【4歳に還れ。】家族を描き続けるアニメーション映画監督「細田守」ロングインタビュー
細田守監督の新作『未来のミライ』は、4歳の冒険を通して家族を描く
『時をかける少女』から『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』と続き、今回で5作目となる細田守監督のアニメーション映画最新作『未来のミライ』。 物語は、都会の小さな庭のある家に住む4歳の男の子「くんちゃん」の元に、妹がやってくるところから始まります。 両親は妹ばかりにかまっていて、自分への愛情が奪われた!と戸惑うくんちゃんの元に、未来からやってきた妹「ミライちゃん」が現れます。ミライちゃんに導かれて、時空をこえ旅をするくんちゃん。その先には壮大な冒険が待っていた……。
今回、「4歳の男の子をきちんと描いた」という細田監督に、なぜ家族を描き続けるのか、その意図についてインタビューしました。
4歳の男の子をきちんと描きたかった
まずはこの映画を作った経緯について、聞いてみました。
細田監督から見た、『未来のミライ』という作品の魅力はどこにありますか。
細田監督)『未来のミライ』は、小さな男の子が主人公の日本の片隅にある小さな家族の物語なんですが、すごく小さいようで、実は今まで僕が作った映画の中では一番大きな広がりをもった作品なんですよね。 その広がりがなんなのかというと、今まで僕が作った作品、たとえば『サマーウォーズ』は、親戚が横につながっていくという横の広がりはあったんだけど、『未来のミライ』は時間軸で縦に広がっていくんですね。 「戦後73年」という言葉がありますけど、その過去から今を飛びこえて未来につながる。そういった大きな時間の流れの中で、家族がどのような姿になっていくのか。それを映画を通して味わえるという面白さが『未来のミライ』にはあると思います。
今回の主人公「くんちゃん」は4歳児ということですが、この歳くらいの男の子を取り上げようと思った理由は?
細田監督)アニメーションって小さい子どもが出るのが当たり前だと思っているかもしれませんが、実はこの年代(4歳くらい)の子どもをきちんと描いている作品ってあまりないんですよ。 世にある多くの作品は、子どもじゃなくてキャラを描いている。そうではなくて、この作品では子どもをしっかり描こうと思ったんです。子ども時代の輝きや子ども目線から見た世界って、大人が見ているのとは全然違った世界ですごく新鮮に感じるんじゃないかな、と。 それって言い換えると、大人が子ども時代をもう一度生き直すっていうことなのかもしれない。子どもが泣き叫んだり、喚いたりすることに寄り添って、一緒に楽しむことでデトックスする。そういう感じがこの映画にはあるんじゃないかな。
『未来のミライ』というタイトルながら、物語の中に過去の話が多く出てきますが、それはなぜでしょうか。
細田監督)それは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と言いながら、ほとんどは過去に戻っているというのと一緒で(笑)。 つまり、過去から見た「今」は常に「未来」である一方で、今は「今」って言った瞬間から常に「過去」になっていて、未来は「過去」や「今」によって常に更新されていく。 こういうふうに、なにがつながっていくのかわからないのが未来なんだなあと思うんですよね。 この映画のテーマにもなっている「家族」って、考えようによってはすごい偶然の産物で。「このときこういう出会いがなければ、あのときああしていなければ、今や未来が存在しない」って考えれば、過去って未来を作る上でとても重要な要素なんですよね。 つまり過去と今と未来がゴッチャになってある、それが『未来のミライ』っていうタイトルに込められた意味なんじゃないかなって思うんです。 もちろん、「未来から来たミライちゃん」って言う意味もあります。
「木」が象徴するもの
『未来のミライ』でくんちゃんが住む家は、都会の中庭のある一軒家。中庭のある家はとても現代っぽい家のような気もしますが、どうしてこのような家を描いたのでしょうか。
今回の家は中庭があるという、今までよくある家の描かれた方と違う気がしたのですが。
