2024年3月1日更新

映画『タイタニック』はどこまで実話?実在した生存者たちのその後や都市伝説の真実を徹底解説

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「タイタニック」事故はどこまで実話?

時期 実際の事故:1912年4月14日〜15日朝にかけて 映画:1912年4月14日〜15日朝にかけて
事故原因 実際の事故:氷山との衝突 映画:氷山との衝突
被害規模 実際の事故:死者数:1,517人 映画被害者数:約1,500人
生存者 実際の事故:711人 映画:約706人

当時の造船技術の粋を駆使し、建造された世界最大の豪華客船タイタニック号。「絶対に沈まない」と言われていたこの巨大な船は、1912年4月12日にイギリス、サウサンプトンの専用埠頭オーシャンドックから出航し、途中フランスのシェルブールとアイルランドのクイーンズタウン(現:コーヴ)に寄港。その後、アメリカ、ニューヨークに向けて6日間の処女航海に出発します。 しかし出発から2日目の14日、氷山との衝突事故が発生。この事故は当時海難事故として史上最大の死者数を出した大事故となりました。 映画『タイタニック』では、実物大のセットを作り、迫力のある映像を撮影することに成功しています。ここまで大規模なセットが建てられたのは、本作が初めて。ローズの回想では、海に投げ出された1,500人のうち6人のみが助かり、ボートに乗った人々とともにカルパチア号に救助されたとしています。 またタイタニック号の悲劇は、ドキュメンタリー映画の題材としてもたびたび取り上げられています。ジェームズ・キャメロン監督は、1992年の『タイタニック 真実の姿』を映画を作るにあたって参考にしたと公言していますし、2017年のドキュメンタリー映画『タイタニック号 最後の謎に迫る』には、出演もしています。

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【事故原因】タイタニック号悲劇の実話の理由

①船長エドワード・ジョン・スミスのミス

タイタニック号のような悲劇が起きてしまったのは、なぜなのでしょうか。諸説ありますが、原因は船長にあるといわれているようです。 タイタニック号の船長であったエドワード・ジョン・スミスは、「スミス船長の船にしか乗らない」という大富豪がいたほど、彼は経験豊かで高い名声を誇っていたのです。 しかしこのスミス船長の慢心が、6つの氷山の警告を無視し、フルスピードで航海を進める結果に繋がったのではという意見も。 さらにスミス船長は、直前のナビゲーションテストも失敗していたのです。いずれにしても、スミス船長はできる限り多くの乗客を救い、自分自身は船とともに沈んでいったことに変わりはありませんが……。 映画ではバーナード・ヒルが演じており、やはり度重なる警告を「よくあること」として無視しています。また、映画ではスミス船長はタイタニック号の処女航海を最後に引退予定となっていますが、史実ではその後も同船の船長として航海をつづける予定だったようです。

②「不沈船」が抱えた致命的な欠陥

タイタニック号は船底を二重にしたり、船体を区画分けして“浸水による沈没を防ぐ”構造にしたりと、当時では高度な安全対策が取られました。 その設計から「不沈船」と呼ばれるも、処女航海で沈没したタイタニック号。多くの犠牲者を出した背景には、”景観を重視する声”があったようです。 この船の象徴といえる4つの煙突も、1つは稼働していない飾りでした。より豪華に見せる仕掛けであり、いかに景観を重視していたかがわかります。

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③救命ボートが不足していた

また、救命ボートも68艘搭載するはずが、「デッキが乱雑に見える」との理由で20艘に変更されていたことも、被害を拡大する一因となりました。全員分には到底足りないうえに、沈没した際には定員を満たさずに船を離れたものも……。 船員のボートの扱いに関する不備は、出発前日に行われる予定の訓練がなぜか中止となっていたことなど、さまざまな問題があったとされています。 映画でも救命ボートの数が足りず、ローズが「乗客の半分しかボートに乗れない」と言っていたり、65人乗りのボートに定員の半分以下しか乗せずに出発したりしていたことが描かれています。それでいてボートが足りなくなってくると、女性や子どもが優先にもかかわらず、力ずくで男性が救命ボートに乗り込む様子も描かれました。

