2023年3月24日更新

【ネタバレ考察】『ドライブ・マイ・カー』はラストが難しい?音の秘密を“やつめうなぎ”から解説

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『ドライブ・マイ・カー』
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

村上春樹の短編小説を原作に、濱口竜介監督が西島秀俊を主演に迎えて映画化した『ドライブ・マイ・カー』。 この記事ではこの映画のあらすじをネタバレありで解説し、独自の解釈で考察を深めていきます。あのラストシーンにはどんな意味が隠されていたのか読み解いて行きましょう。

記事作成にあたり、本作の劇場用パンフレットと濱口竜介監督のオンライン会見を参照しています。

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『ドライブ・マイ・カー』のあらすじ

『ドライブ・マイ・カー』
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

映画『ドライブ・マイ・カー』は最愛の妻を失った男の喪失と再生の物語を、多言語の舞台劇『ワーニャ伯父さん』と重ね合わせて描き、3時間という上映時間も長く感じさせない見事な脚本が最大の特徴です。 舞台俳優・演出家として活躍する家福悠介と、脚本家の妻・音。穏やかに暮らしていた2人でしたが、ある時妻がくも膜下出血で他界してしまいます。2年後、広島の演劇祭に参加することになった家福は寡黙な運転手の女性と出会い、今まで目を背けていたことに気づかされていきます。

インターナショナル版と通常版の違いは?

日本で劇場公開されたものはPG12指定で、「インターナショナル版」はR15+です。映画の上映時間は同じなので、劇場公開版はレーティングを下げるために激しい描写の一部を画面に映らない、または見えにくいように編集されていたと思われます。

『ドライブ・マイ・カー』結末までのネタバレ

【起】幸せな夫婦に突然訪れた妻の死

舞台俳優であり演出家の家福悠介は、脚本家である最愛の妻・と満ち足りた日々を送っていました。夫婦の習慣は、セックスのあとに音が頭に思い浮かんだ物語を語り、翌日には記憶が曖昧になった音のために家福が物語を語り直し、それを音が脚本にするというものです。 また家福が脚本を覚えるとき、音が相手役の台詞を録音したカセットテープを、愛車「サーブ900ターボ」の運転中に流して、自分の台詞を身体に染み込ませる、というのも2人の習慣でした。 ある日家福が海外の仕事が延期になったため自宅に帰ると、音は誰かと激しく抱き合っていました。家福はそっと家を後にして、ホテルに宿泊。しばらくして音は「今夜話したいことがある」という言葉を残し、くも膜下出血で急死します。

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【承】寡黙な専属運転手との出会い

ドライブ・マイ・カー
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

2年後、広島国際演劇祭に演出家としてオファーされた家福は、愛車で広島へ。そこで演劇祭のスタッフから、「規則で滞在期間は自分で運転はしないように、専属ドライバーを付けた」と告げられます。 紹介されたのは、左頬に傷のある寡黙な若い女性・渡利みさき。車での練習時間を大切にしている家福は不満を抱くものの、彼女は確かな運転技術を持ち、無口で余計な詮索もしませんでした。 家福が手がけるのは『ワーニャ伯父さん』の多言語演劇で、各国の俳優たちが自国の言語で演じるもの。台湾やフィリピン、韓国などからオーディションに参加し、多様性豊かな俳優たちが選ばれました。その中には耳はきこえるが台詞は手話を使う俳優イ・ユナの姿も。 またオーディションには、目撃した音の不倫相手だと疑っていた俳優・高槻耕史も参加していました。

家福の風変わりな演出に戸惑っていた俳優たちは、次第に稽古の成果を感じ始めます。ワーニャ役に選ばれた高槻はたびたび稽古終わりに家福を誘い、家福もそれに応じていました。

