2018年12月18日更新

『バケモノの子』は深読みしない方がいい?細田守が目指した世界を解説

「面白かったけど謎が残る」との評も多い細田守監督の『バケモノの子』。本作の中で謎と思われるポイントを列挙して徹底解説していきます。決して難解な映画ではなく、幅広い世代に愛されるべき作品であることを明らかにしていきます。

アニメ映画『バケモノの子』はわかりにくい?謎のポイントを解説

バケモノの子
©︎NIPPON TELEVISION NETWORK

2015年に細田守監督が作り出した『バケモノの子』は、人間界とバケモノ界を舞台にした「新冒険活劇」と銘打ち、バケモノと少年の熱い師弟関係を描いて大ヒットしました。 しかし鑑賞後の感想の中には、「面白かったけど謎が残る」といった意見も。ここでは細田監督の意図や小説版を参考にしながら、その謎を解き明かしていきたいと思います。

『バケモノの子』のあらすじを復習

両親を失いひとりぼっちになった少年・蓮は、引き取り先の親戚から逃れて渋谷の街をさまよっていました。そこで出会ったバケモノ・熊徹に誘われるようについて行くと、渋谷の路地裏からバケモノの世界「渋天街」へ迷い込んでしまいます。 熊徹の強さに惹かれた蓮は、弟子となって渋天街で修行することに。「九太」という名を付けられた蓮は、熊徹と暮らして修行をするうちに、互いに教え合う不思議な師弟関係を築いていきます。 しかし、17歳になったある日、以前来た路地裏に偶然入り込み、人間界に戻ってしまった九太は、図書館で高校生・楓と出会います。楓から新しい価値観を教わるうちに、バケモノ界と人間界どちらが自分の居場所なのか悩み始めた蓮。 そんな中、人間界とバケモノ界を巻き込む大事件が起こります。互いに思いやる熊徹と九太、そして蓮を思う楓はどんな決断を下すのでしょうか。

『バケモノの子』の概要はこちらの記事で保管しよう

人には誰しも師が必要!細田監督のねらいとは?

細田監督が本作に込めた思いは、『バケモノの子』公式サイトのコメントで語られています。要約すると、「現代社会の変容にともなう家族観の変化に敏感に反応し、新しい家族のあり方と親子関係を模索した」といった感じ。 さらに、『バケモノの子』着想のきっかけは、「当時自分自身が親になってみて新しい発見があったことと、子どもは実の親だけでなく周りのたくさんの人々に育てられているという思いを持っていたから」とのこと。 誰もが子どもにとっての師になり得るし、その影響を受けて子どもが成長していく過程は実の親でなくても感動的に感じられるものでしょう。 子どもたちには「心踊るおとぎ話」を、若者たちには「自分は何者であるか」という問いを、大人たちには熊徹と九太の「唯一無二の絆」への感動を意図して制作したことを明らかにしています。 子どもから大人まで幅広い世代に向けて、それぞれ別の意図を持って作られた作品だとわかりますね。

蓮から九太へ〜弟子入りと成長:クロサワとジャッキーへのオマージュ

人間界の蓮がバケモノ界で九太となり、熊徹のもとで修行に明け暮れますが、熊徹は粗野で精神的にも幼い「子どものような」バケモノ。熊徹の悪友・多々良や僧侶の百秋坊の支えなしには、九太を育てるのは困難でした。 実は、九太を育てた熊徹、多々良、百秋坊にはモデルがいるとのこと。活劇の名作として参考にした黒澤明監督『七人の侍』の主演・三船敏郎が熊徹のモデルだそうですが、確かにそっくり!多々良と百秋坊の名は同じく出演者の多々良純と千秋実からだとか。

また本作は「修行もの」だと語る監督にとっては、ジャッキー・チェン主演の『スネーキーモンキー 蛇拳』へのオマージュは外せなかったようです。ダメ師匠との師弟関係や熊徹の真似をする修行シーンに共通点が見出せます。

人間界へ再び〜楓との出会い

本作には、前半の渋天街での修行時代までは良かったが、人間界に戻り渋谷と渋天街を行ったり来たりする後半は詰め込みすぎ!という意見もあります。 確かに楓との出会いや実父との再会を描く人間界シーンと、熊徹とライバルの猪王山との対決を描くバケモノ界シーン、そして猪王山の長男・一郎彦の心の闇が暴走して引き起こす両世界での大事件など、盛りだくさんです。 しかしどれもこの作品にはなくてはならない要素なのです。人間界での知恵を授け、学歴社会を生き抜くための戦友ともいえるヒロインの楓、育ての父・熊徹と対比される実父、蓮と同じくバケモノの子として育った一郎彦、全員が蓮の成長を導く大切なキーマンなのです。

「わかりやすさ」を追求した記号としてのキャラクター

キーマンが多すぎる!という批判もあるかもしれませんが、なおかつわかりやすさを求めて仕掛けられた「記号としてのキャラクター」も頻出していますね。 冒頭のシーンで蓮を引き取ろうとする母方の親戚たちは、顔が見えません。いかにも抑圧的な人間たちで、蓮が孤独感を倍増させて家を飛び出すほどの険悪さを表すキャラクターとして描かれています。 また図書館で注意した不良たちに楓が絡まれるシーンでは、主人公がヒロインを助けるというヒーローもののようなありがちな展開も仕込まれています。これも冒険活劇と銘打ったからには必須の展開なのかも?もちろんこの不良たちは、楓と対比される定型キャラクターです。

