2017年7月6日更新

映画『スプリット』もビックリの実在の多重人格者10人!

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ジェームズ・マカヴォイ『スプリット』

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映画『スプリット』のような多重人格者は存在するの?

2017年5月12日公開、M・ナイト・シャマランがメガホンをとりジェームズ・マカヴォイが主演を務めた映画『スプリット』。 本作は、23もの人格を演じたマカヴォイの怪演が大きな話題となりました。果たして本作に登場するような多重人格者はこの世に実在するのでしょうか?

そもそも多重人格とは?

ひと昔前には、多重人格と呼ばれていましたが、現在では解離性同一性障害と呼ばれているそう。 幼少期等に感じた精神的苦痛や虐待などによって引き起こされることが多いようで、その経験を忘れたい・逃れたいという思いが強くなると重度の症状を引き起こします。 症状が重度になると、切り離した感情や記憶が自らの心の裏で成長し続け、それ自身がひとつの人格のようになり、一時的または長期間にわたって、表側(本来の自分)に現れるようになると言います。 しかし、長期にわたって「別人格」の存在や「人格の交代」に気づかず学校生活や仕事をしている人も多くいるようです。

ルイ・ヴィベ

解離性同一障害を初めて報告された人物の一人が、1863年フランスで生まれたルイ・ヴィベです。売春婦の母親から虐待を受けていた彼は、8歳から犯罪に手を染めるようになったと言います。そんな彼の多重人格症状が現れたきっかけは、17歳の時に起きたある出来事でした。 ある日、ぶどう園で働いていたルイは毒ヘビに腕を巻きつかれて発作を起こしてしまいます。そしてその後下半身麻痺の状態に。しかし、彼は毒ヘビに噛まれた訳ではありませんでした。つまり、この症状は身体的なものではなく、毒ヘビに襲われた恐怖やショックによる心因性のものだったのです。 精神科に入れられた彼は、本来とは異なる性格に変貌。その後、彼の人格は分裂し続け、最終的に10もの異なる人格が確認されたと言われています。

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ジュディ・カステッリ

続いてご紹介するのは、44もの人格を有していたという女性です。 アメリカ・ニューヨーク生まれのジュディ・カステッリは性的虐待を受けたことが原因で、重度のうつ病を患っていました。 1967年彼女は大学へ進学したものの、とても学業に専念できるような精神状態ではなかったのです。その数年後から、彼女は「体を痛めつけろ」という心の声に悩まされるように。 そして、その声に導かれるかのように自分の顔を焼き、失明や腕を喪失する寸前だったと言います。 その後も何度か自殺を図った彼女は病院で保護されることに。 1994年ようやくセラピーを受け始めたことで、彼女の中に7つの人格が宿っていることが判明するのです。それからも人格は分裂を続け、なんと10年後には44もの人格が現れるようになったと言われています。 解離性同一性障害の症状を自覚してからというもの、ニューヨークの多重人格と心理解離に関する委員会に参加。自分と同じような症状を持つ人々をサポートする立場となったそうです。 また、彼女は歌やダンスといった音楽の才能、彫刻やステンドグラス制作などのアートの才能に溢れていました。特に歌の才能は抜群で、一時レコード契約の話が持ち上がったり、ブロードウェイの舞台に立った経験もあるのだとか。 果たして彼女は、『スプリット』のケヴィンのように、人格によって、才能を使い分けることができたのでしょうか? 彼女はアーティストや美術教師として心理疾患に悩む人々をサポートする活動を続けているそうです。

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ロバート・オクスナム

ロバート・オクスナムは有名なアメリカの学者だった人物。 1989年に重度のアルコール依存症と診断されたロバートは、それ以来セラピーに通い続けました。しかし、症状は一向に改善されません。 そのことに疑問を抱き始めた主治医はロバートに別の人格があるのではと考え、その人格に話しかけることに。 すると、ロバートの別人格トミーが現れたのです。トミーはロバート本人より若く、怒りっぽい性格で「俺は城に住んでいる」と話したと言います。 また、トミーの他にも、少年のボビー、仏教徒のワンダという人格がロバートから引き出される結果となりました。

キム・ノーブル

続いてご紹介するのはイギリス出身のキム・ノーブルという女性です。 彼女は幼い時、工場で働いていた両親から身体的虐待を受けていました。その後遺症で彼女は10代にしていくつもの精神的障害を抱えていました。 その時から多重人格に悩まされ、薬の過剰摂取を幾度となく行い、精神科病院にも入っていたことがあったそう。20代になると多数あった他人格は合併しましたが、合併した人格は逆にノーブルの精神を追い込むことに。 事故をわざと起こしたり、少児性愛者の宗教に入るなど、知らない所で危険な行動をしている自分自身に恐怖を感じたノーブルは助けを求め、警察に出頭したそうです。 その後、彼女は宗教団体の何者かに「裏切り行為だ」と酸性の液体をかけられ、家に火をつけられたそうです。 1995年に彼女は解離性同一性障害と診断され、それ以来治療を受けてきました。 アーティストとして活動してる彼女は、おおよそ100もの人格を有していると主張。一日に4・5人の人格が入れ替わっていると言います。

