婚してくれ」と言ったのか

耳をすませば

最も重要な名シーンで、最も胸の当たりがむず痒くなるのが、ラストでまだ中学3年生の聖司が言った「結婚してくれないか!」というプロポーズ。 「今すぐってわけにはいかないけど」と前置きしたとは言え、おませな幼稚園児でも小学生でもない、中学生で言うには「早すぎるよ!」と感じるセリフでした。これは宮崎駿が「ただ『好きだ』というだけじゃ弱い」と、後から加えたものなんだとか。 近藤監督は後に、聖司が結婚を申し込んだのは“あの白いモヤの向こうを見据えて、2人で歩き出そうとする決意”であり、“(先述した)青春時代に思い描いた理想の表現”。 そして最近の若者の関係が希薄な印象を受けることを憂い、“もっと自分の気持ちを素直に言葉に出したらいいのに”との想いから生まれた言葉であったと明かしました。 聖司にとって雫は愛する女性であると同時に、夢に向かって険しい道を歩む戦友だという宣言であり、若者たちに向けたエールだったのですね。

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その後をリアルに考えれば……閲覧注意?

『耳をすませば』月島雫、天沢聖司

雫と聖司には「結婚して欲しい」のが本音。2人は恋人である以上に、他人と違う夢を理解し合い、お互いに高めあえる存在です。どんな出会いがあっても、そんなパートナーとそうそう出会えるものではありません! しかし、2人の将来には否定的な予想が多い様子。原作であれば、少女マンガのハッピーエンド=結婚!と言い切りやすいものの、宮崎駿は映画化するにあたって“あえて現実味を加えた”というのが、2人のその後を考える上で大きなヒントになるように思います。 現実で考えると、2人の置かれた状況は別れにつながるフラグだらけです。 ・中学3年生の初恋であること ・国をまたぐ遠距離恋愛であること ・スマホやビデオ通話がない時代であること ・聖司がモテそうなこと これらのことから、2人が別れてしまう可能性はかなり高いと考えられます。しかし雫と聖司にとってこの恋愛が大きな意味を持ち、青春時代の思い出として心に残っていくのではないでしょうか。

10年後を描く実写映画に期待

『耳をすませば』
©︎柊あおい/集英社 ©︎2022『耳をすませば』製作委員会

実写版『耳をすませば』は、アニメ版で描かれた雫たちの中学時代と、その10年後を舞台にしています。 予告編を観ると、イタリアと日本で雫と聖司はそれぞれに成長しつつ、ずっと手紙でやりとりをしていたよう。しかし相変わらず遠距離恋愛で、雫はそのことに悶々としている様子が窺えました。 2人はこのあと結婚するのか、それとも別れてそれぞれの道を歩むのか、10年後の彼らのリアルが実写版でどう描かれるのか楽しみですね!

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一方この2人のその後は……

青春モノにはほぼ必ず、ヒーローとヒロインの間に“横恋慕”する「当て馬」「噛ませ犬」キャラが登場しますが、本作の損な役回りは杉村でした。 杉村は雫に告白を断られ、その後2人が絡むことはほとんどありません。さらに、聖司が雫に会いに教室へやって来た時、杉村が複雑な表情をしているシーンも。ファンとしては、杉村にも、彼に思いを寄せる夕子にも幸せになって欲しい!のが本心ですよね。 そんな杉村と夕子ですが、聖司が雫に告白した日の一日を描いたエンドロールに、彼らのスピンオフ的シーンが登場しています。夕方の下校時に、電柱のそばで夕子と杉村が待ち合わせ、仲良く歩いているではありませんか!? 近藤監督曰く、本編内で杉村と夕子を救済したかったものの優先順位の関係などで叶わず、エンディングに入れることにしたんだとか。キャラへの愛が感じられますし、“上手くいった”のであろう姿が嬉しいですね! 実写版の『耳をすませば』にも杉村と夕子は登場し、10年後も一緒にいることがわかっています。

『耳をすませば』に関係があるジブリ作品

『猫の恩返し』

猫の恩返し

『耳をすませば』を語る上で、同じく柊あおいが宮崎駿の依頼を受けて原作を書き下ろした、『猫の恩返し』の存在も外せません。 スピンオフの位置付けですが、原作コミック『バロン 猫の男爵』は“雫が書いた物語”という設定で、ファンは両作の共通点で盛り上がりました。宮崎からの“3つのお願い”によって、猫の男爵「バロン」、ブタネコの「ムーン」、そして不思議なお店「地球屋」が再び物語に登場しています!