【転】明かされるみさきの過去

「サーブ900ターボ」で劇場と宿を往復するうち、無口だったみさきは徐々に自分の生い立ちを話し始めます。北海道の小さな集落で、水商売をする母に育てられた彼女は、中学生の頃から車を運転して母の送り迎えをしていたと言います。運転が下手だと後部座席から蹴られるため、丁寧な運転を覚えたのです。 しかし18才の時、大雨による土砂崩れに家が巻き込まれて母は亡くなり、みさきはあてもなく運転して、たまたま車が故障した広島で暮らし始めました。 ある稽古終わりに家福は、みさきの運転する車内で、音と自分は娘を幼くして亡くしたこと、それ以来彼女の中には暗い部分があり、彼女に他の男がいたことに気づいており、相手は1人ではなかったと高槻に明かします。しかし高槻は、音が家福に話したことのある物語を、その続きまで知っていたのです。

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【結末】過去の自分と向き合うラスト

家福はみさきに、音に話があると言われた日、用もないのに怖くて帰れなかったと明かします。もっと早く帰っていれば彼女は助かったかもしれないのに。みさきも「自分も土砂崩れの日、母を助けなかった」と語りました。 演劇の最終稽古が始まった頃、高槻が暴行を加えた男が死亡して、高槻は逮捕されました。家福がワーニャ役を引き継ぐか、それとも公演を中止にするか、2日で判断しなくてはなりません。 家福は「君の育った場所を見たい」と言い、みさきはひたすら「サーブ900ターボ」を走らせて北海道へ。土砂にのみこまれた家が残ったその地で、みさきは母が暴力をふるった後は必ずサチという少女の人格になった、演技かもしれないがサチが好きだったと語ります。 家福は、自分たちは正しく傷つくべきだった、生き返ってほしいと言ってみさきを抱きしめます。 家福がワーニャを演じた『ワーニャ叔父さん』は大成功します。時が過ぎ、みさきは韓国で家福と同じ車を運転していました。

『ドライブ・マイ・カー』への感想・評価

総合評価
4

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20代女性

自分の片割れみたいな人を失ったとき、人はとても耐えきれない喪失感と罪の意識みたいなものに襲われるんじゃないかと思った。もっとこうしてればよかった、自分が彼女を見殺しにしたんじゃないか、そんな後悔や罪悪感。主人公2人は喪失感と罪悪感がごちゃまぜになった重苦しい感情を背負い続けている。 高槻が目の前で逮捕されたとき、私には家福が羨んでいるように見えた。家福は裁かれたかったのか。だから北海道へ行って許し合い、前を向いていいと許可を出し合ったんじゃないか。大事な人を亡くしても俯いてなくていい、前を向いていいんだと思わせてくれる映画だった。

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30代男性

あの西島秀俊の保守的で事なかれ主義的な言動が日本的というかアメリカっぽくないというか"らしさ"を感じた部分もあって評価されたんじゃないかなと思っている。
観たときに邦画でまだこんな感動がちゃんと得られるんだという驚嘆まじりの嬉しさが込み上げてきた。高槻が憑依した岡田将生を見たときには、歴史に残る名シーンを目の当たりにした気がした。朗読と劇中劇がシンクロして物語が進行していく構造も、自分が求めてた映画体験にハマった。

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【考察①】ラストシーンに隠された4つの意味

ラストシーンでみさきはなぜか韓国にいました。スーパーで買い物をして犬の待つ車に乗り込み、微笑みを浮かべながら帰って行きます。このシーンは何を表しているのでしょう。

①薄くなった傷跡

みさきの頬にはもともと消えない傷跡がありました。手術すれば薄くなると知っていながら、罪の意識であえて残していた焼印のような傷跡です。 しかし最後のシーンではみさきの傷跡は薄くなっています。手術を受けたようです。みさきの罪の意識も軽くなったと表しているような描写でした。

②ユナと同じ犬

みさきが乗り込んだ車には、ユナの家で飼っていたような大きな犬が乗っていました。『ワーニャ叔父さん』ではユナの演技に強く心を打たれていたようだったので、もしかするとみさきはユナの仕事や生活の手伝いをしているのかも。 本当にユナの犬なのか別の犬なのかはわかりませんが、母の死後ずっと1人で生きてきたみさきが新しい家族を持とうと思えたなら、それだけで微笑ましい結末です。

③家福の車

みさきが韓国で運転していたのは、家福のものと同じ赤いサーブ900でした。これは家福が妻との思い出が詰まった愛車をみさきに譲って手放したとも考えられます。家福も妻の喪失から立ち直り前を向けたということを暗に示しているようです。

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④みさきはなぜ韓国に?

