2022年6月27日更新

マイケル・J・フォックスの来歴を振り返る!難病と闘う名優の現在とは

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「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズで主人公マーティ役を務め、一躍世界的に有名になったマイケル・J・フォックス。しかし彼はその後、難病に冒されるなど、波乱の人生を送ってきました。 今回はそんなマイケル・J・フォックスについて、プロフィールから闘病生活、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」以降の活躍について紹介していきます。

マイケル・J・フォックスのデビュー作は?

マイケル・J・フォックスは、1978年にテレビドラマ『The Magic Lie(原題)』にゲストとして出演し、デビューしました。同年のシットコム『Leo and Me(原題)』出演後、本格的に俳優として活躍するようになりました。

マイケル・J・フォックスが抱えている病気は?

2022年現在、マイケル・J・フォックスはパーキンソン病を患い、闘病をつづけています。パーキンソン病は、手足の震えや筋肉のこわばりなど、運動機能に障害が現れる病気です。50歳以上での発症が多い病気ですが、フォックスはかなり若い時期に発症してしまいました。

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マイケル・J・フォックスの基本プロフィール

生年月日 1961年6月9日
出身地 カナダ エドモントン
身長 163cm

マイケル・J・フォックスは、1961年6月9日、カナダのアルバータ州エドモントンで生まれました。父は警察官で、何度も引っ越しをくり返した後、10歳のときに5人のきょうだいとともにバンクーバーに移住。 幼いころはアイスホッケーに夢中になり、スポーツ選手になることを夢見ていたとか。しかし10代から演劇に興味を持つようになり、15歳で俳優デビューしました。18歳のときにロサンゼルスに移住した彼は、数々のテレビシリーズに出演するようになります。 そして1982年から大人気コメディシリーズ『ファミリータイズ』で主人公のアレックス・キートン役を務め、人気を獲得。同作に出演した7年間で彼は、エミー賞主演男優賞を3度、ゴールデン・グローブ賞(ミュージカル・TVコメディ部門)主演男優賞、ピープルズ・チョイス・アワード主演男優賞を受賞しました。 楽観的な性格で知られる彼は、それがその後の闘病生活や財団の設立、俳優復帰などにつながっていると語っています。 ちなみに彼の本名はマイケル・アンドリュー・フォックスですが、デビューする際にすでに同姓同名の俳優がいたため、『俺たちに明日はない』(1967年)などで知られるマイケル・J・ポラードにちなんでミドルネームに「J」を入れたそうです。

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「バック・トゥ・ザ・フューチャー」マーティ役で世界的スターに

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)マイケル・J・フォックス
© UNIVERSAL/All Star Picture Library/Zeta Image

マイケル・J・フォックスの代表作といえば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズです。彼はシリーズ3作全てで主演を務めました。 実はマイケルはもともと主演候補に名前があがっていたものの、前述のテレビシリーズ『ファミリータイズ』の撮影のため、映画との掛け持ちが許されませんでした。 マーティ・マクフライ役にはエリック・ストルツという別の俳優がキャスティングされ撮影がはじまりましたが、彼はクリストファー・ロイド演じるドクとの掛け合いに違和感があり、6週間で降板させられてしまいます。 そのころには「ドラマの撮影を優先する」という条件でドラマ制作側の許可が下り、マイケルがマーティを演じることに。 撮影当時彼は、朝6時に起きてドラマの撮影、夜は映画の撮影というハードスケジュールをこなし、毎日帰宅したときには深夜2時を過ぎれていることも多かったのだとか。そんななかで名作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は生まれたのですね。

現在はパーキンソン病と闘病中の日々を送る

1990年、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』の撮影中から体調不良が見られるようになったというマイケル・J・フォックス。その後1991年の映画『ドク・ハリウッド』撮影中、小指の痙攣と肩の違和感のため病院を受診したところ、パーキンソン病と診断されました。 パーキンソン病は、脳の指令を全身に伝えるドーパミンという物質が減ることで発症する病気です。手足が震える、動作が遅くなる、話からに抑揚がなくなる、転びやすくなるなどの症状が特徴。ドーパミンが減少する原因については、わかっていません。 彼は病気を隠して俳優活動をつづけていましたが、1998年に病状を公表。2000年には当時主演を務めていたテレビシリーズ『スミン・シティ』を降板し、俳優業からの一時引退を宣言しました。闘病生活に入ると同時に、「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」を設立し、パーキンソン病の研究助成活動をはじめます。 その後彼は、2004年に俳優業に復帰。しかし2020年11月、回顧録「No Time Like the Future: An Optimist Considers Mortality(原題)」を発表し、そのなかで2度目の俳優引退を宣言しました。病気の影響による記憶力の低下が理由と語っています。

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「バック・トゥ・ザ・フューチャー」以降の活躍をまとめて紹介

ドラマ『グッド・ワイフ』(2009年)
© CBS/Photofest/Zeta Image

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出演した後、人気者となったマイケル・J・フォックスはその後、映画『ティーン・ウルフ』(1985年)や『摩天楼はバラ色に』(1987年)、『カジュアリティーズ』(1989年)など、硬軟幅広い作品に出演。 俳優業休業中にも「スチュワート・リトル」シリーズで声優を務めています。その後、2004年にテレビシリーズ『Scrubs〜恋のお騒がせ病棟』へのゲスト出演で俳優業に復帰しました。 2010年から2016年には人気法廷ドラマ『グッド・ワイフ』に準レギュラーとして出演。彼が演じた弁護士のルイス・ケニングは運動機能の障害を持つキャラクターで、マイケル自身のパーキンソン病が役に反映されています。 2013年からは『マイケル・J・フォックス・ショウ』で約13年ぶりにテレビシリーズで主演を務めました。

マイケル・J・フォックスに迫るドキュメンタリー映画の製作が進行中

80年代に若手スターとして一気に名声を手にしたマイケル・J・フォックスですが、その後パーキンソン病により俳優業引退を余儀なくされてしまいます。しかし彼はその楽観主義と努力によって、再び私たちの前に元気な姿を見せてくれました。 2022年6月21日には、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーが、彼に第13回ガバナーズ賞のジーン・ハーショルト人道賞を授与することを発表。これは、人道的努力で映画業界に信用をもたらした人物に贈られる賞です。フォックスは、長年のパーキンソン病研究への貢献が評価されての受賞となります。 またマイケルは2022年6月現在、ドキュメンタリー映画の撮影中。そちらの公開も楽しみにしたいですね。