『さよなら絵梨』を徹底的にネタバレ考察!元ネタは映画?【藤本タツキの読み切り最新作】
『チェンソーマン』や『ルックバック』といった代表作で知られる藤本タツキは、独特の世界観で多くの読者を惹きつけてきた漫画家です。2022年4月11日、そんな藤本タツキの最新読み切り『さよなら絵梨』が公開されました。
今回の記事では『さよなら絵梨』のネタバレ考察をしていきます。藤本タツキファンの人もそうでない人も、ぜひ1度目を通してみてください!
『さよなら絵梨』ってどんな話?あらすじを紹介
『さよなら絵梨』は200ページ越えの完全新作読み切りで、2022年7月に単行本が発売されました。 主人公の男子中学生・伊藤優太は、病にかかった母親にお願いされ彼女の姿を撮り続けてきました。しかし「死ぬ瞬間まで撮ってほしい」という頼みだけは聞くことができず、病院から逃げ出してしまいます。 母親の死後、動画をドキュメンタリー映画として学校で公開した優太。しかし周りから馬鹿にされ、母親が亡くなった病院で飛び降り自殺をすることを決意します。その後自殺決行のために向かった屋上で、優太は絵梨という少女に出会い……。
ネタバレ①:母が死ぬまでの記録
まずはストーリーの全貌を詳しくおさらいしましょう。物語は優太がスマートフォンで動画を撮っている場面から始まります。 誕生日にスマホを買ってもらったとはしゃぐ彼に対し、母親はとあるお願いをしました。それはこれから自分を動画で撮ってほしいというもの。 病気になってしまった彼女は、優太たちが自分のことをいつでも思い出せるように動画を残したいといいます。 優太はそのお願いを聞き入れ、母親の姿を撮り続けました。家族で行った水族館での姿や台所に立つ姿、テレビを見る姿……どの姿も美しく穏やかです。 そんな何気ない日常が続いた後、ついに場面は病院へと移ります。やがて最期のときが近づきますが、優太は母親が死ぬところだけはどうしても撮れませんでした。 そして動画は優太が病院から逃げ出し、その背後で爆発が起こるというラストを迎えます。 撮りためた動画を編集し直し、『デッドエクスプローションマザー』というタイトルで学内公開されたこの映画は、教師や生徒から「母親の死を冒とくしている」「クソ映画」などと酷評されてしまいました。
ネタバレ②:絵梨との出会い
絵梨と優太の決意
優太は自分のすべてを懸けて作った映画を全否定され、母親が亡くなった病院で自殺することに。 しかし飛び降りるために向かった屋上で、絵梨という謎の少女に出会います。彼女は優太が通う学校の制服を着ていますが、お互い面識はありませんでした。 彼女は優太が『デッドエクスプローションマザー』の作者であることに気づくと、彼の手を引っ張ってとある廃墟へと連れていきます。そしてそこで延々と映画を見せてくるのでした。 一連の行動の理由を聞く優太に対し、絵梨は彼の映画が「超っ~!面白かった」ことと、だからこそ皆が馬鹿にしていたのが悔しかったことを打ち明けます。 彼女はあの映画を観ていて、体育館でたったひとり涙を流していたというのです。 こうして優太は絵梨の提案で、3年生の文化祭で“全員ブチ泣かせ”の映画を公開するために映画漬けの日々を送ることになります。
絵梨を撮る、そして映画にする
ひたすら廃墟で映画を観続け、優太は絵梨と一緒にインプットをどんどん増やしていきます。やがてプロットを作る段階に入りますが、何度考えても絵梨からは「普通」「つまんない」「微妙」となかなかOKが出ません。 行き詰まった優太は父親との会話で、「何にでもファンタジーをひとつまみ入れる」という自分の特色に気づかされます。 そして絵梨を吸血鬼という設定にしたうえで、これまでの日常風景を使って映画作品に仕立て上げることに。 大まかなストーリーは、吸血鬼が病気にかかってしまい、主人公は母親のときと同じように彼女の姿を撮り続けるというものです。 主人公は今度こそ、母親のときには撮れなかった「死」を撮り、ちゃんと生きようと思えるようになります。 しかし撮影を進めるうち、絵梨がほんとうに病気だったことが発覚。優太は彼女から改めて、「私が死ぬまでを撮ってほしい」とお願いされてしまうのでした。
母の正体