【モデル①】ジャックとローズは実在したのか

映画『タイタニック』には、先述のエドワード・ジョン・スミス船長、ホワイト・スター・ライン社の社長ブルース・イズメイなど実在の人物が登場します。 キャメロン監督は当初、沈没事故だけを忠実に再現した映画を製作する予定だったので、関係者の多くが実名で描かれたのは当然だったのかもしれません。しかし彼は調査のなかで船内の階級格差に気付き、身分差のラブロマンスを取り入れることに。 そこから生まれたのが、本作のメインカップルであるジャックとローズでした。2人とその周囲の人々はほとんどがフィクションですが、ローズにはモデルがいるそうです。 監督はローズをアメリカ人芸術家ベアトリス・ウッドのイメージで描いた、と明かしました。 ちなみに不思議なことに、犠牲者にジャックと同性のジョセフ・ドーソンという人物が存在し、「J.ドーソン」と刻まれた彼の墓所を訪れるファンもいます。

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【モデル②】抱き合って亡くなる老夫婦は実話だった!

本作のメインカップルであるジャックとローズは、先述したようにフィクションの存在です。しかし劇中のとあるカップルは、実在していました。それはベッドの上で抱きしめあって、手を強く握りあった老夫婦。部屋が浸水しはじめた時、最期を祈るかのように過ごした彼らです。 彼らの名前は、イジドーとアイダ。2人はもともとファーストクラスの乗客で、優先的に救命ボートへ乗せてもらえるはずでした。しかしイジドーは女性と子どもが全員無事に脱出するまで、自分は脱出することを拒否したのです。 アイダはすでにボートに乗っていましたが、そんな夫のことを聞いてボートを降り、彼のもとへと向かいました。そして2人で抱き合って暖を取っていたところ、大波にさらわれてしまったのです。 目撃者の情報によると、デッキで「最後まで抱き合っていた」という2人。まさに映画のような結末を迎えていたのです。 さらに2023年6月に起きたタイタニック号ツアーの潜水艇圧壊事故において、このツアー会社の社長の妻はこの夫婦の玄孫(やしゃご)だったと報道されています。ツアー会社オーシャンゲートのCEOストックトン・ラッシュは潜水艦を操縦していて、この事故で亡くなったとされています。

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2人の実在を示すペンダントが発見される

その後、アイダの遺体は見つかりませんでしたが、イジドーの遺体は海で発見され、そのズボンのポケットから、「I S」とイニシャルの入ったロケットペンダントが見つかっています。中には長男ジェシーと長女サラの写真が入っていました。 2人のひ孫で歴史家のポール・クスマンが2017年に米Country Living誌に語ったところによると、そのペンダントは代々家宝として受け継がれており、現在は彼が所有しているとのことです。

【モデル③】命を賭した音楽家たちは実在した!

2013年10月にとあるヴァイオリンがオークションに出品され、世界中の注目を集めました。その持ち主を遡ると、ウォレス・ハートリーなる人物にたどり着きます。 このハートリーこそ、沈みゆくタイタニック号から乗客が安心して避難できるようにと、全員が命尽きるまで演奏を続けた音楽家のリーダー。世界で最も有名と言っても過言ではない、あの8人の音楽家たちは実在したのです! ハートリーのヴァイオリンは、1910年に婚約者から贈られたもの。最後は主と共に賛美歌「主よ 御許に近づかん」(讃美歌351番「オータム」だったとも)を奏で、海底に沈みました。遺体と共に引き上げられた際には、彼の体に縛り付けられた状態でした。 ヴァイオリンは婚約者に託され、紆余曲折を経て出品者の母親の手に渡ったとのことです。

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【モデル④】救出の舵を取る女性活動家は実話?

