2017年7月6日更新

ブラット・パック世代の俳優一覧【80年代青春映画を彩った名優】

このページにはプロモーションが含まれています
ジャド・ネルソン

AD

ブラット・パックとは?

ブラット・パックは1980年代に大流行した青春映画で活躍した俳優たちを指します。日本ではYA(ヤングアダルト)スターとも呼ばれ、日本の映画、テレビ業界にも影響を与えました。 代表的なブラット・パックスターとしてデミー・ムーア、ショーン・ペン、トム・クルーズなどが挙げられます。当時若手であったにも関わらず演技派の俳優も多く、ベテラン俳優を席巻するような新しいムーブメントを巻き起こしました。

エミリオ・エステベス

父は俳優のマーティン・シーン、母はアーティストのジュリアン・テンプル、弟は俳優のチャーリー・シーンという芸能一家に生まれたエミリオ・エステベス。1980年代には多くの青春群像映画に出演し、1987年には『ウィズダム/夢のかけら』にて監督デビューします。 貧富の格差をもつ2つの少年グループの抗争を儚く描いた『アウトサイダー』や、大学を卒業した若者が自分の道を探していくまでを瑞々しく描いた『セント・エルモス・ファイアー』に出演しました。 また、『セント・エルモス・ファイアー』での共演で同じくブラット・パック俳優のデミ・ムーアと交際をスタートさせました。現在も俳優として映画に出演しつつ、テレビドラマの監督も務めています。

ジャド・ネルソン

大学在学中に小説家を志すも断念し、友人の俳優オーディションを見に行ったことがきっかけで俳優に転向しました。1985年にブラッド・パックの代表作『ブレック・ファストクラブ』に出演。 秀才・スポーツマン・不良・お嬢さん・のろま、というタイプの違う5人が心を通わせていく作品で不良を好演しました。現在も映画、テレビ俳優として活躍しています。

ロブ・ロウ

俳優のキャリアは長く、幼い頃より児童劇団に所属していたロブ・ロウ。高校卒業後に親友で同じくブラット・パック俳優のショーン・ペンとオーディションを受け続けテレビドラマの役柄を掴みとります。その後、テレビドラマの主演が多かったが、1983年に出演した『アウトサイダー』で注目を浴びブラット・バック俳優陣の中でもとりわけ人気の映画俳優となりました。 1988年に未成年の少女と関係をもったというスキャンダルで、ブラット・バックの一線から退きますが、幼い頃から培ってきた演技力で『バッド・インフルエンス 悪影響』など様々なジャンルの役柄に挑戦しハリウッドに留まります。 現在の彼は年に数本、映画やテレビドラマに出演し細々ながらも俳優としての活動を続けています。

アンソニー・マイケル・ホール

ショービジネスのマネージャーを務める継父の元で育ち、幼い頃からCMに出演していたアンソニー・マイケル・ホール。ジョン・ヒューズ監督に見初められ1984年「すてきな片想い」、1985年「ときめきサイエンス」「ブレックファスト・クラブ」とたて続けにジョン・ヒューズ監督作に出演し、ブラット・バック俳優の仲間入りをしました。 1990年代に青春映画が斜陽を迎え人気も低迷しますが、2002年に主演を務めたテレビドラマ「デッド・ゾーン」で返り咲き、今もなお映画・テレビの世界で活躍中です。

モリー・リングウォルド

子供の頃には舞台『アニー』で活動していたモリー・リングウォルド。青春映画『ブレックファストクラブ』、『すてきな片思い』で演じた“等身大の女の子”で人気に火がつき、アイドル女優として活躍しました。 映画に出てくるモーリーのファッションを真似る女の子も出現し、モーリーのファンは“リングレッツ”と呼ばれました。90年代になり人気は下降はするものの、現在もその美貌は健在。テレビ映画を中心に活動しています。

