【ネタバレ考察】『ボーはおそれている』ラストの意味や意外な伏線を解説!
映画『ボーはおそれている』あらすじ【ネタバレなし】
映画『ボーはおそれている』は、この世界とは別の現代の世界を舞台に展開される、シュールレアリスムのホラー映画です。 本作の構想はアスター監督が長年練り続けてきたもので、すでに2011年に『Beau(原題)』という短編を発表しています。 この短編は母親の家に行こうとした矢先に、自宅の鍵とスーツケースを奪われて恐怖に陥っていく男の姿を描いた7分弱の作品です。さらにこの短編を出発点に2014年に作られた初期段階のスクリプトが、ネットにリークされています。
あらすじ
父親を知らず、抑圧的な母親のもとで育てられたことで、いくつもの不安症を抱えるボー。ある日、母が奇妙な死を遂げたと知り、彼は実家に戻ることに。しかしその途中で交通事故にあい、ある家に運ばれてしまいます。そんな彼を待ち受けていたのは、延々とつづく妄想の世界への旅でした。 >ラストシーンの意味をネタバレ解説 >全てが○○だったことが分かる伏線
映画『ボーはおそれている』の結末までのネタバレあらすじ
地獄のような冒険のはじまり
数々の不安症を患うボー(ホアキン・フェニックス)は、父の命日に帰省する予定かとセラピスト(スティーブン・ヘンダーソン)に尋ねられ、明日帰るつもりだと答えます。そして「必ず水と一緒に飲むように」と薬を処方されました。 帰省当日、ボーは寝坊してしまい、慌てて支度をします。出発しようとしたところで薬を忘れたことに気づき、急いで取りに行くと、外に出していた荷物と鍵を盗まれてしまい、出かけることができなくなってしまいました。 ボーは母モナ(パティ・ルポーン)に事情を伝えますが、彼女はボーの話を信じず、帰りたくないから嘘をついているのだろうと彼をなじります。どうしたらいいかと途方に暮れるボーに、母はあきれて電話を切ってしまいました。 薬を飲んだボーは水道が止まっていることに気づき、慌ててコンビニに水を買いに行きます。しかし鍵をなくした彼は、オートロックで外に閉め出されてしまいました。その後電話が鳴り、母が首なし死体で見つかったと知らされます。 なんとか部屋に戻ったボーが風呂に入っていると、天井に侵入者が隠れているのを発見。彼が浴槽に落ちてくると、ボーはパニックになり、全裸で外に出てしまいます。警官に助けを求めますが、どう見ても不審者な彼は銃を向けられ、あきらめて戻ろうとしたところで車に轢かれてしまいます。
奇妙な人々との出会い
ボーが目を覚ますと、そこは見知らぬ家でした。ボーを轢いた夫婦が治療のために彼を連れ帰っていたのです。彼を保護したグレース(エイミー・ライアン)とロジャー(ネイサン・レイン)の夫婦は、戦死した息子の親友でPTSDを患うジーヴス(ドゥニ・メノーシェ)の世話もしていました。 母の弁護士コーエン(リチャード・カインド)に電話をしたボーは、連絡がつかなかったことを責められながら、モナの最後の願いはボーが立ち会うまで埋葬しないことだったと伝えられます。ロジャーはできるだけ早くボーが帰れるようにすると言いますが、コーエンは怪我が治るまで休めと言いました。 夫婦の娘トニ(カイリー・ロジャース)はボーを嫌っており、あるとき彼に兄の部屋の壁にペンキを塗るように迫りますが、彼が断ると怒り狂ってペンキを飲み、自殺します。騒ぎに気づいて駆けつけたグレースは、娘を殺したと勘違いし、ボーを殺そうと森まで追いかけてきますが、追いつくことができず、ジーヴスにボーを殺すよう命じます。 森の中で迷子になったボーは「森の孤児たち」という旅回りの劇団に出会います。彼らが上演する舞台を見ていたボーは、すっかり物語に引き込まれてしまい、自分が舞台の主人公になったような妄想に浸っていました。 そんななか彼は、観客の1人から父を知っていると告げられ驚きます。そこへ突然ジーヴスが現れ、役者や観客を虐殺。ボーは走って逃げますが、グレースにつけられた足首の電気ショックによって気を失って倒れてしまいました。
母の死の真相
