映画『ブレードランナー』のあなたの知らない裏話20

2017年7月6日更新

リドリー・スコット監督『ブレード・ランナー』(1982)は世界中にファンを抱える20世紀の傑作SF映画。本作には今まであまり知られていなかった裏話や製作秘話がたくさん隠されていました。今回は『ブレードランナー』のあなたの知らない裏話20を紹介します。

1.リドリー・スコットは一度断っていた!?

ブレードランナー

『ブレード・ランナー』の脚本を受け取った時、リドリー・スコットはSF小説の傑作『デューン』の映画化プロジェクトを進めていたため、本作のオファーを1度断っていました。

しかし、『デューン』の脚本のクオリティが低かったことやあまりに膨大な時間がかかることが分かり、本作の監督オファーを受けることになったそうです。

2. 脚本家が精神的に疲弊して泣いていた!?

ブレードランナー

ハンプトン・ファンチャーの脚本に満足出来なかったため、リドリー・スコットはセカンドライターとしてデヴィッド・ピープルズを招聘しました。

その時点で少なくとも10回の修正を繰り返していたファンチャーは精神的に疲弊、新たな脚本を読んだ後に涙を流していたそうです。

3.フランスのコミックからインスパイアを得ていた!?

ブレードランナー

上記のリドリー・スコットが描いた『ブレード・ランナー』のイメージ画はフランスのコミック『スクリーミング・メタル』からインスパイアされていたそうです。

4.バッティが脇役になる可能性があった!?

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製作中、ロイ・バッティ(ルドガー・ハウアー)のキャラクター設定は何度も変更が加えられていました。ある時点では、バッティが映画冒頭で死亡する設定が考えられていたそうです。

5.あの名場面はアドリブだった!?

ルドガー・ハウアー ブレードランナー

リドリー・スコットはルドガー・ハウアー出演作を気に入っていたため、直接面会せずにハウアーをロイ・バッティ役に抜擢しました。

また、ハウアーがその場で考え出した様々アイデアが採用されていたそうです。例えば、バッティがハトを抱きながら死亡、その後にハトが飛び立つアイデアはハウアーが考えたアイデアです。

6.ダスティン・ホフマンがリック役の有力候補だった!?

ブレードランナー

ハリソン・フォードの他に、ダスティン・ホフマン、ピーター・フォーク、アル・パチーノ、バート・レイノルズなどがリック・デッカード役候補に挙がっていたそうです。

その中で特に有力だったのが、数か月間リドリー・スコットとミーティングを行っていたダスティン・ホフマンでした。ダスティン・ホフマンが思い描くデッカードとリドリー・スコットのアイデアに大きな開きがあったため、ホフマンは出演オファーを受けなかったと言われています。

7.ショーン・ヤング起用の意外な理由とは!?

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当時、レイチェルを演じたショーン・ヤングは映画経験が少ない女優だったため、彼女のために何度もリハーサルを繰り返さなければならかったそうです。

リドリー・スコットが無名の女優を好むことと、『風と共に去りぬ』で知られるヴィヴィアン・リーに似ていたことがヤング起用の大きな理由だったと言われています。

8.撮影でレイチェルを泣かしていた!?

ハリソン・フォード ショーン・ヤング ブレードランナー

撮影中、ショーン・ヤングとハリソン・フォードの関係はあまりフレンドリーではなかったようです。セックスシーンで監督がフォードにヤングを窓の押し付けるように指示、それを知らなかったヤングは泣きだしてしまったそうです。

その後、ハリソン・フォードはパンツを下ろして彼女を笑わそうとしていたとヤングは語っています。

9.ブリスに影響を与えた映画キャラクター!?

ダリル・ハンナ  ブレードランナー

ダリル・ハンナ演じるプリスのメイクアップは『ノスフェラトゥ』(1979)クラウス・キンスキー演じるドラキュラ伯爵からインスパイアを得ていたそうです。

ノスフェラトゥ クラウス・キンスキー

名作のオマージュがいいですね。

10.ヘビとフュージョン!?

ブレードランナー ジョアンナ・キャシディ

ジョアンナ・キャシディ演じるレプリカント“ゾーラ”は蛇がトレードマークのキャラクター。リドリー・スコットはゾーラと蛇を合体させて1つにするシーン構想を練っていましたが、予算の関係で実現しなかったそうです。

11.未来都市TOKYO!?

ブレードランナー

未来都市のデザインを任されていたアーティスト”シド・メッド”はリドリー・スコットから、東京のような未来都市を描いてほしいと依頼されていたそうです。

12.車だけで5ヵ月!?

ブレードランナー

イラストレーター“シド・メッド”が描いたデザインから実際に27台の車が制作されました。車の美術を担当したジーン・ウィンフィールドによると、50人体制で1日18時間、5か月半かけて車を完成させたそうです。