シルベスター・スタローンについて意外と知られていない20のこと
タップできる目次
- ハリウッドきっての肉体派俳優シルベスター・スタローン
- 1:生まれたときに顔面麻痺を症状を負った
- 2:両親はクリエイティブな人物
- 3:スーパーヒーローになることを夢見ていた少年時代
- 4:本当に?いじめられっこだった学生時代
- 5:14もの大学に入学を拒否される
- 6:『ロッキー』の脚本は3日で書かれた
- 7:愛犬を50ドルで売って、3000ドルで買い戻した
- 8:絵描きとしても才能を発揮
- 9:実業家としても一面も
- 10:ロッキーの元となったアリとアカデミー賞受賞式で対面
- 11:映画に登場したロッキーの像は現在も飾られている
- 12:自身の名を冠した雑誌を立ち上げたことも
- 13:不名誉な賞最多ノミネート
- 14:キャリアのスタートはポルノ俳優から
- 15:シルベスター・スタローンは3回も結婚したモテ男
- 16:小さい頃は紳士のスポーツをたしなんでいた
- 17:即興演技でセットを壊したことも
- 18:ホワイトハウスに招かれたことがある
- 19:長年の共和党支持者
- 20:ロッキー、ランボーを再び演じるのが怖かった
ハリウッドきっての肉体派俳優シルベスター・スタローン
『ロッキー』や『ランボー』シリーズなどで知られるシルベスター・スタローン。すばらしい肉体と熱い演技で人気のスタローンの意外と知らないエピソードをご紹介します。
1:生まれたときに顔面麻痺を症状を負った
シルベスター・スタローンが生まれたとき、産婦人科が誤った施術をし、スタローンの顔を鉗子で引っ張ってしまいました。それにより彼の顔の左側下部、特に唇、舌、あごには麻痺の症状が残ってしまいました。 俳優としては致命的な顔の麻痺ですが、それをもろともせず大活躍しているスタローンを見るとわたしたちも勇気が出ますね!
2:両親はクリエイティブな人物
シルベスター・スタローンの父親はイタリア人で、ヘアサロンのチェーン店を築いた美容師、母親は占星術師、ダンサー、女性レスリングのプロモーターというさまざまな肩書きを持っています。 両親ともにクリエイティブな職業で、その2人の才能がスタローンに受け継がれているのですね。
3:スーパーヒーローになることを夢見ていた少年時代
小さい頃のシルベスター・スタローンはスーパーヒーローに憧れており、学校の制服の下にはスーパーヒーローのコスチュームを着ていたそうです。 またスーパーマンのように飛ぼうとして、自分の部屋の窓から飛び出したなんて逸話もあります。
4:本当に?いじめられっこだった学生時代
学生のときいじめに遭っていたスタローンはスティーブ・リーブのような男らしいスターに憧れボディビルを始めました。 しかし、道具を買うにはお金が足りなかったスタローンは、地元の廃品集積場で自動車のパーツをくすね、自分で器具を作り、あのすばらしい肉体を手に入れました。
5:14もの大学に入学を拒否される
素行があまりよくなかった学生時代のシルベスター・スタローンは、アメリカの14もの大学から入学を拒否されました。困った母親スイスの大学にスタローンを留学させ、そこでスタローンは演技に興味を持ち始めました。
6:『ロッキー』の脚本は3日で書かれた
出世作になった『ロッキー』の脚本も担当していたシルベスター・スタローン。元々は1975年に行われたモハメド・アリとチャック・ウェプナーの試合からインスピレーションを受け書かれたのですが、なんと3日で書き上げられたものなんです。
7:愛犬を50ドルで売って、3000ドルで買い戻した
『ロッキー』が大ヒットする前、資金繰りに困っていたシルベスター・スタローンは愛犬を50ドルで売らなければなりませんでした。しかし愛犬を売った1週間以内に『ロッキー』の脚本が売れ、犬を買い戻しに売った男の家に行きましたが拒否され、3000ドルを渡し取り戻したそうです。 ちなみに犬を売った男は『ロッキー』にも出演しています。
8:絵描きとしても才能を発揮
自身の憧れのヒーローとしてレオナルド・ダ・ヴィンチを挙げていスタローンは50年以上も油絵を描き続けている画家でもあります。 2011年にはスイスで初の個展を開き、シルベスター・スタローンの絵は10万円で売れたそうです。
