細田守×宮崎駿の関係を徹底解説!実はジブリで『ハウルの動く城』の監督を務めるはずだった?
ジブリの最終選考に落選していた?細田守×宮崎駿の関係を解説!
『時をかける少女』(2006年)や『サマーウォーズ』(2009年)、『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)や『バケモノの子』(2015年)など、スタジオ地図を率いる細田守監督は多くの名作アニメ映画を世に生み出してきました。 細田守作品にはスタジオジブリのスタッフが参加していることが多く、ジブリとの関係を想像するファンも多いことでしょう。しかし宮崎駿と親交のあるアニメ監督というと、庵野秀明や押井守がまず思い浮かびます。 スタジオ地図の細田守と、スタジオジブリの宮崎駿。実はここには、深い関係性があるのです。この記事では、そんな2人の関係を、細田守監督の歩みとともに振り返って解説していきます。
学生時代に『ルパン三世 カリオストロの城』に心打たれる
細田守作品にジブリの息吹を感じられることは多く、アニメの世界を志すようになったきっかけも、中学生の時に宮崎駿監督作『ルパン三世 カリオストロの城』を観たことでした。 作品の世界観に引き込まれ、劇場用パンフレットに載っていた絵コンテを見て、アニメーションに強く興味を持ったといいます。 それ以来、自作のアニメーションを制作して学内で上映したり、角川のアニメ映画『少年ケニヤ』のアニメーター公募に応募したりと、進んでアニメの道へ足を踏み入れていきます。 金沢美術工芸大学に入ってからは、映画サークルで実写映画を多数制作。大学卒業後に、憧れていた宮崎駿率いるスタジオジブリの研修生採用試験に挑みました。
『ルパン三世 カリオストロの城』
ジブリ入社を志願するも、最終選考で落選
スタジオジブリの採用試験では最終選考まで残りましたが、結果的には落選してしまいます。 とはいえその後、「ジブリに入れば、かえって君の才能を削ぐことにとなってしまう」といった趣旨の手紙を宮崎駿から受け取ったそう。実のところ、その才能は宮崎駿に認められていたのですね。 1991年、のちに東映アニメーションとなる東映動画に入社。新人時代はアニメーターとしてアニメ制作に関わっていましたが、そのうち演出を手がけるようになります。 1997年にテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第4シリーズで演出家としてデビューし、2000年には『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』を監督して高い評価を得ました。
「ぼくらのウォーゲーム」
スタジオジブリに出向するも、『ハウルの動く城』の製作を断念
演出家となって活躍していた細田守は、2000年に『ハウルの動く城』の監督として要請されてジブリに出向しました。 その時のジブリはというと、『千と千尋の神隠し』の制作中。ジブリのスタッフを『ハウルの動く城』に回せなかったことで、細田守監督は自分が求めるスタッフを自力で集めなければなりませんでした。 しかし制作は難航し、ジブリとの意見の衝突、スケジュールの延期、スタッフの拘束とさまざまな難事が勃発。結果的には、『ハウルの動く城』の監督から外されてしまいました。 その後、宮崎駿自身が『ハウルの動く城』を完成させるわけですが、もしも細田版『ハウルの動く城』が完成していたらどんな作品になっていたのでしょうか。
『ハウルの動く城』
その後はスタジオ地図を設立!ヒット作をいくつも世におくり出す
東映アニメーションに復帰してからは引き続きテレビアニメの制作に関わり、2005年には『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』で長編アニメ監督デビューを飾ります。 そしてこの年、東映アニメーションを退社してフリーのアニメ監督として活動を始めました。 マッドハウスが制作し、同社の齋藤優一郎がプロデュースした細田守監督作『時をかける少女』と『サマーウォーズ』が大ヒット。 2011年に齋藤優一郎とともに「スタジオ地図」を設立し、スタジオ地図制作1作目『おおかみこどもの雨と雪』もヒットに導きました。 それ以降も、2015年の『バケモノの子』、2018年の『未来のミライ』、そして2021年の『竜とそばかすの姫』と細田守監督・齋藤優一郎プロデュースのもと、3年ごとに新作を生み出し続けています。
『サマーウォーズ 』
スタジオ地図の細田守×ジブリの宮崎駿は切ってもきれない関係にあった
アニメの世界に足を踏み入れるきっかけとなったのが宮崎駿作品であり、憧れに近づく機会とともに挫折を経験した細田守監督。 その関係には紆余曲折がありましたが、それがあってこそまさに“才能を削ぐ”ことなく、細田守監督ならではの世界観が生まれたといえるかもしれません。 新作『竜とそばかすの姫』は、『サマーウォーズ』以来となる少女を主人公とした物語。少女性を追求してきた宮崎駿の影響があるのかも気になるところですね!