映画『タイタニック』には、実際に救出を仕切った女性活動家が登場します。彼女の名前はマーガレット・ブラウン。通称「不沈のモリー・ブラウン」と呼ばれた女性です。 彼女はミズーリ州の生まれで、女性の権利獲得に情熱を燃やしていた人物でした。その証にブラウンの一家は「デンバー女性クラブ」の創立メンバーとして、成人教育や慈善活動を通し、女性にも平等な機会が与えられるよう働きかけていました。 ブラウンは孫が病気になったとの報せを受け、急遽ヨーロッパ旅行からアメリカに帰るためにタイタニック号に乗船。沈没事故の際には、周りの男性たちよりも上手くその場の指揮をとり、多くの人々が救命ボートへ乗り込むのを助けたのです。 またボートの乗組員に指示して、ほかの生存者を探すためにボートを船へ戻らせるなど、その勇敢な行動で一躍有名になりました。映画では、キャシー・ベイツが彼女を演じています。

【モデル⑤】何も知らない三等客室の乗客たち

タイタニック号の一等客室の金額は、約77,000ポンドでした。平均的な二等客室は約1,000ポンド、三等客室は約300ポンドから600ポンドで、その差はとても大きいものといえます。 ホワイト・スター・ライン社は、各等級の乗客をエリアに分けて滞在させ、裕福な乗客とそうでない乗客が船内で出会わないようにしていました。 これにより船が沈んでいった時、階級を分けるゲートで分断されていた三等客室の乗客は、水が流れ込んでくるまで事態を知ることもなく、その結果この階から多くの犠牲者が出たのです。 救出に際しても、実際に沈みゆく船で、何をすべきか全く分かっていなかった乗務員たちが多かったとのこと。なぜならば、タイタニック号は「不沈船」と謳われていたからです。船の安全性への過信やすでに触れた救命ボートの問題が、パニックに拍車をかけました。 こうした不運が重なって多くの人々が命を落とし、特に三等客室の乗客には救出されるチャンスがほとんど与えられなかったのです。 映画では三等客室はほかの客室よりも早くに浸水が始まったため、乗客はネズミの逃げる方向へ早めに避難を始めています。しかし救命胴衣は渡されたものの、一等および二等客室の避難を優先するため、デッキへの階段は閉ざされ大パニックに。ジャックたちはベンチでシャッターを突き破ってデッキに出ることができました。

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【モデル⑥】船長は本当は生死不明だった?

新造船の処女航海で何度も舵を任され、定年を間近に控えていたというスミス船長。タイタニック号沈没事故では謎の多い彼ですが、実は遺体が引き上げられていません。 生存者たちの証言も一貫性がなく、救命胴衣を着けた状態で海に浮かんでいたとも、救命ボートに乗っていたとも言われています。このことから「生存説」もあり、いち早く逃げた=シナリオがあったのでは?と、陰謀説の一因になったのでしょう。 一方で沈没の10分前に操舵室へ入ったという証言もあったため、キャメロン監督はこの説を採用しました。 研究者たちによる現在の見解では、スミス船長は映画『タイタニック』同様に操舵室で亡くなった、という説が有力だと考えられています。

【その後①】タイタニック号の生存者はどうなった?

タイタニック号の生存者は諸説ありますが、時事通信社の記事(2006年5月7日配信)によると711人いるとのこと。一方、沈没事故で犠牲となったのは1517人。そのうち、合計50人の子どもが命を落としました。その中でももっとも若かったのは、ほんの19ヶ月の赤ちゃんでした。 救命ボートで一命を取り留めた女性や子どもたちも、凍えるような寒さで希望を失い、海のなかに投げ出された人々の叫び声にひたすら耐え続けたのです。 生存者の中にも発狂して自ら命を絶った人もおり、この事故が多くの人々の心に大きな傷を与えたことに変わりはありません。

