2019年5月16日更新

伝説の美男子アラン・ドロンのおすすめ映画や逸話をまるっと紹介

アラン・ドロン
© Times Films/zetaimage

フランスを代表する俳優であり、「美男子の代名詞」とも称されたアラン・ドロン。その容姿と、繊細かつ軽快、ワイルドな演技から世界でも高く評価されています。今回はそんな彼について、プロフィールや経歴を振り返りつつ、彼の出演映画を厳選して紹介します。

目次

アラン・ドロンは世紀の美男子と呼ばれた伝説の俳優

アラン・ドロンとはフランスの映画俳優です。普段あまり映画を見ない人でも、一度は彼の名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。1950年代に映画デビューすると、その美しいルックスで世界中にファンを獲得し、「二枚目」の代名詞とされてきました。 彼は2017年に引退を発表し、およそ60年の俳優人生に幕を下ろしました。日本でも、アラン・ドロンの俳優生活60周年を記念した映画上映会が行われるなど、彼が映画界に与えた影響はかなり大きいと言えます。 今回は、そんなアラン・ドロンのプロフィールや経歴を追いつつ、彼の出演映画を厳選して紹介していきます。

アラン・ドロンってどんな人?経歴や人物像

アラン・ドロン
© MGM/zetaimage

アラン・ドロンは、1935年11月8日にフランス・パリ近郊の町で生まれました。幼少期は、里親に育てられるなど、不遇な家庭環境で育ちます。彼は家庭不和から女性不信に陥り、苦しみから逃れようと17歳でフランス外人部隊に入隊。第一次インドシナ戦争に従軍しています。彼は除隊後、世界を放浪していました。 デビューするきっかけになった出来事も、有名なエピソードです。1957年、アラン・ドロンがパリに戻った時、映画祭が開催されていたカンヌの街を上半身裸で歩いたそうです。その時、ハリウッドの一流エージェントが彼に目を付けました。 アラン・ドロンは契約を持ちかけられましたが、「まずはフランスで勝負がしたい」と、アメリカでの俳優デビューを断ります。大きなチャンスに対し首を横に振ったアラン・ドロンですが、その後フランスで勝負するという宣言をすぐに実現することになります。彼はイヴ・アレグレ監督のフランス映画『女が事件にからむ時で』(1957年)で映画デビューを果たすことになるのです。 彼はたちまち世界中で人気となり、1950年代から1980年代にかけて、美男子の代名詞的存在とされました。とりわけ日本では絶大な人気を誇ったため、今でも「アラン・ドロン」の名前は有名ですよね。『太陽がいっぱい』、『地下室のメロディー』などで彼が見せた、ファッションやサングラス、煙草の吸い方に憧れた男性も多く、男女共に幅広い層のファンに愛されました。

色男の女性遍歴 子供は何人いるの?

アラン・ドロンはスキャンダルが多い人物です。 1950年代に世界的スターとなった彼は、女優のロミー・シュナイダーと婚約しました。しかし彼はその婚約を破棄し、1964年に女優のナタリー・バルテルミーと結婚します。そして2人の間には、息子のアントニー・ドロンが生まれました。子供を授かり、一見幸せなビッグカップルでしたが、彼らは1966年には離婚しています。 1987年には、オランダ人でモデルのロザリー・ファン・ブレーメンと恋愛関係になりました。アラン・ドロンは籍こそ入れていなかったものの、2人の子供をもうけました。しかし彼女との関係も、2002年には終わりを迎えます。 アランドロンの色男ぶりが分かるエピソードは、まだ尽きません。彼は、ドイツ人歌手であるニコと関係を持っていたこともあるそうです。2人の間には息子が生まれましたが、アラン・ドロンは認知していません。 世界的な美男子ともなると、恋愛遍歴もスキャンダラスですね。

アラン・ドロン出演のおすすめ映画

ここからは、アランドロンが出演している映画を厳選して紹介していきます。「二枚目」の代名詞と言われた美男子の姿を、ぜひご覧あれ。

『太陽がいっぱい』(1960年)

