【ネタバレ感想】映画『万引き家族』亜紀のその後やりん飛び降り説を解説!なぜ『スイミー』?
第71回カンヌ映画祭で最高賞パルムドールを受賞した映画『万引き家族』。日本映画の同賞受賞は、1997年の今村昌平監督作『うなぎ』以来21年ぶりの快挙です。 「万引き」という犯罪で生計を立てている一家を描いた本作には、批判も含めて多くの声が集まりました。是枝裕和監督が本作で伝えたかった、本当のメッセージとは何なのでしょうか。 この記事では『万引き家族』をネタバレありで、感想を交えながら徹底解説&考察していきます。家族の本当の関係や、劇中何度も出てきた「スイミー」が意味するもの、ラストシーンから読み取れる彼らのその後について考えてみませんか? ※この記事は映画のネタバレに触れています。未鑑賞の場合は注意してください。
タップできる目次
- 【基本概要】映画『万引き家族』是枝監督の傑作
- 【ネタバレ】映画『万引き家族』あらすじをラストまで解説
- 【評価】映画『万引き家族』感想・レビュー
- 【解説】「家族」5人の正体とは?
- 【その後】亜紀はなぜ最後初枝の家に戻ったのか
- 【その後】祥太は施設で充実した生活をしている
- 【その後】りんは飛び降りようとしている?
- 【考察】『スイミー』に隠された意図
- 【考察】なぜ「家族」は崩壊したのか
- 【考察】なぜ亜紀は家出したのか
- 【解説】初枝は亡くなる前日なんと言っていた?
- 【考察】なぜ初枝の死体を埋めた?
- 【考察】「万引き家族」というタイトルの3つの意味
- 【評価】なぜ批判されたのか?映画と現実を見比べる
- 【キャスト】豪華キャスト陣による「見えない人々」
- 【番外編】是枝監督の描く“家族”遍歴
- 映画『万引き家族』のラストに何を思う?人間の「絆」とは
【基本概要】映画『万引き家族』是枝監督の傑作
| タイトル | 『万引き家族』 |
|---|---|
| 公開 | 2018年 |
| 上映時間 | 120分 |
| 監督・脚本 | 是枝裕和 |
| 主要キャスト | リリー・フランキー、安藤サクラ |
『万引き家族』は2018年6月8日に日本で公開される前にカンヌ国際映画祭で上映され、パルム・ドールを受賞。国内の各映画賞では安藤サクラが主演女優賞を総なめにし、日本アカデミー賞では13部門の優秀賞を受賞しました。米アカデミー賞にも外国語映画賞にノミネートを果たしています。
【ネタバレ】映画『万引き家族』あらすじをラストまで解説
【起】新しい家族との出会い
治と信代の夫婦は息子の祥太、治の母の初枝、信代の妹・亜紀と5人で暮らしています。治は日雇いの工事現場、信代はクリーニング店で働いていますが、それだけで家族が暮らすことは困難で、初枝の年金をあてにしています。 それでも足りない分は万引きで補う貧困生活でしたが、彼らは幸せそうに暮らしていました。 ある冬の寒い日、いつものように万引きをした帰り道で、治と祥太は家から閉め出されて凍えている少女を見つけました。治は少女を家に連れ帰り夕飯を分け与えますが、信代はすぐに家へ帰そうと連れ出します。しかし、少女の両親の口論を聞いて来た道を引き返すことに。 こうして6人での新たな生活が始まりました。
【承】一家6人 束の間の幸せ

2ヶ月経ってからも少女に捜索届が出たようすはありませんでしたが、やがてテレビで失踪事件として報道され話題になります。柴田家はそこで少女が「北条じゅり」という名だということを知り、誘拐がバレないよう髪を切らせました。そして「りん」という新たな名前を与えます。 一家は普通の家族のように暮らしつつも、治と祥太は相変わらず万引きをして、初枝もパチンコでネコババをしたり信代も勤め先で客の物を持ち帰ったりしていました。そのうち治はりんにも万引きを手伝わせるようになります。そんな社会の底辺での生活のなかでも、6人は幸せに絆を深めていきます。 しかしやがて初枝が突然亡くなり、治と信代がその遺体を家の庭に埋めた頃から、祥太は今の生活に疑問を抱くようになっていきました。
