赤塚不二夫がギャグ漫画の王様と呼ばれるゆえんを解き明かす!

2017年7月6日更新

『おそ松さん』の大ヒットで再び注目が集まっている赤塚不二夫。ギャグ漫画の王様と言われ、タモリとの交流も有名な彼の生涯についてまとめました。

大ヒット作を生み出した漫画家、赤塚不二夫

2015年に生誕80周年を迎え、記念に製作されたアニメ『おそ松さん』が社会現象になるほど大ヒットを記録するなど、その独自の世界観が再び注目されている赤塚不二夫。

『おそ松くん』の他に、『天才バカボン』や『ひみつのアッコちゃん』などの代表作を持ち、日本のギャグ漫画界の第一人者となった赤塚の作品と、漫画に負けない彼の波乱万丈の生涯についてまとめました。

赤塚不二夫の壮絶すぎる生い立ち

赤塚不二夫は1935年9月14日満州国(現在の中国東北部)に、6人兄弟の長男として生まれました。

当時の満州国は日本人が多く住む土地でした。不二夫の父・藤七は、八路軍などの抗日ゲリラや蒋介石率いる国民革命軍などと対立する諜報活動を行う宣撫官。中国側からすると敵の立場であり、抗日ゲリラからは2000円という当時では大金の賞金もかけられていたそうです。

しかし、藤七は厳格ながらも誠実な性格で、現地の中国人と日本人を差別することなく平等に接していたので、中国人達に一目置かれていました。そのため、敗戦後に中国人達から日本人が虐殺される事態になっても、赤塚家に危害が加えられることはありませんでした。

藤七はロシア軍へ捕まってシベリアへ連行。残された不二夫と母親、兄妹達は必死の思いで日本へ逃げ帰ります。その最中幼い弟妹を失った不二夫。その後なんとか帰国したものの、満州帰りの赤塚家は「よそ者」として常にいじめや差別を受けていました。

1952年、実家の経済状況から高校進学を断念した不二夫は、映画の看板政策をする看板屋へ就職。この時様々な映画にふれ、手塚治虫に憧れて漫画の投稿を始めます。

『天才バカボン』の大ヒット、ギャグ漫画の王様へ。

石森章太郎(後の石ノ森章太郎)と交流を深めていた赤塚不二夫は、彼の住むトキワ荘へ移住します。当時そこは才能あふれる新人漫画家が多く住み、赤塚は藤子不二雄(後に藤子不二雄A、藤子・F・不二雄として活動)やつのだじろうと交流を深めます。

しかし、漫画家への道は決して楽なものではありませんでした。2016年現在は「ギャグ漫画の王様」として認識されている赤塚不二夫ですが、実はデビュー作の『嵐をこえて』は少女漫画。彼はそれからも少女漫画を描き続けます。

転機となったのは1962年、雑誌「りぼん」で『ひみつのアッコちゃん』と「週刊少年サンデー」で『おそ松くん』の連載を開始した頃から。前者は魔法少女ものの先駆けとして、後者は斬新なギャグ漫画として人気になり、一躍売れっ子作家になるのです。

そして、とうとう1967年に「週刊少年マガジン」で『天才バカボン』の連載を開始。この漫画も大ヒットとなり、赤塚不二夫=バカボンのパパと認識されるほどの代表作となります。こうして天才ギャグ漫画家としての地位を不動のものにしたのでした。

タモリとのアブない関係

ギャグ漫画家としての地位を固める一方で、赤塚不二夫はある一人のコメディアンと出会います。それがタモリでした。

彼の才能にほれ込んだ赤塚不二夫は、彼を自分の4LDKのマンションに住まわせ、自分は事務所に寝泊まりし、おまけに月に20〜30万円の小遣いを渡すという徹底したサポート力を発揮したのです。

タモリはその後芸能界へデビューし、その才能を発揮していきます。「福岡に帰したくない」という気持ちだけで常人には考えられない徹底した援助を行う赤塚不二夫の行動力には圧倒されます。

二人の交流は赤塚の死まで続き、時にはタモリが漫画に出演することもありました。これらのエピソードからも赤塚不二夫のすごさが感じられますが、二人はインタビューでお互いの関係について、

