2017年7月6日更新

平泉成、よくモノマネされるベテラン俳優の素顔って?

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平泉成

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平泉成のプロフィール

平泉成は、愛知県岡崎市出身、1944年6月2日に7人兄弟の末っ子として誕生しました。身長は174cmで血液型はO型、現在は芸能事務所・グリーンランド所属のベテラン俳優です。 幼少期は、村祭りの巡回映画で観られる『ローマの休日』などを楽しみにしており、そこから映画俳優への憧れを抱いたのだとか。高校時代は演劇部に所属し、イタリア・フランス映画を好む映画少年でしたが、卒業後は市内の都ホテルにベルボーイとして勤務していました。 私生活では、平泉が36歳の時に13歳年下の女性と結婚し、30年以上にもなる結婚生活は未だにラブラブだそうです。長男は元俳優の平泉陽太で、長女の平泉季里子はテレビ朝日に入社し、テレビドラマなどの宣伝を担当しています。

実は歌手としても活動していた平泉成

かつては、大映レコードに所属する歌手としても活動しており、1967年10月に発売された『愛の歌/夜を抱きしめたい』。1968年には3月の『憧れの大空/誓いの翼』、9月の『十和田湖エレジー/夜霧の中でさようなら』と続けて発売し、計3枚のシングルをリリースしました。 音楽番組への出演、コンサートなどに関する情報は無いため、精力的に活動したわけではない模様。2016年現在、実際に歌う機会は訪れにくいかもしれませんが、ぜひ一度その歌声を聞いてみたいですね。

大映で活躍!

ホテル勤務時代、平泉の映画好きを知る同僚から市川雷蔵を紹介された縁で、大映ニューフェイス試験を受験することになります。1964年、19歳の時に大映京都第4期ニューフェイスの一人に選ばれ、芸能界入りを果たしました。 1966年、本名の平泉征七郎名義で『酔いどれ博士』に出演し、銀幕デビュー。『座頭市物語』などで知られる大映京都エース・三隈研次監督に目をかけられ、役者として成長していきます。 平泉成は期待の若手でしたが、当初はエキストラや斬られ役ばかりで、脇役専門の年月を過ごしました。その後、雷蔵・勝新太郎という二大スターを追いかけるのではなく、脇役に徹する決意を固めます。 京都撮影所では時代劇中心、東京撮影所へ移ってからは現代劇もこなし、「若親分」・「大魔神」・「ガメラ」シリーズなどに出演。増村保造監督の『濡れた二人』、寺山修司監督の『書を捨てよ町へ出よう』でその存在感を示し、1971年の大映倒産まで活躍しました。

自分でモノマネのコツを披露

以前は知る人ぞ知る名脇役でしたが、一般的に知られるきっかけとなったのは、独特の渋い声を真似した芸能人たちによるモノマネ。中でもお笑いタレント“末吉くん”が、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内の、「細かすぎて伝わらない選手権」で披露したものが特に有名です。 平泉成自らコツを披露したこともあり、「喉をしめて息を勢いよく吐く」ことや「少し声を嗄らして喉の奥で発音する」こと。もう一つは、「(俳優の)大滝秀治をイメージする」という、3つのポイントを挙げていました。 末吉くん以外にも、福山雅治・木村拓哉・岡村隆史といった多数の芸能人が披露し、一般人の間では宴会芸の定番になっているのだとか。平泉本人は、多くの人にモノマネされることを好意的に捉えており、応援してくれる宣伝部員だと思って感謝している。と語っています。

趣味のケーナって?

ケーナとは、南米ペルー・ボリビアなどが発祥の民族楽器の縦笛のこと。もともとその音色が好きだったという平泉は、40代半ば頃からケーナの制作を趣味としています。 実は、ケーナ奏者として知られる俳優、田中健のケーナを専属で制作していることでも有名です。材料となる竹は高知県で吟味し、きりやドリルで穴を空けた後やすりで仕上げるそう。竹の形状や穴の位置・大きさで音色が変わるため、納得するものが完成するまでには、何ヶ月もかかることがあるそうです。 より過酷な環境で育った竹の方が良い笛になることもある。とのことで、下積みの長かった俳優人生になぞらえ、人間も同じようなものだと語りました。調律などの都合上、平泉自身も演奏はできるそうですが、演奏会を開けるほどではないと謙遜しています。

もともと芸名は平泉征だった

本名でデビューを飾った後、一時期は”平泉征”と改めて活動していましたが、友人の言葉がきっかけとなり大きな転機が訪れます。 友人曰はく、”占いでよくないものが出ている”と呼び出され、占い師から「”征”は運気が悪い字だから”成”に変えなさい」と言われたそう。半信半疑だったものの、「名前が”平らな泉に成る”というになり、穏やかな人間になる。という意味かな」と考え、改名を決めました。 奇しくも昭和天皇崩御の前年(1988年)のことで、元号「平成」が発表された際には、略して「平(泉)成」だ。と一躍時の人になりました。同年代が次々と俳優の道を諦めていく中、かつての”脇役に徹する”という決意も相まって、”平泉成”は遅咲きの名脇役人生をスタートさせたのです。

悪役も優しい役も演じこなす平泉成

刑事ドラマでお馴染みの悪役・刑事役

フリー転向後はテレビドラマに活躍の場を移行、特に70年代の出演本数は凄まじく、悪役を中心に刑事ドラマなどへ出演しています。70年代には、『太陽にほえろ!』・『Gメン'75』・『必殺!』といった人気シリーズで犯人役をこなし、人気を博しました。 対照的な刑事役、父親役・上司役も徐々に増えるようになり、2時間サスペンスでの刑事役はお馴染みの役柄になりました。特有のハスキーな声で、慇懃に容疑者を追い詰めていく得意の演技は、モノマネの定番としても有名です。

バリエーション豊かな父親役、コミカルな演技にも挑戦

悪役と並んで多いのが父親役で、連続テレビ小説『おひさま』・『あまちゃん』、映画『箱入り息子の恋』を始め、多数の作品で演じました。とにかく子供思いだったり、偏屈で横暴な部分がありながらも本当は優しい父親など、バリエーションは非常に豊富です。 時には、映画『恋の門』中で、『伝説巨神イデオン』のユウキ・コスモのコスプレを披露。ドラマ『サラリーマンNEO』の老け顔のサラリーマン役、CM内の役柄では、コミカルな演技も見ることができます。

長い俳優人生の中で培った演技の幅と深み

幅と深みがある演技力を活かし、1989年の映画『その男、凶暴につき』では、温厚な上司・悪徳刑事の二面性を見事に表現しました。90年代からは再び多数の映画へ出演し、森田芳光監督作『(ハル)』、是枝裕和監督作『誰も知らない』でも存在感を発揮しています。 時代劇や現代劇、また善悪を問わない役柄を多彩に演じ、多くの作品を支える平泉成。主役を食わない脇役を演じ続け、いぶし銀の魅力と味のある名脇役の地位を築いてきました。