【転】明らかになった“家族”の正体
ある日、祥太が万引きで捕まったことをきっかけに、家族は全員警察に連れて行かれます。そこで明らかになったのは、それぞれの正体と関係性でした。なぜ民生委員から逃げるのか、祥太はなぜ学校へ行かないのか、なぜ「お父さん」と呼ばないのかといった疑問が全て明らかになります。 治の本名は榎勝太。前科持ちの小悪党で、初枝の息子ではありません。その妻・信代も本名は田辺由布子という名の共犯者です。夫婦は籍を入れておらず、祥太も治が車上荒らしの途中で見つけた子供でした。亜紀も信代の妹ではなく、その正体は初枝の夫と後妻の間に生まれた子供の娘です。 一つ屋根の下で暮らしていた「家族」たちは、誰一人として血縁もなければ、法的にも家族ではない存在の集まりだったのです。
【結】それぞれの未来に希望はあるか
結局、亜紀が警察で全てを話し、りん(=北条じゅり)の未成年者誘拐、初枝の死体遺棄など一家が犯してきた罪が明らかになります。罪状は信代がひとりで引き受け、刑務所に入りました。祥太は児童保護施設に入居し、治は一人暮らしを始めます。 治は信代の元へ面会に行っていて、今後も関係を続けていくようです。一方、祥太は小学校で優秀な成績を残し新しい生活も楽しんでいるらしく、治たちから離れた人生を送りつつありました。亜紀については描写がありませんが、実家に戻ったか独り暮らしを始めたかしているのかもしれません。 一方親のもとに戻ったりんは、母親からのネグレクトが復活し、治と出会った時と同じ団地の外廊下で1人きりでした。ラストはりんが台に乗り、寂しげな表情で外を見ようと身を乗り出す場面で幕を閉じます。
【評価】映画『万引き家族』感想・レビュー
社会から存在しないように扱われる、「見えない人々」にスポットを当てた良作です。寄せ集めの家族である柴田家が幸せそうに暮らす姿を見ていると、一体本当の家族とは何なのかと改めて考えさせられます。リリー・フランキーや安藤サクラをはじめとして、キャストの演技もほんとうに素晴らしい。鑑賞後は心にずっしりきます。
個人的に一番印象に残ったのは取り調べのシーン。あの家族が、嘘まみれだとしてもどんなに幸せだったか、刑事に理解されることは一生ないだろう。“見える”世界と“見えない”世界で生きる人々の価値観はまったく違っている。子どもたちはこの後どちらの世界へ進むのか、希望はあるのか考えさせられる。
【解説】「家族」5人の正体とは?
りん
りんは閉め出されているところを保護され家族に加わった祥太の妹。家族の末っ子です。 本名は北条じゅりで実の両親からネグレクトを受けています。失踪しても2ヶ月間、捜索願が出されていませんでした。虐待も日常的で、身体中のあちこちに傷があります。
初枝と亜紀

亜紀と初枝は孫と祖母のように見えますが、血のつながりは一切ありません。初枝の死んだ元夫と再婚相手の子どもの娘が亜紀です。 亜紀の実家は裕福ですが、妹が生まれてから両親との関係がうまくいかず家出をして初枝と一緒に住むようになりました。ちなみに初枝は亜紀の実家に通い詰め、亜紀に関係なく不倫の慰謝料としてお金をゆすり取っていました。 当然治たちとも血縁関係にありません。治と信代がたまたま初枝と出会い、年金目当てに転がり込む形で同居生活が始まりました。
治と信代
