2019年3月18日更新

映画「アイ,トーニャ」がスキャンダラスで切ないのに笑えるのはなぜ?事件の演出手法に脱帽

アイ、トーニャ
© 2017 AI Film Entertainment LLC

2017年に公開になった映画『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』は実際の事件をもとにしたリアリティのある映画で、シリアスな題材ながらそのユニークなコメディ風ともとれる構成と演出で人気を博しました。今回は実際の事件の顛末やその後のエピソードから、映画の魅力までを解説します。

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』は、なぜ面白くなったのか

2017年に公開され、臨場感のあるスケートのシーンや主演のマーゴット・ロビーの素晴らしい演技で話題となった『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』。これは実際に起きた「ナンシー・ケリガン襲撃事件」をもとに制作された映画だというのは多くの人が知っているでしょう。 しかし本作は100%実話と同じわけではなく、事実と少し異なっているところもあるのです。また本作が話題作となり高く評価されたのは、世界中に衝撃を与えた事件を題材にしているからだけではなく、映画として魅力的な作品だから。 実話と映画とを比較しながら、映画の持つ魅力や高く評価された理由について解説します。 (※この記事は映画『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』に関するネタバレ情報を含みます。)

実在のスケート選手トーニャ・ハーディングの栄光と衰退を描く

アイ トーニャ
出典 : amzn.asia

フィギュアスケート選手のトーニャ・ハーディング(演:マーゴット・ロビー)は世界で二番目に、そしてアメリカ人として初めてトリプルアクセルを成功させるなど、スケーターとして順風満帆な人生を送っていました。 しかし、リレハンメル五輪の選考会となる全米選手権に、トーニャのライバル選手であるナンシー・ケリガンが何者かに襲撃されて出場できなくなってしまうという事件が起こりました。 その選手権でトーニャは見事に優勝。しかし、ナンシーの襲撃事件を企てた人物としてトーニャの名前が浮上し、彼女の選手としての未来は雲行きが怪しくなっていくのでした。 この事件を通して、犯罪者として世間に認知されてしまったトーニャですが、本作では語られることの少ない彼女の異質で波乱に満ちたスケーター人生、さらには引退したのちの姿など、彼女の半生そのものを時に笑いを交えながらも丁寧に描写していきます。

題材となったナンシー・ケリガン襲撃事件とは

事件の顛末は映画と事実はほとんど同じのようです。1994年に行われ、リレハンメル五輪の選考会となっていた全米選手権でトーニャのライバルであるナンシーが何者かに襲撃され、欠場を余儀なくされてしまいました。 その後、トーニャはナンシーを襲撃させた犯人と疑われる中でリレハンメル五輪に出場したものの、実力を発揮できず8位という結果に終わりました。そして彼女は罪を認め、1994年の選手権での優勝を取り消されたうえ、フィギュアスケート界から追われてしまうという展開に。 その実力から世界中の人気者であったトーニャでしたが、この事件によって世界中から悪役にされてしまいました。 まさに本作の日本版のキャッチコピー“彼女は世界中から愛され、一瞬にして世界中から憎まれた”そのままの人生です。 オリンピック選手として輝かしい人生を歩んでいたトーニャは、なぜ人生を棒に振ってしまったのか?そこには彼女の暗い過去が関係していたのです。

実在の名スケーター「トーニャ・ハーディング」の過去とその後

アリソン・ジャニー アイトーニャ (プレス)
© 2017 AI Film Entertainment LLC. All Rights Reserved.

実は、トーニャは幼い頃から母親に虐待されていたようです。 貧しい家庭に生まれた彼女は運動が得意で、フィギュアスケートにおいてその才能を発揮。母親は、そんな彼女が将来有望な選手となり、メイクマネーすることを期待。幼少期から過酷なスケートの英才教育を開始します。学校に行くことも許さないほどに。 大人になってからも、彼女は元夫のジェフからの暴力に苦しみました。2人からの暴力によって精神的に憔悴していく彼女の姿は、映画にも描かれています。 これらの辛い経験がトーニャの人間性を歪めてしまい、事件を起こすきっかけを作ってしまったのかもしれません。

事件後は意外なスポーツに転向

トーニャ・ハーディング
© atticusimages.com

そんなトーニャですが、スケート界を去ったあとはボクシングの選手として活躍していたのです!!そのことは本作のラストにも描かれており、知っている人も少なくないでしょう。 ボクサーとなった当初、彼女が貧しい家庭の出身であることを知る人々から「どうせ賞金目当てだろう」と激しいバッシングを受けたそうです。しかし彼女は複数の大会に出場し、その多くで好成績を残したのでした。 このエピソードだけを見ると、彼女はまた新たな人生を歩み始めたように見えますが、ボクサーに転向した理由について「小さい頃から殴られるのには慣れているから」とインタビューに答えたそうです。 暗い過去を持つ彼女ですが、このエピソードはその中でも特に切ないですね。

映画で描かれることはどこまでが本当だったのか?