アラン・ドロンの名が世界的に知られるきっかけ

『太陽がいっぱい』は1960年公開の、フランスとイタリアの合作映画です。 アラン・ドロン扮する貧しい青年トム・リプリーは、富豪のグリンリーフに、放浪中の息子フィリップを連れ戻すよう依頼されます。トムは成功報酬5000ドルを目当てに、フィリップに近づくのですが、フィリップは帰国する気が全くありませんでした。謝礼金が得られなくなったトムは、フィリップの金銭目当てで行動を共にしますが......。 本作は ルネ・クレマン監督の代表作と言われるサスペンス映画で、ニーノ・ロータが歌う主題歌と共に大ヒット。天使の顔をした悪人を見事に演じ切ったアラン・ドロンは、その名を世界に響かせました。

『地下室のメロディー』(1963年)

アラン・ドロンとジャン・ギャバン、フランスの2大スターの共演

『地下室のメロディー』は、1963年制作のフランス映画です。同年のゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞しています。 5年の刑を終え、娑婆に出てきたギャングのシャルル(ジャン・ギャバン)。彼はカンヌのパルム・ビーチにあるカジノを襲撃し、多額の賭金を盗みだすための緻密な計画を立てます。チンピラの青年フランシス(アラン・ドロン)を相棒にし、生涯最後の大仕事に取り掛かるのですが......。 主演のジャン・ギャバンと、アラン・ドロン、新旧2大スターが見事なコンビネーションで演じる犯罪アクションから目が離せません。

『山猫』(1963年)

20世紀の巨匠ルキノ・ヴィスコンティが、自身の血統であるイタリア貴族を描いた

『山猫』は1963年公開の、イタリアとフランスの合作映画です。 舞台は19世紀半ば、イタリア統一戦争のさなかにあるシチリア島です。祖国の解放を目指す義勇兵団・赤シャツ隊がシチリアに上陸し、戦いを繰り広げます。国の政権を奪い合う、激動の時代を描いた作品です。アラン・ドロンは、長くシチリアを統治してきたサリーナ侯爵の甥でありながら、赤シャツ隊に参加するタンクレディを演じました。 巨匠ヴィスコンティが、自身の血統であるイタリア貴族を取り扱い、「唯一自身を語った作品」と評されることもある作品。第16回カンヌ国際映画祭ではパルム・ドール賞を受賞しました。

『パリは燃えているか』(1966年)

第二次大戦のパリ解放を描いた群像劇

『パリは燃えているか』は1966年公開の、アメリカとフランスの合作映画です。第二次世界大戦末期のパリ解放を描いた戦争映画です。監督は『太陽がいっぱい』(1960)などのルネ・クレマン、脚本はゴア・ヴィダルとフランシス・フォード・コッポラです。 フランス・パリは、1940年ナチスに占領されます。しかし1944年になると、アメリカやイギリスの連合軍がノルマンディーに上陸しました。また、ナチスはソビエト連邦との戦いも並行しており、徐々に劣勢になっていきます。ナチスの指導者ヒトラーは、パリが連合軍に奪われるくらいなら焼き払え、と命令を下したのでした。レジスタンスは、パリが破壊されるのを防ぐために奮闘します。 アラン・ドロンはレジスタンスの重要人物、デルマを演じています。デルマの活躍は戦闘よりも、占領軍との政治的な駆け引きが中心です。

『冒険者たち』(1967年)

アラン・ドロンとリノ・ヴァンチュラ主演、宝探しの旅に向かう男女の物語

『冒険者たち』は1967年公開のフランス映画です。1963年映画『美しき人生』や1975年映画『追想』で知られる、ロベール・アンリコが監督を務めました。 自動車技師のローラン、パイロットのマヌー、彫刻家の女性レティシアの3人は、それぞれの夢を実現させるために支え合い、絆を深めます。しかし、彼らの前には厳しい現実がはだかり、夢破れることに。 そんなあるとき彼らは、数年前のコンゴ動乱の際、国外への脱出を試みて墜落した飛行機の噂を耳にします。その飛行機には莫大な財宝が積まれたままだとか。一攫千金を目指して、コンゴの海へ向かう旅に出た男女の三角関係を交えつつ、3人が迎える悲愴な結末を辿ります。 アラン・ドロンは、若くハンサムなパイロット・マヌーを演じています。

『世にも怪奇な物語』(1968年)