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生還後も船上で働く看護師がいた

アルゼンチン出身の看護師ヴァイオレット・ジェソップは、タイタニック号に客室乗務員として乗船していました。船が沈没しはじめたとき、彼女は英語がわからない乗客に救命胴衣の着用のしかたを説明するため、自ら着用する方法を用いたと回顧録のなかで説明しています。 また彼女はそれ以前に、タイタニック号の姉妹船でイギリスの軍艦と衝突事故を起こしたオリンピア号にも乗船していました。さらにタイタニック号沈没から生還し、第一次大戦中は英国赤十字社の客室乗務員に。タイタニック号の妹船であるブリタニック号に乗船しています。 ブリタニック号が機雷に触れたことでエーゲ海に沈んだ際にも、ジェソップは生還。3回の海難事故を生き抜いた彼女は、「沈没船の女王」や「ミス不沈」とも呼ばれました。

まさに九死に一生を得たパン職人

そんななかで奇跡的に助かった人物もいます。それはタイタニック号のパン焼き主任だったチャールズ・ジョン・ジョフィン。彼は沈みゆく船で乗客に食料を配り、多くの女性や子どもを救命ボートに乗せて自分はボートへ乗るのを拒みました。 驚くべきは、海に投げ出された人々が氷点下2度の水中で15分から45分しか生き延びられなかったにもかかわらず、ジョフィンが6時間後に生還したこと。彼は事故の前に酒を飲んでいて、内臓を温めていたから無事だった、と言われています。

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【その後②】唯一の日本人生存者がいた!

当時のタイタニック号には、鉄道院副参事を務めていた細野正文が唯一の日本人として乗船していました。そして、彼がいたのはもっとも死亡率が高かったとされる二等船室。しかし細野は10号ボートに乗って、無事生還することができたのです。 実はこのボート、すでに45人ほどが乗った状態で出発していました。あと3人ほど乗れる余裕があったため、ボートが何らかの故障で止まった隙に近くにいた船員が飛び乗ったのです。それをきっかけに、細野も飛び降りてボートに乗ったとのだとか。 しかし後に彼は、13号ボートで人を押しのけて乗ってきた人物だといわれ、日本国内でもしばらく批判に晒されます。彼はそうした批判に対して、なにも反論しないまま亡くなってしまいました。その後、彼の乗ったボートは確かに10号であることや、細野と別の中国人乗客と間違えられたことが明らかになり、名誉回復に至りました。

【その後③】現在もタイタニック号は海底に

タイタニック号は事故から73年後の1985年9月に発見されていますが、現在も海に沈んだままです。100年以上が経った現在まで、ニューファンドランド島の沖合約650km、約3600m以上の深海で眠り続けてきました。 専門家によって時折観察されるものの、金属を食べるバクテリアの侵食、深海の海流や塩水による腐食で見る度に姿形を変えているとのこと。現代の技術では引き上げられず、遺品を盗み出す者も現れたため、ユネスコや専門機関などが保護対象に指定しています。 2100年頃までに崩壊すると見られ、お馴染みのスミス船長のバスタブもなくなりました。タイタニック号の今後に関しては、侵食されつつある状態で残そうというもの、どうにかかつての姿を記録しようとするものなど、さまざまな意見が挙がっています。

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【撮影秘話①】映画では実在のタイタニック号を完全再現!