細田監督)そうなんです。あれは最初前庭だったものが離れを作って、離れと母屋をつないだから中庭ができちゃったっていう、変化した庭なんですよ。 昔の家は家の中に壁があって、窓があることによって外に広がっていた。今は逆に、外に壁を作って中に窓を作るんだよね。現代建築の大きな傾向はそうなっているんですよ。 いったら、京都の町家みたいな発想だと思うんです。京都の町家って必ず坪庭があって、それを見るために窓がある。 そう考えると、中庭がある家って一見現代建築のように見えて昔からある考え方にちょっと近い、っていうのは面白いですね。
今回、その中庭に「木」があって、それが象徴的に描かれていますが、『バケモノの子』でも木が象徴的に描かれていた気がします。「木」にはどんな意味があるのですか。
細田監督)それは確かに、『バケモノの子』からの連続性があると思っていて。 「木」って人の歴史を見ているというか。木が少しずつ大きくなると同時に人間も変化していて、その人間が変化したときの「ログ」が、木には詰まっていると思うんですよね。 あと「木」って、一本立っているだけでなんであんな象徴的に見えるんだろう。今回、家の中庭に木をおいたけど、あれだけであの家が庭を中心に廻っているように見えますよね。
子どものときの体験をもう一度
細田監督は自身の体験に基づいて映画を作っています。 『サマーウォーズ』は結婚して親戚が増えたこと、『おおかみこどもの雨と雪』では母を亡くしたことと子育てへの憧れ、『バケモノの子』は息子さんが生まれ父親になったこと。 そして、今回の『未来のミライ』は2人目のお子さんが生まれたことがきっかけとなっています。
細田監督は、自身の体験に基づいて映画を作っていますが、それはなぜでしょうか。
細田監督)『おおかみこどもの雨と雪』や『バケモノの子』のときは「なんか変わったことやっているな」としか思ってもらえなかったんですが、『時をかける少女』から5作目にして、やっと「自分の家族」っていう文脈があるんだ、実はブレがないんだ、というのをわかってもらえてよかったです。 僕は一番身近なものに影響を受けるんですよね、昔からそうなんですけど。 でもこんな家の中の話って、どこにでもあるような話って思うじゃないですか。もっと重要なものは家の外側にあるんじゃないかって。 僕も西洋美術史とかを勉強していたから、昔の絵画の歴史や作品を見てそこから刺激を受けていたんですけど、今は家の中が一番刺激的ですなんですね。 それはそういった古典を一旦踏まえたからかもしれないんですけど。「日常に起っている何でもないようなものにこそ魅力的がある」と思うようになったんです、モチーフとしてもテーマとしても。 特別じゃないことに、何か真実があるんじゃないかってね。
今回の『未来のミライ』も、「日常の中にある非日常」というような内容ですよね。この映画を観ると、子どものころの不思議な体験を思い出す人も多いのではないでしょうか。
細田監督)そうなんです、『未来のミライ』を観て、子どものときの不思議体験を思い出した、という話を何人も聞いたので、もしかしたらこの映画にはそんな効果があるのかも。 実は僕も子どものときに不思議な体験があって。 子どものときに母親と海に行ったんですけど、母親が沖までずっと泳いでいっちゃって、自分が独りぼっちになったと思ったら波に呑み込まれて気を失って。そうしたら、気を失った中で自分が海の中でポッカリ浮かんでいる姿を見ていて。これって一種の幽体離脱ですよね!? でも、そんな不思議な体験をしたのに、その話を周りの大人にしたかっていうとしてなかったんです。 そういう体験って、きっとみんな子ども時代にしていると思うんですよ。子どもは子どもの中に秘めていて、わざわざ言ったりしないんじゃないかな。 そういうところ1つをとっても、子どもが見ている世界って大人とは全然違うっていうか、キラキラしていると思うわけです。それは単に目線の高さが違うっていうことではなくて、心の目が子どもの目っていうことなんですよね。
一方で、未来の東京駅に登場する“黒い新幹線”のシーンではだいぶテイストが変わって、おどろおどろしいシーンになっていますが、これは子ども心にも怖いのでは?
