2017年7月6日更新

丹波哲郎、心霊学も学んでいた異色の俳優に迫る!

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丹波哲郎

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俳優の影に愛妻家としての顔を持つ丹波哲郎

丹波哲郎は、1922年7月17日に東京で生まれます。 俳優でありながら、心霊研究家としても活躍し、また、俳優養成所「丹波道場」を設立し後輩の育成にも力を注いでいました。 俳優としての活動は、50年以上に及び、出演した作品は海外作品10本を含め300本以上という国際派俳優として活躍しました。また、多くのテビドラマでも活躍の場を広げ、映画製作にも携わりました。 丹波の俳優以外の活動でよく知られているのが、心霊学と霊界の研究です。3000冊以上の書籍を熟読したそうで、自身も多数の著書を書いています。なかでも、『丹波哲郎の大霊界』はベストセラーとなりました。

小児麻痺になった妻を愛し続けた丹波哲郎

意外に知られていない事実に、妻の貞子夫人の存在が挙げられます。1958年に、丹波の息子義隆が3歳の頃に、貞子夫人は急性灰白髄炎(小児麻痺)となり、車椅子の生活になりました。 しかし俳優として活躍していた丹波哲郎は、そのような苦労は表には出しませんでした。親戚のみに打ち明けて、秘密にしたそうです。自宅での丹波は、家庭の中心に妻の貞子夫人に置き、太陽のような存在として妻を愛し続け面倒を見てきたようです。 今回は、国際派として知られる俳優の丹波哲郎や、後進からも慕われたその人柄を映画とともにご紹介します。

霊界の宣伝マン丹波哲郎の『大霊界』

やはり丹波哲郎といえば『大霊界』シリーズ!

丹波の書いたベストセラー「丹波哲郎の大霊界」の映画化。1989年に、『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』は公開されました。彼自身が、脚本・総監督も兼任しました。 この年の邦画配給収入第9位(配収9億円)を記録すると、その後は、続編『丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!』(1990年)、『大霊界3』(1994年)がシリーズ化されました。 第1作目では、主人公の物理学者曽我隆は、学会へ出席するためにバスに乗車をしますが事故に遭ってしまい、霊人キヨに導かれ霊界へと旅立ちます。様々な冒険を繰り広げながら、現世に転生するチャンスを探すのですが…。 この作品には、特別出演の渡瀬恒彦、野際陽子、千葉真一も出演しています。また、「大霊界2」ではタモリ、明石家さんまも出演。誰からも親しまれるキャラクター丹波による、顔の広い人脈とエンターテイメントに徹したシリーズとなっています。

007と共同作戦をおこなう公安ボス・タイガー田中登場!

1967年の007シリーズの第5作は、ショーン・コネリーが主演したジェームズ・ボンドが日本に乗り込んで大活躍する物語。丹波哲郎は、ボンドに協力をする公安警察のボスのタイガー田中として登場しています。 アメリカとソ連の宇宙船が、頻々と衛星軌道から消失する事件が発生。両国は互に相手の国家からの陰謀だと疑いを掛け、国際的な緊張感が高まっていきます。イギリス情報部は、事件を引き起こす秘密工作を行うロケットが、日本から発射されているという情報を得ると、ジェームス・ボンドに任務を要請。10日後のアメリカからのジェミニ打ち上げまでに、敵の正体と本拠地の壊滅を託します…。 ボンド・ガールには、アジア人初の女優の浜美枝。また、カーマニアには人気高い名車トヨタ2000GTがボンドカーとして登場。日本のロケ地など見どころも満載です。

国際俳優としての活躍する丹波哲郎!