まずはタイタニック号がいかに豪華絢爛な船だったのか、振り返っていきましょう。船の装飾から調度品にいたるまで、その素晴らしさは映画を通して知ることができます。 後年に「(『タイタニック』を撮った)本音は、実物のタイタニックの残骸へ、自分で潜って到達したかったから」だと語ったキャメロン監督。 タイタニック号に“取り憑かれた”彼は私財も投げ打ち、本作の製作に2億ドルを投じました。海底に眠る船を綿密に調査し、文献や図面設計図も買い漁ったのだとか。ほぼ実物大の船を作り上げ、船体や内装、船底さえも忠実に再現しました。 シャンデリアなどの調度品や食事に使われる皿、カトラリーに至るまで完璧に再現されており、その様子はまさに「海上のホテル」というほかありません。 実際に映画のセットを訪れた研究者もその正確さに驚き、太鼓判を押したといわれています。

【撮影秘話②】ジェームズ・キャメロン監督の想い

タイタニック号は当時、莫大な費用をかけてその絢爛豪華な客船が造られましたが、1997年の映画『タイタニック』の製作費はその建造費を上回り、2009年まで映画製作費歴代1位でした。 つまり実際の船よりも、映画のセットのほうが豪華だったというわけです。そこまでして製作された本作に、監督のジェームズ・キャメロンは強い思いを抱いていました。 それは年老いたローズによる、劇中の以下のセリフに表れています。 「女性の心は、秘密に彩られた深い海のようなものよ」 実はキャメロン監督は、私生活で結婚と離婚を繰り返していました。このセリフから、女心を理解しきることの難しさ、そしてそれに溺れると良くない結末を迎える(映画では溺死)ことが示唆されているのです。 しかしその結果11ものアカデミー賞を獲得して、歴史に名を刻むロマンティック映画を作ることができたのですから、報われたといえるのかもしれません。

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【撮影秘話③】ジャック役に上がった意外な候補

なんと主人公であるジャック役には、ブラッド・ピットトム・クルーズマシュー・マコノヒーマコーレ・カルキンなどが挙がっていたとの噂があります。 また第1候補がイーサン・ホークになっていたものの、ホークが断ったためディカプリオになったという話もあるようです。

またヒロインであるローズ役の候補として挙がっていたのが、なんと世界の歌姫マドンナだったとか!「彼女が演じるローズなら1人で生き残れそう」という意見も。 そのほかにはジョディ・フォスターニコール・キッドマンキャメロン・ディアスシャロン・ストーンといった名前が挙がっていたそうです。

【撮影秘話④】映画『タイタニック』の更なる秘話

沈没後の海でのシーンは寒さを表すために工夫が施された

海でのシーンは凍えるような寒さを表現するために、結晶のパウダーを身体に振りかけ、服と髪にワックスを塗って濡れているように演出したのだとか。 そのような細部に至る工夫に加え、キャスト陣による迫真の演技のおかげで感動のシーンが完成したのですね。

ローズが婚約者に唾を吐くシーンはケイト・ウィンスレットのアイディア

当初はヘアピンを投げつけるだけの予定でしたが、ケイト・ウィンスレットが唾を吐くというアイディアを出し、キャメロン監督も了承しました。 そしてそれをただ1人知らなかったのは、唾を吐きかけられるキャル役のビリー・ゼインのみ。このシーンでの彼の反応は、文字通り「純粋」なものだったそうです。

グロリア・スチュアートは87歳でこの映画に出演した

年老いたローズを演じたのは、当時87歳だったグロリア・スチュアート彼女はアカデミー賞の助演女優賞に史上最年長でノミネートされましたが、この記録は未だに破られていません。 さらに彼女は、映画『タイタニック』出演者の中で、唯一実際のタイタニック号が沈没事故が発生した1912年に生存していた人物でもありました。

ジェームズ・キャメロンはエキストラ全員に話しかけていた

ふつう映画に登場するエキストラといえば、集団のなかの1人であって重要な役どころではありません。しかしキャメロン監督はエキストラ150人以上と話し、彼らに役名と生い立ちを授けたのです。 さらにエキストラは3時間にも及ぶ講習で、1912年当時の立ち居振る舞いを学びました。どんな小さな役にも妥協を許さないキャメロン監督の姿勢がうかがえます。

