2017年12月16日更新

デミ・ムーア、『ゴースト/ニューヨークの幻』のめちゃかわいい女優の軌跡

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Demi Moore Ghost Signed 8x10 Photo Certified Authentic PSA/DNA COA[デミムーア][デミ・ムーア]

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デミ・ムーアのプロフィール

社会派ドラマからアクション、ラブストーリーまで幅広くこなす、アメリカを代表する女優として知られるデミ・ムーア。彼女は1962年11月11日、ニューメキシコで誕生しました。 幼少期にペンシルベニア周辺の街を転々とした後、16歳で高校を中退しモデルに。容姿に恵まれていたデミはトントン拍子に活躍の場を広げ、エリートモデルエージェンシーに所属しヨーロッパへ。そこでモデル仲間で隣人だったナスターシャ・キンスキーに影響を受け、アクティングクラスをとったことがきっかけで、演技に興味を持ち始めました。

複雑な家庭環境で育つ

デミ・ムーアの父親は、デミが生まれる前に母とデミを残して蒸発、そして離婚。継父は生活能力がなく、何回も職を変えて、デミたち家族は40回以上も引っ越ししたそうです。両親はアル中でデミを罵倒したり叩いたりしたほか、大母親は飲酒と放火で何回も逮捕されるなど、デミは過酷な幼少期を過ごしました。のちに両親は離婚し、その離婚から2年後に継父は自殺しています。 ブレイク後の1990年、デミは彼女のお金で母親をリハビリ施設に入れたものの、母親はそこから脱出してしまいます。愛想を尽かしたデミはそれ以降連絡を絶っていましたが、デミの母親は1993年に雑誌でヌードを披露。ヌードの内容も、デミがブレイクした作品『ゴースト』をパロディー化したものなど、デミを馬鹿にするような内容でした。デミの足を引っ張ることばかりしていた母親ですが、その後癌で死亡しました。 母親や継父だけでなく、デミの出産時になって実父が「孫たちに合わせてくれ」と雑誌に出てくるなど、デミを取り巻く家庭環境は複雑かつ騒がしく、デミ自身そのことに疲弊していた時期もあったようです。

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20代半ばまでは荒れていた

前述のように複雑な家庭で育ったデミ。温かい家庭を求めていたからか、まだあどけなさの残る18歳の時にロック・ミュージシャンのフレディ・ムーアと結婚しました。 19歳の時ソープオペラ『ジェネラル・ホスピタル』(1982)に出演が決まります。女優としての活躍も狙っていたデミにとってこの上ない幸運な展開でしたが、この大きな成功がデミの心を不安定にしてしまったのでしょうか。この出演料でデミはコカインを購入するように。 その後3年間にわたってコカインに依存し続けたデミ。1985年の『セント・エルモス・ファイアー』撮影中まで続きましたが、ハイ状態で撮影場所に現れたデミに対し監督が喝を入れ、更生施設に送り込んだことがきっかけでデミはコカインと縁を切ることになりました。

麻薬更生施設でリハビリを受け、クリーンな状態で撮影に戻ったデミ。彼女がこの映画で演じた役は、一見華やかなキャリアウーマンでありながら、仕事や家庭のストレス、そして孤独感に悩みドラッグ常習者になってしまったパーティーガールのジュールズでした。実生活に近いこの役を迫真の演技で演じきり、デミは一躍ハリウッドで注目される存在になりました。 ジョージタウン大学を卒業したばかりの若者7人を描いた群像劇である『セント・エルモス・ファイアー』。デミのみならず他の6人の出演者も等身大の瑞々しい演技を披露し、この映画はアメリカで大ヒットし、今尚「青春映画の名作」として語り継がれています。

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『ゴースト/ニューヨークの幻』で大ブレイク!

『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990)はデミの女優人生を大きく変えた作品。ライチャスブラザーズの名曲、『アンチェイド・メロディ』をBGMにろくろを回すシーンは、映画至上に残る名シーンとして、どこかで見たことがある方も多いのではないでしょうか。ラブ・ファンタジーというには軽すぎる、涙なしでは見れない感動作です。

暴漢に襲われ死んでしまった主人公のサム。成仏できないままゴーストとしてこの世をさまよいますが、かつての恋人は自分に気づいてくれません。彼女の周りをさまよううちに、その暴漢が恋人のことをも狙っていると知ったサム。彼女を暴漢から守るために、サムが奮闘する姿を描いた作品です。

デミが演じたのはサムの恋人のモリー。命を落とした恋人が自分の周りをさまよっているという信じがたい現実に直面しながらも、それを徐々に受け入れていく様子を、感情豊かに演じています。霊感がないモリーとサムの間を仲介して、サムの言葉を伝える霊媒師役のウーピー・ゴールドバークとのコンビも、息がぴったり合っていて映画を盛り上げました。 デミはこの演技でゴールデングローブ賞主演女優賞ノミネート、作品自体もアカデミー作品賞にノミネートされました。

