映画『許されざる者』とは
Daiki_Kinoshita
監督 クリント・イーストウッド
脚本 デイヴィッド・ウェッブ・ピープルズ
1992年公開
これぞ映画という感じのストーリーと動線。
1992tukuro_
リアリティのあるアクションシーンと岩場のシーンでのカメラアングルが最高すぎる
1992年の映画『許されざる者』は、「ダーティー・ハリー」シリーズや多くの西部劇などのヒット作を持つ俳優クリント・イーストウッドの監督・主演作です。イーストウッドが手がける最後の西部劇として、アカデミー作品賞を含む4部門に輝きました。なお、ジョン・ヒューストン監督による1960年製作の同名作品がありますが、こちらは全くの別物です。
1992年『許されざる者』あらすじ
19世紀末のワイオミング。かつて悪名を轟かせていたウィリアム・マニーは、亡き妻が遺した2人の子供との生活費を稼ぐべく、再び銃を手に元相棒のネッドと共に賞金稼ぎの旅に繰り出します。しかし行く手には、町を牛耳る保安官ビルが待ち受けていました。
日本版『許されざる者』とは
tetsuaki
明治初頭の日本で賞金稼ぎって…
北海道の雄大な景色をバックにケン・ワタナベ…絵になるねぇ~
moris
人間の善と悪が入り混じった作品だった。
渡辺謙はやっぱりかっこいいなぁ。
一方、2013年に製作された日本版『許されざる者』は、監督を『フラガール』や『怒り』の李相日が担当。主人公の十兵衛役に今やハリウッドで活躍する渡辺謙、相棒の金吾役に柄本明、そしてオリジナルでの保安官ビルに当たる一蔵役を佐藤浩市が演じました。
日本版『許されざる者』あらすじ
基本的なストーリーラインはオリジナルと同じで、舞台は明治初期の北海道になっています。江戸幕府最強の刺客として恐れられるも妻子を得て刀を捨てた十兵衛が、貧困の状況を打破すべく相棒の金吾と共に賞金首を追い求め旅に出ます。
クリント・イーストウッドが『許されざる者』をすぐに映画化しなかった理由
『許されざる者』の映画化権は元々フランシス・フォード・コッポラ監督が持っていたのを、イーストウッドが買い取りました。しかし実際に映画化するまで10年近くかかっています。これはイーストウッド自身が、リアリティを出すべく主人公のマニーと同じ年齢になるまで製作しないと決めていたからでした。
出世作となった西部劇ドラマの衣装を着用して臨んだイーストウッド
クリント・イーストウッドが劇中で着用したブーツは、彼の出世作となった1950~60年代放送のテレビドラマ「ローハイド」に出演していた際に履いていた物を、そのまま使っています。
イーストウッド自身も『許されざる者』のヒットを不安視していた?
渡辺謙はイーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』を撮っている際、監督から「『許されざる者』を撮っている時は、『こんな暗い内容の映画を観に来る客がいるのだろうか』と毎日思っていた」と言われたとか。
話運びも明快ではない上に勧善懲悪な内容ではないことなどから、当のイーストウッド本人もヒットするかどうか不安視していたことがうかがえます。
日本版リメイクが実現したのはイーストウッドと渡辺謙との信頼関係から
日本版『許されざる者』をしたいと最初に提案したのは監督の李相日でしたが、当初はリメイクするにはあまりにも題材が大きすぎるため、実現するのは難しいのはという声が大多数でした。しかし、渡辺謙が主演オファーを快諾したのを受けると、あっさりとイーストウッド監督の許可が下りました。
これは、イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』に渡辺謙が主演していたことによる、両者の信頼関係があったからこその賜物でした。
『許されざる者』日本版リメイクで李相日監督が重要視した事とは
『許されざる者』を日本でリメイクするにあたり、監督の李相日はアイヌ民族の存在にクローズアップしたいという強い意向がありました。北海道が舞台になったのもそれが理由です。
オリジナル版でもアメリカ先住民(ネッドの妻)は登場するも、あまりクローズアップされていなかった事を鑑みても、日本版ならではの味付けといえるでしょう。