みさきがなぜ韓国に渡ったのかはわかりません。手術に適していたのかもしれないし、ユナについていったからなのかもしれない。釜山の雰囲気がただ気に入ったからかもしれません。 しかし大事なことは、みさきが過去の喪失感や罪の意識と上手に折り合いをつけて、未来(新しい土地)に足を踏み出せるようになったということ。今まさに苦しみの中にいる人の背中もそっと押してくれるような、美しいラストシーンでした。

【考察②】音の秘密を寝物語から読みとく

家福の妻・音は物語前半にしか登場しませんが、彼女のミステリアスなキャラクター像は映画全体を通して家福を翻弄していきます。音が死んだあと、家福は音のことが永遠にわからないという事態に苦しんでいました。

これらの謎の解読を通して、音が秘密にしていたこと、家福が向き合おうとしなかった音という女性の抱えるものを考察していきます。

①寝物語は何を意味していたのか

音は家福と寝たあと決まって物語を語りました。それはまるで『千夜一夜物語』を語るシェエラザードのよう。物語の内容自体は、もうひとつの原作小説『シェラザード』で語られていたものです。 主人公の女子高生の前世はやつめうなぎでした。岩にへばりついて、獲物に寄生することもせずにただ痩せ細って死んでいきます。 現世で女子高生は「空き巣」がいけないとわかっていながら、彼の家に忍び込むことをやめられずにいました。やつめうなぎが岩から離れられないように、彼の家から離れられないのです。『シェラザード』で彼女はそれを「きっと本物の病気だった」と語っています。 この描写は音が、いけないとわかっていても不倫をやめられない病気にひどく苦しんでいたことを表しているようです。

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②音はなぜ不倫したのか

音は原作小説では、家福の知る限り4人の男性と不倫していました。相手はたいてい年下の俳優で、いずれも撮影のある短期間だけ寝る関係です。 高槻は一番最後の不倫相手。家福は高槻を、ハンサムで正直ではあるが深みに欠ける人物だと評価しています。家福はなぜ音がほかの男を求めたのか全く理解できませんでした。 悩む家福にみさきは、音は男たちに心なんて惹かれていなかった、だから寝たんだと考えを述べます。「女の人にはそういうところがある」「病のようなものなんです」と。 音にとって彼らとの行為は、女子高生の自慰みたいなものだったのではないでしょうか。『シェラザード』では女子高生の物語は、語り手の実体験。もしかすると音の寝物語も、音が女子高生のときの体験に基づいているのかもしれません。 音にはかつて(物語と同じではないにしても似たような)病があった。「監視カメラ」以降その症状は治ったが、子どもを失って心がひどく弱ったとき病は再発した。不倫はただ病による衝動のせいであって愛ではなく、欲望を解消する自慰みたいなものだったのではないかと筆者は思います。

ドライブ・マイ・カー
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

③死ぬ間際、何を話そうとしたのか?

音が「話したいことがある」と言い遺して死んでしまう日の朝、家福は音の寝物語を隠蔽しました。音はこれによって、家福が不倫に気づいていながら責める気がないことを悟ったのではないでしょうか。 『シェエラザード』では女子高生は、監視カメラがついたことに落胆しつつもほっとしていました。これ以上罪を重ねなくてすむと、肩の荷が下りたような気持ちになったのです。 しかし映画『ドライブ・マイ・カー』では音の心情に合わせて変更が加えられ、女子高生は防犯カメラに向かって「私が殺した」と叫んでいました。 この変更から推測するに、音は家福に罪を告白し裁かれたかったのではないでしょうか。罰を受けて罪を犯すことをやめたかった。しかし結局音は、最後まで罪から逃れられないまま死んでしまいました。 家福が向き合って正しく傷つくべきだったのは、音の「罪を重ねる病」とその苦しみだったのではないかと筆者は思います。