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『素顔のままで』『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』などゴールデン・ラズベリー賞の常連に

『ゴースト』でブレイクしたデミはその後も作品に恵まれ、ラブ・ストーリーの『夢の降る街』『幸福の条件』から社会派ドラマ『ア・ヒュー・グッドメン』『陪審員』『ディスクロージャー』まで幅広く演じ、出演作はそれも概ね好評でした。

しかし1996年に公開された『素顔のままで』が大失敗。FBIの秘書科にいた主人公が、ダメ夫と離婚したことをきっかけに、裁判費用を稼ぐためストリッパーとして働き始めることになるというストーリー。 その当時、女優としての最高額ギャラを手にしたデミ。整形手術までして挑んだだけでなく大々的な宣伝活動も行われましたが、その意気込みが空回りしたのか映画は不評で、ゴールデンラズベリー賞最低作品賞を受賞してしまいました。

その後も、スキンヘッドで挑んだ1997年『G.Iジェーン』で最低主演女優賞、『チャーリーズ・エンジェル』の続編『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』で最低助演女優賞など、負の連鎖は止まらず、いつの間にかゴールデンラズベリー賞の常連になってしまいました。

デミ・ムーアの結婚遍歴が凄すぎる

最初の結婚は18歳の時。相手はロックミュージシャンのフレディ・ムーアでした。彼と結婚していた時期は、シンガー・ソングライターとして歌詞を書くなどの活動していたことも。1985年に離婚したあと、『セント・エルモス・ファイアー』で共演したエミリオ・エステベス婚約しましたが、3年後に破棄。

1987年、人気絶頂だった頃ブルース・ウィリスと結婚。大人気スター同士2人の結婚は常に注目の的でした。3人の娘をもうけ、おしどり夫婦として有名だったふたり。デミは妊娠中に妊婦ヌードを披露。前代未聞のヌード企画だったため物議を醸し出しましたが、それ以降妊婦ヌードを披露するスターが次々と現れました。 順調な夫婦生活を送っていたと思われていたふたりですが、2000年に離婚。

その後2005年に15歳年下のアシュトン・カッチャーと結婚し世間を驚かせました。 アシュトンとの結婚式には、なんとブルース・ウィルスも出席したとか。随分と年下の男の子と結婚したことで、スキャンダラスな面ばかり注目されがちでしたが、ふたりは2009年に、性的奴隷制で被害にあった子供のリハビリを支援するためのNPO団体「The Demi and Ashton Foundation」を設立するなど、夫婦で積極的にチャリティー活動を行う一面もありました。 結婚中にアシュトンがなんども浮気し、その浮気相手がメディアに暴露したりといろいろあったふたりでしたが、2012年に離婚しました。 離婚後は何人かのボーイフレンドとのロマンスが噂されましたが、どれも長くは続かなかったようです。

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デミ・ムーアの今後

クリーム缶から笑気ガスを吸引して痙攣を起こして救急搬送されたり、娘の元彼と熱愛が噂されたり、デミの自宅で男性の溺死体が発見されたりと、ここ最近は映画以外の話題で世間を賑わすことが多かったデミ・ムーア。 すっかりゴシップ女優のレッテルを貼られたデミでしたが、2016年はハリウッド女優デミ・ムーアの復活の年になるかもしれません。

映画『最後の恋のはじめ方』でおなじみのアンディ・テナント監督が手掛けるコメディームービー『ワイルド・オーツ(原題) / Wild Oats』に主要メンバーとしてキャスティグされたのです。すでに撮影が終わっており、2016年の公開を控えている状態です。

シャーリー・マクレーン主演の本作は、歴史教師の職を引退し夫をなくした女性が、5万ドルのはずの生命保険を小切手のミスで500万ドル手にしてしまい、親友と共に小さな町を飛び出して、カナリア諸島に赴くというストーリー。親友役をジェシカ・ラングが演じることになっている。

デミ・ムーアが演じる役はもともとサラ・ジェシカ・パーカーがキャスティグされていましたが、サラの降板によりデミ・ムーアにオファーが舞い込んだのです。このビッグチャンスを活かして復活となるのでしょうか。 他にも2016年は、ドラマ『24』でおなじみキーファー・サザーランドと共演し、トロント国際映画祭にも出品されたウェスタン・ムービー『FOR SAKEN』や、事故で盲目になってしまった作家の苦悩と復活を描いた、アレック・ボールドウィン主演作『BLIND』などに、主要キャストで出演する予定のデミ。 今後もデミ・ムーアから目が離せません!