デミ・ムーア

私生活でも何かと話題になるデミ・ムーアもブラック・パック俳優の一員で、青春映画の名作『セント・エルモス・ファイアー』にも出演しました。女優やモデルにロングヘアが多かった当時、ショートカットとあどけないベビーフェイスが注目を集め、1990年公開『ゴースト・ニューヨークの幻』でトップスターの座を掴みました。 長年連れ添っていたブルース・ウィリスとは2000年に離婚してしまいますが、今もなお、恋多き女優として注目されています。

アリー・シーディ

児童劇団に所属、12歳で童話「She Was Nice To Mice 」を出版するなど、幼い頃から多方面で才能を発揮していたアリー・シーディ。作家として活動するものの、18歳の頃にUCSに在籍を決め、1981年に『バッド・ボーイズ』で映画デビューします。 『ブレックファスト・クラブ』『セント・エルモス・ファイアー』等、立て続けに青春映画に出演したことからブラット・バック俳優の仲間入りをするものの、当時つき合っていた恋人の影響でドラック中毒になり、映画俳優としてのキャリアは低迷してしまいます。 しかし、1999年に出演した映画『ハイ・アート』で全米映画批評家協会賞主演女優賞受賞し、女優として返り咲きました。

アンドリュー・マッカーシー

アンドリュー・マッカーシーはニューヨーク大学在学中に演技を学び、1983年に『恋のスクランブル』にて映画デビューを果たしました。1986年に出演した『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』で好きな彼女を優しく想い続ける御曹司を演じ、人気沸騰。 その後は順調にキャリアを重ね、アメリカの中堅俳優の一人としてテレビ映画を中心に活躍しています。

ショーン・ペン

ヴェネツィア、カンヌ、ベルリン、世界三大映画祭の主演男優賞受賞、アカデミーショー主演男優賞受賞と数々の功績をおさめ、世界的な俳優として活躍するショーン・ペーン。 1983年『バッド・ボーイズ』で主演を務め、ブラット・パック俳優として名を連ね、1985年『ロンリー・ブラット』で若手演技俳優として個性を確立します。他の同世代の俳優達とは一線を画す存在となっていきました。 1991年にはベトナム戦争から帰還した傷ついた弟を更正させようとする兄弟の姿を描いた『インディアン・ランナー』で映画監督としてのキャリアをスタートさせ、その後の監督作品も高い評価を受けています。

ロバート・ダウニー・Jr

父は映画監督のロバート・ダウニー・Sr、母は女優のエルシー・フォードという芸能一家に生まれ、幼い頃より父の監督作品で子役として出演していました。 1987年の『レス・ザン・ゼロ』でドラック中毒に陥る青年を巧みに演じたことで注目を浴び、ブラット・パック俳優の仲間入りを果たします。 演技派俳優としてスターダムにのし上がるも、深刻なドラック中毒で俳優としてのキャリアが危ぶまれます。しかし、家族や旧友のサポートにより中毒を克服、2008年『アイアンマン』の出演をきっかけに俳優として完全復活をとげました。

トム・クルーズ

今やハリウッドを代表するトム・クルーズは80年代ムーブメントであった青春映画の端役としてスクリーンデビュー。その甘いマスクで1983年『青春白書』の主演に起用されブラット・バック俳優の一人となりました。 1986年『トップガン』の世界的ヒットでハリウッドスターの仲間入りを果たした後は、『ミッション:インポッシブル』『マグノリア』などの大ヒット作に恵まれ、世界的な大物俳優として不動の地位を手に入れます。

マシュー・ブロデリック

ブロードウェイ俳優のジェームズ・ブロデリックを父に、舞台の脚本、演出家である母を持つマシュー・ブロデリックは高校生の頃に舞台デビュー。数々の舞台に出演した後、1981年の舞台で『トーチ・ソング・トリロジー』でトニー賞を受賞。翌年『ニール・サイモンの キャッシュマン』で映画デビューを果たします。 1986年にはジョン・ヒューズ監督作品『フェリスはある朝突然に』に出演したことで、注目を集める俳優になりました。 私生活では、サラ・ジェシカパーカーと結婚。舞台仕込みの確かな演技力で、今もなお第一線で活躍中です。