猫の人形バロン

『猫の恩返し』
© 2002 猫乃手堂・Studio Ghibli・NDHMT

バロンは地球屋の店主・西司朗の宝物で、店でこの人形を見た雫も惹かれていました。雫が劇中で最初に完成させた小説は、バロンを主人公にした物語でした。 『猫の恩返し』では、主人公・吉岡ハルが元の世界に戻るために協力する、ちょっと“キザな”「猫の事務所」の所長として登場。明確なキャラ付けによって、冷静かつ女性に優しい王子様のような性格になり、ハルだけでなく女性ファンのハートも射止めました。

雫を「地球屋」へと導いたムーン

猫の恩返し

雫は図書館へ向かう途中、電車に乗り込んできた太った猫と出会い、この猫を追いかけているうちに地球屋へとたどり着きました。 放浪猫で、各地で別の名前で呼ばれていますが、聖司は「ムーン」と名付けていましたね。原作では黒猫ですが、既存キャラの「ジジ」と被るため色違いのブタネコになりました。『猫の恩返し』でも、ハルを猫の事務所まで案内する役割を果たします。 本名は原作の2匹の黒猫「ルナ」と「ムーン」をもじって、「ルナルド・ムーン」。本作の異名の1つで、近所の幼女が名付け親の“ムタ”が通称として採用されました。

「地球屋」は「猫の事務所」に

猫の恩返し

雫が聖司の祖父で店主の西と知り合い、バロンの人形やとある物語をモチーフにした古時計を見せてもらった、アンティークショップ「地球屋」。 聖司の夢を雫が知るきっかけとなり、雫が和訳した「カントリーロード」を聖司の伴奏で歌いながら、西とその仲間と小さな演奏会を開いたり、進路に悩む雫を励ますために西が作ってくれた鍋焼きうどんを一緒に食べたりもした思い出の場所でした。 『猫の恩返し』では、バロンが所長を務める「猫の事務所」という小さな家に。ハルはここで、バロンと心を持つカラスのガーゴイル「トト」に出会いました。

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『平成狸合戦ぽんぽこ』

平成狸合戦ぽんぽこ

『平成狸合戦ぽんぽこ』は、『耳をすませば』と同じ多摩ニュータウンを舞台としています。『平成狸合戦ぽんぽこ』のエンディングで映る夜景と、『耳をすませば』のオープニングで映る夜景は、全く同じ場所。しかし比べてみると、『耳をすませば』の方が街の灯りが多くなっています。 「ぽんぽこ」でタヌキたちの住処を破壊して建てられた団地に、雫たちは住んでいるのです。そう考えると、彼女が訳した「コンクリート・ロード」は皮肉めいたものがありますね。

『となりのトトロ』

雫が学校の図書室で本を探すシーンでは、背表紙に「TOTORO」と書かれた本が登場。ちょうど、本棚を見上げている雫の首元辺りで見つけられます。 またバロン人形が制作されている作業机には、中トトロと小トトロの置物も置かれていました。

『千と千尋の神隠し』

『千と千尋の神隠し』

図書館の本についてはもう1つのトリビアが。聖司が図書館で読んでいた「霧のむこうのふしぎな町」という本は『千と千尋の神隠し』の原案の1つと言われる児童文学なのです。 宮崎監督は「千と千尋」に関するインタビューで、企画の初期段階に何人かのスタッフから子どものころ繰り返し読んだと聞き、どんな面白さがあるのかを知るために何度も読んだことを明かしていました。 『耳をすませば』は「千と千尋」より前に公開された映画なので、この本の登場は「千と千尋」が映画化される伏線になっていたというわけです。

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『紅の豚』

ジブリ映画には、製作スタッフの遊び心で他の作品がこっそりと登場することが多いですが、その中でも比較的登場率が高いとされるのが『紅の豚』。 本作でも、雫が地球屋で出会った古い柱時計の盤面に、主人公ポルコ・ロッソの名の刻印が。劇中では、モチーフとなったドワーフの王とエルフの女王の物語が語られており、「この時計を作った人はきっと、“叶わぬ恋”をしていたのでしょう」というセリフが印象的でした。 ポルコが時計職人になったかどうかはわかりませんが、豚になったポルコとマダム・ジーナの関係を連想させる、粋な演出と言えるでしょう。

『耳をすませば』

聖司がイタリアに発つ前の日の夜。雫が乗る電車の車窓に映る景色に、「耳をすませば」と読める看板があるので、このシーンはお見逃しなく。画面が暗くて見えにくい上に、おそらく看板はほぼ見切れている状態で、細心の注意が必要かもしれません! 作品の中に作品タイトルを紛れ込ませるなんて、さすがジブリの粋な計らい。本作の聖地・聖蹟桜ヶ丘の街めぐりながら、夜の風景を見つめる雫に思いを馳せてみてはいかがでしょう?

