タップできる目次
- 1.初めての仕事は船医!?
- 2. コナンは名字ではなかった!?
- 3.ピーターパンの作者と同じチームに所属していた!?
- 4.コナン・ドイルがいなければ『ジュラシックパーク』は生まれていない!?
- 5.初めて執筆した作品が紛失した!?
- 6.シャーロック・ホームズばりの推理をしていた!?
- 7.妖精を信じていた!?
- 8.ゴールキーパーとしても活躍していた!?
- 9.国会議員に立候補していた!?
- 10.体重オーバーで戦えなかった!?
- 11.ナイトの称号を与えられた!?
- 12.イギリス最古のモータースポーツ競技者!?
- 13.スキーの達人だった!?
- 14.コナン・ドイルと同じ誕生日のセレブたち!?
- 15.ロマンチックな最期を迎えた!?
1.初めての仕事は船医!?
青年時代に医学を学んだコナン・ドイルが初めて就いた職業は捕鯨船の船医でした。当時ドイルは21歳、船旅での様々な経験が彼の冒険心の扉をこじ開け、その後の作品に多大な影響を及ぼしたと言われています。
2. コナンは名字ではなかった!?
彼の”コナン”は名字ではありません。彼の本名はサー・アーサー・イグナチウス・コナン・ドイル。コナンは2つのミドルネームの内の1つです。
高校を卒業して間もなく、彼はコナンを名字として使用し始めたと言われています。
3.ピーターパンの作者と同じチームに所属していた!?
文才だけでなく、スポーツの才能も持ち合わせていたコナン・ドイルはクリケット選手としても活躍していました。コナンと同じクリケットチームにはピーターパンを生み出した作家ジェームス・マシュー・バリーが所属していました。
彼らは共同でコミックオペラ“ジェーン・アニー”を手掛けたことがあります。
4.コナン・ドイルがいなければ『ジュラシックパーク』は生まれていない!?
もし、コナン・ドイルがこの世に誕生していなかったら、スティーブン・スピルバーグの傑作『ジュラシック・パーク』は生まれていなかったかもしれません。
彼が『失われた世界』を発表した当時、“恐竜”という存在や言葉は人々に馴染みのないものでした。
恐竜が登場するSFフィクション『失われた世界』は世の中に強烈なインパクトを残し、その後続々と恐竜が出てくるフィクションが生み出されました。
もちろんその中には名作『ジュラシック・パーク』や『キングコング』が含まれています。
5.初めて執筆した作品が紛失した!?
『失われた世界』を発表する前に、コナン・ドイルの失われた作品が存在したようです。
23歳で初の小説を執筆。それを出版社に送るため、期待を胸に原稿をポストへ投函しました。しかし、ポストに投函された彼の原稿は紛失してしまい、出版社へ届けられることはありませんでした。
その後、ドイルは記憶を頼りに1から作品を執筆し直さなければならなかったと言われています。
6.シャーロック・ホームズばりの推理をしていた!?
コナン・ドイルはまるでシャーロック・ホームズのように自らミステリアスな事件を捜査することがあったようです。ドイルが追った事件の中にはイギリスで有名な切り裂きジャック事件も含まれていました。
ドイルはこの事件の犯人は容易に女性の信頼を得られ、血まみれの服を着ても怪しまれない助産師の女性だと推理したと言われています。
この事件は未解決のため、ドイルの推理の真偽はいまだ藪の中です。
7.妖精を信じていた!?
上記の妖精に囲まれた少女の写真が世に出てきたとき、コナン・ドイルはこの写真は超常現象が存在する証拠だと主張していました。
ドイルは『妖精の到来』という作品を発表するほど妖精の存在を信じていましたが、ドイルが死んだ後この写真に写る女性が偽物であったことを認めています。
8.ゴールキーパーとしても活躍していた!?
クリケットに加え、コナン・ドイルはサッカーも得意だったようです。
現在のイギリスのプロサッカークラブ“ポーツマスFC”の前身となる“ポーツマス・アソシエーション・フットボールクラブ”でゴールキーパーとしてプレイしていました。
9.国会議員に立候補していた!?
コナン・ドイルは生涯で1900年と1906年の2度国会議員に立候補していました。どちらの選挙でも相当数の票を獲得したものの、当選には至りませんでした。
10.体重オーバーで戦えなかった!?
ボーア戦争が勃発した時、コナン・ドイルは軍に入隊して戦うことはありませんでした。入隊できなかった理由は、彼が太り過ぎていたためだと言われています。
戦場で戦う代わりに、ドイルはアフリカへ向かう船の軍医として働くことになりました。
11.ナイトの称号を与えられた!?
1902年、コナン・ドイルはエドワード7世よりナイトの称号を与えられました。
ドイルがナイトの称号を与えられた理由はシャーロック・ホームズを生み出したからではなく、ボーア戦争に関するノンフィクション作品によるものでした。
12.イギリス最古のモータースポーツ競技者!?
1911年、コナン・ドイルはヘンリー王子が主催した国際レース“プリンス・ヘンリー・ツアー”に参加しました。
コナンはイギリスドライビングチームの一員として、2番目の妻ジーンとペアを組んで出場。コナン・ドイルはイギリスで最も古いモータースポーツ競技者の1人だと言われています。
13.スキーの達人だった!?
クリケットやサッカーに加えて、コナン・ドイルはウインタースポーツにも情熱を傾けていました。1983年スイスのダボスに引っ越した後、ドイルはスキーを習い始めかなりの腕前になったそうです。
コナンは『You let yourself go』という作品を発表していますが、初めてスキーのスリルを書籍化したイギリス人がコナン・ドイルだと言われています。
14.コナン・ドイルと同じ誕生日のセレブたち!?
コナン・ドイルの誕生日は5月22日です。俳優のローレンス・オリバー、モデルのナオミ・キャンベル、テニスプレイヤーのノバク・ジョコヴィッチなど、名だたるセレブが彼と同じ誕生日です。
15.ロマンチックな最期を迎えた!?
1930年7月7日、コナン・ドイルは自宅の庭で花を持ちながらこの世を去りました。彼が最後に残した言葉は“君は最高の妻だった”だと言われています。