スーパールーキー越前リョーマ
アメリカ出身。父親と一緒に日本へ帰国後、父の恩師であり青学中等部テニス部顧問である竜崎スミレに師事し、父の母校である青学へ入学します。 アメリカのジュニアトーナメントを渡り歩き、1年半の間に4連続優勝したその実力からルーキーとして注目をあつめ始めるのもこの頃からです。 ストレートな物言いから周囲から生意気にみられる事がありますが性格も極めて自分勝手なためダブルス向きではありません。幼少期より父から毎日英才教育をうけていた影響で、プレイスタイルは冷静沈着で、一見するとクールで冷たい印象を受けますが内なる闘志を秘めています。 本記事では、彼のプロフィール、家族関係、必殺技や名言、新作の展開。そして、声優やミュージカルでの活躍を紹介していきます。
天才 越前リョーマの意外過ぎる身長と誕生日
かわいい……。リョーマの身長
作中で頻繁に、身長の低さをからかわれるリョーマの身長は151cm。兄・リョーガからは「チビ助」、青春学園中等部(青学)の先輩・菊丸英二からは「おチビちゃん」と呼ばれています。 青学の先輩・乾は、テニス部のメンバーそれぞれの弱点とその克服法を助言するなか、リョーマには「牛乳を1日2本飲むこと」と牛乳瓶2本をリョーマに見せるシーンもありました。 『テニスの王子様』のキャラソンには、リョーマが歌う『MILK』という曲もあり、リョーマの身長と牛乳について歌われています。
メリークリスマス!リョーマの誕生日
リョーマの誕生日は12月24日です。世間ではクリスマス・イブとしてのイメージが強い12月24日ですが、『テニスの王子様』のファンにとっては、リョーマの誕生日だという認識が強いようです。 毎年12月24日には、「越前リョーマ生誕祭」とツイッターで、リョーマのグッズを祭った写真を投稿するファンが続出。リョーマファンの恒例行事になっています。
越前リョーマの父親は伝説の元プロテニスプレイヤー
越前南次郎。主人公越前リョーマの父親で、青学テニス部 OB です。若かりし頃、アメリカに渡り、プロデビューから37戦全勝しプロテニス界に名を轟かせ、「サムライ南次郎」と呼ばれた伝説のプレイヤーです。 渡米してから1か月ほどで、様々なトーナメントに出場、そのすべてで優勝し、当時世界ランキング1位だったブンドルを倒すほどでした。しかしプロデビューからわずか1年半でグランドスラム達成目前にケガを負ってしまったのです。 その後、突如引退を発表した越前南次郎。引退の理由は、渡米当時、知り合った竹内倫子(リョーマの母親)と結婚し、リョーマを授かったこと。南次郎の目標がリョーマを強くすることに変わったからです。 日本に帰国してからはお寺の住職となり、飼い猫であるカルピンといたって平穏な生活をしていますが、いささかも腕は衰えておらず、数々の輝かしい実績、必殺技のあるリョーマですが一度も勝ったことがないほど、南次郎の強さは突出してます。
天才プリンスの兄 越前リョーガ
リョーマの兄・越前リョーガがはじめて登場したのは『劇場版テニスの王子様 二人のサムライ The First Game』でした。歳はリョーマの2つ上で、リョーマのことを「チビ助」と呼んでいます。 元々リョーマとは離れ離れに暮らしていて、リョーマが5歳のときに父・南次郎がリョーガを家に連れて来たのが2人の初対面です。「今日からリョーマの兄になる」と南次郎がリョーマに伝えていたため、本当の兄弟ではないのかと思われました。 しかし、リョーガが親戚の叔母の家に引き取られることになった際に、「血が繫がっていることに変わりはない。お前はリョーマの兄貴だ」と南次郎が発言。リョーマとの本当の関係性は明らかになっていません。
母は何者!? 越前倫子に迫る!