10代の頃にクルーズ旅行に行ったことなど、母との記憶をさまよいつづけたボーは目を覚まし、ヒッチハイクで母の家に向かいます。しかし彼が到着したとき、すでに葬儀は終わっており、棺の中の首のない遺体を確認したボーはソファで昼寝をします。 その後、モナの葬儀の時間を勘違いしたという女性がやってきます。それは、クルーズ旅行で出会い、恋に落ちたエレインでした。 再会した2人は早速モナのベッドでセックスをします。ボーは初めての経験で死んでしまうのではと焦りましたが、彼が射精した後もエレインはオーガズムに達するため、彼の上で動きつづけます。エレインが動かなくなったのでボーが話しかけると、彼女は死んでいました。 するとそこに母モナが現れます。彼女は母の死から日が経っていないにも関わらず、母のベッドでセックスするとは何事かとボーを責めながら、汚れたシーツを剥がし、メイドたちにエレインの死体を運ばせます。 モナは死んでいませんでした。彼女はボーが帰ってくるか試すため、自分の死を偽装したのです。さらに彼女はボーのセラピストとつながっており、彼のセッションの内容も全て把握していました。なぜこんなことをするのかと混乱するボーに、モナは子育ての苦労や見返りの無さに対する怒りをぶつけます。
【結末】家族の秘密とボーに下る最後の審判
混乱しながらも父親のことを知りたいと言ったボーは、屋根裏部屋に閉じ込められてしまいます。そこにはボーの双子の弟と、巨大なペニスの形をした化物がいました。その化物がボーの父親だというのです。そこに突然ジーヴスが現れ、化物を殺そうとしますが、簡単に返り討ちにあい殺されてしまいます。 ショックで屋根裏から転げ落ちたボーは、母に責め立てられ、ついに彼女の首を締めて殺してしまいます。 逃げるように屋敷を出たボーは浜辺にモーターボートを見つけ、ボートを走らせます。しかし洞窟に入っていくとボートのエンジンが故障して止まってしまいます。すると突然周囲がライトアップされ、スタジアムのような場所になっていました。 大勢の観客が取り囲むなか、裁判のようなものが始まり、モナと一緒にいるコーエンはボーの罪を1つひとつ読み上げます。巨大なスクリーンには、ボーが母親に行ったことが映し出されていました。 ボーはボートに足がはまって動けなくなり、そのことを訴えるも誰も反応しません。するとエンジンが爆発し、ボートは転覆。ボーもまた水に沈んだのでした。その後、泣き崩れるモナはコーエンとともにその場をあとにします。
ラストシーンの意味とは?なぜボーは水へ沈んでいったのか
映画のラストで船に乗ったボーはスタジアムのような場所に出て、そこで裁判を受けることになります。母モナにボーは彼女を愛していなかったと思わせた行動を1つ1つあげつらい、陪審員の前で彼を裁きます。このときボーの周りは「水」に囲まれています。 本作では、「水」は重要な役割を担っていました。ボーは主治医から渡された薬を「必ず水と一緒に飲むように」と言われ、水がないとパニックになっていますし、一方でバスタブで溺れそうになったり、プールで死体を発見するなど、印象的なシーンには必ずと言ってもいいほど「水」が登場しています。 本作において、母モナはボーから自分に返ってくる愛情が充分ではないと怒り、彼を憎んでさえいました。その中で、彼女はボーを支配し続けようとしていたのです。冒頭の出産シーンを踏まえると、「水」は「羊水」のメタファーであり、モナはボーをいつまでも自分の胎内に閉じ込めておきたいと思っていたのかもしれません。 最後にボーが乗っていたボートは転覆し、ボーは「羊水」、つまり母の胎内へと帰っていったのです。これは母親が子を支配する執着心の恐ろしさが現れているのではないでしょうか。
【考察①】母親像と父親像を暗示する聖母マリア像と男性器
『ボーはおそれている』では、作中を通してマリア像が登場します。母親の名前であるモナは聖母マリアを示しているため、ボーにとってモナは聖母マリアのような存在で、彼女の元へと急ぐボーの意識に度々登場しているのではないでしょうか。 聖母マリアは、人間で唯一罪を背負っていない人物とされています。罪を背負わない清らかで穏やかな性質は世の母親たちにも求められ、モナのようにそれを実践できない女性は苦しんでいるのかもしれません。また見返りを求めないのが母の愛とされることもありますが、それもモナの言う通り理不尽に感じられるでしょう。 一方でボーの父親として登場した男性器のような化け物は、清らかな聖母マリアとは対極にあるものです。ボーは「オーガズムによる心雑音で父親は亡くなった」と教えられていました。これはボーにセックスに対する恐怖心を植え付けると同時に、彼が父親のような性的な存在になることを防いでいたのです。
【考察②】ボーは何を「おそれていた」のか?