3人の監督が描く、ポー原作のオムニバスホラー

『世にも怪奇な物語』は1968年公開の、オムニバス形式になっているホラー映画です。エドガー・アラン・ポーの小説が原作になっています。全3話で構成されており、アラン・ドロンは第2話「影を殺した」男に出演しています。 寄宿学校に通うウィルソン少年の前に、彼とうり二つで同じ名前の少年が現れます。ウィルソンは悪事を働くサディストでしたが、もう一人のウィルソンは彼の悪事を妨害していました。あるとき、ウィルソンがギャンブルでイカサマをしていると、もう一人のウィルソンはそのインチキを見破ります。怒り狂った彼は、もう一人のウィルソンを殺害してしまうのですが......。 狡猾でサディスティックな少年ウィルソンを、アラン・ドロンが演じています。

『あの胸にもういちど』(1968年)

峰不二子のモデルとなったヒロインの、恋愛メロドラマ

『あの胸にもういちど』は1968年公開の、フランス・イギリス合作映画です。バイクに乗るヒロインは、「ルパン三世」に登場する峰不二子のモデルになりました。 ヒロイン・レベッカは、婚約中にも関わらず大学教授ダニエルとの密会を重ねます。彼女が結婚した後も関係は続き、夫が寝静まった夜、ダニエルから送られたオートバイを駆って彼のもとへと向かうのです。愛に突っ走る女性の姿をサイケデリックに表現しつつ、最後には衝撃の出来事が待っていて......。 アラン・ドロンは、若いレベッカを調教、巧みに女として育て上げる不倫相手のダニエル役で出演しています。ヒロイン・レベッカを演じているのは、歌手・女優のマリアンヌ・フェイスフルです。

『さらば友よ』(1968年)

アラン・ドロンとチャールズブロンソン演じる男たちの友情ドラマ

『さらば友よ』は1968年公開のフランス映画です。 戦争帰りの軍医ディノ・バランは、見知らぬ女から声をかけられます。彼女はバランに「勝手に持ち出した会社の債券を金庫に戻してほしい」と依頼しました。バランは依頼を受け、債券を金庫に戻しますが、その金庫に入っていた金を盗もうとするのです。彼は盗みに入りますが、なぜかその金庫の中に閉じ込められてしまいます。 アラン・ドロンは、戦争で心に苦悩を抱えた軍医・ディノ・バランを演じています。奇妙な脱出劇に注目です。

『太陽が知っている』(1969年)

アラン・ドロンが絶望した殺人者を演じる

『太陽が知っている』は1969年公開の、フランス・イタリアによる合作映画です。 主人公は挫折した作家のジャン・ポール。彼は恋人と共に、太陽の日差しが降り注ぐサントロペの別荘で優雅な休暇を過ごしていました。しかしそこへ、女の元恋人が娘を連れてやって来たことから、事態は思わぬ方向へと進んでいくことに。 ジャン・クロード・カリエールを始めとする3人の作家が描いたシナリオを、『ある晴れた朝突然に』のジャック・ドレイが映像化。アラン・ドロンは主人公のジャン・ポールを演じています。4人の男女の心情が入り混じる心理劇がどのような決着を迎えるのか、ぜひ見届けてください。

『ボルサリーノ』(1970年)

洗練されたファッションとインテリアに注目のギャング映画

『ボルサリーノ』は1970年公開の、フランス・イタリアによる合作映画です。当時、アラン・ドロンとともに人気のあったフランスの男優、ジャン・ポール・ベルモンドと共演したギャング映画で、ドロン自身が製作に関わっています。 舞台は1930年のマルセイユ。出所したロッコ・シフレディ(アラン・ドロン)が、自分の女に会いに行くと、そこにフランソワ(ジャン=ポール・ベルモンド)がいました。2人は女を取り合って喧嘩になります。しかし、仲直りした2人は一転して大親友になるのです。そして彼らは、2人でマルセイユの暗黒街に進出するのですが......。 本作では、フランスにも義理と人情の世界があることが発見できます。また登場人物たちの粋なファッションやインテリアも見どころです。

『レッド・サン』(1971年)

日米仏の3大スターが共演した異色の西部劇

『レッド・サン』は1971年公開の映画です。フランス・イタリア・スペインの共作で、日本映画の三船敏郎、ハリウッド映画のチャールズ・ブロンソン、フランス映画のアラン・ドロン。世界の3大スターが共演して大ヒットした作品です。 強盗団のリンク(チャールズ・ブロンソン)と相棒のゴーシュ(アラン・ドロン)は、郵便貨車を襲い、金貨と黄金に輝く宝刀を手に入れました。その後ゴーシュはリンクを裏切り、金品を独り占めします。一方、黒田重兵衛(三船敏郎)は、強盗団に奪われた宝刀を取り戻す命令を受けました。彼は、相棒に裏切られたリンクと手を組み、日米修好に重要な宝刀の奪還を目指します。 アラン・ドロンとブロンソンが『さらば友よ』以来の共演を果たし、映画ファンの間で話題になりました。