「007」を監督したルイス・ギルバート作品『第七の暁』にも出演

実は丹波哲郎は『007は二度死ぬ』以前の、1964年にすでにルイス・ギルバート監督が演出した戦争ヒューマニズムドラマ『第七の暁』に、ヌー役で出演しています。 この作品は、1945年のマラヤ(現在のマレーシア)の物語です。ジャングル奥地で終戦を迎えた抗日ゲリラ部隊のヌー。ゴム園の共同経営をするアメリカ人のフェリスとの友情を育み、モスクワで教育を受ける意志を固めてマラヤを出国します。 やがて8年後、フェリスは経営者として成功し、戦時中にヌーたちとも仲間だったダーナも、小さな村の先生となり、2人は愛し合い幸せな日々を過ごしていました。その頃ジャングルで共産党のテロが横行するようになり、その指導者がヌーだという事実を知った2人は愕然。フェリスは、ヌーとの再会を喜びますが…。 共演者は、『第十七捕虜収容所』でアカデミー主演男優賞のウィリアム・ホールデンや、『ロバート・アルトマンのイメージズ』でカンヌ国際映画祭女優賞のスザンナ・ヨークなどと共演を果たしました。

丹波哲郎大活躍のマカロニウエスタン『五人の軍隊』は必見!

1969年に、ドン・テイラー監督の『5人の軍隊』では、丹波哲郎は刀の達人サムライ役でマカロニウエスタンに挑みます。主役は1967年からスタートした人気テレビドラマ『スパイ大作戦』のジム・フェルプス役のピーター・グレイヴスと共演を果たします。 ダッチマンは、1000ドルを稼げる仕事があると元曲芸師のルイスに仲間集めの指示を出します。声をかけられ集められたのは怪力のメシート、ダイナマイトの名人オーガスタス、刀の達人サムライの3人。 そこでダッチマンから聞かされた仕事の内容は、政府軍が運行する列車に積まれた50万ドルの砂金を襲うという列車強盗を行い、強奪した砂金を革命軍に売り捌くという計画。しかし、軍列車には、機関銃を持つ数十人の護衛兵士と、大砲を備えた走る要塞列車だったのです…。 監督は、俳優としても活躍したドン・テイラー。脚本は『サスペリア』などの監督デビュー前のダリオ・アルジェン。音楽は名匠エンニオ・モリコーネが参加しています。

中国の古典史劇を映画化したスペクタクル超大作『水滸伝』

1972年に、香港のショウ・ブラザーズが映画化した『水滸伝』。日本からは丹波哲郎と黒沢年雄も出演。当初製作サイドは、三船敏郎と仲代達矢にオファーしていたがスケジュールが合わずに丹波の出演が実現したそうです。 しかし、このキャスティングは見事に成功しました。ショウ・ブラザーズの名だたるキャストたちを相手に全く引けをとっていない丹波の姿は、ファンならずとも必見です。 この作品は、『水滸伝』の65~68章の物語を描いています。晁蓋が史文恭に殺されてしまうと、梁山泊の好漢たちが盧俊義や、燕青を同志として仲間に引き込むとくだりの部分が中心となっています。燕青役はデヴィッド・チャン、武松役のティ・ロンなどが出演。物語のラストでは、丹波哲郎の演じた盧俊義と、黒沢年雄の演じる史文恭が一騎打ちを見せるシーンは見どころです。 監督は"中国のクロサワ"と呼ばれる名匠チャン・チェ。また、第10回台湾金馬奨優秀作品を獲得するアクション超大作です。

Gメン75ではビックな男・ゴットファーザーと呼ばれた!

1975年に、東映が制作した刑事ドラマ『Gメン75』は、国際警察の秘密捜査官の『キイハンター』に始まり、探偵学校の校長と生徒たちを描いた『アイフル大作戦』、探偵社の『バーディー大作戦』と続いたアクションドラマ路線の4作目にあたります。 前3作のドラマとの差別化を図るために、登場人物たちにスポットをあてたドラマに仕上げました。社会性を強調させ、登場人物の葛藤や悲哀、など緊張感のある心理描写を描いた、"ハードボイルド刑事ドラマ”として企画されたそうです。 丹波哲郎の役どころは、警視庁庁舎から独立した組織の「特別潜入捜査班Gメン」の本部長の黒木警視役。(後に警視正となる)「ビックな男ゴットファーザー」と呼ばれ、本部に所属するGメンたち5〜7人のボスを務めています。 Gメンの活躍は潜入捜査に始まり、実際にあった社会的な問題の沖縄米軍基地、成田空港問題、江川事件、ロッキード事件、200海里問題などを扱いました。その他、香港の犯罪組織との対決する香港カラテシリーズでは、海外ロケやアクションを前面に押し出し、常に視聴者を飽きさせないドラマで人気を博しました。 また、放送された時間帯が土曜日9時放送。前番組がドリフターズの超人気の名物番組『8時だョ!全員集合』ということもあって、子どもたちの間でも、オープニングの滑走路シーンと、芥川隆行のナレーション「ハードボイルド Gメン'75 熱い心を強い意志で包んだ人間たち」は強烈な印象とブームを巻き起こしました。