暗い過去を持つトーニャは今でもその傷が癒えておらず、母親を憎んでいるそうです。実際に彼女の母親はトーニャを殴ったことはあるようですが、映画で描かれていたナイフを投げるなどの暴力は振るっていない、と主張しており、その真偽はわかりません。 では、映画で描かれていたその他のことは、どこまで本当なのでしょうか?

五輪のシーンは事実と同じ部分がほとんど

1994年のリレハンメル冬季五輪のシーンで、トーニャの靴紐が切れてしまうというトラブルが描かれていました。これは実際に起きたことで、当時のニュース映像にも彼女が審査員たちに靴を見せてトラブルを訴えている様子が残っています。 また、今大会で惜しくも表彰台を逃したトーニャは銀メダルを獲ったライバルのケリガンに対し、態度が悪いと憤っているシーンがありました。実はこれも本当に起きたことで、ケリガンは金メダルを獲ったウクライナの選手を睨みつけたり批判ととれるような言動を行なっていました。

トーニャの生い立ちや口の悪さはやや誇張も見られる

一方で、一部の場面は事実と異なっています。まず、幼少期のトーニャの服装についてです。本作で描かれているようにトーニャが貧しい家庭で育ったことは事実なのですが、彼女の父親が狩ったウサギの毛皮で作ったコートを着込んでいたシーンは実際とは異なるよう。 確かにアメリカの貧困層の家庭では、狩った動物を食用や衣料用にすることがあるのですが、トーニャの家庭ではそのようなことはありませんでした。彼女が実際に着ていたウサギのコートは既製品であるとNYタイムズが明らかにしています。 また、トーニャの口の悪さも、映画的に誇張された部分があるようです。いちゃもんをつけてきた審査員に彼女が暴言を吐くシーンがありましたが、実際には反論しただけだったとか。しかし、そのシーンを気に入ったトーニャ本人は「本当に言えばよかったわ!」と語っています。

当事者たちの映画への評価は

上述の通り、本作は実際に起きたスキャンダルをもとに制作された映画です。映画としては好評を博し、成功したように思われましたが、当事者たちは本作についてどう考えているのでしょうか? まず、主人公となったトーニャは、本作の成功をきっかけに再び注目を集めました。様々なメディアに出演したり本作の授賞式に現れたりする彼女に対して批判的な声もありますが、彼女自身は「映画は一部事実とは違う」と主張しつつも、注目されていること自体は嬉しく思っている様子です。 彼女の母親であるラヴォナは映画で描かれているようなトーニャへの暴力を否定しています。しかしトーニャを叩いたことがあると認めており、ABCニュースの映像にはラヴォナがトーニャを虐待していたとの目撃証言も残っています。 また、事件の被害者となったナンシー・ケリガンは本作を見ておらず、特にコメントすることもないとしたうえで「私は自分の人生を生きるのに忙しいのです」と語りました。

【ネタバレ注意】人気を博した映画「アイ,トーニャ」の魅力とは?

衝撃的な事件を映像化したことで話題を呼んだ本作ですが、公開された各国で高く評価されているだけあり、映画として非常に高い完成度の作品です。 ここではその特筆すべき演出手法について紹介しましょう。

インタビュー形式で進むストーリー

本作において特徴的なのが、ストーリーが当事者たちへのインタビューによって構成されているという点です。マーゴット演じるトーニャがタバコを吸いながら「何があったのか、これから話すから」と語り始めるシーンで物語は始まります。 トーニャだけでなく、母親のラヴォナや元夫のジェフへのインタビューのシーンもあります。ここで注目すべきは、それぞれの言い分が少しずつ異なっている点。トーニャがジェフからの暴力について語ると、ジェフが「君も殴り返してきたよ!」と反論するなど、辻褄が合わないやりとりが何度か登場します。