優太は大きなショックを受け、映画を撮り続ける気がなくなってしまいます。 そんな中、父親が優太に母親の最期の姿を撮った動画を見せてきました。 動画の中で母親は、優太について「ホント最後まで使えない子……」とひどい言葉を吐き捨てます。 実は彼女は動画で残っていたような優しく美しい母親ではなく、冷たく自分勝手な一面もありました。優太の映画に映っていたのは、彼女のきれいな部分だけだったのです。 そもそも優太に動画を撮らせたのも、病気が治った後自分のテレビプロデューサーとしてのキャリアに役立てるためでした。 優太の映画では母親が「良いお母さん」だったという父親に対し、優太は「思い出す時は綺麗に思い出したかった」と返します。 父親はそれを受け、優太には人をどんな風に思い出すか決める力があると語りかけます。そして絵梨も、みんなにどう思い出されるかを優太に決めてほしかったのではないかと言うのでした。
ぶち泣かす映画の完成
父親の話を聞いた優太は、心を入れ替え絵梨の全部を撮ることにします。2人で行った水族館やカフェ、温泉旅行、映画館、日常の何気ない風景……そしてラストは、病院で2人が交わす会話で終わります。 映画は文化祭で公開され、「みんなをブチ泣かして」という約束通り、生徒たちは鑑賞後涙を流しました。 その後、優太は絵梨の友だちだった女子生徒から声をかけられます。彼女は絵梨が自己中でとても嫌な女だったと振り返ったうえで、きれいな絵梨を残してくれたことに対して「ありがとう」と伝えてきました。
ネタバレ③:優太のその後
幸福な人生
優太は絵梨の動画を編集し続けながら大人になりました。そして大学中退後就職した会社でひとりの女性と出会い、結婚をして娘にも恵まれます。 それでも彼は、絵梨の映画にどこか納得いかないところがあり、誰にも見せないまま編集を続けていました。 特に不満もなく穏やかで幸福な人生が過ぎていくはずでした。しかしそんなある日、優太は交通事故で妻と娘、父親を1度に失ってしまいます。 もうこれ以上耐えられないと思った優太は、思いつめたすえに自殺を決意。首を吊るためのロープを持って「思い出の場所」へと向かいます。
絵梨との再会
「思い出の場所」とは、絵梨と映画漬けの日々を送った例の廃墟でした。 しかしいざ自殺を決行しようとしたとき、優太は自分の映画『さよなら絵梨』が流れていることに気づきます。なんとそこで映画を観ていたのは、中学生のときとまったく変わらない姿の絵梨。 彼女はこの映画に「ファンタジーがひとつまみ足りない」と言うと、実は自分がほんとうに吸血鬼だったことを明かします。過去に死んだのは脳だけで、身体だけよみがえったというのです。 絵梨はこれから失い続ける人生を送るとしても、自分にはこの映画があるから大丈夫だと微笑みます。それを聞いた優太は、彼女にさよならを告げて廃墟を立ち去るのでした。 そしてその背後では、廃墟が爆発して……。
考察①:元ネタは映画『ぼくのエリ 200歳の少女』
ヒロインの名前が絵梨(エリ)で吸血鬼であるという共通点から、『さよなら絵梨』は『ぼくのエリ 200歳の少女』という映画のオマージュだといわれています。 本作が映画をテーマとしていることからも、作者が「ぼくのエリ」を意識していることは間違いないでしょう。作品のページ数がぴったり200ページなのも、邦題にある「200歳の少女」とリンクさせている可能性が高いです。 映画『ぼくのエリ 200歳の少女』は、12歳の少年オスカーと彼が出会った吸血鬼・エリの物語です。お互いに孤独な2人は、あっという間に惹かれ合っていきます。しかしそんななか、オスカーの周りで次々と殺人事件が起こるように……。 実際に『さよなら絵梨』と比べてみると、少年が「エリ」と出会い関係を深めていく点や吸血鬼という設定は同じですが、細かなストーリーにはほぼ共通点がありません。 そのため、「ぼくのエリ」は本作にとって重要な位置を占めているのは確かですが、数あるオマージュのうちのひとつにすぎないともいえるでしょう。藤本タツキの映画愛の深さにはただただ感服するばかりです。 本作には「ぼくのエリ」以外にも、『ファイト・クラブ』をはじめとした数多くの映画ネタが盛り込まれています。ドキュメンタリー映画『監督失格』を連想させるという声も多くみられ、元ネタを探すのも楽しそうです!