治と信代は籍を入れた本当の夫婦ではありません。信代はもともとホステスとして働いていて、そこの常連客だったのが治です。 信代は当時別の男性と結婚していましたが、彼のDVに苦しめられていました。追い詰められた信代は治とともに元夫を殺し、遺体を埋めます。その後治が罪をすべて被り、執行猶予付きで実刑を受けました。その後治が出所してから2人は夫婦を装って生活し、やがて初枝の家に寄生したのです。
祥太
祥太は赤ん坊のとき、炎天下の車のなかに置き去りにされていました。そこを車上荒らしをしていた治が発見し、連れ帰って息子として育てるようになります。祥太はその頃の記憶すらありません。
【その後】亜紀はなぜ最後初枝の家に戻ったのか
映画では、事件が落ち着いた後に柴田家を訪れ、中を覗き込む姿が亜紀の最後の登場シーンでした。特にセリフもなく、あの後亜紀がどうしたのかが気になる人も多かったよう。 小説ではあの家の名義は初枝の元夫である亜紀の祖父のままになっており、亜紀の父親・柴田譲が相続していることが明らかになっています。そのため、父親から家を譲り受けて、再び亜紀があの家に住むのでは?という考察もありました。 最後は家族と話したり過去を振り返ったりしていて、悲しそうな表情はしていなかった亜紀。初枝との関係は血のつながらない孫のような存在でしたが、初枝から受けていた愛情を素直にまた信じられるようになっていたのかもしれません。
【その後】祥太は施設で充実した生活をしている
祥太は施設に入ってから、勉強や趣味に打ち込み充実した毎日を送っているようです。テストで一番をとったと治に自慢していました。思いやりがあり賢い彼のことですから、物語で唯一この貧しい生活から抜け出せるかもしれません。 治や信代と今後深くかかわることはなさそうですが、柴田家で過ごした時間は彼にとって大切なものになっているはずです。そのうえで彼は、これまでとまったく違った、希望に満ちた人生を送っていくのではないでしょうか。
【その後】りんは飛び降りようとしている?
一方でりんは、自分に暴力を振るう親のもとに戻されてしまいました。相変わらず部屋から閉め出されているようで、ラストシーンではまるで誰かを待っているように外をのぞきこんでいます。 りんにとって柴田家が大切な存在であることには変わりありませんが、束の間の幸せな記憶がこれから逆に彼女を苦しめることもあるかもしれません。台に乗って遠くを眺める様子は一種の危うさも孕んでいて、希望ある祥太とは程遠い未来がりんに待っていることを予感させます。 その様子から、りんは飛び降りようとしているのではないかという考察も。しかし是枝裕和監督は、ベランダの隙間から外を見ている冒頭との対比として、あのラストシーンを配置したようです。柴田家に助けられ、愛情を知ったりんが広い世界を見ることができるようになったことを意図しています。
【考察】『スイミー』に隠された意図
なぜ是枝監督は『スイミー』を使ったのか

是枝監督は取材のために児童養護施設を訪れた際、とある少女と出会います。少女は虐待を受け、親と引き離されて暮らしていました。彼女は監督のそばにやってきたかと思うと、突然『スイミー』を音読し始めたというのです。 監督はこのときの出来事がきっかけで、作中に『スイミー』を読むシーンを入れようと決めたとのこと。そしてこの少女に物語を捧げたいとも語っています。 『スイミー』を愛する祥太が希望あふれる未来に踏み出していることを考えると、監督は過酷な境遇に置かれた少女に一筋の光を届けたかったのかもしれません。
『スイミー』に込められたメッセージ