不安症を抱えているボーですが、彼が最も恐れていたものは何だったのでしょう。抑圧的な母モナのことはもちろんですが、彼が最も恐れているのは、「人生そのもの」だと言えるのではないでしょうか。 自分の人生を支配してきた母が亡くなったと聞かされ、彼は彼女のもとへ向かうと同時に自分のこれまでの人生を振り返って、あるいはフラッシュバックしていきます。母の言いなりに生きてきたボーは非常に優柔不断で、これから母のいない人生をどう生きたらいいのか、不安を覚えていたと考えられます。 一方で有能な経営者である彼の母モナは、仕事とは違い、どんなに大変な思いをしてもその見返りを受け取ることができない「子育て」に怒りを感じていました。さらにボーの父親はペニスの化物として描かれ、彼はモナにとって性的なだけで不気味な存在と認識されていたのではないでしょうか。彼女にとって「家族」は不快なだけの存在だったのかもしれません。 ラストシーンで、ボーはこれまで母モナにしてきたことで断罪されます。これは最後の審判を思わせるシーンで、水に沈んだボーは地獄に落ちたことがわかります。モナの一方的な主張で地獄に落ちたボーは、最後までその人生を母に支配されていました。
【伏線】『ボーはおそれている』にちりばめられた伏線
そこかしこに蔓延るMW社の従業員・製品
本作の終盤では、ボーがたどり着いた先の母の家で、従業員の写真で作られた母の肖像画を目にします。このフォトモザイクに映っているのが、ボーのセラピストであるジャーメイン。 彼は、冒頭のセラピーで「旅」や「母の死」についてボーに問いかけており、モナの指示を受けていたことが暗示されています。また、ボーにアパートの玄関で襲い掛かるタトゥーの男もモナの会社の従業員であることが、あのフォトモザイクからわかっています。 さらに、ボーが住んでいる家や食べている冷凍食品などには「MW」というロゴが。これは、母モナ・ワッサーマンの経営する会社のロゴであり、映画は初めから終わりまで母の支配から抜け出せていないことが暗示されていると考えられますね。 ちなみに本作のオープニング・クレジットには、製作会社であるA24などのロゴに続いて、「MW」というロゴが映されてます。
すれ違う母と息子を暗示する、とあるアイテム
モナの家で彼女の会社の歴史を振り返っていくシーンのなかには、ADHDの治療薬のポスターがあります。ポスターに映っている少年は、幼少期のボーで、彼が注意欠陥・多動性障害(ADHD)であることがわかります。 モナは、そんなボーのために治療薬を開発したと考えられますが、その薬の名前は「ドイトル」。英語で発音すると「全てやりなさい(Do it all)」と同じようになり、ありのままのボーを受け入れず正しい姿へ矯正しようとするモナの姿勢が見え隠れしているのではないでしょうか。
【感想】監督の内臓を泳ぎ回る3時間
『ボーはおそれている』を観て、最初に出た感想は「疲れた」でした。本作は場面がコロコロと変わり、現実的な映像だけでなく、アニメのような、絵本の中のような映像も美しく楽しい作品です。しかし、ボーが抱いている恐怖や妄想、記憶などを3時間矢継ぎ早に見せられて、正直疲れました。 本作の公開にあたって来日したアリ・アスター監督は、「僕の内臓を泳ぎ回るかのような体験を楽しんでほしい」と語っており、たしかに内臓のようなぐちゃぐちゃした世界だったと思います。監督のこれまでの作品に比べてグロテスクな描写はかなり少ないですが、不快感は負けていません。 また、アリ・アスター監督は『ヘレディタリー/継承』(2018年)でも崩壊した家族を描いていますが、本作ではよりはっきりと憎しみ合う母と子が登場し、「よっぽど家族(もしくはその概念)が嫌いなんだなあ」と思わされます。
映画『ボーはおそれている』キャスト解説
ボウ役 | ホアキン・フェニックス |
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ロジャー役 | ネイサン・レイン |
グレース役 | エイミー・ライアン |
エレイヌ・ブレイ役 | パーカー・ポージー |
