2018年4月19日更新

映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』が韓国で大ヒットした理由【小野寺系】

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タクシー運転手 ~約束は海を越えて~
© 2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED.

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映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』は、なぜ韓国で話題となったのか

 タクシー運転手 ~約束は海を越えて~
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巨額の収賄事件によって政治を私物化したとされる朴槿恵(パク・クネ)前大統領を、市民の抗議デモによって辞任に追い込んだ韓国。『タクシー運転手 約束は海を越えて』は、そんな民主主義の機運が高まっていた韓国で、1200万人を動員する記録的なヒットを達成した作品だ。 ここでは、なぜ韓国でここまで本作『タクシー運転手 約束は海を越えて』が人々の関心を集めたのかを解説しながら、本作が実際の事件を通じて訴えるメッセージについて考えていきたい。

物語は韓国現代史上最大の悲劇「光州事件」がモデルとなった

本作で描かれる「光州事件」は、1980年に実際に起こった事件である。事件は、前年にクーデターを起こし政権を握った軍部出身の指導者らが、民主化運動を行っていた金大中(キム・デジュン)らを逮捕したことをきっかけに始まる。 光州市の学生や市民たち20万人はこれに反対し、民主化を要求するデモを行ったのだが、デモ参加者は新政府によって暴徒と見なされた。そして信じがたいことに、派遣された陸軍特殊部隊によって銃弾を浴びせられる事態に発展するのである。

デモ参加者は他国のスパイ?

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政府の圧力によって、マスコミは国民に事件の真実を伝えることができず、デモ参加者は「スパイ」であり、デモは「北朝鮮による陰謀」だとする、政府による一方的な主張が報じられた。 そのせいで韓国の市民たちは、政策に反対する国民を軍が殺害していた、という事実を知ることができなかったのだ。誰かがいち早くこの事実を世界に、そして韓国全土に伝えなければ……被害者は増え続け、恐怖政治が横行することになってしまう……。

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市民と軍の闘いは、一方的な虐殺へ

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そんな本作の登場人物もまた、実在する人間を基にしている。日本に駐在していたドイツ人記者ピーターは、戒厳令が敷かれた韓国の光州市で“何かが起こっている”ことを嗅ぎつけ、軍によって監視される街で取材を試みようと韓国へ飛ぶ。 ソウルから光州市へ彼を送り届けるのは、小さな一人娘を育てながら個人タクシー業を営む、運転手マンソプだ。彼は「大金がもらえる」という話を聞きつけ、ピーターを自分のタクシーで送迎しながら軍の警備を避け裏道を通って市街へ潜入していく。 そこでは市民と軍の競り合いが激化していた。催涙弾でデモを撃退していた軍は、やがて人々に暴力を加えるようになり、ついにはバスやタクシーをバリケードにして抗戦する市民たちを実弾で狙い始める。この現実とは思えない地獄のような光景を、本作は出来る限りリアルに再現している。

実際の悲劇を映画作品として描く技術

 タクシー運転手 ~約束は海を越えて~
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学生を多く含む市民たちが殺害された、あまりにも悲惨な「光州事件」を映画化すれば、必然的に陰鬱な内容になってしまうだろう。 だが本作は、明るい性格の運転手マンソプというキャラクターを主人公とすることで、「光州事件」を全く知らないような観客と同じ目線からスタートしながら、事件の深刻さに全く気付かずに巻き込まれ、事件の真相と重大さに徐々に気付かされていく、という仕掛けになっている。本作は映画としての楽しさやユーモアを見せながら、観客を自然に物語の内容へと引き込んでいく。 また、シリアスな状況に否応なしに巻き込まれていく展開は、『義兄弟 SECRET REUNION』や『高地戦』を撮りあげた、本作の監督であるチャン・フンの得意とするところでもある。

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名優の競演、ソン・ガンホ×トーマス・クレッチマン

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ドイツ人記者ピーターを熱演するドイツのベテラン俳優トーマス・クレッチマン(『戦場のピアニスト』、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』)は、本作の発するメッセージに共感し出演を決めたという。ピーターが光州の惨状を目の当たりにして気力を失いながらも、もう一度カメラを握り直すシーンは感動的だ。 そして、彼を運ぶマンソプを演じるのは、いまや韓国映画界の代表的俳優となったソン・ガンホ(『グエムル-漢江の怪物-』、『義兄弟 SECRET REUNION』)だ。危険な仕事だと分かると、さっさと逃げようとしたり、それでも頼まれるとついつい応じてしまう人の好さなど、人間くさい複雑な演技が必要とされる本作の役は、まさにソン・ガンホの独壇場といえる。

一人ひとりに突き付けられる決断

タクシー運転手 ~約束は海を越えて~
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娘の待つ家に無事帰りつくか、真実を伝えようとする記者を助け続けるか。マンソプは、娘とピーター、どちらの「約束」を守るのか決断を迫られることになる。 自分個人の損得勘定だけで考えるのならば、強い者には逆らわず、ただ「空気」に従って生きていくのが正しいのかもしれない。しかし、みんながみんな自分の保身を考えたらどうなるのか。市民が黙り、報道が政府の言いなりになれば、権力の暴走を許してしまうことになり、最終的に市民は自分の首を絞めることになるはずだ。

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犠牲の記憶とともに

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この映画が伝えている市民の闘いと悲劇は、大統領への抗議デモを行った、現在の韓国の人々の気持ちにリンクしたことで、より多くの観客を集めることができたといえよう。そして政治は市民のものだというメッセージは、日本を含む全世界にも響く普遍性を持っている。 市民の抗議デモによって、主権者の強い怒りが投票以外の行動によって国政に影響を及ぼしたのは、民主主義が機能したことの表れであるといえる。だがそんな韓国のデモには、「光州事件」という過去の苦い記憶があったのだ。今回のデモによる国の改革は、1980年に光州で殺害された人々の魂とともに成し遂げたのだということが、本作を観れば分かるだろう。