2018年12月21日更新

映画『凶悪』とその題材「上申書殺人事件」の比較に見る、人間社会の深い闇

(C)2013「凶悪」製作委員会

凶悪事件が明るみとなり、首謀者逮捕までを描いたノンフィクション作品を実写映画化した『凶悪』。本作の題材となった実在の事件「上申書殺人事件」の実態を見つめながら、リアルに存在する個人と社会の闇について考察していく。

スクープ記事で明らかとなった実在の凶悪事件

犯罪ノンフィクションベストセラー小説『凶悪 -ある死刑囚の告発-』を原作とし、山田孝之やリリー・フランキー、ピエール瀧などの実力派キャストで実写映画した『凶悪』。本作は実在の事件「上申書殺人事件」を基に、獄中の死刑囚が告発した殺人事件の真相をスクープ雑誌の編集部が暴き出し、首謀者逮捕に至るまでを描いている。 今回は本作の題材である「上申殺人事件」の実態と、映画から見えてくる現代社会にリアルに存在するであろう「闇」について考察していく。

映画『凶悪』のあらすじ

東京拘置所に収監中の死刑囚の須藤から、スクープ雑誌「明潮24」の編集部にある一通の手紙が届く。それをきっかけに同雑誌記者の藤井は、須藤と面会することになる。 そこで須藤から聞かされたのは、未だ警察にも明らかになっていない須藤の余罪と、「先生」と呼ばれ3件の殺人事件の首謀者であるとされる男・木村の存在だった。 木村の真実を告発することで彼を追い詰めたいと願う須藤の告白を受け、藤井は木村に関しての取材を開始。当初は半信半疑だったが、取材を進めるにつれて取り憑かれたように事件の真相究明にのめりこんでいく。

「上申書殺人事件」とは

映画『凶悪』の原作小説『凶悪―ある死刑囚の告発』はノンフィクション小説であり、その題材となったのは、茨城県で実際に起こった事件。 通称「上申書殺人事件」と呼ばれているこの事件は、死刑判決を受け服役中だった元暴力団組員の被告人が、過去に自分が関与した2件の殺人事件と1件の死体遺棄事件の上申書を提出したことで発覚したもの。 本当の事件の首謀者の不動産ブローカーの男は「先生」と呼ばれ、被告から慕われていたため事件の真実は明るみに出ていなかったが、先生に世話を頼んだはずの被告の舎弟が自殺し、彼の財産が先生によって処分されたことをきっかけに、被告は告発を決意したとされている。 なお、「上申書殺人事件」は、先生が首謀したある3つの事件、「石岡市焼却事件」「北茨城市生き埋め事件」「日立市ウォッカ事件」で構成されており、それぞれが映画内でも描かれている。 以下、映画で描かれた各殺人について解説する。

第一の殺人 (石岡市焼却事件が題材)

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須藤が告発した、木村が関与・首謀したとされる事件は3件ある。 1つ目は、金銭トラブルを巡って犯した殺人事件。被害者の首を絞めて殺したあと遺体の処理に困った木村は、須藤に協力を要請。そして土建業者の森田にも連絡し、森田の会社の焼却炉で遺体を焼却したのである。さらに須藤の証言によると、木村はこの事件の後多額の金を手に入れた。

第二の殺人 (北茨城市生き埋め事件が題材)

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2件目の殺人は、資産家男性の生き埋め殺人。 被害者を拉致したのち木村の所有地に運び、そこに掘った穴に被害者を生き埋めにしたとされている。土地は木村名義となり、その後売却された。被害者男性の身元は特定されたが、男性が身寄りのない人物でありDNA鑑定が困難であったことと、被害者の遺体が何らかの形で移動されたため木村の土地から遺体が見つからなかったことで、事件は謎を深めていった。 なお、この事件でも木村は多額の財産を得ることに成功している。 実際の事件でも、「先生」の所有の土地から遺体は見つからず、捜査は困難を極めた。また、この点に関しては、「先生」が証拠隠滅のために死体を掘り起こして別の場所に埋め直したという情報も残されているという。

第三の殺人 (日立市ウォッカ事件が題材)

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3件目の殺人として木村が画策したのは、多額の借金を背負う電機屋の主人・牛場をターゲットにした保険金殺人である。 借金のせいで家族からも煙たがられていた牛場は木村と自分の家族に騙され、軟禁状態にされ大量の酒を飲まされ続ける。持病を患っていた牛場は壮絶な苦しみを味わい、さらには木村に悪戯のごとくスタンガンを当てられるなどの虐待を受け、ついには死亡する。 そして牛場の遺体は行き倒れと見せかけるために林に捨てられ、結果牛場の家族は億単位の保険金を得るが、そのほとんどは木村たちによって山分けにされた。 映画では、被害者男性は短時間で死に至っているが、実際は約1カ月に渡って軟禁され、その間酒を与えられ続けた末に体調を悪化した末に死亡している。また、実際は被害者を庭にある鳥小屋に閉じ込めるなどしていたが、映画ではこのシーンは描かれておらず、強制飲酒とスタンガンでの虐待にとどまっている。