『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)

ゴダールの芸術映画でドロンが主演

『ヌーヴェルヴァーグ』は1990年公開の映画で、スイス・フランスの合作です。戦後フランス映画の革新運動「ヌーヴェルヴァーグ」の理論的リーダーとも言える、ジャン・リュック・ゴダール監督が、アラン・ドロンを主演に起用しました。 大財閥の当主である女性・エレナは、交通事故に遭った男性・ロジェを救います。放浪者だった彼は、エレナの屋敷に住み着くようになりましたが、ある事故により消息不明となります。事故から1年後、エレナの前にロジェとそっくりの男が現れます。エレナは彼に惹かれていくのですが......。 本作は、フランス芸術映画の雄であるゴダールの映画に、商業映画の代表格とも言うべきドロンが主演し、さらに題名がずばり『ヌーヴェルヴァーグ』であったことが話題となった作品です。ゴダールは「アラン・ドロンを撮影するということは、1本の樹を撮るということだ」という名言を残しています。

『百一夜』(1995年)

アラン・ドロン主演!映画発明100年を祝福して作られた、映画スター夢の共演の大型映画

『百一夜』は1995年公開の映画で、フランスとイギリスの合作です。本作は映画発明100年を記念して制作された作品で、フィクションとドキュメンタリーが融合した異色のコメディになっています。 映画ファンのカミーユは、100歳の老人が話す映画の話を、101日間聞き続けるアルバイトを始めます。彼は、老人の莫大な財産を相続するはずの肉親が行方不明になっていることを知り、そのお金で映画を撮影することを思いつくのでした。 欧米の有名俳優が多数出演するほか、現在に至るまでの歴史を彩る映画の数々の名シーンも挿入され、映画誕生100年を記念するにふさわしい名作です。映画ファンは必見ですね。

アラン・ドロンにまつわるトリビア

ここではアラン・ドロンにまつわる、少しニッチな情報をお届けします。彼の演技やプライベートをクローズアップしてみましょう。

戦場での経験が演技に活きている?

彼は、劇中で見せる殺しのシーンなどが上手いことで有名です。戦場を経験しているためか、リアルで迫力がある名場面が多くみられます。 また、彼は銃の取り扱いがプロ級です。拳銃を撃つシーンでは、必ず安全装置を外す仕草をするのです。これもインドシナ戦争に従軍していた経験によるものと思われます。

香水をプロデュースしている

アラン・ドロンは、自身の名をブランド名にして、香水をプロデュースしています。中でも「SAMOURAI」や「SHOGUN」という香水は日本をモチーフにしており、デザインや香りが日本でも人気です。

息子たちも俳優の道へ

アラン・ドロンとナタリー・ドロンの間に生まれた、アントニー・ドロン。彼もまた俳優としての道を歩んでいます。父であるアラン・ドロンと比較されることが多く、俳優としては悩みも多いようです。 アントニー・ドロンは俳優業だけでなく、レザージャケットのブランドを立ち上げています。フランスを中心に、ヨーロッパに130店舗を展開する、人気ブランドとなっています。 また、ロザニー・ファン・ブレーメンとの間に生まれたアノシュカと、アラン・ドロン・ジュニアも、俳優として活動しています。

俳優活動60周年を記念した特別上映会が日本で行われた

2017年に日本で、アラン・ドロンの俳優生活60周年を記念した上映会が開かれました。2017年は彼が引退を発表した年でもあり、節目の年です。上映会は2週間限定で、『冒険者たち』や『山猫』など全6作品がスクリーンによみがえりました。

アラン・ドロンはフランス映画界のレジェンド

アラン・ドロン
©PHOTOPQR/LE PARISIEN

今回は、フランスの俳優アラン・ドロンについて紹介してきました。彼は、甘いルックスと確かな演技力で、世界中の映画ファンをうならせてきた、伝説的な人物です。日本にもいまだにファンが多く、彼が映画界に与えた影響は計り知れません。 残念ながらすでに引退してしまいましたが、彼の功績はこれからも語り継がれることでしょう。