巨匠・ロマン・ポランスキーの波乱の生涯を紹介【「告白小説、その結末 」公開記念】
鬼才にして巨匠!ロマン・ポランスキーの波乱に満ちた半生を紹介
1962年の監督デビュー以来、数々の作品で世界にセンセーションを巻き起こしてきた映画界を代表する巨匠、ロマン・ポランスキー。しかし50年をゆうに超える長いキャリアに比して、作品数は20数作と決して多くはありません。 どの作品もわかりやすい娯楽エンターテインメントではなく、強い作家性に裏付けられた独特の世界観を持つ作風であることも理由の一つでしょう。が、それだけでなくロマン・ポランスキー個人が辿って来た波乱に満ちた半生がその背景にあることも否定できない事実です。 ここではまず監督としての功績を簡単にまとめたあと、数々のスキャンダル、そして当時製作された作品も交えながら波乱の半生をご紹介したいと思います。
映画監督としての輝かしい経歴
デビュー作『水の中のナイフ』がいきなりヴェネツィア国際映画祭で国際映画評論家連盟賞を受賞します。その後、米国に活動の拠点を移して発表した1968年の映画『ローズマリーの赤ちゃん』が世界を震撼させ、一躍世界にその名を轟かせました。 1974年に発表した『チャイナタウン』は英アカデミー賞や米ゴールデングローブ賞の監督賞など数々の栄誉に輝き、いまやハードボイルド映画の金字塔に位置づけられています。 数々のスキャンダルにまみれて再び拠点を欧州に戻したあと、2002年に発表した『戦場のピアニスト』でついにカンヌ国際映画祭の最高賞・パルムドールに輝きました。 2010年になっても『ゴーストライター』でベルリン国際映画祭監督賞を受賞するなど、その華やかな経歴はまさに巨匠にふさわしいものだと言えるでしょう。
ロマン・ポランスキーの生い立ちと幼少期
ロマン・ポランスキーは1933年8月18日フランスのパリで、ユダヤ系ポーランド人の父とロシア系ポーランド人の母の間に生まれます。3歳のときにポーランドのクラクフに移り、幼少期を過ごしました。 第二次世界大戦時はクラクフに設けられたユダヤ人ゲットーで過ごします。父の機転でポランスキー自身はなんとか逃れたものの、両親は逮捕されて連行。父は強制労働に従事させられ、母はアウシュビッツで虐殺死しました。 両親と離れたポランスキーは、ドイツによるユダヤ人狩りから逃れるため、フランス国内などあちらこちらを転々とします。こうした過酷な幼少時の体験が、彼の作風に大きな影響を与えています。
ポーランドでの青年時代を経て映画界へ
第二次世界大戦が終結すると同時にポーランドに戻り、そこで生存していた父と再会を果たします。両親の影響で幼い頃から映画好きでしたが、とりわけ戦後は映画を観ることが一番の楽しみだったとインタビューで語っています。 ポーランドのウッチ映画大学で学び、1959年に卒業しました。その間、アンジェイ・ワイダ監督の映画『世代』などいくつかの作品に俳優として出演したほか、1955年には初めて短編映画の監督を手掛けています。 ちなみにポランスキーはこの頃、ポーランド人女優と最初の結婚をしていますが、わずか3年で離婚しています。 いよいよ1962年に『水の中のナイフ』で長編監督デビューを果たすと、一躍熱い注目を集めます。翌年には英国に移って『吸血鬼』など3作品を発表し、才能ある気鋭の映画監督として広く知られるところとなりました。
シャロン・テートとの結婚、そして悲劇
1968年、『吸血鬼』に出演していた新進女優のシャロン・テートとロンドンで2度目の結婚を果たします。同時期には敏腕プロデューサーのロバート・エヴァンズによりハリウッドに招かれて『ローズマリーの赤ちゃん』を発表し、大ヒットを記録しました。 ところが、名実ともに映画監督としての名声を確立したポランスキーを大きな悲劇が襲います。1969年8月9日、妊娠していた妻のシャロン・テートがロサンゼルスの自宅でホームパーティー中に惨殺されるという凶悪事件が発生。ポランスキーが仕事でロンドンに滞在中のことでした。 当時、ポランスキーはあらぬ憶測から様々な中傷を受けましたが、犯行はチャールズ・マンソン率いるカルト教団の仕業であり、人違いによる殺人だったことが後に判明しています。