「先生」の人間性についての考察

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原作本および映画内で「先生」(木村)は、息をするように淀みなく嘘を吐き、また良心の呵責や罪悪感が皆無なうえに虐待行為や多大な苦痛を伴う方法で殺人を行うことから、いわゆるサイコパスと呼ばれる種類の人間であることがわかってくる。 しかし原作と映画を比べたとき、リリー・フランキー演じる映画版の木村は、牛場が拷問で苦しむ姿を見て大声を挙げて高笑いをするなど、非常に感情豊かであることが窺える。 サイコパスの特性のひとつに、他者の感情や状態に対して無関心であることが挙げられる。何に対しても感情移入がなく、心に波風を立てず表情にもわかりやすい変化がない人間。彼らはいかなる状況が目の前で繰り広げられたとしても、見た目にはほとんどわからないほど無反応なリアクションを取る場合が多いとされている。 その点を踏まえると映画版の「先生」は、サイコパス性よりも殺害方法の残虐性などにフォーカスが当てられており、金への執着を感じさせながらも人を痛めつけることで快感を得る欲深いサディスト的な人物として描かれている。

人間の闇をどう描くかがテーマ

普通の人間にも闇は存在する

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本作でテーマとなっているのは、すべての人が抱える人間の闇の部分である。 残忍な殺害計画を首謀し実行した木村や須藤のしたことは悪そのものであり、それは人間の闇から生まれた感情が目に見える形で昇華されたことであることは間違いないが、その事件を追う記者の藤井にも確実に闇は存在する。 藤井を異常なまでに事件へのめりこませていたのは、記者としての真実解明のための正義感ではない。正義感を盾に存在する、木村や須藤たちによる残虐な行為への好奇心だ。それが藤井の心を支配したのち記者という肩書のもとに機能し、彼を事件取材へ導いた。

罪の告白は償いだったのか

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また今回注目すべきだと感じたのは、須藤が持つ凶悪性である。 彼は木村を追い詰めたいという思いを理由に木村のしてきたことを藤井に告発し、その結果事件が明るみに出て木村逮捕へと繋がったが、須藤が目指していた本当のゴールはおそらく木村の逮捕ではない。自分のみが知る他者の罪と事件の真相を誰かに話すことで、自分の心の平穏を得ることであったのだと考えられる。 ただ話したかっただけ、共有したかっただけ……。そんな感覚のもとに、誰かに悩みを打ち明けたことがある人は、決して少なくはないだろう。私もその経験がある。本作で須藤が行った告発にも、それと似た要素を感じ取れる。 須藤は告発後、身体の中を渦巻いていた秘密から解き放たれ、拘置所で穏やかな生活を送っていた。つまり自分の罪を無関係の他人に打ち明けることで、抱えきれなくなった闇を光の中で紛らわせようとしただけである。 つまり藤井は須藤にとって、真実を暴くヒーローや救世主などではなく、自分の感情のはけ口となる都合の良い人物であり、いわばただのサンドバックのような存在でしかなかったのだ。 しかしながら、そのような行動を取りかねない思考を我々は誰もが持っており、その身勝手さこそが最も身近でありふれた凶悪であると。

現代社会自体が病んでるからこそ、リアルに響く映画

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藤井の懸命な取材とスクープ記事がなければ事件の真相解明が叶わなかったように、暗闇の中に埋もれた悪が数多く現代社会には存在する。また、本作でも多き取り上げられていたように、保険金を目当てにした家族ぐるみの殺人も後を絶たない。保険制度の見直しや、警察の捜査精度の向上などが長年叫ばれ続ける一方、その改善の兆しは未だ見られない。 現代社会の闇は、すなわち人間ひとりひとりの闇の集合体だ。しかし闇は規模が大きくなればなるほどその実態が不鮮明になるように、誰もが現代社会の闇の中に立たされているあるいは闇を構成する一端を担っていることに気が付かないこともしばしばだ。そんな実感のなさがさらに無垢な闇を生み出し、やがて光と面積が逆転することでその立場も覆す恐怖をも秘めている。 また、価値観がそれぞれあるように、明確な悪の基準も存在しない。 本作で多く描かれているような殺人や犯罪はもちろん罪であり、罰せられるべき重大な罪だが、その周りを漂うたくさんの裁ききれない罪があることも事実だ。どこからが悪となり得るのか、完璧な悪への変貌を食い止める方法はあるのか、本当の裁きとは何か。そんな課題が本作を通じて見えてくる。

現代の日本人にとって、『凶悪』はリアリティのある恐怖映画だ

日本に本当に存在する凶悪な犯罪者

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現実とは信じがたいほど凶悪な事件が、この世には数多く存在している。 映画『凶悪』の題材ともなった「上申書殺人事件」もそのひとつである。またその残虐性とこの事件が暴かれるまでに数年の時が経っていることと、警察ではなく雑誌記者が真相を解明したことから、人間に内在する闇の深さとそれに対処できない現代社会の脆さを感じざるを得ない。 私たちが生きる世界では、さまざまな人間が存在している。SNSの普及により、個人の経歴や情報全般が公になりやすくなったという事実もあるが、他人の素性を100パーセント知ることは絶対にできない。むしろ、さまざまな憶測や軽率な思い込みに踊らされ、真実が霞んでしまうこともしばしばだ。 隣人の顔を知らずに暮らすことも珍しくないこの世の中では、他人を信頼することは容易ではない。また、ある人にとっての平凡な日常が流れる部屋のとなりで、また別の誰かによる残虐な殺人が行われていたとしても、それは全く不思議なことではないのである。 本記事では、映画『凶悪』と、「上申書殺人事件」から見えてくる人間と現代社会の闇の深さについて考察してきたが、その闇は私たちの生活のすぐ身近に潜んでいる。

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