丹波哲郎は弟子の育成もお見事!仮面ライダーV3!

丹波哲郎には、可愛がっていた愛弟子がいました、特撮ファンの間ではカリスマ的な俳優として人気の宮内洋です。「仮面ライダーシリーズ」では、仮面ライダーの3代目となるV3ライダーを演じました。 宮内洋は、仮面ライダーの主役オファーが来たことを師匠に相談した時に、丹波は初めスーツアクターとして仮面ライダーの内に入って演じると勘違いをしたそうです。 というのも宮内洋は、アクション俳優として期待されていた存在だからです。丹波哲郎も出演していた『キーハンター』では、第92話からレギュラー入り、千葉真一が演じた風間洋介のピンチを救う壇俊介役で登場しました。 その後も「Gメンシリーズ」で、宮内洋が演じたのは島谷和彦刑事。キャラクター設定では元警視庁捜査四課の刑事で、空手の使い手という役柄でした。香港カラテシリーズでは、人気のあった初代Gメンの倉田保昭が演じていた草野泰明刑事の後を盛り上げました。

異色ヒーローNo.1の呼び声が高い『怪傑ズバット』、決め台詞も「1番はオレさ!」

その後も宮内洋は、丹波哲郎の教えを守りながら日々努力を重ね、『秘密戦隊ゴレンジャー』ではアオレンジャーの新命明役や、『怪傑ズバット』ではズバットの早川健役などを演じています。 異色の俳優だった丹波は、異色の特撮ヒーローと呼ばれた宮内洋も見事に育て上げた師匠だったのです。

「脱いだら無敵」丹波哲郎と野原しんのすけの共演!

1999年に、丹波哲郎は、『クレヨンしんちゃん 爆発! 温泉わくわく大決戦』に声優として特別出演しています。 しかも、劇場映画シリーズの7作目には欠かせない重要なキャラクターとして、物語冒頭に登場する行き倒れていた、温泉の精・丹波役です。 もちろん、そのモデルは彼本人。『007は二度死ぬ』に出演していたことから、「俺はジェームズ・ボンドと一緒に風呂に入ったこともある」や、丹波の口癖「本当なんだから仕方がない」などのギャグな台詞も飛び出し、若かりし頃に似せて描かれたキャラクターになっています。 また貴重なのは、しんちゃんとお互い一緒に並んでお風呂でゾウさん踊りをするシーン。、丹波哲郎の大物ぶりが伺えます。

丹波語録は、名言ばかりってホント?!

一番知られている名言は、フジテレビの長寿番組であった「笑っていいとも」のテレフォンショッキングでのことです。 丹波が乗った自動車が一方通行の逆走した時に、警察官に停止命令を受けた時、警察官に「Gメンの丹波だが」と対応したそうです。もちろん、おとがめはなかったようです。

『人間革命』で宗教家の戸田城聖役を演じた丹波哲郎

他にも、1973年に、舛田利雄監督作品の『人間革命』に、丹波哲郎は出演しています。創価学会2代目会長を演じた縁もあって、創価学会の大会の講演に招待されました。創価学会の公布活動の重要性を熱弁をするも、締めのお題目を本来なら「南妙法蓮華経」と言うべき肝心所を、「南無阿弥陀仏」と締めくくり、会場にいた信徒を唖然とさせたそうです。 オッチョコチョイな失敗談も丹波哲郎ほど大御所ともになれば、おおらかさがあり、1つのユーモアなのかも知れませんね。