細田監督)そうだよね。この電車のシーンは、僕自身も、子どものときに迷子になったときのことを思い出すんです。 子どものころ、よくデパートで迷子になったり、普通の道でも迷子になったことがあるけど、そういうときの風景って、すごく怖かったって言うか、何もかもが巨大だったイメージがあるんですよね。 大人になっても外国で迷子になることはあるけど、そんなの比じゃないくらい、子どものときの迷子ってすごい体験じゃないですか。そういうときって、世界って全然違って見えるっていうか。 あと、僕ら大人はたとえば、オモチャの線路で走っている電車を見ても、上から俯瞰してみるでしょう。でも子どもは、床に顔をくっつけて電車を下から見ているじゃないですか。 僕らは客観的に「オモチャが走っているな」って思うけど、子どもの中ではもっとダイナミックに見ていて、駅も電車ももっとリアルで果てしなく広がっていると思うんですよね。それがあのシーンなんです。
「家族」という不思議
前作の『バケモノの子』が“疑似家族”が描かれていたことに対し、今回は“血のつながった家族”が色濃く描かれています。それはなぜでしょうか。
細田監督)前作の『バケモノの子』で疑似家族を描いたとき「血のつながりというか家族の歴史って、なんて偶然でできているんだろう」ということも考えたんですよね。 血縁が疑似家族と違うのは、あの人とあの人がここで出会わなければ、この人が生まれなかったっていうところですよね。出会うとか縁だけなら、疑似家族でも可能なんですが。 目の前に自分のアイデンティティを突きつけられたときに、自分という存在が、歴史的にある種の偶然の積み重ねの上にあるということが、自分自身は何者かということを考える上ですごく重要だと思うのです。 家族って面白いですよね、両義性があるというか。祖父母がいて父母がいるから自分がいるっていう、当たり前で何の変哲もないものでありながら、実はそれはすごい偶然の産物でできている、ということですからね。
同じ家族を描く、是枝裕和監督について
今回、是枝監督も映画『万引き家族』で家族について撮っています。細田監督とは共通点が多いですよね。
細田監督)是枝監督は、『未来のミライ』がカンヌ国際映画祭・監督週間で正式上映されたときに観にきてくださって。そのときに「親近感がある」って言っていただいたんです。 『バケモノの子』を作ったときもね、こんな父親について映画を作るのは自分くらいじゃないかって思ってたんですよ。そうしたら是枝監督が『そして父になる』を撮るって聞いて、アッて思った。自分だけだと思っていたのにもう一人いた、って(笑)。 是枝監督の作品は『幻の光』から観ているので、好きな監督なんです。 同じモチーフをお互いいろいろ考えて、そこから現代を切り取るっていうことを同時代的にやっていると、いろいろ励ましになるというか、勇気づけられますよね。 もちろん、是枝監督のほうが先輩だし、パルムドールももらって全然すごいんですけど、でも自分も同じようなつもりで作品を作っています。
大人のほうが目眩いてしまう世界
最後に、この映画についてどのような人に観てもらいたいかを聞いてみました。
『未来のミライ』はどの年代に観てもらいたいですか?
細田監督)この映画は4歳の男の子が主人公ですけど、4歳のころを思い出せる人というか、4歳のころがあった人みんなに見てほしいですね。 3歳の子はちょっと無理かもしれないけど(笑)、4歳以上の人は4歳のことは思い出せるはずだから、そういう子ども時代を思い出しながら、その中に流れている時間に思いを馳せて観てほしいです。むしろ大人のほうが思いを馳せるぶんだけ、楽しめるんじゃないかと思うんだよね。 もちろん僕の映画は子どもに観てほしいと思って作っているんだけど、完成したものを観ると、案外これは4歳から遠く離れた人のほうが目眩(めくるめ)いてしまうんじゃないかって思うんですよね。
家族の「時」をつなぐ、身近で壮大なファンタジー
「家族」という一見こぢんまりとした作品のように見えて、過去と未来を行き来する壮大なファンタジーとなった『ミライの未来』。 お子さんをお持ちの家族はもちろん、子ども時代に思いを馳せたい大人たちにも、夏休みにお勧めしたい作品です。