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【考察③】『ドライブ・マイ・カー』に足された4つの物語

村上春樹による原作小説『ドライブ・マイ・カー』は、車の中の会話だけで完結する50ページ弱の短編です。3時間にわたる長編映画にするにあたって、4つの物語が足されていました。

足された4つの物語
  1. 『シェエラザード』『女のいない男たち』/村上春樹 より
  2. 『木野』『女のいない男たち』/村上春樹 より
  3. 『ワーニャ伯父さん』アントン・チェーホフの戯曲
  4. 『ゴドーを待ちながら』サミュエル・ベケットの戯曲

①『シェエラザード』

1つ目は前述した短編小説『シェエラザード』(村上春樹『女のいない男たち』より)。シェエラザードとは『千夜一夜物語』に登場する、寝物語を語る王妃の名前です。 映画に足されていたのは主に、音(『シェエラザード』では名無しの女性)が性行為のあとに語る「やつめうなぎ」と「空き巣」の話。しかし自慰や殺人、最後の叫びの描写は原作にはありませんでした。

②『木野』

『木野』という別の村上春樹の短編も映画には盛り込まれています。この作品からは妻の不倫現場を目撃してしまった木野という男の苦しみが取り入れられていました。 木野は妻の不倫を目撃してから、冷静に荷物をまとめ仕事を変えて離婚調停まで済ませます。 新しい生活は一見順調かと思われましたが、ある日よくない何かが周りに集まってきて、彼はそれから逃げるために地方を点々とすることになるのです。 木野が逃げ回ることに疲れたある日、彼の泊まる部屋が激しくノックされます。よく聞くとそれは、部屋ではなくて心に直接響いてくる音、苦しみでした。 「おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ」 「痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった」 という彼の独白は、映画の「正しく傷つくべきだった」という家福のセリフとリンクしているようです。

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③『ワーニャ伯父さん』

ドライブ・マイ・カー
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

演劇の『ワーニャ伯父さん』は、原作小説『ドライブ・マイ・カー』からカセットテープとして登場していました。 ロシアの作家チェーホフの戯曲で、主人公ワーニャと姪ソーニャが苦悩に耐えながらも生きようとする姿を通して、人生や幸せとは何かを問いかける話です。 濱口監督は原作を読むうちに、次第に家福とワーニャがシンクロし始めたと語っています。劇中でも、家福はワーニャ役を「もう演じられない」と語っており、自身とワーニャが同化する苦しみが描かれていました。

ソーニャとワーニャのラストシーンが表す答え

多言語演劇の舞台『ワーニャ伯父さん』は、高槻の代わりに家福がワーニャを演じることで幕が上がります。最後のシーンでは、ユナ演じるソーニャがワーニャに、苦悩に満ちた人生でも「生きていきましょう」と手話で強く語りかけていました。 ソーニャのセリフの通り、家福は音を失った悲しみと向き合い、それでも前を向いて生きていくしかないと、ワーニャと同じように「再生」を決意します。 そして、ワーニャが家福とリンクするのと同様に、みさきはソーニャとリンクしています。みさきが北海道で家福に言った「音には謎なんかなくて、そういう人だったのだと受け入れるしかない」という言葉は、彼女が家福にとってのソーニャであることを示しています。

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④『ゴドーを待ちながら』

序盤に登場した演劇『ゴドーを待ちながら』は共同脚本の大江崇允が一番好きな演劇だったことをきっかけに取り入れられました。映画では家福が舞台で演じている場面があります。 この作品は不条理演劇の代表作と言われており、家福の生きる現実の不条理さを暗喩しているかのようでした。

【考察④】家福の愛車「サーブ900」が持つ意味とは?