レオ・レオニ作の絵本『スイミー』は、小学2年生の教科書に載っていた教材として有名。11歳になる祥太が学校に通えず、小2の教材で独学している様子を描くことで貧困層の現状を映し出しいます。 また、『スイミー』は赤い魚の兄弟たちの中で1匹だけ黒い魚であるスイミーが主人公。兄弟がみなマグロに飲み込まれ、1人で海を彷徨ううちに別の赤い魚の群れに出会い、団結して1匹の「大きな魚」のフリをして大海を渡っていく物語です。 この物語自体が、血のつながらない家族が寄り集まってできた疑似家族「柴田家」の暗喩となっています。さらに、スイミーが広い海へ泳ぎ出したように、最後には柴田家から離れて広い世界へ踏み出した祥太の成長も示しているのです。
【考察】なぜ「家族」は崩壊したのか

祥太に芽生え始めた道徳心
祥太は治と一緒にする万引き以外にも、ひとりで駄菓子屋のお菓子を盗んでいました。しかしあるとき、りんを連れていつものように盗みを働こうとした際、店主から「妹にはさせるなよ」と2人分のお菓子をもらいます。 実は祥太は治から、お店のものはまだ誰のものでもないから盗んでいいと教えられていました。しかしこの出来事がきっかけで、彼は万引きをすることに疑問や抵抗を感じるようになります。妹を持つことによって、治とは違う道徳観が祥太の中で育っていたのでした。
わざと捕まる祥太
その後ついに、りんが祥太の真似をしてスーパーで万引きをしようとしてしまいました。そこで祥太はわざと目立つように商品を盗んで店員に捕まります。結果的にはこの事件がきっかけで、柴田家は崩壊しました。 祥太がわざと捕まった理由については作中でははっきりと明かされていません。妹を守るためだったのか、万引き生活から解放されたかったのか。真実は彼のみが知っています。
父の背中を追い越す息子
作中で祥太は妹を持つことで、兄として人間として自分たちの生き方を見つめ直し、少しずつ成長していきます。しかしその一方で治は最初から最後まで精神的に成長しないまま。 ついに祥太は父親である治を追い越し、結果的に家族は崩壊しました。それを察したからこそ信代は「うちらじゃ駄目なんだよ、この子には」と話し、治も「父ちゃんさ、おじさんに戻るよ」と言ったのです。
祥太はバスで何と言ったのか?
祥太は治と別れ施設へ向かうバスの中で、声には出さず「父ちゃん」と呼びかけました。このシーンからは、治がどんなにダメな人間であろうと、祥太にとっては育ての父親であり大切な存在だったことがうかがえます。 またここでようやく「父ちゃん」と呼べるようになったことは、祥太が仮の家族に別れを告げ、独り立ちをするという未来を暗示しているのではないでしょうか。
【考察】なぜ亜紀は家出したのか
亜紀が家出した理由は、家庭内での孤独と居場所の喪失。亜紀の両親は妹のさやかばかり偏愛していました。小説版では亜紀の母が実母ではなく、父の再婚相手であることが明かされています。 亜紀は何をやっても優秀な妹と比較され、親の愛情を得られないことへの不満や、自分の居場所が家庭内にないことを痛感し、家出に至りました。亜紀がJK見学店で「さやか」という源氏名を名乗っているのは、自分から居場所を奪った妹に対する深い執着や憎しみの表れでもあります。
【解説】初枝は亡くなる前日なんと言っていた?
海辺シーンで、家族が波打ち際で遊んでいるのを離れた場所から眺めていた初枝は、声には出さず、口の動きだけで「ありがとうございました」と呟いていました。 自分を捨てた元夫への復讐心から始まった「柴田」の家でしたが、最期に彼女の傍にいたのは血のつながりはなくても自分を「おばあちゃん」と慕い、孤独から救ってくれた偽りの家族でした。 初枝はこの時、自分の命がもう長くはないことを悟っていました。だからこそ、幸せで楽しい時間を共有した彼らに対し、感謝と別れの言葉を残したのです。
【考察】なぜ初枝の死体を埋めた?