ローズのドレスは濡れていても美しいようにデザインされた

劇中の衣装をデザインしたデザイナーのデボラ・リン・スコットは、24種類ものシフォンドレスを試作して水のなかでの耐性をチェックしました。 彼女の努力があったからこそ、船が沈む直前のシーンでもローズの美しさは変わらぬままだったのかもしれません。

ローズが船内に飛び込んだ時に出した声は演技ではなかった

実際の撮影はカリフォルニア近辺で行われたものの、水は北大西洋のタイタニックが沈没した付近と同じくらい冷たかったそうです。 そのためローズ役のケイト・ウィンスレットは水のあまりの冷たさに、演技ではなく思わず声を出してしまったのだとか。彼女は海に浮いているシーンでウェットスーツを着用しなかった、数少ないキャストの1人でもあります。 過酷な撮影環境でも妥協しない彼女の姿勢が、演じたローズの役柄にも反映されているのでしょう。

船内に水が溢れてくるシーンは取り直しされたものだった

視覚的な迫力を求めるキャメロン監督は、水圧が十分ではないとして撮り直しをすることに。撮り直しのためにセットは再度建て直され、水圧を3倍にして撮影が行われました。

【トリビア】映画と実話に関する意外な小話

ジャックが死ななければならなかった理由

映画『タイタニック』でもっとも悲しいシーンといえば、ジャックがローズを救うために自ら犠牲になるシーンでしょう。 しかしローズが助かるために乗っていたドアには、彼も乗れるほどのスペースがあったという見解が多いようです。助かる余地があったのに、なぜジャックは死ななければいけなかったのでしょうか? その理由について、監督のジェームズ・キャメロンは米紙Vanity Fairにこう語っています。 「これは死と別れについての映画であり、ジャックは死ななければならなかったんだ」 確かにこの物語は、生き残ったローズが語る“ジャックとの美しい思い出”の回想です。その悲劇があったからこそ、エンディングは素晴らしいものになりました。つまりジャックが死んだのは、物理的な理由ではなく芸術的な理由だったというわけです。

ジャックは未来からやってきたとの都市伝説も!

『タイタニック』の都市伝説で有名なものに、レオナルド・ディカプリオ演じるジャックは未来からやってきた、という説があります。 根拠としては、ジャックが劇中の会話で言及している出来事が、タイタニック号沈没後のことだったという点のようです。彼がウィスソータ湖での釣りに関して話すシーンがありますが、この湖は人口の湖で、タイタニック号沈没の5年後に作られました。 またジャックはローズをサンタモニカ・ピアに連れていく、という約束をしますが、お目当てのジェットコースターが完成するのは沈没から4年後。2人がタイタニック号に乗っていた時は、工事の着手すらされていませんでした。 これらのことから、ジャックは未来からローズを救うためにやってきた、という都市伝説が噂されているのです。

ほかにもタイタニック号の悲劇を描いた映画が存在

タイタニック号を題材にした映画は、これまでに数多く作られてきました。 そのなかは、なんとナチスが手がけたものまであるのです!1944年にナチスドイツが映画をプロパガンダに利用するために製作したもので、そのほかの作品とは少し毛色が違います。 この映画では、ナチスドイツのオフィサーが英雄として描かれ、イギリス人の強欲さが船の破滅をもたらしたというストーリーになっていました。 しかし数多く作られたタイタニック号の映画のなかでもっとも成功したのは、やはりジェームズ・キャメロン監督の『タイタニック』でした。

タイタニック号の姉妹船がたどった運命とは

あまり知られていませんが、タイタニック号はオリンピック級客船の2番船で、1番船「オリンピック」と3番船「ブリタニック」という姉妹船が存在します。 長女のオリンピック号は1911年に就役し、3姉妹の中で1番長く活躍しました。第一次世界大戦で輸送船として徴用されるも、再び豪華客船として就役。彼女は「Old Reliable(頼もしいおばあちゃん)」の名で愛され、1935年に引退を迎えています。 内装の一部はオークションにかけられ、富豪の屋敷やレストランなどで再利用されるなど、イギリスの人々のあいだで愛され続けました。 ブリタニック号は次女の沈没事故を受け、当初の設計から大幅に変更されることに。竣工直後にイギリス軍の病院船として徴用され、1916年11月21日に触雷で沈没しました。惜しくも客船として日の目を見ることなく、その短い一生を終えています。

「オリンピック」と「ブリタニック」について陰謀説との噂も?