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トラディ・チェイス

これまでの人物を見る限り、幼少期に何かしらの事件やトラウマを持っている傾向がわかります。 続いて紹介するのは、トラディ・チェイスという人物です。 彼女もまた、両親から12年もの間、虐待を受けていたと言います。 大人になった彼女は不動産ブローカーとして働いていましたが、いつも見張られているような極度の緊張状態に悩まされていました。その後、精神科に行き、医師の診断で92もの人格を持っている事がわかりました。 その人格はとても多様で、推定5・6歳くらいの少女ランブ・チョップという人格もいれば、詩人で哲学者でもあると話す1000歳のイアンという人格もいたと言います。

マーク・ピーターソンの裁判

こちらは今までのケースと違いますが、記憶に残る裁判として有名な話です。 1990年の6月、29歳のピーターソンは見知らぬ26歳の女性に一目ぼれし、デートに誘いました。その後も何度か会い、普通のカップルのようにデートを重ね、体の関係を持つことに その数日後ピーターソンは性的暴行をしたと彼女に訴えられ警察に逮捕されてしまいました。 それは彼女の別人格が、現れた瞬間でした。行為は同意の上でしたが、その時に現れていたのは別人格だったのです。

シャーリー・アーデル・メイソン

次にご紹介するのはアメリカのミネソタ州に生まれ育った女性。 この女性メイソンもほかの患者と同様、幼少期につらい経験を送っていました。母親に虐待をされていたのです。 虐待に耐えきれなくなった彼女は精神科医に相談し、医師に助けを求めました。様々な人格が次々に現れ危険行動を起こす中、ウィルバー医師が行ったセラピ―によってその人格は徐々に統合していきます。 彼女に関連性がある有名な本が執筆され出版されています。ノンフィクションの本である『Sybil:16人が所有する女性の真実ストーリー別個の人格』では、メイソンの匿名性を保護するために名前と詳細が変更された物語になっています。 この本を出版後、メイソンはウィルバー医師に手紙を渡したそう。 その手紙にはこのような内容が書かれていました。「母から虐待を受けたことはない。自分は多重人格でもない。本に書かれていることは全て事実に反する。」と。 それを見たウィルバー医師は、幼少期に虐待を受けていたのは事実であること、彼女は多重人格であると本人に説得したそうです。

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クリス・コスナー・サイズモア

次にご紹介するこの女性は他の患者の事例と少々異なります。彼女は虐待を受けていたわけではなく、家族からとても愛されたごく普通の子供でした。 彼女の最初の人格の分断は2歳の時、見知らぬ男性の自殺現場を偶然目撃したことがきっかけだったと言います。 その事件以降、彼女の様子はあからさまに変わっていきます。素行が悪くなり、度々トラブルを起こすように。 大人になった彼女は妊娠し子供を産みましたが、自分が多重人格を持っていると自覚し周りに助けを求めるようになりました。 イヴ・ブラックと呼ばれる人格が自分の子供をいじめて苦しめ、イヴ・ホワイトと呼ばれる人格がその元凶であるブラックを制御していると話したのです。 精神科医で多重人格に精通するコルバット医師と人格統合の治療を始めると3人目の人格であるジューンが現れ、その後25年間で合計で22もの人格があることが判明したのです。全ての人格は、性別、年齢、体重までもが違っていました。 そののち、サイズモアは自伝本を発表し出版しています。

ビリー・ミリガン

続いては、多重人格者界では比較的有名なビリー・ミリガンをご紹介します。 彼もまた壮絶な人生を歩んできた人物です。幼少期に父親を亡くした彼は義父に育てられることに。そして、その義父から縄で吊るされるなど酷い虐待を受けてきました。 その頃の壮絶な体験によって彼の人格は分裂していくことになったと言います。そして、自分の知らぬ間に時間がすぎることに困惑した彼は、ある日学校の屋上から自殺を図る寸前。しかし、別人格レイゲンが止めに入り一命をとりとめたと言います。 その後も、度々人格が入れ替わっていたというミリガンは大学のキャンパスで婦女暴行事件を起こしてしまうのです。逮捕された彼はもちろん別人格による犯行だと主張。 ミリガンはアメリカ人でしたがイギリス訛りの英語を話す人格が現れるなど、到底演技とは思えない状況が重なり、彼の多重人格は認められる結果となりました。

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ジュアニータ・マクスウェル

続いては、ホテルでメイドとして働いていたジュアニータ・マクスウェルという女性を紹介します。 ある日、彼女が働いていたホテルで72歳の女性が残忍な方法で殺害されてしまいます。その事件の容疑者がこそがマクスウェル。しかし、彼女は事件について全く身に覚えがありませんでした。 彼女もまた多重人格者で、別人格のワンダが犯行に及んだと主張。とても穏やかな雰囲気のマクスウェルに対し、ワンダはとても暴力的な人格だったと言います。 裁判にかけられた彼女は懲役刑ではなく、心神喪失で精神病棟に入れられることに。その後精神病院を退院した彼女は2件の銀行強盗をはたらき、再び逮捕されてしまったと言います。