モナ役 | パティ・ルポーン |
ボウ役:ホアキン・フェニックス
本作の主人公であるボーは、抑圧的な母親のもとで育てられ、いくつもの不安症を抱えています。海外版の予告編を見るとセラピーにも通っているようで、セラピストに実家に戻ることを告げると、「お母さんが死んでいればいいのにと思う?」と質問されます。 その後、彼はなにかがおかしいスラムのような街を歩きながら、母親からの留守電を聞いているようなシーンや彼女と電話で会話しているような場面が。これは母が亡くなる前の光景なのでしょうか?それとも彼の妄想なのでしょうか? ボーを演じるホアキン・フェニックスは、数々の映画賞を受賞する実力派ですが、突飛な行動で何かと話題になることも多い人物。そんな彼がアリ・アスター監督の最新作で主演を務め、ヤバすぎる組み合わせが実現しました。 子役時代を含めて30年以上の芸歴をもつフェニックスは、複雑な内面を持った人物を演じることに定評があります。 彼は2000年に公開された『グラディエーター』の悪役皇帝コモドゥス役で抜群の演技力を見せ、一気に注目を集めました。さらに2006年の『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』では伝説的シンガーソングライターのジョニー・キャッシュを熱演し、ゴールデングローブ賞主演男優賞に輝いています。
まだ記憶に新しい『ジョーカー』
DCコミックの人気ヴィランでバットマンの宿敵であるジョーカーのオリジンを描いた『ジョーカー』(2019年)で、フェニックスは主役のアーサーに扮しました。 アーサーは突然笑い出すと止まらなくなる奇病を抱えつつも、デビューを目指して苦闘する若きスタンド・アップ・コメディアン。物語が進むにつれて彼の母親の暗い過去も明らかになり、彼が狂気の犯罪者「ジョーカー」となるまでの経緯が、悲喜劇入り混じった人間ドラマとして展開されます。 これまでのアメコミ映画とは一線を画すこの作品におけるフェニックスの演技は、「キャリア最高」と絶賛され、アカデミー主演男優賞に輝きました。 アスター監督の新作で『ジョーカー』に劣らない怪演ぶりが観られるか、期待が高まります。
ロジャー役:ネイサン・レイン
ロジャーは交通事故にあったボーが運ばれた先の謎の家にいた人物です。詳細は不明ですが、海外版の予告編を観ると、ボーの足首に“ただのヘルスモニター”を取り付けた張本人のようで、怪しさ満点です。 ロジャーを演じるネイサン・レインは、映画よりも多くの舞台に出演していることで知られる俳優です。1994年のアニメ映画『ライオン・キング』では、ミーアキャットのティモンの声を担当しています。
グレース役:エイミー・ライアン
グレースはボーを車で轢いてしまう女性。彼を自宅と思われる場所まで運び、車で撥ねたことを謝罪します。 グレースを演じるのは、2007年の映画『ゴーン・ベイビー・ゴーン』でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされたエイミー・ライアン。近年では、ロングアイランドの連続殺人鬼を描いた『ロスト・ガールズ』(2020年)で主演を務めています。
エレイヌ・ブレイ役:パーカー・ポージー
エレイヌ・ブレイについては、詳細はわかっていません。 エレイヌを演じるのは、2007年の『ブロークン・イングリッシュ』で主演を務めたパーカー・ポージー。『ユー・ガット・メール』(1998年)やテレビシリーズ『ロスト・イン・スペース』(2018年〜2021年)などへの出演で知られています。
モナ役:パティ・ルポーン
モナはボーがおそれる彼の母親です。海外版の予告編ではボーが帰省することを非常に楽しみにしているようで、彼に何度も電話をかけてきます。 モナを演じるパティ・ルボーンは、主に舞台女優・ミュージカル女優として活躍しており、映像作品では『ドライビング Miss デイジー』(1989年)や『ラスト・クリスマス』(2019年)など、幅広い作品に出演しています。
映画『ボーはおそれている』を著名人が絶賛!