初枝が亡くなった際、治と信代が死体を床下に埋めたのは、家族という嘘を維持し、生活を継続させるためでした。①死亡届を出すと年金が停止するため、②警察が介入すると正体や前科がバレる恐れがある、③貧困のため葬儀代が払えなかったという3つの大きな理由があります。 しかし、この「死体を埋めて年金を奪う」という行為は、それまで「絆」で結ばれていると信じていた亜紀や祥太の心に、深刻な不信感と亀裂を生む決定的なきっかけとなりました。
【考察】「万引き家族」というタイトルの3つの意味

①モノを万引きする家族
ここからはタイトル『万引き家族』の意味を考察していきます。まず1つ目は、「(亜紀を除いて)全員が”万引き”を日常的に行っている家族」という、ストレートな意味。 治と祥太の手慣れた万引きを筆頭に、初枝はパチンコ店で他人のドル箱を大胆にネコババしたり、信代もクリーニング店に預けられた洋服のポケットに入っていた物を持ち帰ったりしていました。
②万引きされて集まった家族
2つ目の意味としては、「万引き(誘拐)されて集まった家族」だということ。治は、りんを団地の外廊下から、治と信代は祥太をパチンコ店の駐車場から連れ帰りました。広い意味では、信代、治、亜紀も初枝に拾われたと言えるでしょう。 実は仮題は『声に出して呼んで』で、脚本も「お父さん」「お母さん」と子どもに呼ばれたい、と願う主人公の気持ちを軸に描いていたのだとか。危うい絆でつながった人々だからこそ、血縁や法的な「家族」という関係に一層強く憧れていたのかもしれません。
③愛を万引きされた家族
柴田家の面々はそれぞれ、貧しさや社会的立場のせいで当たり前の暮らしを送ることも、普通に愛されることもできなかった人々です。彼らは肩を寄せ合い、自分たちなりに愛し合いながら幸せに生きていましたが、それも結局は一時の幻想に過ぎませんでした。 最終的に彼らはばらばらにされてしまい、猜疑心で互いへの愛も失ってしまいます。ある意味でその愛は、社会によって盗まれたといえるのかもしれません。そのためタイトルには、愛や幸せを万引きされた家族というような意味合いだとも考察できます。
【評価】なぜ批判されたのか?映画と現実を見比べる
『万引き家族』は貧困をテーマにしていることもあり、国内の一部からは「日本のイメージを下げる」として批判されてもきました。しかし普段見えないだけで、柴田家のような人々はたしかに存在しています。以下ではそんな現実で起きた実話を紹介していきます。
年金受給のため祖父の死をかくす家族
『万引き家族』が生まれるきっかけとなったのは、2010年に発覚した年金不正受給事件です。とある一家が30年以上祖父の死を隠し、年金を不正に受け取っていたという事件で、世間を大きく騒がせました。 彼らがしたことは決して許される行為ではありませんが、そうせざるをえない理由があったというのもまたひとつの事実です。是枝監督はこの事件から得たインスピレーションを、社会的弱者を描く『万引き家族』という作品に昇華させました。
【キャスト】豪華キャスト陣による「見えない人々」

カンヌ映画祭の審査委員長を務めたケイト・ブランシェットは、本作を「見えない人々(Invidsible People)」の物語であると表現しました。そんな本作を形作ったのは、見えない人々とは対照的な豪華俳優陣。リリー・フランキーや樹木希林、安藤サクラや松岡茉優を始めとする、主演級の華やかな顔ぶれが揃っています。 しかし、彼らは演技合戦という表現が似合わないほど、自然な表情と言葉遣いで静かに社会の片隅で生きる人々を演じました。池松壮亮や片山萌美、山田裕貴もわずかな出演時間ながら、主役の家族たちとはまた異なる「見えない人々」としての役目を果たしています。 彼らの名演技によって、映画『万引き家族』は多くの人の心に刺さる作品になったと言っても過言ではありません。
【番外編】是枝監督の描く“家族”遍歴
| 『誰も知らない』(2004年) | 親に見放された子どもたち |
|---|---|
| 『そして父になる』(2013年) | 出生時に病院で子どもを取り違えられた2つの家族 |
| 『海街diary』(2015年) | 親と時間を過ごせなかった3姉妹が腹違いの妹を家族に迎える |
| 『海よりもまだ深く』(2016年) | 離散した元家族のその後の交流 |
上記のように是枝裕和監督はこれまで様々な家族を自分の作品の中で描いてきました。家族とはなんだろうという問いかけとも思えるこれらの作品たちの延長線上に、本作『万引き家族』は位置しています。
映画『万引き家族』のラストに何を思う?人間の「絆」とは
「血縁とはうまくいかなかったけど、色んな人と縁を結んだ。」これは吉田秋生の『海街diary』で、とある登場人物の人生を振り返る時に登場する表現です。 人と人との縁は決して血縁だけではありません。家庭環境に恵まれなくても、友人や恋人、何かしらの同志と「絆」を結ぶことができます。その血縁ではない「絆」を「家族」と呼んでもいいのでしょうか?結婚や出産、養子といった形を取らなければいけないのでしょうか? 『万引き家族』の結末・ラストシーンは、是枝監督から私たちに向けられた「家族」に関する問題提起だったように思います。あなたにとっての「家族」とは何ですか?