「第4の壁」を越える演出

そんな本作のインタビューシーンには、他の映画ではあまり見られない演出がありました。 それは「第4の壁」を越える演出。第4の壁というのは演劇においてよく使われる用語で、俳優たちと観客とを隔てている実際には存在しない壁のことです。本作には、そんな「第4の壁」の存在がなくなっているような演出が見られ、話題を呼びました。 例えば、トーニャとジェフがインタビューを受けている際に、暴力を振るったか振るわないかでお互いの証言が食い違います。するとそこから夫婦の殴り合いのシーンになるのですが、トーニャがジェフにスタンガンを撃つ時に「これは彼の証言で、本当は私やってないからね!」と観客に向かって語りかけるのです。 このシーン以外にも、登場人物たちが観客に向かって語りかけるようなシーンが見られました。このような演出は古典的でありながらも通常あまり見られないもので、フレッシュだと話題を呼びました。

主演女優マーゴットの名演

マーゴット・ロビー
© 2014 Warner Bros. Entertainment Inc., WV Films IV LLC and Ratpac-Dune Entertainment LLC--U.S., Canada, Bahamas & Bermuda

演出や構成が特に話題を呼んだ本作ですが、主演のマーゴット・ロビーの演技も素晴らしいものでした。 マーゴットといえば、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のナオミ役や『スーサイド・スクワッド』のハーレイ・クイン役で知られる女優です。 少しおてんばながらも美しく気品のあるヒロインを演じることの多かったマーゴットは、本作で今までの彼女にはなかったイメージを作り上げました。

マーゴット・ロビー
Jennifer Graylock/Sipa USA/Newscom/Zeta Image

実は、本作においてマーゴットは女優としてだけでなくプロデュースも担当していたのです。 可愛らしいイメージが定着し、その美貌ばかりが称賛されて演技力があまり注目を集めることのなかった彼女は、自分自身の演技力の高さを見せるべく、自らが悪役となる本作を製作したのでしょう。 実際、本作でのマーゴットの演技は素晴らしいものでした。トーニャ本人の勝ち気な性格や気性の荒さがリアルに感じられる名演で、ジェフや母親と口汚く喧嘩するシーンでは、今までの彼女にはなかった顔を見せています。 また、マーゴットは本作のためにスケートを猛特訓したそうです。トリプルアクセルなど高難度な技はプロのスケーターの演技にマーゴットの顔を合成した映像が使われていますが、それ以外のスケートシーンはほとんど彼女が実際に演じたとか。

マーゴットの脇を固める名女優たち

本作において見事な演技を見せたのはマーゴット・ロビーだけではありませんでした。彼女の演じたトーニャを取り巻くクセの強い人々を演じた女優たちの演技も素晴らしいものだったのです。

アリソン・ジャニー
©Brian To/WENN.com

トーニャの「毒親」とでもいうような母親、ラヴォナを演じたのは、アリソン・ジャニー。アメリカで数多くの人気ドラマに出演しており、通算7度のエミー賞を受賞している実力派女優です。 アリソンは本作で、幼い頃からトーニャを口汚く罵り、暴力を振るうひどい母親を怪演しました。トーニャを金もうけの道具にしか見ていない冷淡さを感じさせる演技が饒舌だったことに加え、本作の最後に流れる実際の映像に映るラヴォナ本人に姿がそっくりだったことも話題となりました。 その完成された役作りが評価され、彼女は本作でアカデミー助演女優賞を受賞しました。

もう一人、忘れてはいけないのが、幼少期のトーニャを演じたマッケナ・グレイスです。彼女は『gifted/ギフテッド』で数学において天才的な才能を持つ7歳の少女メアリーを演じ、その演技力から天才子役として話題になりました。 本作で彼女が演じた幼少期のトーニャは、可愛らしくも生意気な少女。その不機嫌な表情や子どもとは思えない口の悪さは、トーニャの母親との悲しい過去を際立たせるものでした。マーゴットのファンでもある彼女は、本作で共演できたことを大変誇らしく思っていると自身のSNSで語っています。

映画「アイ,トーニャ」は悪役トーニャの新たな面を描きつつも、笑いが堪えきれない名作

アイ、トーニャ
© 2017 AI Film Entertainment LLC

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』は、その構成や演出がユニークだったことや、かつて世間を騒がせた事件をコメディタッチで描いていることだけが魅力の映画ではありません。 事件当時は世界中から悪役にされたトーニャの、あまり知られることのなかった被害者としての一面に焦点を当てたことも本作の注目すべき点なのです。作品の裏側にあるトーニャの暗い過去や辛い経験を知ってから鑑賞すると、また違う感想の生まれる映画です。 そんな暗いテーマを描いた本作ですが、随所にちりばめられたギャグやテンポの良さでとにかく笑えるコメディとしても楽しめます。様々な理由から注目を浴び人気を博した本作ですが、楽しみ方もまた様々なところが最大の魅力かもしれません。