ユマ・サーマン、『キル・ビル』主演女優を8つの事実から徹底解剖!
ユマ・サーマン
ユマ・サーマンは1970年アメリカ合衆国出身の女優です。 ファッションモデルを経て、1987年に『ミッドナイト・ガール』で女優デビュー。以来、『バロン』(1988)、『パルプ・フィクション』(1994)、『ガタカ』(1997)、『キル・ビル』(2003)など、着実にキャリアを積んでいます。 私生活では、ゲイリー・オールドマンやイーサン・ホークと結婚していました。そんなユマ・サーマンの不思議な魅力の秘密を探ってみましょう。
1:モデルとしてキャリアをスタートしたユマ・サーマン
2:『パルプ・フィクション』のミア役がぶっ飛んでてかわいい
1994年のクェンティン・タランティーノ監督作品『パルプ・フィクション』は、ジョン・トラボルタ演じるギャングの殺し屋、ヴィンセントを主人公としたバイオレンス・アクションです。同年のアカデミー賞に7部門ノミネートし、脚本賞を受賞。第46回カンヌ国際映画祭ではパルムドールを受賞しました。 時系列の入り組んだ編集や長い会話シーンなど、タランティーノ監督の持ち味を示した作品で、タイトルの通り、いくつかのくだらない話(=パルプ・フィクション)の複合体です。 この作品でユマ・サーマンは、ギャングのボス、マーセルスの妻ミアを演じています。夫が留守の間、夫の部下であるヴィンセントに面倒を見てもらうことになった元女優のミアは、奔放な言動でヴィンセントを困らせます。
ジョン・トラボルタとのダンスシーンがアツい!
3:『キル・ビル』では見事な刀さばきを見せる
同じくタランティーノ監督の『キル・ビル』(2003)と続編『キル・ビル vol.2』(2004)にも、ユマ・サーマンは主人公ザ・ブライド役で出演しています。 ザ・ブライドは、世界中を震撼させた暗殺集団の最強のエージェントでした。妊娠を機に引退し結婚する予定でしたが、結婚式当日にかつてのボス、ビルから4人の殺し屋を差し向けられ、婚約者とお腹の子供を亡くし、自身も昏睡状態に陥ってしまいます。 5年後、奇跡的に目を覚ました彼女は、ビルと4人の殺し屋に復讐を果たすため旅に出る、という物語です。 派手なアクションや暴力表現がふんだんに盛り込まれた『キル・ビル』は、日本のヤクザ映画やチャンバラ時代劇、香港のカンフー映画やマカロニ・ウェスタンなど、タランティーノ監督の好きな映画のテイストをすべてごちゃ混ぜにしたエンターテイメント作品に仕上がっています。 ブルース・リー風の黄色のジャージで日本刀を使いこなすブライドのアクションシーンが注目を集めました。ユマ・サーマンは、同作に伝説の殺し屋で刀鍛冶の服部半蔵役で出演している千葉真一から剣術を教わったそうです。
バトルシーンがかっこよすぎる!
復讐に燃えるザ・ブライドを演じたサーマンは、日本刀を使ったバトルシーンを含む数々のアクションシーンを演じています。 なかでも日本のレストラン「青葉屋」で、ルーシー・リュー演じるオーレン・石井の部下である殺人集団「クレイジー88」とのバトルシーンは、コミカルなカットや多くの作品へのオマージュも含まれており、見ごたえのあるものとなっています。
4:『レ・ミゼラブル』でファンティーヌを演じたことも!
1998年の『レ・ミゼラブル』は、ヴィクトル・ユゴーの小説を原作に、主人公ジャン・バルジャンとジャベール警部の関係に焦点をあてて映画化されたものです。 この作品でユマ・サーマンは、のちにバルジャンに引き取られることになるコゼットの母、フォンティーヌを演じました。さまざまな困難に出会いながらも、遠く離れた娘の養育費を捻出するため無理をして働き、ついには病に倒れてしまうフォンティーヌを鬼気迫る演技で表現し、好評を博しました。
5:名作『ガタカ』では主人公に想いを寄せるヒロインを演じる
映画『ガタカ』は、自然妊娠によって生まれた「不適正者」と遺伝子操作によって生まれた「適正者」の存在する世界を舞台にした名作SFです。「不適正者」である主人公ヴィンセント(イーサン・ホーク)が宇宙飛行士になる夢を叶えるため、「適正者」でありながら事故により車椅子生活を送っているジェローム(ジュード・ロウ)になりすますという物語です。 この作品でユマ・サーマンが演じたのは、遺伝子情報を偽って宇宙局「ガタカ」に入局したヴィンセントに思いを寄せる同僚の女性、アイリーンです。非の打ち所のない美しさで、「適正者」としてのアイリーンの存在感を示しました。
6:ダイヤモンド☆ユカイと交際していた?