ドライブ・マイ・カー
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

この物語の影の主役ともいえるのが、家福の愛車「サーブ900」です。サーブはスウェーデンの航空機メーカー「SAAB」が1937年に設立した自動車部門のブランド。日本でも1980年代に輸入されて人気を博しました。 原作では黄色のサーブ900コンバーチブルでしたが、映画ではより風景に映える赤い車体のサーブ900ターボのサンルーフに変更されています。 「サーブ900」は古くてマイナーで、非常に台数の少ない車。もう手に入らない部品もあり、維持するのが難しいと言われています。そんな車を大切に扱いながら乗り続けてきたということは、家福が淡々と丁寧に生きる人物であるという彼の性格や生き方が表現されているのではないでしょうか。

『ドライブ・マイ・カー』はなぜ海外でも評価された?

『ドライブ・マイ・カー』は第94回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞の4部門にノミネートされました。(2022年3月28日に国際長編映画賞を受賞。)それを受け、ベルリン国際映画祭に参加するため渡独した濱口監督がオンライン記者会見を行い、心境を語りました。以下はそこから、海外で評価される本作の特性と魅力を考察したものです。

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「声」から伝わる緊張感

原作で“演技ではなかった”高槻の言葉を岡田将生はどう“演技”したのか

ドライブ・マイ・カー
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

濱口監督は、「声」が本作のテーマであることを語っていました。会見でも、海外での評価については「字幕を通じて海外作品を観ているが、言語が分からなくても直接的な何かを感じたのではないか」と分析し、「『声』に何か感情が宿っていることが伝わって、緊張が走ることは万国共通」だと話しています。 ここで語った緊張が走る場面とは、濱口監督が原作で一番印象に残っていたという高槻の「言葉」のシーンがその1つではないでしょうか。映画では高槻を演じた岡田将生が独白のごとく長セリフを語り、まさに緊張が走るシーンとなっていました。 そのセリフとは、家福に向かって「結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。僕はそう思います」と涙目で答える高槻の“演技ではない”「言葉」。 この「心からのものとして響いた、曇りのない言葉」を、監督の思惑通りに“演じ切った”岡田将生の存在感が、本作において重要だったことは間違いありません。

村上春樹作品とパンデミック時代の空気感に通じる普遍性

濱口監督は東日本大震災のドキュメンタリーを制作した体験から、「突然の喪失感」と「復興への意志」を学んだそう。それが『ドライブ・マイ・カー』の土台となっており、世界中で起こった新型コロナウイルスによるパンデミックは、本作のテーマである「喪失と再生」に、より共感を抱く空気感を作り出していたと思われます。 村上春樹が特に長編小説の中で描いている、何かを失い、戻っては来ないけれど組み立て直そうとする「意志」の普遍性を、『ドライブ・マイ・カー』でも強く出していきたいと考えていたとのこと。この試みが時代に合致した結果、同時代を生きる多くの人の共感を生み、世界中で評価される作品になったのではないでしょうか。

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多言語演劇による多様性

ドライブ・マイ・カー
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

近年の賞レースでは、選ぶ側の意識の変化も注目されるところ。アカデミー賞選考委員も、多様性を重視し始めました。手話を含む9つもの多言語による演劇はまさに多様性そのもので、評価を高めている理由の1つとも考えられます。 しかし濱口監督は、多言語演劇が多様性の表れと理解されるのはありがたいと思いつつ、あくまでも多言語演劇は映画の中ではよりシンプルな演技を引き出すための道具立てとして導入したと語っています。それ自体=多様性とは考えておらず、「この現実というものが多様である」とのこと。 多様性を受け入れられるかは、ある種の痛みを引き受ける覚悟が必要で、そういう風に変わっていかなければいけないと考えているそうです。

映画制作のきっかけは?