9:実業家としても一面も
スタローンは1980年にボクシングのプロモーターとして会社を立ち上げており、後に『インストーン』というサプリメントを取り扱う薬品会社も設立しました。 どちらもボディビルや体作りに関連のあるもので、スタローンの肉体作りにも良い影響を与えているかもしれませんね。
10:ロッキーの元となったアリとアカデミー賞受賞式で対面
シルベスター・スタローンが1976年に助演男優賞を受賞したとき、慎ましい雰囲気で壇上に上がったスタローンのの背後に人影が…その正体ははモハメド・アリだったのです! アリは「俺の脚本を盗んだな!」と冗談を言って、2人はがっつりとハグを交わしました。
11:映画に登場したロッキーの像は現在も飾られている
『ロッキー3』の小道具で作られた重さ2トン、高さ3メートルのブロンズ像は撮影後フィラデルフィアに寄贈されました。 地元のスポーツアリーナに立てられ、フィラデルフィアの観光地の1つとなっています。
12:自身の名を冠した雑誌を立ち上げたことも
スタローンは2005年に自分のニックネーム「Sly」と名づけられた雑誌を発行していました。 40歳以降の読者をターゲットに、健康情報やセレブのインタビューなどの内容を盛り込んでいた「Sly」ですが、4部目を発行したあとに廃刊となりました。
13:不名誉な賞最多ノミネート
オスカー俳優のシルベスター・スタローンですが、その年で1番最悪の映画や俳優に贈られるラズベリー賞に最多ノミネートをされており、その内10回を受賞という不名誉な肩書きも…。 有名になれば批判する人も出てくるので有名人は大変ですね。
14:キャリアのスタートはポルノ俳優から
演技に興味を持ったシルベスター・スタローンですが、初めての出演作はポルノ映画だったそうです。 ポルノ俳優からオスカー俳優まで登りつめたスタローンは運と実力が備わっていたんですね。
15:シルベスター・スタローンは3回も結婚したモテ男
1974年、女優のサーシャ・チャックと結婚しましたが、結婚生活は11年で幕を閉じました。2人目はブリジット・ニールセンで1985年に結婚、なんと2年で離婚してしまいました。 現在は1997年に結婚したジェニファー・フレイヴィンと夫婦生活を送っています。ちなみに子供は全員で5人います。
16:小さい頃は紳士のスポーツをたしなんでいた
ボクサーという荒々しく男らしいスポーツ選手を演じていたスタローンですが、意外にも小さい頃はポロをしていました。ポロとは馬に乗って球を相手のゴールに入れる競技。 ヘアサロンを成功させ、かなりのお金を得た父親がスタローンに紳士のスポーツ、ポロをするように薦めたそうです。
17:即興演技でセットを壊したことも
大学生のときの舞台で、スタローンは怒りを現すパフォーマンスの一部として、花の変わりにラジオを投げようと決めました。そのラジオはセットの壁を突きぬけ、セットは倒れてしまいました。 力強いスタローンらしいエピソードです。
18:ホワイトハウスに招かれたことがある
1986年、『ランボー2』の大ヒットし、名声を確実なものにしたスタローンは当時のアメリカ大統領・ロナルド・レーガンにホワイトハウスに招かれました。 ホワイトハウスに招かれるのは本当に限られた人のみなので、シルベスター・スタローンの成功の証といえます。
19:長年の共和党支持者
共和党を支持しているスタローンは、1998年にビル・クリントン元大統領が弾劾裁判かけられたときも、ビルを支持していました。 スタローンの支持のおかげか分かりませんが、クリントン元大統領は大統領罷免は免れました。
20:ロッキー、ランボーを再び演じるのが怖かった
大ヒットとなった『ロッキー』や『ランボー』はシリーズ化され何本もの続編が作られましたが、2002年のインタビューで当時55歳だったスタローンは再びそれらの役を演じるのに興味はあるが怖いと話していました。 理由は年を取りすぎたからだったそうですが、数年後の2006年には『ロッキー・ザ・ファイナル』、2008年には『ランボー/最後の戦場』が撮影、公開されました。