映画『バケモノの子』九太の名前に込められた意味が深かった!最強の剣士となったその後は?
細田守監督作『バケモノの子』は、人間の世界「渋谷」とバケモノが棲む世界「渋天街」を舞台に、種族をこえた絆を描く冒険活劇です。 主人公は、母親を亡くし孤独を抱えた1人の少年・九太。 荒くれ者のバケモノ・熊徹と出会い、2人の不思議な師弟関係が始まります。 この記事では『バケモノの子』の主人公・九太の、基本情報や活躍シーン、さらに「その後」について、解説・考察していきます! ※この記事は『バケモノの子』(2015)のネタバレを含みます。
映画『バケモノの子』九太について解説!【基本情報】

| 名前 | 九太(バケモノの世界) 蓮(人間界) |
|---|---|
| 年齢 | 9歳(幼少期) 17歳(青年期) |
| 身長予想 | 180cm程度(青年期) |
| 声優 | 宮崎あおい(幼少期) 染谷将太(青年期) |
| 性格 | 熊徹にだけは反抗的。根は優しく繊細 |
女手ひとつで育ててくれた母親を亡くし、天涯孤独となった9歳の少年・蓮。彼は“1人で生きる”ための強さを求め、バケモノの世界で熊徹の弟子になります。彼は熊鉄から「九太」という名前をもらい、本当の親子のような時間を過ごすのです。 バケモノと人間の狭間で自身のあり方に苦悩する時、九太が最後に選んだ道とは……?熊徹との出会いからラストまで、劇中の活躍をたどってみましょう!
性格が良い九太が熊徹には反抗的?

基本的には愛想が良い九太ですが、熊徹だけは例外です。出会った当初から反抗し、名前を明かさなかったため「9歳だから九太」と名付けられました。17歳になっても喧嘩ばかりの関係性は変わりません。 多々良が「昔の熊徹そっくり」と語る通り、似た者同士だからこそ反発しあう関係なのです。
九太はなぜバケモノの世界に?熊徹と成長する姿がアツい

九太と熊徹が初めて出会った場所は、夜の渋谷の街。九太が親戚に引き取られる直前で脱走し、高架下に身を寄せていたところに、「一緒に来るか」と熊徹が声をかけました。 熊徹の言葉が気になり後を付けた結果、九太は渋天街へと迷い込んでしまったのです。 バケモノの長老・宗師の後継者として認められるため、弟子を探す熊徹と共に暮らすことになり、彼のもとで武芸の修行を積む九太。同じようにひとりぼっちだった2人は時に親子のように、時には互いを師として成長し、強い絆で結ばれていきました。 17歳を迎えた九太は、突然渋谷へと戻ることが可能になります。彼は人間界に強い興味を持ちました。 しかし宗師選抜の日を境に、渋谷と渋天街で“心の闇”による騒動が勃発!九太は神に転生した熊徹をその身に宿し、闇に呑まれた一郎彦を救います。すべてに決着をつけた彼は渋天街を去り、渋谷で実の父親と暮らし始めるのでした。
九太のその後を考察!父親と再会した後は?

映画ラストでは、九太が父親と和解し、再び一緒に生活する様子が描かれています。また、チコに見守られながら高校卒業認定試験の勉強をする九太の姿で、本編は幕を閉じました。 小説版(ノベライズ晩)でも、九太のその後は描かれていません。ここからは、劇中の情報をもとに「九太のその後」を考察していきます。
楓と同じ大学へ進学する?
楓(かえで)は、渋谷にある進学校に通う女子高生。九太と図書館で出会い、一緒に勉強をする。楓は、読み書きを教えてもらっている九太にとって、人間界での師匠のような存在。#kinro #バケモノの子 pic.twitter.com/Q3GIxaUbkq
— 「バケモノの子」公式 (@bakemono_movie) July 22, 2016
九太は、楓から「高認試験」の願書を貰い、受験を決めました。その後は、これまで通り楓に勉強を教わっていることでしょう。九太は抜群の吸収力を持っているため、進学校に通う楓と同じ大学に合格できるかもしれません。 同じ大学に通う未来があれば、九太と楓が恋愛関係に発展する可能性も高いのではないでしょうか。
一郎彦と和解!
小説では、一郎彦のその後として「渋天街からの追放を免れる」シーンがありました。 一郎彦と九太は「人間でありながらバケモノの世界で育った」という、世界でただ2人だけの特別な境遇を共有しています。一郎彦は渋天街、九太は蓮として人間界で生活し、たまに行き来しているかもしれません。
九太は熊徹を心に宿し生きていく

何より九太にとって心強いのは、熊徹が心に宿っていることです。 宗師となった熊徹は、一郎彦との決戦で"つくも神"に転生。大太刀に変身し、九太の心に宿る剣となったのです。熊徹がいつもそばにいれば、九太はどんな困難があっても乗り越えられるでしょう。
「九太」という名前に込められた意味が深い
蓮は熊徹を警戒して本名を教えておらず、別名として「九太」と名付けられました。その由来は“9歳だから”というもので、一見すると適当な印象も。 しかし2つの漢字を紐解いていくと、深い意図があるのでは?と思えてくるのです。 一説では「九」は、“屈曲して尽きる”象形からできた象形文字で、意味は数の尽き=極まる様である9(1桁の数字で最大)が当てられました。また熊徹が転生する付喪神は「九十九神」とも表記することからも、「九」の意味が見えてくるかもしれません。 次に「太」は「泰」の略字とされ、非常に大きい様子から「太陽」、最も尊いもの、物事のはじめなどの意味を持ちます。 これらから「九太」はこれ以上ない太陽、あるいは九を「剣」(神としての熊徹の化身)とする場合は、太陽の剣や最も尊き剣とも解釈できるでしょう。渋天街に新風を吹かせた存在、つまり“始まりの剣”と捉えると、感慨深いものがありますね。
映画『バケモノの子』九太は紛れもない最強剣士だった

熊徹に「胸ん中の剣が重要なんだよ!」と言われ、最初はピンと来ていなかった九太。彼は単純な力ではない強さを知り、心の闇に打ち勝てました。 太陽のように出会った人々を照らし、自身もまた友人や仲間たちとの交流で鍛えられ、熊徹との絆から生まれた「胸の中の剣」を武器に……。人として生きることを選んだ蓮の中に、九太だった時間も確かに息づいているでしょう。


