2017年7月6日更新

マリリン・モンローについてあなたの知らない50の事実

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マリリン・モンロー
©picture-alliance //Newscom/Zeta Image

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マリリン・モンローについてあなたの知らない事実1~10

1.マリリン・モンロー初期のギャラは比較的安かったことで知られています。『紳士は金髪がお好き』のギャラは共演したジェーン・ラッセルの10分の1だったそうです。 2.しかし、マリリン・モンローは亡くなる4日前、フォックスと映画2本で100万ドルという当時としては破格の契約を結んでいたそうです。 3.マリリン・モンローはセリフ覚えが悪かったことで有名、『お熱いのがお好き』の“it’s me、Sugar”というだけのシーンで60テイクかかったそうです。 4.1953年マリリン・モンローは“プレイボーイ誌”初のスイートハート(後のプレイメート)に選ばれました。 5.マリリン・モンローが埋葬された墓の近くの墓がいくつか売りに出され、そのひとつは約3億円で売却されたそうです。 6.アメリカの実業家ヒュー・ヘフナーはロサンゼルス、ウェスト・メモリアルパークにあるマリリン・モンローの墓の隣のスペースを所有しています。 7.マリリン・モンローは改名を繰り返していたことでも知られています。本名はノーマ・ジーン・モーテンソン、モデルの時はジーン・ノーマンやモナ・モンロー、ホテルにチェックインするときはゼルダ・ゾンク、1956年に法的にマリリン・モンローと改名しました。 8.幼少期、マリリン・モンローは11組の里親のもとを転々とし、1年間ロサンゼルスの孤児院で過ごしたと言われています。 9.マリリン・モンローのお気に入りのアーティストはゴヤだったと言われています。 10.18歳の時、マリリン・モンローはクリスチャン・サイエンスの教徒となりました。

マリリン・モンローについてあなたの知らない事実11~20

11.『王子と踊子』の撮影中、体重の増減が激しかったマリリン・モンローのために、衣装デザイナーは異なるサイズのドレスをいくつか作らなければならなかったそうです。 12.マリリン・モンローは先輩女優ナターシャ・ライテスを演技の師匠として慕っていました。 13.1954年、マリリン・モンローはニューヨークヤンキースのスター選手ジョー・ディマジオと結婚しました。 14.1955年マリリン・モンローはジョーと離婚しましたが、死の直前ふたりは再婚を考えていたと言われています。 15.マリリン・モンローが亡くなった後、20年間にわたりジョー・ディマジオはマリリンの墓にバラを送っていたそうです。 16.2011年1月、オーセンティック・ブランド・グループがマリリン・モンローの知的財産権を約30億円で手に入れました。 17.マリリン・モンローの私物が出品されたオークションで、シンガーのマライア・キャリーがマリリンの白い小さなピアノを落札しています。 18.1999年ケネディ・大統領に“ハッピーバースデー”の曲を唄った時に着用していたガウンが約9000万円で売却されました。 19.存命中マリリン・モンローは多くの犬を飼っていましたが、最後に飼った犬はフランク・シナトラに送られたマルチーズでした。 20.葬儀の時、マリリン・モンローはエミリオ・プッチのシースドレスを身にまとっていたそうです。

マリリン・モンローについてあなたの知らない事実2~30

21.ジョー・ディマジオと結婚する前、16歳の時にマリリン・モンローはジム・ドハティと最初の結婚をしています。 22.マリリン・モンローは美白効果のあるホルモンクリームを愛用していたそうです。 23.マリリン・モンローは生涯アカデミー賞にノミネートされることがありませんでした。 24.1953年、マリリン・モンローは世界一広告に登場した女性の称号を獲得しました。 25.1950年、マリリン・モンローは鼻、顎などの整形をしたと言われています。 26.マリリン・モンローはヨガをエクササイズとして取り入れた先駆者だと言われています。 27.マリリン・モンローは、メアリー・ピックフォードに次いで2番目に自身のプロダクション会社を設立した女優です。 28.『荒馬と女』で共演したクラーク・ゲーブルを父親のように慕っていたマリリン・モンローは彼が死んだ時、2日間泣き明かしたといわれています。 29.マリリン・モンローは裸でいることを好む女性だったため、メークアップアーティストやスタイリストの女性はよく彼女が裸でいるところを目撃していたそうです。 30.マリリン・モンローはオードリー・ヘプバーンが『ティファニーで朝食を』で演じたホリー役のファーストチョイスだったと言われています。

マリリン・モンローについてあなたの知らない事実31~40

31.マリリン・モンローは睡眠薬自殺したと言われていますが、検死で検査された臓器は肝臓のみでした。ある検死官が他の臓器を検査しようとすると、他の臓器はないと言われたそうです。 32.1972年、女優のヴェロニカ・ハメルはマリリン・モンローの家を購入しました。 33.マリリン・モンローのヒーローはエイブラハム・リンカーンだったと言われています。 34.マリリン・モンロー晩年の愛読者はハーパー・リーの『アラバマ物語』だったと言われています。 35.マリリン・モンローの死後、スタンリー・ギフォードとエドワード・モーテンセンいう二人の男がマリリン・モンローの父親だと名乗り出てきたそうです。 36.若い頃、マリリン・モンローはオリンピックの金メダリスト、ホワード・コリントンからウエイトリフティングを教わっていたそうです。 37.ティーンの頃はある島でボーイフレンドのトミーとタンデムサーフィンを楽しんだそうです。 38.マリリン・モンローは当時大統領だったジョン・F・ケネディと不倫関係にあったと言われています。 39.多くの友人たちは自殺ではなくマリリン・モンローは殺害されたと信じています。不倫関係にあったジョン・F・ケネディが事件に何らかの関係があると疑う人が多いようです。 40.マリリン・モンロー自身が所有していた家はたった一つだったそうです。

マリリン・モンローについてあなたの知らない事実41~50

41.1956年マリリン・モンローはアメリカの劇作家アーサー・ミラーと3度目の結婚をしました。 42.アーサー・ミラーの戯曲“After the Fall”はマリリン・モンローとの結婚生活から生まれたものだと言われています。 43.1951年マリリン・モンローは女優シェリー・ウインタースと同居していたそうです。 44.マリリン・モンローはニキータ・フルシチョフ(ソビエト最高指導者)と会った時、『カラマーゾフの兄弟』について議論したそうです。 45.マリリン・モンローは最も魅力的な男性リストを作っていたそうです。その中にはアーサー・ミラーやアインシュタインの名前があったと言われています。 46.マリリン・モンローは料理が好きだったことで有名、ブイヤベースが得意料理だったそうです。 47.ニューヨークタイムズの記者が彼女のレシピを再現しようとチャレンジ、レシピがとても複雑だったことに驚いたそうです。 48.マリリン・モンローの葬儀に多くのファンが駆けつけ暴動が起きたそうです。 49.葬儀のセレモニーが終わった後、マリリン・モンローに送られた多くの花が盗まれていたそうです。 50.ニューヨークタイムズによると、マリリン・モンローが死んだ1週間後、1日で自殺者がニューヨークで12人も出たそうです。