寝ても覚めても
©2018 映画「寝ても覚めても」製作委員会/ COMME DES CINÉMAS

本作の制作のきっかけとなったのは、『寝ても覚めても』の次作を検討している際、プロデューサーの山本晃久から村上春樹のある短編を提案されたこと。その短編は『ドライブ・マイ・カー』とは別の作品でしたが、どう扱って良いか分からず、濱口監督は以前読んでいた『ドライブ・マイ・カー』のことを思い出したといいます。 『ドライブ・マイ・カー』には濱口監督にとって興味深い、“「声」について非常に真実と思える”ことが書いてあり、高槻というキャラクターが発する「演技ではない言葉」が一番心に残っていたとか。このことを思い出し、『ドライブ・マイ・カー』であれば映画化したいと申し出たそうです。 何度か読み返していくうちに、自分なら出来るという“妙な確信を得て”、2019年の2月にプロットを書いて村上春樹に送ったとのこと。それで、制作の許可が下りたようです。 きっかけとなった高槻の「言葉」のシーンは、劇中でも非常に印象深いシーンとなっています。こちらについては、次の見出しで詳しく解説していきます。

キャスト一覧

家福悠介役/西島秀俊

『ドライブ・マイ・カー』
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

主人公の家福悠介を演じたのは、数々の映画・ドラマで主演を務める西島秀俊。2021年は映画『劇場版 きのう何食べた?』やNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』など話題作に出演し、2クールのミステリードラマ『真犯人フラグ』に主演しています。 濱口監督によれば、西島秀俊は村上春樹の世界観に親和性があり、自分を出しすぎず、決して率直さを失わない人柄が、村上春樹作品の主人公全般のイメージに近いとのこと。確かに本作で見せた苦悩の演技は、静かに染み渡るように伝わってきます。ちなみに西島秀俊自身は高校時代から村上春樹のファンだそう。

渡利みさき役/三浦透子

『ドライブ・マイ・カー』三浦透子
©︎『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

家福の愛車サーブを運転することになるドライバー・渡利みさきは、三浦透子が演じました。歌手としても活動しており、新海誠監督の『天気の子』では主題歌のボーカリストとして参加。2022年はNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』に、3代目主人公ひなたの親友・一恵役で出演しています。 濱口監督とは『偶然と想像』のオーディションで出会い、本作への出演につながりました。世の中を斜めに見たりせず、自分や周囲を良くしていく知性がある人という印象で、本作のみさき像と重なったようです。若いのに達観して落ち着いた雰囲気はまさにそれで、本作のために運転免許を取得したというエピソードには驚くばかり!

家福音役/霧島れいか

『ドライブ・マイ・カー』
©︎『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

家福の妻で脚本家の家福音を演じたのは、霧島れいか。秘密を抱えながら、夫に告白できないままくも膜下出血で突然亡くなってしまう音を、不思議な雰囲気をまとい美しく演じました。2010年には、村上春樹の小説を原作とした『ノルウェイの森』に出演しています。 音の「分からなさ」が作品を引っ張っていくとはいえ、演じる本人には分かるように別の脚本を作成したそう。「悠介と音の過去」について西島と2人で演じた上で、本編の撮影に臨んだといいます。感情を排除した台本読みのカセットテープの声が印象的で、これも物語の重要なポイントです。

高槻耕史役/岡田将生

『ドライブ・マイ・カー』岡田将生
©︎『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

演劇祭に参加する若手俳優・高槻耕史は、岡田将生が演じました。2021年は映画『さんかく窓の外側は夜』や『Arc アーク』、『CUBE』など出演作が次々公開。2022年にかけては舞台『ガラスの動物園』で主演を務めています。 高槻は音の作品に出演したことで知り合った俳優で、家福は音と関係を持っていたと考えています。濱口監督は原作で一番印象に残っていたシーンを、岡田将生なら演じられると思ったそう。「自分の深いところから声を出せるような生き方」をしていないと演じられないという難役を、見事に演じ切り強い印象を残しました。