場所の必然性:図書館と渋谷

さらに細田監督は公式サイトのインタビューで、舞台を渋谷にした理由についても語っています。 それまでは田舎を舞台にした作品が多かった細田監督ですが、実は「慣れ親しんだ街の中にこそ、ワクワクするものが潜んでいるのではないか」とのこと。 たくさんの人が集い常に変化している魅力的な場所として、渋谷を選んだそうです。蓮が人間界とバケモノ界を行き来しすぎて異世界が近すぎる?という気もしますが、雑多な都市空間の路地裏に異世界の入口があるなんて、確かにワクワクします。 そして、本作最大の謎ポイントとして挙げられるのは、8年ぶりに渋谷に戻った蓮が、なぜか図書館に行くこと。その謎の答えは、小説版で明らかにされています。街中のおびただしい文字に吐き気がした蓮は、自分の見知った文字が読める図書館へ行って子どものころの感覚を取り戻そうとしたのだと。 そして手に取ったのが、家にあった「白クジラ」の本だったようです。よく見るとこの児童書「白クジラ」にはメルビイル(=メルヴィル)原作と書いてあります。なぜ同じ児童書ではなく漢字も読めないのに文学全集の「白鯨」を手に取ったのか。 これは、蓮の知識欲の表れだったのではないかと推測できます。知識を得るために図書館を選ぶのは自然ですし、楓と出会った後の蓮が勉強に励む姿は彼の知識欲を表していますね。

物語の重要なファクター「白鯨」とは何か?一郎彦との対峙の意味は?

『バケモノの子』の物語には『白鯨』という小説が重要なファクターとして何度も登場します。蓮が子どものころ読んでいた『白クジラ』、図書館で手に取った『白鯨』、楓に託した『白鯨』、そして一郎彦が拾った『白鯨』……。 『白鯨』とはアメリカ文学の古典的名作で、今も難解な小説として研究され続けている作品です。大筋は幻の白鯨を追う捕鯨船の海洋冒険譚ですが、実はその「白鯨」はあらゆる暗示をはらんだ象徴的存在としても読み解けます。 蓮が楓と図書館で『白鯨』の研究をしていると思われるシーンにキリスト教についての本も登場していますが、実際キリスト教の影響を多大に受けており、「白鯨」は神や宿命の暗示ともいれています。 『バケモノの子』では、楓が「白鯨」を自分自身を映す鏡ではないか?と考察しています。つまり主人公は白鯨との戦いを通して自分自身と戦っていると。 これが、渋谷で一郎彦が暴走した闇の姿が鯨をかたどっていることにつながります。もちろん一郎彦が楓の落とした『白鯨』を拾ったのは偶然ですが、一郎彦の闇を表すのは鯨である必然性があったのです。 そして以前心に闇を抱えていた蓮が暴走する一郎彦を放っておけず、その心の闇を受け止めようとしたのも必然。人間としての運命を受け入れたと解釈しても良さそうです。

状況や心情を台詞で説明している意図は?

批判の中で最も厳しいのが、状況や心情を過剰に台詞で説明しているというもの。個人的にはそこまで気にならなかった点であり、作品としても「大切なことをちゃんとセリフで言う」というテーマがあったそうですが、観客の想像力を奪う過剰演出という見方が多いようです。 前述したように、監督の意図は子どもから大人まで「あらゆる世代が楽しめる清々しい映画」を目指すこと。そこに沿うために「わかりやすさ」を求めることには何の違和感もありません。

深読みしない!観たままを楽しむべし

著名なカンフー・アクション俳優ブルース・リーが言った名言「考えるな、感じろ!」。この意図は、意識して「無意識にできるようになる」こと。頭で考えてばかりいると素直に感じる取ることが難しくなるように思います。 『バケモノの子』の中でも九太の修行シーンで、熊徹の動きを無意識のうちに習得できるようになるという場面があります。考えすぎずに感じたままに受け取る、それもこの作品の一つのメッセージなのかもしれません。

『バケモノの子』は、オマージュが散りばめられた「わかりやすい」父×師と息子×弟子の成長物語

細田監督は黒澤明やジャッキー・チェン以外の作品からも多くのインスピレーションを受けて、本作を制作したようです。 他には熊徹、多々良、百秋坊の三人の大人が子育てに奮闘する様子が、1987年のアメリカ映画『スリーメン&ベビー』に似ていたり、エンドクレジットにも中島敦の小説『悟浄出世』が参考文献として挙げられています。 細田監督が目指した王道の冒険活劇は、さまざまなオマージュが散りばめられた師弟の成長物語であり、幅広い世代に向けて発信された「わかりやすさ」を追求した作品でした。 『バケモノの子』で9歳の少年を、『未来のミライ』で4歳児を主人公にした細田監督。いったい次作では、どんなキャラクターを主人公に据えるのでしょうか。