少女への淫行スキャンダルが相次ぐ
妻の死から再起を期して作品を発表し続けますが、今度はロマン・ポランスキー自身が数々の淫行スキャンダルにまみれることになります。 1977年には、13歳の子役に性的虐待をしたとして逮捕され、有罪判決を受けます。釈放後は国外脱出を図り、その後は二度とアメリカに戻らずイギリスやフランスを中心に活動を続けることになりました。 ところが、ヨーロッパにおいても淫行疑惑はついて回ります。 1979年に発表した映画『テス』で主演したナスターシャ・キンスキーは、15歳の頃からポランスキーと性的関係があったことを暴露。2010年には、イギリス人女優のシャーロット・ルイスがやはり16歳のときにポランスキーから性的虐待を受けたことを告白するなど、作品の高い評価とは別にポランスキーの悪評が知れ渡ることになってしまいました。
ロマン・ポランスキーとブルース・リーの意外な関係
ロマン・ポランスキーは、当時アクション俳優として注目されつつあった若きブルース・リーのもとで格闘技を習っていました。ちなみにシャロン・テートが殺害されたホームパーティーにブルース・リーも招かれていたものの、欠席したために惨劇から逃れることができたエピソードは有名です。 ポランスキーが監督兼主演も務めた1975年のサスペンス映画『テナント/恐怖を借りた男』には、主人公が映画館でブルース・リー主演の映画を鑑賞するシーンが挿入されています。 ブルース・リーはその2年前の1973年に急死しており、追悼の意味合いもあったのではないかと言われています。
フランス人女優エマニュエル・セニエと3度目の結婚
1989年には、前年の映画『フランティック』でヒロインを演じた33歳年下のフランス人女優エマニュエル・セニエと3度目の結婚を果たします。 セリエはその後、1992年の『赤い航路』や1999年の『ナインスゲート』などポランスキーの作品にたびたび出演し、公私に渡るタッグを組み続けます。2013年の映画『毛皮のヴィーナス』では、ポランスキーが仏セザール賞の監督賞に輝き、セリエが主演女優賞にノミネートされました。 2人の間には子供が2人います。娘のモーガン・ポランスキーは女優として活動し、デビュー作は父の作品『戦場のピアニスト』です。
ロマン・ポランスキーに関わる2つのトリビア
キョロル・リード監督作『邪魔者は殺せ』
ロマン・ポランスキーは戦後のポーランドで映画を学んでいた時期、最も影響を受けた作品のひとつとして1947年のイギリス映画『邪魔者は殺せ』を挙げています。 『第三の男』や『オリバー!』で知られる英国を代表する巨匠キョロル・リードが手掛けたクライム映画の傑作です。
映画『チャイナタウン』のヒロイン
ロマン・ポランスキーの代表作の一つが、1974年のハードボイルド映画『チャイナタウン』です。 ジャック・ニコルソンの名演技はもちろん、フェイ・ダナウェイが演じたヒロイン・エブリンの独特のスタイルやヘアーメイクが大きな話題をよびました。エブリンの容姿のモデルになったのが、実はロマン・ポランスキーの実母だと言われています。
ロマン・ポランスキー待望の新作『告白小説、その結末』いよいよ公開!
第70回カンヌ国際映画祭で上映されたロマン・ポランスキー4年ぶりの新作映画『告白小説、その結末』がいよいよ日本でも2018年6月23日に公開されます。 デルフィーヌ・ドゥ・ビガンの小説を原作に、女流作家と女性ファンの危うい関係を軸に描いたサスペンス・ミステリーです。主人公のデルフィーヌをエマニュエル・セニエ、相手のエルを『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』のエバ・グリーンが演じているほか、バンサン・ペレーズら実力派が脇を飾っています。 また『パーソナル・ショッパー』で知られるフランスの名匠オリビエ・アサイヤスがポランスキーとともに共同脚本を手掛けているのも話題です。