ダイアン・レイン

6歳の頃から舞台に立っており、1979年に79年「リトル・ロマンス」で映画デビューします。天才スターと高い評価を受けた時期もあり、一時は雑誌の表紙を飾るなど大変な人気を得ていました。 1983年に『アウトサイダー』に出演したことがきっかけで、ソフィア・コッポラ監督作品に次々と出演しますがヒット作は生まれず、人気は降下、俳優として低迷してしまいます。 しかし、2002年不貞の妻を演じた『運命の女』でアカデミー賞主演女優賞にノミネート。その実力が再評価されました。

キーファー・サザーランド

日本で海外ドラマブームを作るきっかけとなった『24』で主演を務めたキーファー・サザーランド。俳優である両親の影響で幼少から演技を学び、『スタンド・バイ・ミー』で一躍有名子役となりました。 1987年には『クレイジームーン/恋する予感』への出演でブラット・バック俳優の片隅で活躍したものの、ヒット作に恵まれずキャリアを伸ばすにいたようです。 そんな中、2001年のテレビシリーズ『24』に起用され、ドラマ共々大人気となります。翌年、ゴールデングローブ賞TVシリーズ部門の主演男優賞を受賞し長い俳優人生の大きな転機となりました。

ケヴィン・ベーコン

悪役を演じさせたら天下一品のゲヴィン・ベーコンも、1987年『大災難P.T.A.』、1988年『結婚の条件』等の青春映画に出演していたブラット・パック俳優です。役者としてのキャリアは17歳からで青春映画スターとして活躍するものの、次第に個性の強い脇役や悪役を多く演じることで実力派俳優としての地位を確立していきました。 2013年にはテレビシリーズ『ザ・フォロイング』でドラマ初主演を果たしました。

ジョン・キューザック

父はドキュメント映像作家、5人兄弟全て俳優という環境で、高校生の頃から学生劇などの出演をしていました。17歳の時には『恋のスクランブル』で映画デビュー。その後も1984年『すてきな片思い』などの青春映画に出演、ピュアな好青年を演じました。 青春映画からコンスタントにキャリアを重ね幅広いジャンルの映画に出演することで、芸域に無限の広さを感じさせる俳優として活躍しています。

ジェームズ・スペイダー

17歳で俳優を志し高校を中退したジェームズ・スペイダーは、1978年『チームメイト』でスクリーンデビュー。1986年に出演した『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』で憎まれ役のステッフを演じたことがきっかけで、その後のブラット・パック映画の名悪役として存在感を放ちました。 1989年『セックスと嘘とビデオテープ』での演技が評価され、カンヌ主演男優賞を受賞してからは悪役というイメージが払拭されました。現在は日本でも大ヒットを遂げるテレビドラマ『ブラックリスト』で主演を務めています。

ジョン・クライヤー

舞台俳優の両親の元で育ったジョン・クライヤーは早くから俳優としての才能を開花させ、初出演映画『恋人ゲーム』で主演としてデビューを果たしました。1986年には『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角 』のダッキー役でブラット・バック俳優として一躍人気となります。 俳優としての才能とユーモラスな風貌も相まって、その後はコメディ映画・テレビを中心に活躍しています。

チャーリー・シーン

近年は「お騒がせセレブ」としても印象が強いチャーリー・シーン。ブラット・パック俳優に憧れを抱き、俳優を目指します。1984年『若き勇者たち』で映画デビューを果たしています。 『フェリスはある朝突然に』等の青春映画にも出演しますが、1986年に主演を務めた『プラトーン』で、ベトナム戦争の過酷さを見事に体現し注目を集めます。その後も『ウォール街』などのヒット作にも恵まれ有名俳優となります。 ドメスティックでトラブルメーカーの印象が強いチャーリー・シーンですが、近年はコメディ映画に出演し観客をクスリと笑わせています。