考察②:最後の爆発について
『さよなら絵梨』は優太が作った『デッドエクスプローションマザー』と同じく爆発シーンで終わります。これは優太が絵梨の正体を知り、吸血鬼という設定がファンタジーでなくなったため入れられた場面でしょう。 その証拠に、爆発の前には優太の「映画を何度も再編集していた理由がわかった」、絵梨の「ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?」というセリフが入っています。 父親がかつて語った、「何にでもファンタジーをひとつまみ入れる」という彼の個性がここでも発揮されたというわけです。
「クソ映画」と読者が気付く爆発オチ
こうして爆発オチを迎えたことで、読者は『さよなら絵梨』という漫画そのものが「クソ映画」だったことに気づかされます。いつの間にか我々も体育館に並んで座らされ、「クソ映画」を観ていたのです。 どこからが現実でどこまでが映画なのかがわからなくなる、その曖昧さも作品の魅力のひとつです。 ひょっとしたら絵梨は吸血鬼でなかったのかもしれないし、そもそも最初から最後までがフィクションだったのかもしれない……。混乱させられる一方で考察もはかどります。
「爆発オチなんてサイテー」の元ネタ
『さよなら絵梨』の感想のなかには、「爆発オチなんてサイテー!」という言葉がちらほら見られます。 これは物語の収拾がつかなくなったときに用いられる「爆発オチ」に対するコメントです。かつてニコニコ動画などの動画サイトで視聴者がよく使用していました。 なおこの「爆発オチなんてサイテー!」の元ネタは、ゲーム『Fate/stay night』のおまけコーナーである「タイガー道場」です。キャラクターのひとり・イリヤが何気なく発したセリフですが、あまりに印象的だったことから現在でもしばしば使われています。
考察③:セリフに込められた思い
『さよなら絵梨』の中盤では、かつて演劇をしていたという優太の父親が、「友達の受け売り」としてこんなセリフを言います。
創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね
藤本タツキ自身の創作論があらわれているかのようなこのセリフ、印象に残った人も多いのではないでしょうか。 作者が過去に散々心えぐるような作品を生み出してきたからこそ、その裏にこうした想いが隠されていると思うとぐっとくるものがありますね。
『さよなら絵梨』の感想と評価
ラスト、読んでいる私たちも『さよなら絵梨』という「クソ映画」の観客にさせられてしまうところが、読み手も含めて成立している作品という感じがして面白かったです。とにかく構成と画作りの緻密さがすごい。メタ構造が好きな人には間違いなく刺さると思います。1度じゃその良さが味わいつくせない、何度も読み返したくなる作品です。
ルックバックにつづき、これまた凄いもんを見てしまったという感じ。正直この作品を3割も理解できている気はしないのだが、面白いということはわかる。やっぱ藤本タツキって映画超好きなんだな……そして「創作すること」に対してものすごい熱量があることを感じる。「作り手も傷つかないとフェアじゃない」はきっと本人の言葉だろうな。
終始ドキドキしっぱなしの作品で約200ページの作品があっという間に感じました。藤本タツキならではのコマ割で、読者の想像を掻き立てるのが本当に上手いと思いました。(特に絵梨が死ぬ直前の点滴のシーン)読み切りの短い話だったけど心に残る作品です。
『さよなら絵梨』は映画みたいな漫画だった
2022年4月11日に公開された藤本タツキの最新作『さよなら絵梨』。複雑な構造で読者をうならせる、味わい深い作品です。映画をモチーフとしているだけあって、作者の映画愛がこれでもかと詰め込まれてもいます。 2022年7月に単行本が発売されたので、まだ読んでいない人はこれを機会にチェックしてみてくださいね!