3隻の姉妹船は1907年に建造が計画され、オリンピック号とタイタニック号は同時期に竣工したことから、見分けがつかないほどそっくりでした。 一説によると、廃船になる予定だったオリンピック号の塗装を変え、別の船として沈没させて保険金を受け取ったのでは?ともいわれています。オリンピック号は2回事故を起こしていますが、どちらも自身に非があるとして、保険金が一切降りていません。 実際にタイタニック号は、事故のあと2週間ばかりで莫大な保険金が支払われました。 沈没事故が計画的なものであれば、これまで挙げた疑問に説明がつきます。火のないところに煙は立たないとおいますが、今はもう確かめようがありません。 とはいえ、2度目の座礁事故からタイタニック号の就役までにすり替えを行うのは工事面などから困難だとして、この陰謀には否定的な見方が強いようです。

【都市伝説】タイタニック号の噂はどこまで実話?

直前で乗船をキャンセルした大物

タイタニック号の保有者は、イギリスの海運企業「ホワイト・スター・ライン社」です。しかし同社を子会社として吸収し、船のオーナーになった人物が存在するのだとか! 彼の名はJ・Pモルガン。アメリカ5大財閥の1つの創始者である彼は、当初このタイタニック号に知人たちとともに乗船する予定でした。しかしなぜか全員が、直前でキャンセルしているのです。 その代わりに乗船の権利を得た夫妻をはじめ、富豪や有力者の多くも乗船をキャンセルしていました。

双眼鏡が消えた

またタイタニック号では、双眼鏡が消えるという事件が発生していました。正確には消えたのではなく、取り出せない状況だったのです。 双眼鏡は管理責任者のキャビンのロッカーに保管されていましたが、出港間際の配置入れ替えで彼がその鍵を持ったまま下船し、取り出せなくなってしまいました。双眼鏡があれば、あるいは夜間でも氷山を発見できたかもしれません。 これは偶然なのでしょうか?それとも誰かが意図的に隠そうとしたのでしょうか?

氷山警告を何度も無視

さらにホワイト・スター・ライン社の社長は、氷山警告を数回受けていたことを隠していたそうです。 のちに数少ない生存者の1人として、社長のブルース・イズメイは助かります。不可解な行動を見せた彼らは、タイタニック号沈没のシナリオを知っていたのでしょうか?

タイタニック号沈没を予感していた人物

実は、タイタニック号の悲運を予想していた人物がいます。 その人物とは、生還者の1人であるエリザベス・シューツ彼女は事故の夜、強い氷の匂いが気になって眠れませんでした。それは、以前訪れた大きな氷洞の匂いを思い出させるものだったからです。 彼女の言葉は“人々が自分の五感、少なくとも嗅覚を信じることで、危険を予想できる”ということを示したといえるでしょう。

映画『タイタニック』は実話だった!モデルとなった生存者たちのその後を知ろう

ジェームズ・キャメロン監督の熱い思いが注がれ、世界中の感動を誘った『タイタニック』。そのモデルとなった実際の事件や、映画の撮影にまつわるトリビアを紹介してきました。 しかし今回紹介したものは、それこそ氷山の一角にすぎないかもしれません。いまだに謎を残したままで、船とともに海に沈んでしまった真実もあるのでしょう。 もし本作を観る機会があれば、事故の犠牲者や海底で眠るタイタニック号にも思いを馳せ、さまざまな角度から作品を味わってみてください。