原作との違いや製作陣からのメッセージ

『耳をすませば』月島雫、バロン

映画化が決定するも、宮崎駿は企画立ち上げの段階になって、完結した原作に“ごくありふれた少女漫画のラブストーリーでしかない”という印象を持ちました。 物語で大切にされているのは主人公たちの恋や両者の気持ちだけで、(スパイスとなるような)“邪魔をする要素”もない、と感じたのだとか。宮崎の言う、“ありったけのリアリティー”を作品に与えるべく、主に以下のような変更が加えられました。 ●主人公の月島雫たちの学年が、中学1年生から中学3年生に。 ●聖司の将来の夢について、原作では「画家」を夢見ていたが、映画では「バイオリン職人」になるために留学するという目標がある。 ●雫の姉の汐は原作ではおっとりした性格の高校生で、聖司の兄・航司(映画では未登場)と交際している。一方映画ではしっかり者で気の強い大学生であり、映画後半では家を出て独り立ちする。 これらの変更点から、受験や進路など将来の不安や夢のタイムリミットへの焦りが色濃くなり、より強いメッセージ性と現実味を生んだのでした。

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夢物語とリアリティーの融合

原作モノのジブリ映画では、メインキャラクターや基本設定のみを踏襲し、ストーリーは別物に仕上がることは珍しくありません。 それでも、作品ごとに違った形で原作へのリスペクトが感じられますが、今回は印象的なセリフや話の大筋がすでに柊の『耳をすませば』に存在していました。本が好きで図書館に通う主人公、「地球屋」も雫を店に導く猫も、飛行船の設定さえも……。 原作の理想的なファンタジーを尊重しながら、名曲「カントリー・ロード」と聖蹟桜ヶ丘周辺の風景を合わせ、リアルな青春を描いたのは「さすがジブリ!」ですよね。

『耳をすませば』が生まれたきっかけ

宮崎駿と原作『耳をすませば』の出会い

本作が誕生する発端となった1989年の夏。宮崎駿は当時、毎年夏になると義父が建てた信州の山小屋を訪れ、新企画のための合宿をしていました。山小屋には宮崎の姪が読んでいた少女マンガ雑誌が多数残されており、それらを読む習慣があったとのこと。 「宮崎駿が少女漫画?」と思うかもしれませんが、彼は大の少女マンガ好きで知られており、色々な作品を読み漁って“ネタ探し”をしていました。 合宿中、偶然『りぼん』で原作の連載第2回目を読み、鈴木敏夫プロデューサーと「物語の最後はどうなるのか」「バランスの良い作品だな」などと話し合ったことが、ジブリ映画『耳をすませば』が生まれるきっかけになったそうです。 ちなみに、原作はあまりに不人気(作風が『りぼん』読者と合わなかった説も)で4回目にして打ち切られていたため、柊は映画化の話にとても驚いたとか。

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おじさんたちが若い世代を挑発

「自殺を誘発する」という都市伝説も

『耳をすませば』月島雫、天沢聖司

少女マンガ原作ということで、あまりの甘酸っぱさに「観てると恥ずかしくなる!」や、「リア充っぷりに鬱になる!」とのやや後ろ向きな声も。 それも仕方ないかもしれませんが、プロデューサー・脚本・絵コンテを務めた宮崎は、「おじさん世代の青春の遺憾を反映した」と明かしていました。 この作品は、(原作で描かれた)理想的な男女の出会いにありったけのリアリティーを与えながら、生きることの素晴らしさを唄いあげようという、おじさん達から“若い人々への一種の挑発”であるとのこと。 運命的な恋を叶え、夢に向かって歩み始めた雫たちのようになりたかった、君はなってみないか?と真正面から煽られて、複雑な気持ちを抱くのも必然でしょう。 聖司と自分を比べて劣等感を抱き、“自殺を誘発する”なんて都市伝説まで生まれました。

タイトルに込められた意味とは?

耳をすませば

『天空の城ラピュタ』も『ハウルの動く城』も、ジブリ映画はストレートなタイトルが多いのですが、『耳をすませば』は観た後もピンとこないかもしれません。 実は元々、原作者の柊は「耳をすませば」という言葉の日常への広がりに気づき、そこから“タイトルありき”で物語を考えたのだとか。 原作コミックでは、雫が「本を読んだときにまぶしい音がする」と言うセリフがあります。この状態=“耳をすませている”状態ですよね。こんな風にタイトル「耳をすませば」は、物語に通底するテーマとして生きづいているのです。 広く使われる言葉だけに、「雫が聖司のバイオリンの良さに気づいた」「初めての恋などを通して他の人の心の声を聞いた」という風に、色々と想像できますね。 個人的には、雫が聖司らとの関わりを通して自分の心の声に“耳をすませた”結果、「本当にやりたいことを見つけた」と受け取れました。

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『耳をすませば』その後を考察すると閲覧注意だった

耳をすませば

ジブリ映画の大人気作『耳をすませば』のトリビア・考察を紹介しました。 やはり雫と聖司の未来が気になりますが、『猫の恩返し』との共通点を探すのも楽しいですし、雫の夢が叶ったのは嬉しいですよね。何より、打ち切りマンガが長く愛される映画に生まれ変わったという点でも、非常に興味深い作品でした。 キャラクターたちはその後どんな人生を歩んだのか、タイトルに込められた意味も含めて、それぞれの「耳すま」を見つけてみてください!