2018年10月12日更新

【井浦新インタビュー】故・若松孝二を僕が演じるということ

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井浦新
©︎ciatr

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ピンク映画の巨匠、若松孝二とそれを取り巻く若松プロの青春群像劇

「ピンク映画の巨匠」と言われた若松孝二監督が2012年10月に亡くなってから丸6年たった2018年、まるで止まっていた時計の針が動き出すように、若松プロダクションが再始動されました!その第一弾として若き日の若松監督とその周辺を描いた映画『止められるか、俺たちを』が10月13日公開されます。

【インタビューの前に】『止められるか、俺たちを』について

映画は1969年、70年安保闘争直前の若松プロダクションから始まります。当時、ピンク映画を撮り続け若者を熱狂させ続けていた若松孝二監督のもとに、1人の少女・吉積めぐみが監督になることを夢見て飛び込みます。 吉積めぐみの目を通して若き日の若松監督や若松プロダクションを描写されていきます。若松作品でも度々助監督を務め、自身もバイオレンス映画を中心に高い評価を築いてきた白石和彌が監督を務めます。 吉積めぐみに門脇麦、若き若松監督役に井浦新がそれぞれ起用されました。

井浦新
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重要な本人役を務めることに加え、実際に多くの若松監督の作品へ出演してきた井浦新に、『止められるか、俺たちを』や若松孝二監督について聞きました。

オファーが来てもすぐには返事はできなかった

井浦新
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井浦新は、若松監督の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』や『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』に出演しており、若松組の“常連”とも言える役者です。 その井浦新が今回若松監督を演じてくれと言われ、どう思ったのでしょうか?

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今回、若松監督を演じるという話がきたときにどう思いましたか?

井浦) 率直に言うと、とんでもない話が来たなぁと。

どうしてそう思ったんですか?

井浦) 白石監督をはじめ若松プロのみんなは、若松監督亡き後に僕がどんなふうに思っているかとかどういう気持ちなのかを知っている人たちなんです。だからそんな自分に若松監督を演じてほしいとオファーを出すほうも出し辛かったろうし、僕のほうも「やった、うれしい」といった感じではなかったのは事実です。 なんでかっていうと若松監督は自分の恩師であって、こんな人間になりたいなでもなれないな、と思って追い続けた背中だったんで。実際いろいろなことを教えてもらって学んだ相手を演じるなんて「やった、うれしい」なんて気持ちにはなれないですよ。 でもオファーが来たとき、不思議と断るという選択肢はなかったんです。ただ「やります」っていう言葉をいつ言うかっていうことだけでした。

止められるか、俺たちを
(C)2018若松プロダクション

ということはすぐにOKを出したんですか?

井浦) いや、すぐに返事はできませんでした。 それを一度持ち帰って、一ヶ月後ぐらいに、白石監督と若松プロのみんながいる目の前で、みんなの顔をにらみつけながら、「やらせてもらいます」って怒りを込めて言いました。「やらないって言えないじゃないですか!」って(笑)。

若松監督を演じることは、やりにくさしかない

井浦新
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よく知っている若松監督を演じるということで、やりやすかったところなどはありましたか?

井浦) それで言うとやりやすいっていうのは微塵も感じませんでした。ただやりにくさしかなかった。 でも考え方を変えたら、自分がなりたくても絶対なれない、教えを受けているときには全部吸収してやろうと思って向かっていった若松監督を演じさせてもらうんだから、そのときだけでも憧れていた人になって無茶苦茶やってもいいんだな──と思うことにしたんです。 そうして撮影が始まってみたら、もう幸せしかなくて。 とは言っても、身体は僕であって心をどんなに近づけようとしても本人になれるわけもない。だから、自分の中にある若松監督を作るんじゃなくて溢れ出てくるものとして自分の身体と心を使って表現していくっていう作業だったんです、アプローチとしては。 もちろん、監督に教わったようなこと──「何でも本気でやれ」「真剣にやれ」「心を込めろ」「心を見せろ」とか──を前提に演じるのはもちろんなんですけど、ただその通りにやっただけでは駄目だなって思ったんです。それを越えていくものがないと。 それはたぶん、僕の思いをそのまま出してもしみったれたものにしかならないってことなんです。僕の気持ちなんか心の奥のほうに閉じ込めて鍵を閉めて突き抜けていかないと、若松監督を演じることなんてできないなあって。 だから、その時期だけ無茶苦茶に生きようっていうのと自分の中の最大限の愛と敬意をもってこれをギャグにしていこうと思ったんです。それは本気でやったら本当になるし、狙ってやったらただの小芝居になるから、本気で真剣に遊んでしまえって考えたんです。でもそれも、今思えば若松監督から教わったことなんですよ。

止められるか、俺たちを
(C)2018若松プロダクション

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映画の中で途中から井浦さんが若松監督にしか見えなくて、井浦さんは憑依型だなと思ったのですがいかがでしょう。

井浦) そう言ってもらえて嬉しいです。 でもそんなカッコイイもんじゃなくて、あれはただただ自分の中にいた若松監督が膨らんできただけなんです。それしかない。小細工もできないし僕が若松監督を演じること自体、無茶なことなんで。 その代わり、数年間であっても『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』や『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』ですごい濃密な時間を過ごしたので、指先の動きから何まで脳裏に蘇ってくるんです。だからこんなに自分の中に監督っていてくれているんだなあって、そういう幸せを感じながら芝居している感じでした。

映画は「原点」

井浦新
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最後に、映画だけでなく舞台やテレビでも活躍する井浦新に、あえて井浦新にとって映画とは何かを聞いてみました。

井浦さんにとって映画ってなんでしょう?

井浦) 役者としての自分を生んで育ててくれた場所なんです。それ以上でもそれ以下でもなくて。はじまりであり、大切な場所。 僕が映画で役者の世界に投げ込まれてわけも分からず経験させてもらって、本当に僕のキャリアは映画で作ってもらったんです。 若松監督や是枝監督などさまざまな監督と出会って、いろんな役をやらせてもらった。そこでたくさんのことを学んでいろんな経験をして。だから当時は映画が自分を生んでくれたんだから映画のために仕事していけばいいって思っていたんです。

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若き日の若松監督を演じきった井浦新の演技に注目!

止められるか、俺たちを
(C)2018若松プロダクション

もともと役者志望で飛び込んだ世界ではなかったので、そこから広げる必要はなかったんです。舞台をやりたいとかテレビドラマに出て有名になりたいとか、そういう気持ちがなさ過ぎて。 求められる映画監督の下に飛んでいって勉強し続けていけばいいなっていうくらいしか欲は無かったんです。それでも、自分にとっては充分大きな欲だったんですけど。 でも若松監督が「仕事を選ぶな。自分の可能性を縮めるのは自分だ。その考えは駄目だ」って怒ってくれたんです。 それでテレビの世界など苦手だと思っていたものを自分で止めないで、来たものを全部食らっていくくらいの気持ちでやっていこうって30代のときに思ったんです。 それでもやっぱり、僕にとって映画は“原点”なんですよ。

井浦新
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「映画の世界に飛び込み、映画に育てられた」井浦新が、自分の恩師とも言える若松孝二監督を演じきった『止められるか、俺たちを』。 井浦新の演技はもちろんのこと、私たちの多くが知らない1969年という時代のエネルギーを、若松監督を通してぜひ味わってください。