越前倫子(旧姓・竹内)はリョーマの母で、南次郎の妻です。南次郎がアメリカに単身渡った際、あるテニスクラブで2人は知り合いました。 倫子は当時、弁護士になるための勉強中で、アメリカの大学に留学していると話しています。テニスはちょっとした趣味。 この出会いをきっかけに2人は結婚し、リョーマが産まれました。
口癖は「まだまだだね」
言わずと知れた越前リョーマの口癖ですが、相手を挑発し、本気にさせた後、さらにその上をいくところがリョーマです。決して口ばかりではなく、その口癖はそれを裏付けるだけの努力と実力があってこそです。
越前リョーマの必殺技
リョーマには数々の必殺技がありますが、代表的な必殺技を紹介します。
一本足スプリットステップ
片足でのスプリットステップです。スプリットステップ自体が次の動作をスムーズにするためですが、それを片足にすることで、より動作がスムーズになります。 あのプロテニスプレイヤーである錦織圭選手も影響をうけ今でも使ってます。
ツイストサーブ
日本へ帰国した初期の頃から打っていたサーブです。リョーマは右でも左でも打ち分けることができます。 右で打つと右へ左で打つと左へ急角度でバウンドするサーブで、現実ではプロテニスプレイヤーであるロジャー・フェデラー選手がツイストサーブをよく使っています。
天衣無縫の極み
神の子・幸村精市との全国大会決勝戦の試合中、どんな球でもすべて打ち返す幸村にリョーマは五感を奪われます。極限状態の中、「テニスって楽しいじゃん」というセリフとともに、テニスを楽しむことを思い出し発動しました。
サムライドライブ
幸村精市との試合中、天衣無縫の極みに目覚め、勝利を決めた必殺ショットです。凄まじい回転をかけたボールをネットのワイヤーで真っ二つにします。
アニメ『テニプリ』名場面
名場面は数えきれないほどありますが、越前リョーマにとってターニングポイントとなった名場面を紹介します。
手塚国光との高架下での戦い
リョーマが青学へ入学した当初、父親である南次郎を倒すことのみが目標でした。そんなリョーマをみて手塚は目標を達成した先を危惧し高架下での試合をリョーマへ申し込みます。 接戦の末、敗北したリョーマへ手塚は「お前は青学の柱になれ」と鼓舞され、新たな目標を得たリョーマは青学の柱になるべく闘志を燃やすようになりました。
全国大会決勝直前の記憶喪失
全国大会決勝前に、父南次郎に特訓のため軽井沢へ連れていかれ、特訓中に滝から大木が流れてきましたが、テニスボールで軌道をかえることで大ケガは免れました。 ですが大木が流れ落ちてきたことによる大きな水しぶきに飛ばされ一時的に記憶喪失となってしまいます。 全国大会決勝には間に合ったものの、戻ってきた直後は、素直で大人しい少年になっていました。なんとか幸村精市との試合までに記憶を取り戻し、原点であるテニスを楽しむことを思い出すことで「天衣無縫の極み」を発動し「サムライドライブ」で勝利を決めました。
越前リョーマと竜崎桜乃
青学中等部テニス部顧問 竜崎スミレの孫であり、作品の正統派ヒロインとして登場しました。 リョーマと桜乃の出会いは、リョーマが日本へ帰国後、柿の木坂ジュニアテニストーナメントに出場するための電車の移動中。一緒の車両に乗っていて、桜乃の前にリョーマより年上であろう他校のテニス部員が電車内でラケットを振り回し困っていたところを、リョーマが助けたのが出会いです。 会場の最寄り駅へ到着し、リョーマから柿の木坂ジュニアテニストーナメント会場への道順を聞かれましたが、反対方向の道順を教えてしまい、試合開始時間に間に合わず、リョーマを失格させるという極度の方向音痴です。 悪気のない天然キャラが功を奏したのか、同年代の友達が少なく話す友達が片手で数えるほどしかいないリョーマが桜乃に限ってはゲームセンターへ誘ったり、テニスコートへ一緒に行ったりしています。 リョーマが試合の時も駆けつけ応援してますが、残念ながら恋愛には発展しませんでした。
才能は日本に留まれない!? 越前リョーマ アメリカ代表に
『新テニスの王子様』で日本代表合宿に参加し、腕を磨いていたリョーマ。合宿も終わりに差し掛かったなか行われた平等院と徳川の試合で、徳川が平等院の容赦ない攻撃テニスでピンチに追い込まれます。 それを見かねたリョーマは「テニスをナメんなよ」と徳川に加勢。合宿の規定では「試合中の加勢は禁じられている」と定められており、リョーマは合宿追放の危機にさらされますが、ポテンシャルを考慮され中学選抜メンバーに選ばれます。 しかし、「平等院を倒す」ため、リョーマは兄・リョーガと共にアメリカ代表になることを決めました。
ミュージカル・テニスの王子様 通称「テニミュ」
テニミュが始まったのは、2003年からですが、当時、男性のみのミュージカルは異色で、製作者側も初めての試みでした。そのため、開演初日はチケットがほとんど売れず、東京芸術劇場の座席が3分の1しか埋まらなかったため、先行きが不安視されました。 しかし、口コミなどで徐々に客足が伸びて、今では5代目のキャストとなるほどの追加公演を重ねる人気ミュージカルとなりました。
越前リョーマのキャラソン
作品に一貫性を持たせることで、より深くその作品へ没入することができます。キャラソンも没入するための仕掛けの1つです。 主人公である越前リョーマ役の皆川純子については、歌唱力にも定評があり、2016年11月現在、ソロでシングル11枚、アルバム3枚、ミニアルバム2枚リリースなど、精力的に活動しています。
越前リョーマの声優は皆川純子
皆川純子は2000年に『アンパンマン』のデカルン役でデビューしました。俳協に所属して3か月後、『ときめきメモリアル3』のヒロインである神条芹華役が決まり、2001年『テニスの王子様』主役である越前リョーマ役に抜擢され、脚光を浴びるようになりました。 その他の出演作は、『.hack//黄昏の腕輪伝説』シューゴ役や『コードギアス 反逆のルルーシュ』コーネリア・リ・ブリタニア役などがありますが、脚光を浴びるきっかけとなった越前リョーマについては、「当時無名だったのに、週刊少年ジャンプで大人気作品の主人公リョーマ役が決まった時はうれしくて体が震えた」といいます。 作者である許斐剛からは「リョーマをやるために声優になったのではないか」と評価されており、2016年11月現在も継続して10年以上リョーマ役を続けてます。