タモリ いや、でも一時、ホモになろうかと思ったことあったんだよなぁ。 赤塚 うん、高平(哲郎)の家で布団ひいて二人でパンツ一丁になって、本気でホモになろうとしたことあったんだよな。(笑) タモリ 面倒だから、この際、ホモになっちゃおー! 赤塚 タモリー! フジオちゃーん! ってね、抱き合ったことあったもんなぁ。(笑)キンタマ触ったりいろいろやったんだけどねぇ。 タモリ やっぱり、いかんせん興奮しないんだよね。(笑)

と述べています。肉親以上に気が合った二人の関係は、他人にはわからない絆の強さが感じられますね。

赤塚不二夫が大物な秘密

赤塚不二夫は二度結婚していますが、二回目の結婚式では記者会見を行っています。しかし、通常の記者会見と違うのはそこに妻だけでなく先妻が同席した事です。

先妻は赤塚不二夫夫妻の保証人となってこの結婚を後押し、異例の会見は終始和やかだったと伝えられています。

そんな赤塚は2002年まで日記をつけており2016年現在でも公式サイトで確認できます。

最後の日記は東京アニメーター学院の入学式に出席した内容。この入学式は18年間参加していますが、本人いわく仕事が全くない時に引き受けた仕事で、そのためにずっと引き受けることにしていると綴っています。

この義理堅さも彼が大物である理由の一つだと言えるでしょう。

赤塚ワールドを体感!伝記映画『これでいいのだ!!映画☆赤塚不二夫』

赤塚の担当編集だった武居俊樹の著作『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』を原作にした映画作品です。

事実を織り交ぜて描いていますが、フィクションもふんだんに入っています。浅野忠信が赤塚、堀北真希が担当編集に扮し、破天荒な赤塚ワールドを体現しています。

『おそ松さん』の大ヒットで赤塚作品に再び注目が!

赤塚不二夫生誕80周年で製作され、2015年から2クール放送された『おそ松さん』。おなじみの6つ子が20歳に成長しましたが、全員ニートという恐ろしい(?)設定です。

原作ではイヤミやチビ太に主役を取られるほど影の薄かった6つ子たちですが、本作ではそれぞれにイメージカラーと個性が強調され、現代的な雰囲気を織り交ぜながらも、赤塚作品の雰囲気を損ねてはいない内容になっています。

赤塚作品のおすすめ映像化作品

綾瀬はるかが演じるアッコちゃんがキュート!

魔法少女の先駆け『ひみつのアッコちゃん』を誕生50周年記念の2012年に映画化。原作通りではなく、大人に変身したアッコちゃんが、中身は子供のまま一般企業で働くと言う設定。綾瀬はるかが主人公のアッコに扮し、原作とは違う展開ながらも可愛らしい内容になっています。

赤塚不二夫を追ったドキュメンタリー作品

2016年公開の赤塚不二夫の生涯を追ったドキュメンタリー。彼の72年の人生を様々な人物のインタビューも交えて描いていますが、特筆すべきは、主題歌をタモリが歌っている事。赤塚不二夫の波乱万丈の人生、彼の人物像を知りたい方への入門編としておすすめです。

赤塚不二夫脚本、所ジョージ主演の映画?!

1979年に赤塚不二夫が企画・原案・製作・脚本を手がけた映画です。1977年のアメリカ映画『ケンタッキー・フライド・ムービー』のパロディで、主演は何と所ジョージ。

赤塚いわく、「ずっと宴会芸をしている映画」ということ。筋書きはありませんが、漫画とは違う赤塚不二夫の一面を知りたい方におすすめ作品です。

赤塚不二夫の名言まとめ

ウケるためなら、死んでもいい
懸命に夢を見て、その夢を紙の上に実際に描かなきゃならない
これでいいのだ

72年の生涯の中で数多くの名言を残していますが、ここではシンプルな名言をご紹介しました。

笑いが好きで、子供の頃はチャップリンの弟子を夢見たこともある赤塚不二夫。その活躍は漫画だけにとどまらず、芸能界にも多くの影響を与えました。破天荒な反面、大らかで仕事への情熱を感じる彼の生涯は、知れば知るほど面白く、今も注目されるのが納得の天才漫画家です。