イ・ユナ役/パク・ユリム

ドライブ・マイ・カー
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

写真右がイ・ユナ役のパク・ユリム、写真左がジャニス役のソニア・ユアン

『ワーニャ伯父さん』でソーニャ役を務める韓国人女優イ・ユナを演じたのは、韓国出身の女優パク・ユリム。ドラマを中心に多くの作品に出演している若手女優で、『推理の女王2~恋の捜査線に進展アリ?!~』(2018年)や『ロマンスは別冊付録』(2019年)、Netfilxドラマ『キングダム』(2019年)などに出演しています。 濱口監督が感心したのは、彼女がそもそも勘が良い上に、独学で相当準備をしてきていたこと。多言語演劇のオーディションから舞台本番まで、手話による素晴らしい演技を見せていました。特に、手だけでなく表情や体の動きで感情を劇的に表現できていた点は圧巻です。

映画のロケ地が持つ意味とは

ドライブ・マイ・カー
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

本作のメインとなる舞台は広島。もちろんロケも広島で行われましたが、実は最初のプロットではその大部分を韓国・釜山で撮影する予定でした。元々釜山は車の走行シーンを自由に撮影できる点で選んでいましたが、コロナ禍で韓国での撮影ができなくなり、その点も含めて国際演劇祭が実際に開催されているようなリアリティのある街を国内で探すことに。 広島は国際平和文化都市として名高く、文化事業も盛ん。原爆の被害から復興していった街の精神性も、家福の喪失→再生のプロセスを表現するのに重なるところがありました。何より、瀬戸内海の光線が透き通っていて素晴らしく、海外のような独特性も感じたといいます。 脚本や設定を変えるのは大変でしたが、結果的に広島という場所が作品を力付け、導いてくれたという感覚を撮りながら感じたそうです。 ここからは撮影で使用されたロケ地を紹介。広島在住のciatrライターが実際に各所を訪れ、撮影してきました。

【ロケ地①】広島国際会議場

広島国際会議場
©︎ciatr

家福が演出を手がける演劇祭の会場として登場したのが、広島平和記念公園の中にある広島国際会議場。家福の赤いサーブが広島入りし、平和公園の中へ向かっていくシーンも印象に残ります。隣接しているのは広島平和記念資料館です。

【ロケ地②】広島市 環境局中工場

環境局中工場
©︎ciatr

家福に「広島らしい場所」と言われてみさきが連れてきたのが、環境局中工場。ごみ処理施設とは思えないモダンな建造物で、世界的建築家・谷口吉生の設計によるものです。建物中央の「エコリアム」という貫通通路が、平和公園を臨み真っ直ぐ瀬戸内海側へと繋いでいます。

環境局中工場
©︎ciatr

ここは家福とみさきが2人で煙草を吸っていた場所。撮影日はちょうど海が光でキラキラ輝いており、濱口監督が言っていた光線をまさに感じました。この場所で2人の距離が少し近づいたので、その場所に来られたことも感慨深かったです。

【ロケ地③】呉市 御手洗

御手洗
©︎ciatr

家福が広島滞在中に宿泊することになる呉市・御手洗は、大崎下島の歴史ある港町。重要伝統的建造物保存地区に選定されており、レトロな街並みと瀬戸内海の風光明媚な景色が有名です。家福はここから国際会議場まで、みさきが運転するサーブで通いました。

【番外編】北海道 赤平市

みさきの実家があった場所として登場したのが、北海道・赤平市。家福とみさきの旅の終点として、ラストを飾る雪深い土地です。北海道のほぼ中央に位置し、みさき曰く「車がないと生活できない土地」。明治時代には炭鉱の町として栄えました。

『ドライブ・マイ・カー』のネタバレ考察・解説で映画の理解を深めよう

ドライブ・マイ・カー
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

3時間という長さを感じさせない傑作映画『ドライブ・マイ・カー』は、考察することが多い作品です。ぜひ何度も見返して、理解を深めてみませんか?見直すたびに新たな発見が見つかったり、自分なりに納得のいく解釈が見つかったりするかもしれません。 映画『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』は2022年10月12日(水)よりAmazonプライム・ビデオにて見放題独占配信されています。国内外で高く評価された本作の見放題配信をお見逃しなく!