ユマ・サーマンは、バラエティ番組でもおなじみのロックミュージシャン、ダイアモンド☆ユカイと交際していたとの噂があります。その真相はどのようなものだったのでしょうか? 1987年、映画『TOKYO POP』で俳優デビューしたユカイは、同年のカンヌ国際映画祭でサーマンに出会いました。2013年の映画公開イベントで、その時の様子について次のように語っています。
「あれ実はね、俺がナンパしたわけじゃなくて、お互いにそうなったんだよね」と続けたユカイは、そのときの真相について「目の前に座ったユマがけっこうかわいかった。お互いのあうんの呼吸だね。アイコンタクト。こんなところにいてもつまらないだろう、という気持ちが伝わったんだよ。(本作でモテ男を演じる)バトラーと一緒だよ。ナンパとは違う。人聞きが悪いよね」とコメント。
他にもサーマンは数々の有名人と浮名を流しており、1989年にはイギリス人俳優のゲイリー・オールドマンと結婚しましたが1992年に離婚。その後、ロバート・デ・ニーロや、ザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、リチャード・ギアらと交際しましたが、1997年に『ガタカ』で共演したイーサン・ホークと結婚し、子供を2人出産しました。 2004年にホークの浮気が原因で離婚。2007年から交際を開始したスイス人の億万長者アーパッド・ブッソンと2008年に婚約。いちど破局するもよりを戻し、2012年7月にブッソンとの間に女児を出産します。2014年にブッソンとは再び破局し、現在はシングルのようです。
7:ケヴィン・スペイシーと一緒にノーベル賞コンサート司会を務めた
毎年ノーベル平和賞授与式の翌日に、ノルウェーのオスロで開催されているノーベル平和賞記念コンサート。ユマ・サーマンは、2007年のコンサートでケヴィン・スペイシーとともに司会を務めました。 サーマンは、クリスチャン・ディオールのドレスに身を包み、同年受賞したアル・ゴア元アメリカ副大統領の栄誉を称えました。
8:ユマサーマンの顔が激変?
2015年2月、ニューヨークで行われた新番組のプレミアに現れたユマ・サーマンの顔が激変していると衝撃が走りました。 あまりの変化に整形疑惑が浮上したものの、長年サーマンのメイクを担当しているメイクアップ・アーティストのトロイ・サラットは「メイクで実験した」と疑惑を否定しました。サラットはRefinery29のインタビューで次のように語っています。
「フランスっぽい感じを狙って、まゆげをいつもより濃くし口元にも大胆なリップをさした」とのこと。「顔全体に輝きを与えるクリーミーファウンデーションを塗り、毛の生え際と頬骨にそって色を乗せ、あたたかみを出した」と説明した。目元は通常よりも断然、軽めのメイクにしたとのことで、濃い色のアイシャドウやアイライナーを使わず、マスカラも付けなかったため、ユマの雰囲気が変わったようだ。新しいメイクで騒がれたユマだが、トロイいわくユマ本人は「美しいと思った」と話している。
9:娘のマヤ・サーマン=ホークも女優デビュー
ユマ・サーマンとイーサン・ホークの娘、マヤ・サーマン=ホークは1998年生まれで、モデルとしてデビューする前から、その美貌が評判になっていました。 18歳のとき、ジュリアード音楽院に入学したばかりの頃、イギリスのブランド「オールセインツ」のコレクションでモデルデビュー。『Far From Here(原題)』という、キャンペーンのために製作されたショートフィルムは故郷であるウッドストックで撮影されました。 2017年、19歳でイギリスBBC制作のドラマ『若草物語』に出演し、女優としても活動を開始。映画界への進出も期待されます。
10:ユマ・サーマンがラース・フォン・トリアーの新作に出演!
ラース・フォン・トリアー監督の新作、『The House That Jack Built(原題)』に、ユマ・サーマンが出演することが決定しています。彼女はトリアー監督の前作、『ニンフォマニアック』2部作に(2013)にも出演してます。 舞台は1970年代、知能を駆使して殺人を芸術にまで高める連続殺人犯ジャック役に、マット・ディロンが決定。共演は『ベルリン・天使の唄』(1987)などのブルーノ・ガンツ、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)などのライリー・キーオです。 監督はこの新作のイメージ写真として、同じデンマーク出身のドライアー監督の『吸血鬼』(1932)を想起させる作品を発表しています。ラース・フォン・トリアー監督の新作は、2018年に海外で公開予定です。