『ボーはおそれている』には、すでに多くの映画監督や俳優、批評家から大絶賛の声があがっています。 映画界の巨匠マーティン・スコセッシは「現代にはこんなレベルの映画を作れるフィルムメーカーはほとんどいない。ファーストカットは、最⾼にゾッとしたよ!」とアリ・アスターの手腕を称賛。 さらに『パラサイト 半地下の家族』(2019年)でアカデミー賞を受賞したポン・ジュノ監督も、「傑作だ!過去に観た中で⼀番圧倒された作品」とのコメントを寄せています。また、自身も独特の世界観を持つギレルモ・デル・トロ監督は「驚異的な作品!アリ・アスターらしさ全開!ユーモアと悪夢が共存し、⾃由気ままな反⾯、緻密に描かれている傑作!」と絶賛しています。 そして意外なことに、Indie Wireの批評家アリソン・フォアマンは「アリ・アスターの映画で初めて⼤泣きさせられた」とコメントしています。
アリ・アスター監督の経歴・過去作
アリ・アスターは『ヘレディタリー/継承』(2018年) と『ミッドサマー』(2019年)でホラー映画の常識を次々に打ち破った監督として、近年注目を集めている監督です。 アスターは1986年にニューヨーク・シティで、父親はミュージシャン、母親は詩人というクリエイティブな家庭に生まれました。 子どものときから近所のレンタルビデオショップのホラー・コーナーをすべて観まくるほど、ホラー映画好きだったというアスター監督。彼は大学時代に書いた短編の脚本が認められ、米国映画協会(AFI)の大学院で監督業を本格的に学びます。 このAFIの修了制作としてアスターが監督・脚本を務めて撮った短編映画が、インターネットで大人気に。やがてこの作品が映画製作・配給会社A24の目に留まって、アスターの映画監督への道が開かれました。
映画『ボーはおそれている』制作秘話
徹底的な役作りと演技へのこだわりで知られるホアキン・フェニックスですが、本作でボーが事故後に怪我をしているシーンでは、包帯に尖ったピンを仕込み、本当に痛みを感じるようしたとか。 また、胴体への怪我を再現するためにお腹に大きなペーパークリップをはさみ、片足を引きずった歩き方をリアルに演じています。 本当に演技のためならなんでもする姿勢は、さすがの役者魂ですね。
アリ・アスター監督が手がけたこれまでの「悪夢」をおさらい
アスター監督がこれまでに手がけた2本の長編映画は、いずれも「トラウマと悲嘆」を取り扱ったものだと、同監督は前述の学生たちのインタビューで述べています。 ここからはこれらの作品のあらすじを振り返りながら、この発言について考えてみましょう。
『ヘレディタリー/継承』(2018年)
アスター監督の長編デビュー作品である『へレディタリー/継承』は、公開直後から傑作ホラーとして大きな話題を呼びました。 ミニチュア模型のアーチストであるアニー・グラハムは、ユタ州の田舎の一軒家で夫・スティーブと2人の子どもと一緒に安定した生活を送っていました。彼女は精神病を発症していた母を自宅で看取り、葬儀を執り行います。 ある日16歳の長男ピーターのパーティーに同行した13歳の長女チャーリーが、間違ってナッツ入りのケーキを食べてアレルギーを発症。ピーターが彼女を病院に連れて行く途中で車の事故を起こしたことから、一家の崩壊が始まります。 本作について、アスター監督は学生とのインタビューで、「悲嘆が家族の力学に与える可能性のある腐食的影響力」を描いたものだと解説しました。また本作の驚愕の結末は、「トラウマがある人物を全く別人に変えてしまうこと」の比喩であるとも述べています。
『ミッドサマー』(2019年)
2019年公開の『ミッドサマー』はスウェーデンの新異教主義者の集団を描いたフォーク・ホラーです。 女子大学生ダニーは、妹テリーが両親を道連れに無理心中を図ったことがトラウマになっていました。そのことが原因で、ボーイフレンドのクリスチャンとの関係もギクシャクしています。 ある日クリスチャンが、友人ペレのスウェーデンの故郷で行われる夏至のお祭りに招待されていたことを知ったダニー。彼と別れたくないダニーは彼らと一緒にスウェーデンに行くことにします。 スウェーデン・ヘルシングランド地方の村で歓迎される彼らでしたが、やがてカルト集団の恐ろしい儀式を目にすることに……。 アスター監督によれば「共依存」がテーマのこの映画は、監督自身の恋愛関係の破局もインスピレーションの源泉になっているそうです。
今後は韓国映画『地球を守れ!』(2003年)をハリウッドでリメイク予定!
アスター監督は映画『ボーはおそれている』の仕事と並行して、韓国発のカルト映画『地球を守れ!』(2003年)のリメイクのプロデュースも進めているそうです。 オリジナル版は地球がエイリアンに侵略されていると信じている若者が、製薬会社の重役を大物エイリアンと思い込んで誘拐し、地下室に監禁するSFサスペンスコメディです。 『1987、ある闘いの真実』(2017年)で知られるチョン・ジュナン監督の長編デビュー作で、モスクワ国際映画祭において最優秀監督賞を受賞しています。 カルト的な人気のある作品で、アスター監督も本作のファンであることを公言していました。同監督はプロデュースの仕事を学ぶことも希望しており、今回プロデューサーとしてこの映画のリメイクを手がけることに胸が高鳴っているそうです。
映画『ボーはおそれている』あらすじをネタバレありで解説しました
身近な恐怖を題材にした壮大なスケールのホラー映画で、世界の観客を恐怖に陥れたアスター監督。『ジョーカー』の怪演が記憶に新しいホアキン・フェニックスとのタッグが成立することに、映画ファンの期待は高まっています。 『ボーはおそれている』は、2024年2月16日(金)に日本公開です!