偉大なる俳優の丹波哲郎へのオマージュ・真田昌幸役

『真田太平記』で、円熟した丹波哲郎が演じた真田昌幸

1985年に、池波正太郎の原作をNHK制作で放送された、連続テレビドラマ『真田太平記』では、63歳の丹波哲郎が真田昌幸を演じ、息子役の幸村を草刈正雄が演じています。 現在2016年に放送中の大河ドラマ『真田丸』では、奇しくも丹波と同じ年齢になった草刈正雄が、真田昌幸を演じています。草刈正雄は、尊敬する丹波哲郎を思いを馳せとても感慨深く光栄なことだと述べています。

『真田丸』で、円熟した草刈正雄も憧れの真田昌幸役を演じる

また、脚本家の三谷幸喜は、前回ドラマ化された時の丹波哲郎の演じた真田昌幸の姿には、一分の迷いのない人格者だったといいます。三谷幸喜は草刈正雄に「丹波さんを越えようね」と伝えたそうです。 脚本家の三谷幸喜や、俳優の草刈正雄を奮い立たせるだけの先輩クリエーター。丹波は重鎮としての存在感の証しと言えるでしょう。

丹波哲郎の愛した息子たち

丹波哲郎と貞子夫人の間に生まれた息子の丹波義隆

息子の丹波義隆は、岡本喜八監督の『青葉繁れる』で本格的に俳優デビューし、現在は俳優活動の他に、母が小児麻痺という病を持つ経験から講演会も精力的におこなっているそうです。 1977年に、丹波哲郎と丹波義隆が親子共演を果たしたのが、新田次郎原作の『アラスカ物語』です。当時はまだ貴重であったロケ地のアラスカでの撮影を敢行して、原作にも引けを取らないイメージとスケールで大作に仕上がっています。 明治十九年、20歳の安由恭輔は、アメリカでの貿易を目指し、アラスカにやってきます。さまざまな困難の中、イヌイットの美しい娘のネビロと共に400キロ離れた地域で毛皮の交易を始めようとするのですが…。 主人公のフランク安田(恭輔)役に北大路欣也。イヌイットのアラシュック大酋長役に丹波哲郎、タカブック役に丹波義隆、ネビロ役に三林京子。他にも宍戸錠や岡田英次、夏八木勲など豪華キャストで制作されました。

実は丹波哲郎には貞子夫人の間以外に、もう1人の息子の森正樹がいた!

元女優の江畑絢子の間に生まれた息子で、ミュージシャンの森正樹がいます。丹波は、病院を訪れた江畑絢子と森正樹を前に死の床で、「俳優を目指せ」と森正樹に言ったそうです。 一時期、週刊誌やテレビワイドショーなどで、丹波哲郎の「隠し子騒動」として、江畑絢子の関係や、息子の森正樹を話題にあげられた時期がありました。しかし、このスキャンダルに食い下がるレポーターに、慌てることもなく名言一喝、「隠し子ではない、タクシー運転手だって知っている」と払拭させます。 なぜ森正樹に「俳優を目指せ」と言ったのでしょうか。実は丹波も正妻の子ではありません。愛人の子として生まれ、そのコンプレックスを自身の努力で跳ね返して大俳優になっていたのです。 また、驚くべきことに貞子夫人も江畑絢子の存在については知っていました。それでも丹波哲郎と世間である嫉妬の喧嘩はなく、黙って笑っていたといいます。 大物の丹波と共に過ごし、些かも騒ぎ立てなかった貞子夫人。日陰の身をじっと忍んだ江畑絢子のどちらも彼にお似合いの素晴らしい人たちなのではないでしょうか。 これからも異色の名俳優の丹波哲郎の残した数々の映画やテレビドラマ作品をファンとして楽しみながら、残された二人の息子・丹波義隆と森正樹にも注目していきたいですね。